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断崖
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- エルス・ティーネの関係者
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●断崖
灰が舞う。
それは月光に照らされ冬空に舞う六華の如く、風に乗り、断崖に立つ女の背を押した。
「人の血を吸うくせに、血を流して死ぬのね、吸血鬼は」
赤は流れる血の色、満月に染む髪の色。
『氷結』
心臓に食い込んだ刃は他の吸血鬼の血で出来ている。
純血種だの混血種だの呼ばれる、傍流、あるいは亜種の血で。
それはErstineの中で溶け、はるか太古より受け継がれし始祖の血を濁してその身を灰と化す。
「さようなら、王国。私はもう……疲れてしまったわ」
最後の始祖種、吸血鬼の王となるはずだった姫は、朦朧とする意識の終わりに奈落の底を夢見る。
これまで灰となった吸血鬼達が向かった先、そしてこれから自分が向かう先に安寧の闇があることを願って。
●二人の王女
混沌の海へと落ちゆく女に過ぎるのは、死にゆく者が見るという記憶の走馬燈。
映し出されるのは慎み深い夜の青色と咲き誇る花の桃色、ドレスを纏った二人の娘。
「
「煩い。リリに指図しないで下さいませ。勉強したところで何になるの? 教養? 品格? 力で従わせればいいじゃない」
深青のドレスの娘、Erstineは勉強を投げ出す妹姫を窘める。
薄桃のドレスの娘、Lillistineは薄紅とも薄紫とも付かぬ巻き毛を弄りながら『お人形のくせに』と呟いた。
──人形。
Erstineは現王の養女だった。
先王である父亡き後、幼き彼女を引き取ったのは臣下であった男。
吸血鬼より血を与えられた者は吸血鬼となるが、王になれるのは始祖種と呼ばれる原初の吸血鬼、そこから血肉を分けて生み出された血脈だけ。
だが遺児であるErstineは幼く、始祖種より血を与えられ吸血鬼となった純血種の男が仮の王なり、真なる王、始祖種の代わりにこの地を治めていた。
(いずれ私は王になる身。だって私は始祖種……それにお養父様に一番尽くしてきたのはこの私だもの。だからそれまではお義父様の言うことに従うわ。それが育てて下さったお養父様に対する恩返し、亡きお父様の愛したこの国のため……)
始祖種でないものが王となることに不満の声が上がらなかった訳では無い。
だがErstineが現王の養女となり従ったこと、対抗する勢力を粛清したこと、そして長い時の流れがいつしか純血種の王を認めさせた。
それでもErstineは信じていた。
いずれ自分に王位を譲るのだと。
いつかは自分を愛してくれると。
(Lillistine、あなたには分からないでしょうね。お養父様の実子というだけで愛されているあなたには……)
現王は亡き妻に瓜二つのLillistineを溺愛していた。
Erstineを娘と呼んでもそれは表向きのこと。
Erstineが欲しがる愛は義妹にのみ注がれる。
父の愛を一身に受け、暴君に育った義妹に小言を言うのは、義姉としてばかりではないのだろう。
Erstineを揶揄するとき、Lillistineは『人形』と言う。
統治のために必要なお飾りの人形。
義父の言うことに忠実な人形だと。
だけどErstineは『人形』と呼ばれても怒りはしなかった。
いずれ王になるのは私。
お義父様が選ぶのは私。
それが始祖種としての傲り、愛を求める者の盲目だと、気づかぬままに。
●王の資格
記憶の海へ沈みゆく女に甦るのは、愛を求める者が味わう裏切りという傷の痛み。
映し出されるのは哀しみを湛えた青色と喜びに満ちた桃色、ドレスを纏った二人の娘。
「今宵は我が娘、Lillistineの成人の儀によく来てくれた。ここに改めて我が一人娘、Lillistineを紹介しよう。Lillistineこそを王冠を受け継ぎ、この国の次なる主として吸血鬼を束ねる太子である」
高らかに王は宣言する。
己の娘はただ一人、実子のLillistineのみ。
王位を継ぐのは始祖種ではなく純血種だと。
「どうしてですかお義父様! 吸血鬼の王になれるのは始祖種のみ。私はずっとお義父様のために尽くしてまいりましたのに」
「何を言ってるの? あなたはお人形、お父様の娘は私だけ。だから親から子へ王位が引き継がれるのは当然ではありませんか」
青ざめるErstineに答えたのはLillistineだった。
「確かに先代までは王は始祖種。だがそれは始祖種が不死身とされていたため。始祖種もまた殺せることは証明済だみ。つまり王たる資格は始祖種のみにあらず!」
銀も十字架も日光でさえも寄せ付けぬはずの始祖種の死。
何故この男はそれを知っているのだろう。
何故この男は今ここでそれを言うのだろう。
「始祖種だからと偉ぶらないで下さいませ。リリは知っているもの。ある物をね、心臓に突き立てるの。そうすれば始祖種は死ぬ。それが何かは言わなくてもいいですわよね?」
LillistineはErstineの胸を扇の先で叩いた。
真っ赤な、血のような、扇の先で。
「まさか……噓よ、噓!」
ドレスの裾を翻し駆け出す先には答えがある。
ある日何者かに殺された父母の墓が。
「教えてお父様……。お父様が私の後見人にあの男を指名したというのは噓だったの……?」
墓石に佇めば風は吹き、胸の封印を解き明かす。
『心臓に他の種族の血石の刃を穿てば、始祖の血は穢れて灰となる。だけど秘密を誰かに知られたかもしれないわ』
それは優しき母の声だった。
風は『可愛い私の娘』と呟いてErstineの頬を撫でていく。
『私は私を殺す者を王に指名する。だがお前は殺させない。そしてお前の心にも封をしよう。従うふりをして時を待つのだ』
それは賢き父の声だった。
風は『愛しい我が娘』と囁いてErstineの髪を靡かせていく。
「お父様、お母様……記憶を封じてまで守ろうとしてくれたのね。万が一にも逆らえば殺されるかもしれないから……でも……私は王女、お父様とお母様の娘……」
Erstineは風に向き合い、逆らうように歩み出した。
●王の誅伐
深淵へと落ちゆく女に宿るのは、絶望に苛まれる者が知る孤独という無限の檻。
映し出されるのは銀の剣を携えた青色と血の剣を手に取る桃色、ドレスを纏った二人の娘。
「王権欲しさに始祖種を殺める愚を犯した王よ、懺悔はもう不要ね。銀の刃は憤怒を孕み、月は熟したわ」
Erstineの手に銀剣があった。
吸血鬼を断罪する正義の剣が。
「銀剣さえあれば無敵だと思ったのか? くく……始祖種を殺すことなど最早容易い。先王が小癪にも死に際にお前に不滅の呪いをかけたようだが……それも先刻解呪済みだ」
Erstineは驚かなかった。
あの時のわずかに風に混じった灰。
その中に残されていた父母の思念。
不滅の呪を解く鍵は恐らく遺灰の消滅。
「臣民に問おう! 始祖種の娘を王にしたいか! 王に相応しきものは誰か!」
否、否、否。広間に集まった吸血鬼から声が上がる。
応、応、応。吸血鬼達は一斉に口々に王の名を叫ぶ。
Erstineは最早この国が始祖種を必要とせぬことを知った。
内乱を引き起こさぬために従ったことが間違いであったと。
父王が治め、Erstineが継ぐべき常夜の国は何処にもない。
「愚王よ……あなたの治政に秩序はない」
「くくく……今さらそれが何だと言うのだ?」
王は剣を抜く。
血によって出来た真紅の剣、父母を殺めた始祖殺しの剣を。
「それを私に振るうと言うのなら、私にも考えがあるのよ?」
「リ、リリス……! 貴様、よくも娘に!!」
銀の刃で斬り付けたのは愛しき妻の忘れ形見。
逆上して襲いかかる男の心臓を銀の刃が貫く。
Erstineは義父と慕った男を灰にすると、血石の剣を拾おうとする娘の胸元に切っ先を突きつける。
「父親が死んだというのに泣かないのね? 命乞いはしないの?」
「いーえ! 誰が泣くものですか。誰が命乞いなんか。守られて当然ですもの。人形の戯れ言など聞く訳がないでしょう?」
「……そう、残念ね」
愛を独占した娘は親を殺されても泣きはしなかった。
親でさえも自分意のままになる道具でしかなかった。
最期までErstineを人形と呼び、笑い、そして討たれる。
「おまえ達はもう我が民ではない。愚かな王に荷担し国を腐敗させたこの罪は、私が責任をもって償うわ」
斬、斬、斬。逃げ惑う吸血鬼を斬って斬って切り捨てる。
滅、滅、滅。正義なき者共を全て全て滅ぼしてしまおう。
殲滅を始めた時には赤かった満月も、今は白銀の新月。
血を求める赤い瞳は、沈黙の白へと変わり、映し出すのはただ命なき灰だけ。
疲れ果て、倒れ伏した灰の山から身を起こすとErstineは断崖へと向かう。
吸血鬼を虐殺した大罪人の自分を葬り去るために。
最後の吸血鬼たる自分を跡形もなく滅ぼすために。
●混沌
光が舞う。
それは絶望の闇に囚われた女を呼び起こし、奮い立たせ、再び風に立ち向かわせる。
「懐かしい夢……」
断崖を飛び降りた先、奈落の底には 《混沌》と呼ばれる世界があった。
もう王というものを信じはしない。
もう愛というものを求めはしない。
だけど血を忌み嫌う女の目には今、鮮血のような赤い髪の男が映っている。
王のいない国、傭兵商会連合国家『ラサ』。
その何者にも縛られぬ傭兵達の長である男が。
「期待しては駄目……。でも……」
もう一度──
分別を皮肉の棘で覆い隠し、Erstineは歩み始める。
断崖のその先、混沌と言う名の人生を。
- 断崖完了
- GM名八島礼
- 種別SS
- 納品日2020年01月04日
- ・エルス・ティーネ(p3p007325)
・エルス・ティーネの関係者