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少し遅れたティータイム
登場人物一覧
●午後一時四十五分
幻想にある森の中をクウハは歩いていた。尤も、クウハは森自体に用があるわけでは無い。この森を抜けた先にある屋敷へと向かっていたのである。
今日のクウハに与えられた
「えーと? 借金の総額が……うわぁ、『0』の数やっばぁ……」
うげぇとわかりやすくクウハは顔を歪めた。
名誉のために言っておくが『サヨナキドリ』は決して悪質な闇金融などではない。
むしろ、返済の意思さえしっかり見せ、返済が難しい場合は誠実に、正直に申告すれば返済に猶予を持たせるなど優良な部分が多い。
ただしそれは『ちゃんと返済をしている善良な債務者』に限ってである。
今回クウハが担当する者は数か月にわたって返済が滞っており、所謂ブラックリスト入りしている人間種の男であった。元はそこそこの貴族だったそうだが、一人の娼婦に入れ込んで家財の全てを貢いだ挙句あっさり捨てられ、多額の借金だけが残ったという……まぁ、なかなかの阿保である。
同情する気はさらさらないが、可哀想な男だとは思う。
「馬鹿な奴だよな……おっ、此処か」
メモに書かれた住所を頼りに、クウハは目的地に着いた。雑草が伸び放題になってはいるが、まだ庭としての面影は残っており屋敷自体は多少古い物の豪華な造りだった。ちゃんと修繕してやれば、屹度元通りの立派な姿に戻るに違いない。
「この屋敷売りに出せば、多少は足しになりそうなもんだがなァ」
尤も、この屋敷を手離して慎ましやかに生きていれば自分が取り立てに来ることも無かったのだが。貴族というのはどうしてこうもプライドだけは無駄に高いのか。
首を傾げつつ呼び鈴を鳴らしたが、男が出てくる気配ない。
成程、『居留守』を使おうという訳だ。サヨナキドリから来たこのクウハ様相手に。
びき、と蟀谷に青筋を浮かべたクウハがガンガンと柵を蹴りまくる。
「オラァ!! いんのは判ってんだぞ!! 早く出て来やがれ!!」
鳴り響くガシャガシャという騒音にさすがに身の危険を感じたか、頬のこけた蒼い顔の男が出てきた。ぎょろぎょろと忙しなく目玉を動かしていて、どことなく鼠を思わせる。鼠の方がよほど利口だが。
どんと、男の顔の横に手を着き、逃げ場を防ぐ。どうせ壁ドンするならもっと俺好みの女にしたかった。
などと考えつつ、クウハは早速本題に入る。
「やーっと、出てきたか。なんで俺様が来たか分かってるよな?」
「さ、サヨナキドリの……」
「そうそう、ご自覚がおありで何よりだ」
一旦壁から手を離し、恭しく男の前に差し出した。勿論、金を渡せという意味である。
幸いこの男は自分が滞納をしている自覚はある様だし、柵はちゃんと新しい鍵が着いていた。
鍵を取り換える程度の金はあるという事である。まぁ、この手の貴族はこっそり金を貯め込んでいて、金惜しさから素直に渡さないだけのことが多いのだが。(借りておいて何様だ、という話ではある)
「どうせ、しこたま貯め込んでんだろ? これ以上利息が膨れ上がったらマージでやべぇぞ?」
軽く脅してみるが、男は蒼い顔をさらに蒼くさせるだけでうんともすんとも言わない。
段々クウハは苛ついてきた。せめて何か言えよと言わんばかりに舌打ち、脚を揺する。
主人が居れば『お行儀が悪いよ』と甘やかに窘めてくるのだろうが、この時ばかりは許してほしい。
だんっと、手を拳の形にして男の顔の横に叩き付ける。ヒッと短い悲鳴を上げて肩をビクつかせた男に更に腹が立つ。なぜ被害者の様な顔をしているのだこの男は。
「なぁ、俺様もヒマじゃねーんだよ。お前は『はい、すいませんでした』ってとっとと、金返す。それだけの事だろ?」
「だか、だからっ! 急に言われてもねぇんだよぉ!!」
「お前なぁ……」
クウハは大きく溜息を吐いた。
最初は楽な仕事だと思っていたのに、この男どこまでゴネるのか。
金品さえ回収できれば何をしてもいい、とは仰せつかってはいるが、この後にその言の葉の主との濃密な時間が待っているのだ。服は汚したくないし、髪の一筋だって乱したくはない。
だから、こんなにも心を砕いて接してやったというのに、この態度である。それにこの男急に言われても等とほざいているが、返済期限が過ぎて早数か月経っている。『困ったちゃん』だと判断されたからこうなっているのだが、理解しているのだろうか。
「ソレ数か月前にも言ってただろ。もう無理があるぜ? そら、早」
「とにかく帰れ!! このっ、疫病神がっ!!!」
ばしゃり。ぽたぽた。
一瞬クウハは自分が何をされたのか分からなかった。
数回瞬きをしてから、ゆっくりクウハは自分の姿を観察した。
買ってもらったばかりの服は水浸しになっていて、肌に貼り付く感覚が不快だった。
褒めてほしくて美容院でばっちり決めてきた髪はぐしゃぐしゃになって、もう元に戻せなかった。
「……あ゛?」
元よりクウハは気が長い方ではない。
それでも、この後の蜜月を考えて我慢に我慢を重ねた。多少の戯言ぐらい聞き流そう、八つ当たりなら今日でなくとも構わない。そう、考えて居たのに。
「わかった。俺様が馬鹿だった」
「は……?」
「最初からこうしてりゃよかったんだ『金品さえ回収できれば何をしてもいい』んだもんな」
氷の棺よりも冷たく揺らめいた紫苑の光を見て、男は漸く気が付いた。自分は虎の尾を踏んだのだと。
もっとも、自身の愚かさを嘆く間もなくこの世に
●午後三時三十七分
「珍しいね、あの子が遅れるなんて」
執務室に飾られたアンティーク時計。その針は約束の時間から三十分ほど過ぎていた。
お仕事を頑張った眷属――今回はクウハだが、彼を労い甘やかすのは武器商人の楽しみであり、クウハにとっても至福の時間であった。
気まぐれでルーズに見えるが、約束事に関してはきっちりしているチェシャ猫は今まで一秒たりとも約束の時間に遅れたことは無い。その可愛い猫が三十分も姿を見せないとは。
別にそんなことで目くじらを立てるほど器量が狭い武器商人ではないが、一抹の不安は過る。なんせ今日彼に課したのは『困ったちゃん』からの取り立てだったからだ。
クウハの強さは武器商人もよく知っており全幅の信頼を寄せているが、万が一ということもある。そろそろ迎えに行こうかと席を立ち、お気に入りのチェスターコートを手に取った時だった。
執務室の扉が開き、待ちわびた幽霊がそこに立っていた。
「……ただいま」
「おかえり、そろそろ迎えに行こうかと思っていたところだよ」
「ごめん」
「謝ることは無いさ、無事で何より――おいで」
手招きすれば、彼にだけ忠実な猫は大人しくその腕の中に収まった。
「随分、
「匂うか? 一応シャワーは浴びてきたんだが」
「いいや、おまえのことならわかるさ。なんせ我の可愛い猫だからね」
水やら血やらで汚れた姿のまま、主人の元に赴く訳にもいかずクウハは一旦シャワーを浴びて着替えることにした。本当は武器商人に買ってもらった服を着て、ばっちり決めた自分を愛でてほしかったのだがあの屑野郎のせいで、台無しになってしまった。なんなら約束の時間にも遅れてしまったし、慈雨の心象も悪くなってしまったかもしれない。
そう思うとなんとか落ち着けた怒りが再び腹の底から沸き上がりそうになってきた。
「ふふ、眉間に皺が寄っているよ」
ぐいぐいと優しく指で眉間を伸ばされると、腹の底に燻っていた怒りはすっと引いて代わりにもっと撫でてほしいという愛玩動物じみた感情が沸き上がる。
「ふふ、素直なコは嫌いじゃないよ」
パスを通じて、クウハの感情は武器商人に筒抜けだ。“どうしても伝えたくない情報”は遮断出来る様に調整はしているが、基本的にクウハが武器商人に隠し事をするようなことが無いので、あまり役立つことは無い。
「……良かった、怒ってないんだな」
「お仕事を頑張ったコを怒る程、我は鬼じゃあないよ?」
「ごめんな、約束の時間に遅れて」
「気にしていないよ、お前が我との約束を破ったことなど一度も無いのだから。さ、おやつにしよう」
ゆるゆると自身の頭を撫でていた手が、一旦は慣れクウハにソファに座るように促す。
遠のいていった手の温かさを名残惜しく、想いつつそれを引き留めるのも憚られクウハは大人しくソファに座った。その僅かな葛藤すら、武器商人に伝わってしまい彼が微笑んでいることに気恥しさを覚える。
「今日のおやつは?」
「おまえの大好きなアップルパイだよ」
「カスタードは入ってる?」
「勿論」
気恥しさを誤魔化す様に、クウハが問えば武器商人は皿を並べながら答えた。
品の良い白色に様々な花の絵で縁取られたそれは、有名な職人によるオーダーメイドなのだという。
「ああ、そうだ我としたことが。紅茶の準備をすっかり忘れていたよ」
くるりと武器商人が細い人差し指を回せば、食器棚からひとりでにソーサーとカップ。そしてポットが出てきてそのまま武器商人の手に収まった。もちろんこれもさっきのお皿と同じくオーダーメイドである。
「フレーバーは何が良い?」
「慈雨が淹れてくれる紅茶ならなんでもいい」
「なんでもいいが一番困るんだけどねぇ」
「事実なんだから仕方ねぇだろ? お任せってヤツで頼むよ」
「ふふ、困った猫だ」
言葉とは裏腹に、その声に滲む嬉しさを隠そうともしないで武器商人は丁寧にラベル分けをされた茶葉の入った瓶の中から、一つ取り上げた。
「うん、これが良い。屹度よく合うよ」
「それは?」
「セイロンといってね、練達から取り寄せたのさ。元は他の世界の国で収穫される茶葉なのだけれど、それをコッチで再現したものだよ」
そういうと武器商人は透き通った水を入れた硝子瓶を取り出した。今朝、井戸からくみ上げた新鮮な水である。指をパチンと鳴らすと執務室に炎等などある筈もないのに不思議と水が徐々に泡立ち始めた。
「わざわざ湯を沸かさなくても、魔法で一瞬で出来るんじゃないのか?」
「ふふ。そうだけれどね、我は調理の過程やその時に出る音が好きだから」
不思議そうに首を傾げたクウハの頭を撫でてやりながら、武器商人は笑った。
「湯が沸く時のコポコポという音、茶葉を手に取ったときのカサカサという音。ちょっとしたコンサートの様な物さ」
「そういうもんか」
「そうそう、おや……そんなことを言っていたら湯が沸いたね」
ティーポットを湯で濯いだあと、きっちり二百ミリリットルを量り、それに対して小さじ一杯の茶葉を摘まんで入れた。茶葉を洗った後に、少しだけティーポットに注いだ湯をすぐに捨てる。あくまでこれはティーポットを温めるものだからだ。
湯を捨てたら今度は本命、二人分の茶葉を入れて熱湯を注ぐ。
「後は一、二分ほど蒸らす」
そういって武器商人は鮮やかな紫色の砂が入った砂時計をひっくり返した。重力に従い、サラサラと細やかな砂が落ちていく。
「それ、俺があげたやつ?」
「ああ、そうさ。とっても重宝しているよ」
『慈雨の眼の色みたいで綺麗だったから』
そんな理由で、以前クウハはこの砂時計を武器商人への土産に買ってきた。本当はデジタルな数字のタイマーの方が使い勝手は良いのだろうけど、そんな無機質でありふれた物より自分が綺麗だと思ったものを贈りたかった。
ラッピングされた箱から、砂時計を取り出した時、武器商人は目を細めて大層喜んでくれた。プレゼントしたのは随分前だが、今でも鮮明に思い出せる。
そして自分の贈った物が、こうして大切な主人に大事に使われ役立っているのを見ると、言いようもない幸福感が満ち満ちるのだ。パスを通じて流れ込んだ大きな感情に、思わず武器商人は笑み零した。
「お前は本当に素直だね」
「慈雨の前ではそうなっちまうんだよ、俺も不思議に思ってるけど、悪い気はしねぇな」
にししと悪戯っ子のように歯を見せて笑う姿は、とても数時間前に
「ふふ、可愛いこと……おや、丁度二分立ったようだね」
まるで空気を読んだかのように、ぴったりと砂が落ち切った。
武器商人は手元にソーサーとカップを手繰り寄せ、ティーポットを傾け高所から注ぐ。
最後の一滴が紅茶の水面を打ったのを見て武器商人はティーポットを下ろした。
「さぁ、出来た。待たせて悪かったね」
「全然? 寧ろ俺の方がよほど待たせたしな」
「ミルクはどうする? 檸檬と砂糖でも美味いよ」
「じゃあ、檸檬と砂糖で」
クウハのリクエストに、武器商人はニコニコと微笑んで角砂糖と檸檬のポーションを取り出した。ぽとり、と角砂糖が徐々に紅茶に融けて、檸檬の爽やかな香りがふわりと香る。
「頑張って、お腹がすいたろう? さぁ、召し上がれ」
丁寧に切り分けられたアップルパイも紅茶と一緒にテーブルの上に登場した。
香ばしい香りに、思わず涎が口の端から垂れそうになるのをすんでのところで堪え、クウハはナイフとフォークをそっと手に取った。
「――いただきます」
「はい、どうぞ」
短いやり取りの後に、クウハはさっくりとフォークをアップルパイへ突き刺した。
柔らかすぎず、固すぎない絶妙な焼き加減のパイ生地の中にはたっぷりと武器商人特性のカスタードクリームと林檎のフィリングが詰め込まれている。
パイ生地を零さないように、慎重に口元に運びゆっくりと咀嚼した。
カスタードは甘すぎず、卵の風味がしっかりと感じられながら、けっして主張しすぎず林檎の程よい酸味とよく合いシャキシャキとした瑞々しい食感がとても良い。
口の中が甘さで満たされたら、先程淹れてもらったセイロンティーを一口含むとさっぱりとした味わいが、油分を洗い流してくれた。
一口、もう一口とアップルパイを口へと運び味わう程に数時間前の嫌な出来事がどんどん薄れていく。男に水をぶっかけられて、折角のお洒落を台無しにされた時は怒りで我を忘れたが、もう男がどんな顔をしていたかとか、何を言っていたかだとか、そもそもなんで借金していたのかだとかすっかり忘れてしまった。
そんなことに貴重な海馬の容量を割くくらいなら、一秒でもこの甘く幸せな蜜月で満たしていたい。自分に向けられる
クウハはもう一度、アップルパイへフォークを突き刺した。その断面からどろりとカスタードクリームが零れた。それを満足げに見る目た後、クウハは再度アップルパイをゆっくり、ゆっくりと咀嚼した。
「やっぱり慈雨の作ってくれたアップルパイが一番美味い」
「おやおや、お上手だこと」
「本心だぜ?」
「知ってる」
おまけSS『小噺』
●数日後
場所は練達にある高級ブランドばかりを超一流のブティック。(貸し切り)
「うん、これとかお前に似合いそうじゃないか」
「なぁ、慈雨。その、嬉しいんだけど……」
「うん? 好みじゃなかったかい?」
「いや、慈雨のセンスは最高だ。あー、完璧に俺好み」
「なら、なにをそんなに気にしているんだい」
「……量、多すぎねぇ?」
以前買ってもらった服を、台無しにされたのだとティータイムの最中に思わず零したのが悪かったのか。
現在クウハは、武器商人の着せ替え人形になっていた。否、こちらの意思や好みを無視して押し付けられているわけでは無いから、人形とは語弊があるか。
正しくは『明らかに多すぎる量の服を買い与えられている最中』である。
足元に置かれた籠の中にはそれこそ『0』が何個も並んでいるような、目玉が飛び出てしまいそうになるほどのお高いお洋服が大量に詰め込まれていた。そして武器商人はというとハンガーラックからブラウスやら、シャツやらを取り出してはクウハにかざしてうんうん頷いたり、ぶつぶつ何かつぶやいたりしている。
(まぁ、楽しそうだからいっか……)
「ああ、すまない。そこのお嬢さん、此処から此処の服を全部包んでもらえるかい」
「待って」