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登場人物一覧
憂鬱な雨上がり。
降雨量からその湿度や温度に至るまで正確にデザインされた雨が完璧な時間通りに降り止んだ午後二時。落ち着いた雰囲気のカフェの窓についた水滴を、イルミナ・ガードルーン (p3p001475)はぼんやりと見つめていた。
ここはアンダー・デトロイト地区。主を無くした、ロボットだけの街。
カフェでくつろぐ客達も、店員も、皆『そうなるように設定された』ロボットにすぎない。きっと明日来ても明後日来ても、彼らはまったく同じようにここに来てランダム生成された雑談やメニューを楽しんだように振る舞うだろう。
それが彼らにとっての幸福であるかどうかは、幸福という定義そのものから問い直さねばなるまい。
「……あの、美咲さん。少し、イルミナのお話を聞いてくれますか」
テーブルの向かいの席に座っていた)佐藤 美咲 (p3p009818)に、まだコーヒーに一口もつけていなかったイルミナは……窓の外を見ながら言った。
「ええ、もちろん」
クリームたっぷりのコーヒーを半分ほど消化した美咲は、平淡な口調でそう応えるのだった。最初からそうすることを、予めデザインしていたかのように。
秘密をひとにうちあけるとき、それは甘さと痛みを同時に伴う。
「イルミナたちには、『コード』があるのです。イングはそれを把握されたために、あのようにリアムに従っているのでしょう」
「…………」
どうぞ、続けて。と美咲は手をかざした。
イングというのはこの前、アンダー・デトロイト地区とプロトデトロイトでイルミナが戦った同郷世界のロボットだ。アンダー・デトロイト戦では美咲も見かけた覚えがある。
イルミナとは別の意味で不安定さを抱えた女に見えたが、それと『コード』が関係あるのだろうか?
「イルミナも……もしコードを掴まれたら同じようになってしまうのでしょうか。
他人の言いなりになって働くロボットみたいに。そもそも、自分とは何なのでしょうか。考えても考えても分からなくて、涙のひとつだって出なくて――」
イルミナの口調が普段のそれと違うことには、もう気付いていた。そしてあの口調に彼女自身が執着していたことも。
美咲の場合は……逆だ。
あの口調は『佐藤美咲』という仮面の一部であり、自由に着脱が可能なものだった。
「ふむ……」
美咲はコーヒーに口をつけ、そして考える。
考えて。
考えて。
あることに気付いて。
一秒に満たないその思考は、回答をこのように弾き出した。
「人間だって、そんなモノですよ。確固たる自分を持っていたつもりが、社会に負け、なりたくなかったタイプの大人になり、気がついたら命令に従う装置になっている」
『装置』という下りに、イルミナがびくりとしたように見えた。
誰だって抱く不安だ。
社会の歯車という言葉を忌避の対象にしておきながら、結局は自分も組み込まれていくのが社会だ。
「それでも、気がついたら『佐藤美咲』が積み上がっているわけで」
自分でもどこか空々しいと、美咲は思う。両手を広げてみせるジェスチャーの、なんと洗練されたことか。
けれど、これも『積み上げた仮面』だ。
この仮面に人脈が出来て、物語ができて、仮面という人間ができあがっている。
「どれだけ歪もうと、消そうと、きっと個人を成り立たせる何かがある。だから、心配しなくて良いっスよ。何があろうともイルミナ・ガードルーンはイルミナ・ガードルーンでいられるっス」
「あ、あはは……そう、ッスよね」
『自分を持ち続ける』などという言葉の本来の意味は、『己を問い続けること』である。
イルミナは、自らがイルミナであるか。なぜイルミナたりえるか。イルミナとは何か。それを考え続けているかぎり、決して自分を失うことはない。そう美咲は諭したのである。
というのも、この問題に答えなど最初からないからだ。
「じゃ、相談料ってことでここの払いはお任せしまスね!」
ちゃっかりした声を出して席をたつと、美咲はカフェを出て行った。
もう少し一人で考えたいというイルミナを残してカフェを出る。
雨上がりの街路は整然としていて、見上げたカフェの窓と水滴越しにうつむくイルミナが見えた。
きっとまだ悩んでいるのだろう。そのうち、美咲の述べたことが『その場しのぎの詭弁』にすぎないと気付くかもしれない。
だが、それで結構だ。
「イルミナさん。あなたは……あなたのルールに捕らわれている」
『コード』というものが以前いた世界に確かにあったとして、それが混沌世界でまで決定的に影響するかといえば疑問だ。
もしかしたら拳銃を持ち込んだウォーカーがこちらでも射撃ができるのと同じくらいには適用されているかもしれない。しかしそれは光線銃も弓矢も同価値になるというルールの上でだ。
イングという女がどういう状態なのか、美咲には推察ができた。
彼女は『コード』を理由にしてリアムに依存しているのだ。この、自分の見知ったモノがなにもない世界で、かつての世界からやってきたという支配者に支配されるという『整然とした前世界の理屈』が、彼女を安堵させるのだ。
なら、イルミナはどうか。
彼女が抱えているのは自己破壊の不安。それは美咲の暮らしていた前世界にも歴然と存在していた人類共通の不安だ。
それは形を変えて脈々と存在していたが、共通して皆、大きな力が自らを不当に変化させているという不安にかられていた。
だからただ、その場で安堵させるだけのことを述べたのだが……。
「イルミナさんがあくまで『コード』に拘るのは、それが当人にとって大切なものだからなのでしょうね」
整然とした街路を歩きながら、美咲は誰にでもなく呟いた。
美咲は、例の人類共通の不安がどこからくるのかを知っている。
根底に存在する、『本当は支配されたい欲望』がそうさせるのだ。
人間が誰しももつ依存心であり、よりよいものに依存したいという願望でもある。
なら、自分はどうか……。
「『佐藤美咲』という仮面も、似たようなものでスか」
積み上げてきた佐藤美咲と、その奥に隠れた『■■ ■』。
この二つにも、同じ欲望が、願望があるのだろうか。
「人類共通の不安、か……」
美咲がカフェを出て行ってから、イルミナはひとり……カフェの背もたれにゆっくりとよりかかった。
顔をうつむければ、冷め始めたコーヒーが見える。
手に取って、口に近づける。
良い香りがした。
この整然と整理された街に、まるで必要のなさそうな娯楽があるのはどこか不思議だ。
『マスター』は何を思ってこの街を作ったのだろう。
そう考えて、イルミナはあることばを思い出した。
――ああ、イルミナ……君にはできるだけ長く『ただの女の子』で居て欲しかった。僕の書斎にはたきをかける君で、いてほしかった。
明確な命令のあとで示したマスターの思い。
あの人は普遍性を求めていた。
では自分は?
自分はなにを求めた?
――「イエス、マスター……イルミナも、できることならあのまま……」
自分とはなんだろう。
何を求めて、どう生きたのだろうか。
「リアム、あなたはなにを求めるのですか。この何もなくなった世界で王様になったって、きっと欲しいものは手に入らないでしょう」