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バット・アンド・グッド・ナイト
登場人物一覧
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夕暮れ。
わたしは、ゆっくりと街を歩いていて。
特に目的がある訳では、なくて。いつも通りの街を見ていると、なんだか心がほわっとなって、落ち着く気がして。
そうして歩いていると、聞き覚えのある声が、聴こえてきたんです。
「だーかーらー! 僕はもうオトナなんだってば!」
「だーめだ! 此処では見た目が子どもの子にはお酒は売らないって決めてンだよ!」
「ぶー!! ミスタのケーチー!!」
「何とでも言えい」
喧嘩、でしょうか。
わたしは不安になって、そちらに爪先を向けます。
――ああ、やっぱり。
黒いマントに、モノトーンで揃えた衣装。黒い髪をふわふわと揺らしながら、リリィリィさまが怒ったようにぴょんぴょん、と飛び跳ねておられました。
言い争っていたのは、店主さまでしょうか。もう話は終わったとばかりに、リリィリィさまに背を向けて、お仕事に戻ってしまわれています。
「けち! けちんぼ! バツイチ!」
「最後のは関係ねえだろ!」
「ぶー!」
最後に何度か、悪口を言って。諦めたように振り返ったリリィリィさまの桃色の瞳が、わたしを、捉えて。
あ、と嬉しそうに笑った其の顔は、とても、お可愛らしいものでした。
「ミス・メイメイ! こんにちは! どうしたの、こんなところで、お買い物?」
「あ……お散歩、です」
「お散歩かあ! いいねえ、こういう夕暮れのお散歩って、とっても雰囲気があるよね! 僕もこういう時間から活動するのが好きなんだ」
まるで、童話に出て来る吸血鬼みたいな――リリィリィさま。
きっと其の黒い髪には、藍色の夜空が良く似合うのでしょう。きっと其の桃色の瞳に月が映り込んだら、月も桃色になってしまうのではないかしら。
うんうん、と頷くリリィリィさまを見ていると、そうだ! と彼は、わたしの手をとりました。
「ミス・メイメイ! 夜って時間ある?」
「夜、ですか? えと……はい。今日は、予定はありません、が……」
「じゃあ決まりだ! 僕ね、今ちょっと……お酒を買えなかったストレスが溜まっているので……夜のお散歩しようよ! ミス・メイメイも準備があるだろうし、ローレットの前で、日が沈むころに待ち合わせ! どうかな?」
わたしは、突然のお誘いに目をぱちくりとさせて。
でも、其れをお断りする理由もなくて。
だから、わかりました、と、頷いたのでした。
●
「ミス・メイメイ!」
お財布だとか、ハンカチだとか。
そういうものを準備して、忘れ物はないか、と確認していたら、少し遅くなってしまいました。
慌ててローレットへと向かうと、扉の傍に背を預けていたリリィリィさまが元気よく手を振って下さいました。
「ご、ごめんな、さい……! おまたせ、しました……!」
「ううん、全然いいよ! さ、こっち。今日は僕がエスコートしてあげる!」
そういう気分だから!
と仰るリリィリィさまは、自称でお年を召しているとは思えないほど無邪気なお顔をしていて。
そうしてわたしの手を引くと、夕暮れを過ぎて藍色に染まり始めている空の下を歩き始めました。
「ミス・メイメイは、お空を飛んだ事はある?」
「お空、ですか?」
「そう! 今日はね、君と夜の空を見たいなって思ったんだ。僕にしか出来ない、とっておきの手段でね」
そう言いながら、リリィリィさまは幻想の高台へ、高台へと進んで行きます。
でもわたしは苦しくありません。きっと、歩調を合わせてくれているからなのでしょう。
「リリィリィさまにしか出来ない、手段……」
「ふっふっふー。もうすぐ着くよ!」
そうしてわたしたちが着いたのは、すっかりと幻想が見下ろせるくらいの高台。
そして其処には、木の板と頑丈そうな紐がありました。周囲はすっかり真っ暗で、リリィリィさまが其れを持ち上げて下さらなかったら、わたしは気付かなかったに違いありません。
「ブランコってしたことある?」
「えっと……公園にある」
「そうそう! さあ、蝙蝠くんたち、出番だよ!」
ぶわっ!
リリィリィさまがマントを翻すと、暗色をした何かが群れを成して飛び立ち……頑丈そうな紐を持ちあげます。
よくよく見ると、彼らは蝙蝠の群れで。そうして出来上がったのは、蝙蝠が持ち上げるブランコのようなものでした。
「さ、載って」
と、リリィリィさまが仰るから。
わたしはビックリして、夕暮れ時のように目をぱちくりとさせてしまいます。
「え」
「あ、怖くないよ! 落ちそうになったら僕が支えてあげる!」
「これに、載って、どうするのですか?」
「飛ぶんだ! 幻想の上をね!」
●
「ひゃ、わ、ひゃあああ……!!」
わたしはあの後、言われるがまま蝙蝠ブランコに載り。リリィリィさまが傍でマントを蝙蝠のように変化させると、共に高台から飛び立ちました。
足元はふわふわとおぼつかなくて、わたしは必死に紐にしがみ付いて。でも、落ちるかも、という不安は不思議とありませんでした。
上から見る幻想は、まるできらきらとした宝石箱のようで。暖かそうな光が様々に煌めいて、人々の営みが星空のように輝いていました。
「あはは! どうだい、ミス・メイメイ! 綺麗でしょ? 僕ね、こうやって夜に“お散歩”するのが大好きなんだ」
「……綺麗、ですね」
幾分か冷静さを取り戻してみると、其れはとっても綺麗で。これが空を飛ぶ人たちの視界なんだ、と思うと、不思議とわくわくした気持ちが沸き上がって。
直ぐ傍を飛ぶリリィリィさまを見ると、とても綺麗です、とわたしは笑みを浮かべていました。
「でしょ? ホントはね、お酒があればもっと良かったんだけど……」
「……夕方の、店主さまですか?」
「そう! あの頑固オヤジ~、ああだから奥さんに逃げられちゃうんだぞ」
ぐぬぬ、と悔し気なリリィリィさまに、ついおかしくなってくすくすと笑ってしまいました。
ああ、いけません。リリィリィさまが此方をじっとりと見ていらっしゃいます。でも、其れもなんだか愛らしくて、ついわたしは笑ってしまうのです。
――普通に生きていたら絶対に出来なかった“お散歩”をしていたからでしょうか。
わたしの気持ちはふわふわ、風船を括り付けたかのように軽くなって。
「リリィリィさま」
「なんだい、ミス・メイメイ」
「……メイメイ、で宜しいですよ。其の代わり、リィさまと呼ばせて頂いても構いませんか?」
つい、そんな事を言ってしまって。
リリィリィさまが今度は、いつかのわたしみたいに瞳をぱちくりとさせる番でした。
蝙蝠のブランコは旋回して、ああ、きっとこれで半分の道のりは終わり。
わたしが其れを寂しく思っていると。
「――うん。じゃあ、メイメイ」
ふと優しく目を細めたリリィリィさま――リィさまは、とっても大人びた顔をしていて。
ああ、矢張りお年を召しているのは本当なのだな、と、わたしは感慨深く思うのでした。
幻想という、人の営みという宝石箱。
其れを惜しみなく見せて、教えて下さるリィさま。
出来ればこれからも、色んな事を教えて欲しいと――わたしは、思うのでした。