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チキチキマシン
登場人物一覧
快楽――色欲の罪を余す事なく味わう為には他者の協力が不可欠だ。ただし、味わいたいと思っていなくとも、味わえてしまうシチュエーションは多々と存在する。まるで気の触れたように脳味噌を粘土と見做す、病的な柔らかさの奴隷のようで……。
理想を体現する為に不可欠なのは、理想に対しての、脳味噌の髄からの真摯な態度だろう。穿たれたかの如くに、貫かれたかの如くに、懸命に、賢明に、啓蒙のような状態を維持せねば成らない。鳴り止まない不協和音の狭間、その、奥の奥へと這入り込むかのような定点だ。観察と計算、莫迦みたいに、阿呆みたいに反芻した最果てでようやく苗床の意味を咀嚼している。たとえば、オマエは何者なのか、と、ヤケに傲慢な、異質な、未曾有の神に問われたとする。彼方に閃く赫々とした双眸の、途轍もない、途方もない冷たさに彼等は『こう』応え、答える筈だ。「世界は思っている以上に狭く、想っている以上に広い」「精神も同じで在り」「悪意か善意かなど」「その個体の『情報』に過ぎない」つまり、生命とは情報と称される臓腑を抱えた糞や尿の袋程度でしかないのだ。「それは、ご存じの通り、神とやらも同意です」――嘘偽りもなく吐き散らかした結果が虚のザマだ、彼等は最早、理想郷を管理する事しか赦されていない――ぶくぶくと嗤っているのは、さて、彼等の一個体で在ったのか、それとも、無限大に並び、繋がり、永久の僥倖を浴びている水槽の中の……。
手袋の色は黒、白、玉虫色の茫漠に苛まれていた。不可視を可視へと変える為に誰かさんは執心して異たけれども、結局、暴く行為とは、発く行為とは、目の前の『それ』に注ぎ込む冒涜以外に他ならない。『それ』は何処から落ちてきたのか。『それ』は如何して迷い込んだのか。閉鎖的な天蓋を一瞥したところでノイズが降ってくるのみ、嗚呼、今日も素晴らしい、眠る事だって在り得ない呼吸音だ、円盤の回転だ、螺旋だ――ブゥゥゥゥン――兎も角、今、目下の問題は『それ』で在る。いや、知っている。管理者は知っている。この世界に、境界に、物語に墜落してきた『もの』は悉く何かしらの闇黒を宿しているのだと……。『それ』が完全に目覚める前に『いつの通り』の施術を終わらせなければ。がらがらと忙しない手術用の拘束具……切開用の諸々の最終メンテナンス……摘出後の身体の維持……水槽……嗚呼、整っている。そろそろ『それ』の『四肢』を留めようか……。
個体名――イルミナ・ガードルーン――様々な箇所に『弄られた』形跡あり。弄られる度に元に『戻されて』はいるが、おそらく『つたない』研究者か魔術師が疵を残したのだろう。この『異常な状況』に陥ったのは周囲に『矛盾』を撒くような『それ』の在り方に帰結する。いや、第一、これは――脳味噌『ではない』のだ。頭の中に詰まっているのはメモリの類、これでは摘出する事も、水槽の中で生かす事も不可能。で、在れば、選択肢はひとつしかない。人間諸君はジュースを飲む時ストローとやらを使うと聞く。それの逆転的な発想だ。もうイルミナ・ガードルーンが苦しむ事など無いだろう。イルミナ・ガードルーンが後悔する事など無いだろう。この文章を、言の葉の大渦巻きを追っている、諸君にとっても良質な展開だ……。何、捻くれた漿液を吸引して暴露するのが宜しい。
――ユッグゴトフだ。
――ユッグゴトフが覚醒を促している。
ビリビリと世界がオマエを蝕むかのような刺激、此処でハジメテ『イルミナ』はカメラ・アイを回転させた。意識をショートさせるかの如き、激烈な、それ故に跳ね上がった歯車。「な……なにが起きたッスか……?」舌の動きが醜い、口腔が痙攣でもしていたのか、ひくひくと唾液などがこぼれる。拭おうとは試みたものの、勿論、身体なぞミリも動かない。「な、ど……どういう事ッスか……どうしてイルミナは、こんな……ッ!」感嘆符をアーカーシャに連ねるのも無理はない。オマエのカメラ・アイに飛び込んできたのは、それはそれは王道的で、故にこそおぞましい『もの』だったからだ。明滅している貌のない頭部、退化して最早ふるえる程度の翅、ザリガニか海老を想わせる胴体……何よりも狂おしいのは、その輪郭が絶えず混沌としている事だ。頭部と翅と胴体が常に融合し、解除され、また別のカタチへと改竄されていく……。「……旅人さんッスか? ……イルミナを拘束して何するつもり……」状況を把握してしまえば幾等か正気は取り戻せる。まずは質疑応答だ。確実に相手の狙いを『ほどかねば』此方に脱出の手口は、糸口はない。「……はやく答えてくれますか?」語尾を殺してまで知りたかったのは『わかる』が、此処でカメラ・アイが最悪を映し込む。先程までの描写を再度確認だ……貌のない……つまりは口答えなど最初から出来ないと謂うワケだ。重ねて、聞く耳も有していない……! 「……」解放も話し合いも絶望的だ。あとは目の前の化け物がイルミナ・ガードルーンに飽きてくれるまで待ち、祈る以外にない。「う……嘘ッスよね……こんなの……現実じゃないッスよ……」夢よ、どうか覚めないで? 夢よ、どうか覚めてくれ……!
ずるり、と、吐き気を催す不快な音が、イルミナの頭の中から漏れ出てきた。引っ張られるような、押し込まれるような、筆舌に尽くし難い、バクダンめいた、強烈な嫌悪の感情。下腹部の内側あたりでひく憑いた、本当、蹂躙されたかのような現状を咀嚼してしまった。「あ……あ……なに……なにして……」むしろ今まで気付かなかったのが、気付けなかったのが可笑しいのだ。「イルミナの……頭の中に……なにか……」コードが絡まっている。元々はソケットに、水槽に刺す為の『くだ』が刺さっている。鏡なんか見なくても、違う、鏡なんか見たくない。「や、やめるッス! これ以上はダメッスよ!!! お願いでス……」ボタン操作で楽々悦楽とでも描写すべきだろうか。化け物は『指先』を構築し複雑怪奇な機械を働かせる。チキチキと……。
――いや。
――いやッス。
――イルミナはもう、イルミナをやめたくなッ……。
――くっ……うっ……ァ……ア……ッ……。
……ッ……。
しあわせがいっぱいだ。しあわせいっぱいなアタマのなかにおはなばたけがひろがっている。ぶいんのみんながいるみなをかこんでたのしそうなかおをしている。あまえてもいいんだって、しばられるひつようはないんだって、いるみなのアタマのうらをなでながら※※※はほほえんでくれた。だから、いるみなは、このしあわせにあふれたせかいで、ゆごすのあなをみつけることをちかっているんだ。ふふ、あは、あはははは……。
……これは失敗だ。想像していた以上に個体名:イルミナ・ガードルーンは『しあわせ』に縋りたかったらしい。どちゃりと、ぐちゃぐちゃと倒れた時は息絶えたのかと思ったが、幸福が過ぎてカメラ・アイが振盪している程度の様子だ。幸いな事に時間だけは無尽蔵に存在している。何故ならば、次の、幸せを求める者が落ちてこない限り『出入口』は捲られないのだ。更に偶然にも肉体維持、保管用のカプセルも『ひとつ』空いている。それにしても、随分と『これ』は僥倖に恵まれてはいないか。喪失している身体を持ち上げ、どぼん、特殊溶液に浸してみる。これからだ。これからが、理想郷への第一歩と謂うワケなのだ……。