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いつかのパンケーキ
登場人物一覧
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「ああ、それはじゃがいもの花さ。
かわいいだろう? なんだい? 君はそれが気に入ったのかい?
そうだね、君の名前はポテト、なんてどうだろう?
そんな不思議そうな顔をするなよ。名前は大切なものさ。
この世に生まれたことを祝福された証なんだよ」
新緑の瞳の女神はそう言って笑った。その日から私の名前は『ポテト』になったのだ。
「ポテト、僕はここから離れることはできない。
だからね――。僕の代わりに君が世界を『観て』くるんだ」
世界を支える女神はこの聖域から出ることはかなわない。
だから女神は三人の樹精を作った。自らの願望の成就と、そして、彼らを慈しみ愛するために。
明るく人懐こい女神様は好奇心だって強い。けれど外にはでることはできない。
そうしてしまえば、世界はなくなってしまうから。
だから彼女はお願いをするのだ。君の目で、世界を見てきてほしいのだと。
私はその願いを叶えようと思った。
外の世界は、正直怖い。
何が在るかなんて話に聞くくらいしかしらない。そのなかには怪物とか怖いものもいっぱいあるのだ。
それでも母上様の代わりになれるのであればそれはとてもとても誇らしいことに思える。
雄大な空、雨雲、雨が上がったあとの大きな虹の橋、それは下兄様がよくよんでいる本に書いてあったもの。
怖いものもあるけれど美しいものもたくさんあるのだ。その美しいものを自分で観るのは私だって興味がひかれる。
だから、ひとりで旅にでるのは少しだけ不安だったけれど、それ以上に楽しみでもあったのだ。
私は旅に向けていろいろなことを勉強することになった。
聖域の外で暮らすひとびとの常識。
旅の必需品。
それと――。
「おい、ポテト。母上のために出るのだろう?
なら旅の間の食事はどうする? 俺が作ってやるわけにはいかなくなる。
だからお前が作れるようになれ」
上兄様が突然そんなことを言い始めた。
私はもっといろいろなことを覚えたら母上様のために世界を『観』にいく。
詰まりは旅立ちだ。
だからそれはその旅立ちにとっても必要なことだと上兄様はそう言った。
「ああ、いいね、それ。折しもおやつの時間だよ。
そうだ、僕はパンケーキが食べたいなぁ」
母上様はきらきらと新緑の瞳を輝かせて言う。母上様はパンケーキが食べたい……なるほど。
それを私が作ったら、喜んでくれるだろうか。
でもはじめてのパンケーキ上手につくれるだろうか? 不安で心がそわそわとする。
「作り方は俺がみてやる」
上兄様がそう言ってくれたから、私はできるだろうと思った。はじめてのパンケーキ。母上様に最高のパンケーキを作るのだ。
上兄様の料理は絶品だ。パンケーキだけじゃない。上兄様の料理はなんだって最高に美味しいのだ。そんな上兄様に直接教えてもらうのだから、難しいことじゃないだろう。
もしきらきら素敵な美味しいパンケーキが焼けたら母上様はきっと素敵な笑顔で喜んでくれる。
私は母上様の笑顔がこの世界で一番いちばんだいすきなのだ。
――と、そのはずだったのに。
上兄様にいわれたとおりに材料を混ぜるがたまごというのは割るときに注意しなければ殻が入ってしまうのだ。それにいそいで混ぜてしまって小麦粉と合わせたときにだまができてしまった。
何をやってもままならない。
上兄様はパンケーキなんて簡単に作ることができるのに。
そんな失敗だらけの初料理を上兄様は根気よく私におしえてくれる。どうにかこうにかたまごの殻をのけて、小麦粉はなめらかになった。これがパンケーキのたねだ。
ここからが正念場!
これをフライパンで焼いてパンケーキにするのだ。うん、最初の失敗はここで挽回する。
下兄様がちらちらとこちらを見ている。大丈夫だ。その本をよんでいてくれ。読み終わる頃には美味しいパンケーキができあがる。――はずだ。
フライパンで焼くということは混ぜるよりぜんぜん難しいのだと知る。
たねをバターをとかしたフライパンにながしこめばじゅう、と気持ちのいい音がなった。ここまでは大丈夫。丁寧に焼くのだ。
じゅうじゅう、じゅうじゅう。
「ポテト、そろそろひっくり返さないとだめだ」
「あ、はい……あっ……」
ひっくり返したぱんけーきは真っ黒。
「火が強すぎたな。裏面は火の勢いを弱めて」
言われるがままにそうするがときは遅し、真っ黒かちかちパンケーキ。私は悲しい気分になる。こんなパンケーキじゃ母上様は喜ばない。
「できたのかい? ポテトの初めてのパンケーキ!
いただきまーす。あちちっ」
「それは……失敗で」
母上様が指先でその真っ黒のパンケーキをつかんで口にいれる。そんなの絶対まずいはずだから。やめてほしい。
「何をいってるんだ。初めてなんて失敗して当然さ。それにね、君が頑張って作ってくれたんだ。うん、香ばしくてすごく美味しい。
やるじゃないか、ポテト」
母上様はそういってくれたけど。絶対にそれは嘘だ。真っ黒カチカチのパンケーキなんて美味しいわけがない。
それでも母上様は全部食べてくれた。私はスカートのすそをぎゅっと掴む。そうじゃないと泣きそうになったからだ。
「ポテト、次はあいつのだ。あいつもお腹をすかせている」
上兄様が次を急かす。まだまだおやつの時間は終わらない。次は、火を弱くして、焦げないように焦げないように……。
ひっくり返して焦げないように焦げないように。こんどは焦がすものか!
出来上がったパンケーキには焼き目はついていない。そのお皿をだそうとしたら上兄様がさっと奪ってもう一度焼く。
「生焼けは流石にお腹をこわすからな」
きつね色に焼き直してもらったパンケーキはおいしそうだった。私が全部作ったわけではないけれど。
泣きそうになっていたら、下兄様がそっと頭をなでてくれて、私はすこし惨めな気持ちになった。
下兄様が頑張れといってくれたのはわかる。わかるからこそ、惨めだったのだ。それは私が最後まで焼いたものではない。
「次は俺のを作ってくれ」
上兄様が私を促す。ぐっと涙をこらえて私は作業に入る。
次のパンケーキは弱火で焦がさないように、生焼けにならないように、じっくり、じっくりと。
今度はじっくりやきすぎて焦げてはないし生焼けじゃないけれどふんわりしたのにはならなかった。
ぺたんこパンケーキはまるで私のココロのようだった。
「初めてでこれなら上出来だろ。後は数こなしてコツを掴めは簡単だ」
もぐもぐと私のパンケーキを食べる上兄様は笑う。おいしくなんかないそれを。
「頑張ったご褒美に俺がお前のを作ってやる」
そうしてできたパンケーキはフカフカできれいなきつね色でなによりも、とても美味しかった。
だから悔しくてとうとう涙が流れる。
「こらー、ポテトをいじめるなよー」
「いじめてない」
母上様が上兄様に文句をいいながらぎゅうと私を抱きしめてくれた。
「いいんだよ、ポテト。あいつが最初に作ったパンケーキどんなのか知ってるかい? 炭。完璧な炭! そんなのを僕に食べさせたんだよ。ひどくない?」
「母上!! それは内緒という約束だ!」
上兄様が慌てたのがちょっとおもしろかった。そんなことがあったのか。
「だからね、頑張って次は美味しいのたべさせておくれよ。それでいい。次が失敗でもまた次がある。僕たちには時間はたくさんあるんだ」
そう言ってなでてくれる母上様はやさしくて、次はきっときっと美味しいパンケーキを食べてもらうのだと誓う。
そうしたらこんどは笑顔で褒めてくれるだろうから。
でも、それは召喚によって叶わなくなったのだけれども――。
おいしい! このパンケーキ。
うん、ほんとうだね。
私が作ったクリームたっぷりにジャムをかけたパンケーキを新しい家族たちは喜んで食べてくれる。
ふっくらとしたパンケーキにはリコッタチーズを混ぜ込んである。
やわらかくてふかふかなそれは口の中でとろける。
母上様、私はこんなに上手にパンケーキを作れるようになったよ。
ナイフで切り分けたパンケーキをフォークで口に運ぶ。
甘すぎないパンケーキは程よい弾力で口の中で弾む。
上兄上様はこれを食べたら、きっとびっくりしてくれるはずだ。下兄様だって本を投げ出して食べ始めるかもしれない。
だってそれくらいあの頃とは違うパンケーキなのだから。
おかわりと娘が言った。
「そんなに食べるとパンケーキよりふかふかになるぞ」
そういってからかうと娘は頬をふくらませる。あんなところにパンケーキができてしまった。かわいらしいパンケーキのほっぺたをつついて空気を抜く。
「冗談だ。他に欲しい人はいるか?」
そう言えば、大切な人が申し訳なさそうに手をそっとあげる。
それがおかしくてくすくす笑う。
今度はドライフルーツを混ぜて食感の変わったものを作ろう。
メイプルだってたっぷりかけて。