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乙女と薔薇と翠玉の君

登場人物一覧

ジャンヌ・フォン・ジョルダン(p3p010994)
夢見る薔薇
ジャンヌ・フォン・ジョルダンの関係者
→ イラスト



 さて、困ったぞ。とヴィルジール・フォン・エルヴェシウスはほっそりとした自身の顎を撫でた。彼の目の前にいるのは彼自身の婚約者、ジャンヌ・フォン・ジョルダンその人である。それはいい。

「ヴィル様! どうか、ジャンヌと一緒にお出かけをしてほしいのです……!」

 どうやら目の前の少女は所謂デートというものに憧れているらしかった。それも……まぁいいだろう。幻想貴族の三男坊、実家よりも爵位が上のジョルダン家へよくある政略結婚の道具として差し出されたヴィルジールにとって、目の前の少女は平穏の生命線である。機嫌の1つでも取っておくのが利口なやり口だ。問題は彼女がということだ。つまり彼女はヴィルジールとデートをしたいという願望は持っているのだが、そのプランは全てヴィルジールに丸投げなのである。

(厄介だな……)

 兎角、これくらいの年頃の少女は夢見がちである。理解し楽しむのに高い教養を必要とする場所を選ぶにはまだ知識や人生経験が足りない。然りとてあからさまに子供扱いし、彼女の機嫌を損ねてしまうのも問題だ。将来的に彼の立ち位置に不利な影響を及ぼす可能性が大いにある。となると……、

「もちろんいいよ、ジャンヌ。僕にまかせて」

 膝を付き、夢見る婚約者の手を恭しく取って、ヴィルジールはその計算高さを隠してにこりと微笑んでみせた。



 馬車を走らせること数十分。馬車を降りたジャンヌは色とりどりの薔薇が咲き誇るアーチを見上げると、自分が淑女であることを思い出して慌てて口を閉じる。

「ル・レーヴ庭園……?」
「幻想のある好事家が作り上げた庭園で、今の時期は珍しい品種の薔薇がたくさん咲いているらしい。ジャンヌは幻想種ハーモニアだろう? 君の家の庭園も本当に素晴らしいけど、他にも草花に親しむ機会があればいいかなと思って」
「まぁ……! ジャンヌのことを考えてくださってありがとうございます、ヴィル様……!」

 ジャンヌは幼い瞳をキラキラと輝かせて、自身にとっては大きなものに映るアーチを通り抜けて庭園の中へと歩みを進めていく。暖かな日差しと新鮮な緑の匂いに、ともすればその足は今にも駆け出してしまいそうにウズウズとしていたが、淑女として育てられた矜持とヴィルジールの隣を歩きたいという思いが今にも飛び跳ねそうな足をしずしずとした歩き方に押しとどめていた。

「ああ、凄いな。あれは海洋の国で咲いている『海鳴薔薇』だね。ほら、あそこにある海の様な深い青色の……、その隣にあるのはラサ周辺の砂漠の街で特産品になっている『黄燐』……僕も絵画で見た程度だが、本物はあんなに宝石みたいな色をしているのか」
「薔薇って、本当にいろんな色があるのですね……」

 ヴィルジールはゆっくりとした歩調で庭園内を歩きながら、目に付いた薔薇を簡単にジャンヌに解説する。花についての知識に明るいわけでなく本や絵画で見知った薔薇や有名な薔薇を指差す程度ではあったが、まだ世情に疎いジャンヌにとってはそれでも十分らしく楽しそうに頷いたり薔薇を覗き込んだりして庭園の風景を楽しんでいる様だった。ジャンヌに知られぬ様に内心でヴィルジールはホッと胸を撫で下ろす。

「ヴィル様、あちらの薔薇は……きゃっ!?」
「っ、ジャンヌ!」

 あまりに鮮やかで美しい薔薇の花々に見惚れてしまっていたのか、ジャンヌは観賞用に舗装された石畳の上で躓いて体勢を崩してしまった。転ぶことを覚悟したジャンヌはぎゅっと目を瞑って衝撃に備えるが、想像していた痛みは一向にやってこない。

「大丈夫かい、ジャンヌ?」
「……」

 おそるおそる目を開けたジャンヌは、自分のものではない温もりに包まれていることに気がついた。それが隣にいたヴィルジールが自分を支えてくれたものだと気がつくとみるみる内に自身の頬が紅潮するのを感じる。一目見た時から恋慕った愛しい婚約者の腕の中にいるとあっては、夢見る少女の鼓動がどんどん速まっていくのも当然のことだった。

「危なかったね、もう少しのんびり進もうか……ジャンヌ?」
「なっ、……なんでもないのです!!!」

 声をかけたヴィルジールは不思議そうにジャンヌの顔を覗き込もうとしたが、それにジャンヌは顔を真っ赤にしたまま、びゃっ! と飛び上がらんばかりにヴィルジールから離れると勢いよく庭園の奥へと走っていってしまった。ヴィルジールも思わずそれには呆然と彼女を見送ってしまう。

「……元気だな」

 そう言って苦笑したヴィルジールだったが、意外にもその顔には悪い感情は浮かんでいなかった。
 政略的な婚約だ。それは間違いない。ヴィルジールはジャンヌをただの子供としか見ていない。それも間違いない。この『デート』もジャンヌの機嫌を損ねないために考え、付き合ったものだ。間違いではない。
 しかしながらヴィルジールはジャンヌを子供と思ってはいるが決して疎み嫌っているわけではない。扱いやすい、とは評するがそれは彼女生来の素直な点を認めてのことである。
 つまるところ、彼自身が今しがた抱いた『楽しんでくれている様でよかった』という感情には、打算的な感情とは別にほんのりと彼女自身を想った感情が含まれていた。最も、それを彼が認識するには至らないし、思い至ったとしても彼自身が否定するかもしれないが。

「そんなに走ってはまた転んでしまうよ、ジャンヌ」

 そうしてジャンヌを見失っては後で面倒なことになりそうだと『打算』を働かせたヴィルジールは、恥ずかしさのあまり走り去ってしまった彼女を追って庭園の中を走っていくのだった。



 ヴィルジールはまだ気がついていない。

 彼自身もまだ若者であるということ。
 長い目で見れば人生における8歳の差は、特に貴族間の婚姻では然程大きく離れた年齢ではないこと。

 ──そして淑女レディの成長というのは時に目覚ましいものである、ということを。

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