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零とリコリスの話~地獄への道は( ‘ᾥ’ )で出来ている~
登場人物一覧
「リコリィィィス! あたらしい顔よおおおおおおおお!」
「は? なにそれ、頼んでな、ふべぁ!」
なにが起きたんです?
それが周囲の見解の一致だった。温厚で知られる零が、リコリスの顔へパンを投げつけるという、白昼堂々の凶行。
しかたがない、それだけのことをリコリスはした。周囲はそう考え、胸の奥で十字を切った。リコリスが叫ぶ。
「ボクなにもしてないー!!!」
……なわけねーだろ。
周囲は、沈黙した。おとなの態度ってやつだ。
その日はとてもいい天気だった。
リコリスは師匠と( ‘ᾥ’ )トリュフチョコを作れてご満悦だった。
だって師匠とグラオ・クローネが満喫できたのだ。気分があがらないはずがない。長月ともおしゃべりできたし、トリュフチョコは作れたし、リコリスとしては100点満点だ。
100点を120点にすべく、リコリスは零のところへ寄った。
「今日はめっちゃ忙しいから帰れ」
開口一番、帰れ宣言である。リコリスは憤慨した。
零は零でグラオ・クローネの羽印を盛り上げるべく、奥さんと一緒に奮闘してる真っ最中だった。具体的に言うと、菓子パンを焼いていた。零といえばフランスパン、フランスパンといえば零、ってくらいにフランスパンで有名な零だが、今後の事業展開やら店の経営状況を鑑みて、ほかにも目玉商品がほしいところだった。
なぜって零が依頼へ出ている間は、ギフトでのフランスパンを仕入れることができないのだ。原価ゼロ、売れば売るほど利益になる、とどめに美味しいと、三拍子そろっちゃいるが、零という永久機関の根本がいなければ店は成り立たない。これまでは、零が作り置きしていたフランスパンを売っていたのだが、それでは味が落ちる。なにより、零が気軽に長期依頼へ参加できない。いざという時に備えがないのは、家がオール電化なのに、発電機を持っていないようなものだ。
それはさすがにいかがなものか、というわけで、零は自分がいなくても奥さんやお店スタッフが日々のルーチンに困らないよう、新商品の開発へ熱を上げていた。いろいろと試したが、主食用のパンは、やはり零のフランスパンへ軍配があがる。そこで着目したのが、菓子パン。パンへジャムやらチョコやら練りこんだり挟んだりして焼き上げるアレである。研究熱心な零と、協力的なスタッフ、そしていつも支えてくれる奥さんのおかげで、じわじわと購買層を獲得している最中だ。
かくして零たちは、やはり売上を上げるなら時期物が良かろうということで、グラオ・クローネにあわせ、チョコレート餡入りの菓子パンを急造していた。チョコ餡の試作からはじまった一連の工程は、複数のスタッフの鋭敏な舌をもって研究を重ね、餡へあわせたパン生地の開発へと至り、喧々囂々と焼き加減を議論し合い、満を持して制作へこぎつけた。どの段階も、普段から零と奥さんによくしてもらっている、スタッフたちの感謝と、自分たちだって美味しいパンを作ってみせるという気概と情熱からくるものだった。
チョコパンの試作は成功に終わった。あとはお客をうならせるだけだ。
そして零たちは、やる気満々でチョコパン作成へ乗りだした。味、期限、スタッフの疲労度、原価回収、時間単位の売上などなどを勘案し、早朝の仕込みは急ピッチで行われた。まるまると肥えたふかふかのグラオ・クローネ限定パン、かじればあふれんばかりにつめこまれたチョコ餡。ひとりで食べればおなかいっぱい、みんなで食べれば心が満腹。そんな会心の出来だ。
このチョコパンへ勝負をかけていた零たちは、自信満々でサヨナキドリの店を開けた。すでに店の前には長蛇の列。
「本日限定、新作チョコパン、ぜひご賞味ください!」
零と奥さんが先陣を切り、スタッフたちが爽やかな笑顔を見せる。事前に広告を打っていたのも効いた。広告宣伝費は、ここぞというところで使うものだ。
「お客様、どうぞこちらへ! おーい、列整理足りないぞー!」
「レジ応援おねがいします! 大至急です!」
いつもは零のフランスパンが目当てでくるお客たちも、今日ばかりはチョコパンのために並んだのだ。肝いりの新作は、文字通り飛ぶように売れていく。
「零さん! 正午には売り切れます!」
「お客様アンケートでもチョコパン再販希望の声が高いです!」
「……よぉし、みんな、もう一働きしてくれるか? 午後2時を目安に、追加を再販だ!」
「イエッサー!!!」
大急ぎで工房へ人を集め、待機していた職人たちを動員。
店先の接客と販売は奥さんが、零はスタッフたちと共に工房、それぞれに戦場を任せ合い、背を預けて邁進する。
「零くん、頼りにしてるからね」
大事な大事な奥さんからそう言われて、張り切らない男はいない。零は意気揚々と追加のチョコパンを焼き上げ、これから店頭へ並べるぞと意気込んだ……ところへ、リコリスがやってきた。
「はろはろー、ひま?」
帰れといいたくもなるだろう。
「あー、忙しかったんだー。なんか悪いねー」
「ううん、気にしないで。様子みにきてくれたの、うれしい」
リコリスは奥さん相手に、のんびりとお茶していた。零はスタッフとチョコパンの仕上げに追われている。
「だーかーら、今日は都合が悪いんだって! うちの奥さん目当てに店へ来てくれてる人もいるから! あんまり、独り占めしないでくれ!」
「固いこと言わないでよ」
「固くない! ごくごく普通のお願い! リコリース!!! 頼むから聞いてくれ!」
「聞いてる聞いてるー」
フレーバーティーへはちみつを入れるリコリス。
なんかどっと疲れて、零もお茶会の席へ座った。考えてみれば、早朝から働き詰めだったのだ。テンションが下がれば疲労感も出てくる。
「んー……」
零が大きく伸びをすると、にっこり笑いながら奥さんが紅茶を入れてくれた。零はお礼を言いながら紅茶のコクと味を楽しむ。香り高いそれは、ささくれた心をおだやかにしてくれる。
「零くん、今日殺気立ってたから、ラベンダーのハーブティーにしてみたよ」
「ありがとな」
こんなときでも、零を思いやってくれる奥さんが愛おしい。
「ミルク追加もらっていい?」
それに比べてこの二頭身は。
「はあ、本当にいつもマイペースだよな。リコリスは」
「えへへ、褒められちゃった」
「褒めたつもりはなかったけどな。そんなところがリコリスらしいっちゃらしいか」
「まあね、任せてよ!」
「なにを任せるんだ。なにを」
「いろいろだよ! ボクね、こう見えて器用なんだ。おてつだいできるかもよ?」
「お、おう」
胸を叩くリコリスに、零は頭をはたらかせた。
おてつだい。なるほど……この二頭身も、労働力と考えれば……。
猫の手も借りたい状況だし、オオカミ自称してるけど、キャワイイわんこにしか見えないけど、リコリスへ工房を手伝ってもらうも、ありかもしれない。零は、そう考えてしまった。
「リコリス、おこづかいやるから、工房で働いてみない?」
「たのしそう、やるやる!」
嗚呼、それが悲劇の始まりだったのだ。
「ここが零くんちのパン工房かー」
「どうよ。けっこう施設そろってるだろ?」
工場見学のノリで、リコリスは工房内を零へくっついて見て回っていた。
けえして広くはない工房。しかしながら設備は練達産の最新鋭が、効率よく配置されている。零が自分の師匠へお願いして、コネクションを使わせてもらった逸品ばかりだ。練達標準規格(つまり最高品質だよってこと)合格品の設備は、どれもピカピカで、よく手入れがされている。パンを焼くときの敵になりがちな温度ムラもない。大きな作業台では職人たちが、己の持つ技術の粋を尽くして、パン生地とチョコ餡からこだわりのチョコパンを、素早くも見事な手さばきで整形していく。
リコリスはふんふんとうなずきながら、感心したように周囲を見回す。
「けっこうお金かけてるね」
「んー、初期投資は借金してでも。いいものを買えって師匠が言ってくれたからな。融資もしてくれたし」
「零君、負債増えてるー」
「い、いいんだよ。無利子無担保の、長期借入金扱いだから!」
「これからゆっくり返していけばいいってわけだね。恵まれてるー」
「うん、それは否定しない。俺、いまいい環境にいるとおもう」
冒険も商売も、やりがいたくさん、毎日刺激的だ。たくさんの人との縁に恵まれたな、と零はひとりごちる。その中のひとりであるリコリスとの縁も、やはり大切にしたいと、零は考えた。
「リコリスには仕上げ作業をてつだってもらいたいんだが、頼めるか?」
「もちろん! 任せてよ、腕がなるね」
かまどからだした熱々パン、粗熱のとれたそれを、専用の袋へいれて見目よくトレイへ並べる。壊れ物を扱うようにそっと。シンプルだが繊細さが必要な作業だ。けれど狙撃手であるリコリスならば、問題はなかろうと零は楽観視していた。
「これを、こうして、袋へ入れる。オッケー?」
「オッケー!」
「それじゃ俺は焼きの工程を監督するから、リコリスは袋詰めを頼んだ」
「りょーかーい!」
ごきげんで作業台へ向かっていくリコリス。( ‘ᾥ’ )なもんだから身長の足りない彼女のために、足場も用意してあげた。
そしてリコリスがせっせと作業を始めたのを見守ると、零は自分の持ち場へ戻った。パンは焼き加減が命だ。練達産の設備は頼もしいが、まだまだ最後は人間の勘が必要になる。
零は集中して作業へ取り組んでいた。だから、青い顔のスタッフに肩を叩かれるまで、それに気づかなかった。
「あの……零さん、零さん……」
「ん?」
振り返った零は。
「なんじゃこりゃあああああ!」
作業台いっぱいに広がる、( ‘ᾥ’ )。
「あ、零君! なんか物足りないから、チョコペンでかわいいのを書き足しておいたよ!」
「何してくれてんだよ! こんなのが売り物になるか!!!」
そして冒頭へ。
なお、これはこれでいいと、普通に売れた。