PandoraPartyProject

SS詳細

渇き

登場人物一覧

チェレンチィ(p3p008318)
暗殺流儀

 薄汚れた裏路地を、ふらふらと歩いた。
 雨が降っていた。フード越しに感じる冷たい雨は、しかし喉の渇きをいやしてはくれない。
 チェレンチィは呻き、歯を食いしばった。はぁ、と熱い息が漏れる。それは、乾燥した喉を、さらに熱く火照らせるのに十分だった。
 喉が渇く。
 渇く。
 たまらなく。
 ぐ、と、左腕で、右の二の腕をつかんだ。暗殺者のマントの下に隠れたそこには、赤いネリネの花を模したような『烙印』が、確かに広がっているのを感じた。
 熱を感じる。烙印が、ぼうぼうと、燃えるような熱を燃やしている。そのような、錯覚かもしれなかったし、本当のことかもしれなかったが、なんにしても烙印の放つ熱は、チェレンチィの喉をたまらなく渇かしている。

 仕事を終えたのは、ほんの数分前だった。
 そこから逃げるように去ったのも、ほんの数分前だ。

 いつもの『暗殺』の依頼。それがどのような経緯で起きた仕事なのかを、チェレンチィは気にしない。ただ、殺す相手だ。殺して、金を得る。それだけの関係であり、相手のバックボーンなどは知る必要はない。
 ターゲットの男は一般人だ。ローレットの精鋭が八人も集まる、ような、そういう『依頼』とは異なる、たやすい仕事だった。気づかれずに近づいて、喉元を掻っ切る。声を上げることもできず、相手は失血死する。それで終わりだった。
 だから、いつも通りにそうして、男の命を狩り取った。ミーロスチの刃が、いつも通りに男の喉元を掻っ切り、その刀身に赤黒い血を滴らせる。
 男が倒れ伏して、床に血がしみだしていた。その様子を、チェレンチィは見つめていた。
 それは、たまらないほどの甘露が、地に染み出しているように見えたのだ。
 極上の果実から滴る果汁。そういったものが、大地に染み出しているかのように、感じたのだ。
 ごくり、と喉を鳴らしていることに、気づいた。同時に、それがたまらなく、忌避すべき、恐ろしいものだと、実感していた。
 口元を抑えた。と思ったのだ。あの、美味なる甘露の現出を、喜んでいないか、と思ったのだ。
「あ、ぐ」
 呻いた。心の中に、不安と恐怖が渦巻いていた。
 あの時。吸血鬼と対峙し、傷を負い、烙印を刻まれた日。
 大丈夫だ、と自分は笑った。仲間たちの心配へ、大丈夫だと。
 それは、仲間を安心させる行為でもあり、自分に言い聞かせる行為でもあった。大丈夫だ――何とかなる。それは楽観的なものの見方ではあったが、しかし過度に不安におぼれ、身動きが取れなくなるよりはずっといいだろう。
 だが、それでも――不安は、不安なのだ。
 チェレンチィは、暗殺者である。だからこそ、『死』というものがどれほどの恐怖を持つのか、それを身を以て知っている。
 烙印。
 進行する、病。
 その象徴。
 渇き。
 『血』をトリガにして発生するそれを、チェレンチィはたまらなく、恐れていた。
「う、ぐ、ぅ」
 呻きながら、チェレンチィは己の歯を噛みしめた。油断なく舌を出して、血を飲もうとするかもしれないと考えれば怖かった。そして飲めば、すべて終わったしまうという気持ちもまた。
 チェレンチィは、最低限のターゲットの死亡確認だけを済ませると、すぐに現場を後にした。外はしとしと雨が降っている。それを避けるでもなく、マントのままで、駆けだした。表通りは避けたかった。今人を見たら、果汁の詰まった果実が歩いている、と錯覚してしまうかもしれなかったし、そう考えてしまうことが怖かった。
 裏路地を歩き、火照る体を雨で鎮める――だが、それも効果は薄い。場面は冒頭に戻るが、そういった、恐怖感を圧して、チェレンチィは帰路についていた。
「飲みたい」
 つぶやく。
「それはだめ」
 つぶやく。
「まだ、大丈夫」
 つぶやく。
「だいじょうぶ、だから」
 つぶやく。
 言い聞かせるように。思い込むように。
 つぶやいた。
 ……怖い。
 つぶやけなかった。
 声に出したら、負けてしまう気がした。心から、それを認めてしまう気がした。
 こういった、弱った自分を見せることなどもってのほかであった。だから、この場にだれもいないことが幸運だった。あるいは、それを無意識に避けて、路地裏を逃走経路に選んだのかもしれなかった。
「大丈夫」
 もう一度、つぶやいた。
「ボクは、大丈夫」
 今度は力強く、そうつぶやいた。
 まだ、耐えられるはずだった。チェレンチィの意思はまだ、烙印の誘惑に打ち勝つことができている。
 はぁ、と息を吐いた。空を見上げる。ぽたぽたと零れ落ちる雨は、チェレンチィの顔を洗うように、ぽたぽたと、その頬を濡らしていた。
「……負けませんよ」
 それは、宣言だった。不安にも、恐怖にも、折れない――決意だった。
 烙印の描いた花は、ネリネの花。
 花言葉は忍耐。
 大丈夫。そういうのは、得意だ。
 チェレンチィはうなづくと、またゆっくりと、先の見えない路地裏を歩き始めた。

  • 渇き完了
  • GM名洗井落雲
  • 種別SS
  • 納品日2023年05月02日
  • ・チェレンチィ(p3p008318

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