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Player played one's trump card
登場人物一覧
週の終わり。勉学労働から解放された人々が繰り出す夜の歓楽街は、昼よりもなお明るい喧騒で溢れかえっている。誰が吐き捨てたかもわからない唾やガムで汚れたアスファルトも、一歩迷えば爪の一片すら残さず剥ぎ取られそうな路地裏も、ゲームじみた怪現象やドラゴンが残した傷痕も、無関係を決め込むのが彼らの『日常』だ。集い、笑い、確かめ合い、まるで『非日常』という空白を繕うかのように。
世界を救うという御大層な名目を課されたイレギュラーズにとって、どちらが『そう』なのかはわからない。ただ、友人達と馬鹿笑いする男二人がこの時間を大いに楽しんでいる事だけは事実だった。
汗をかいたグラスに空いたボトル。テーブルに散らばったトランプの絵で一喜一憂する男女——と、ここまでならばよくある居酒屋の一角で行われる宴会の余興だ。しかし、積まれたチップからは楽しいお遊戯と言い逃れられない匂いが漂っていた。身内だけの細やかなものとはいえ、彼らが常連でなければ店側から注意のひとつも飛んでいただろうか。
「え〜じぃ〜、随分負けちまってるなあ! だが手加減はしてやれねえんだ、悪いな!」
プラスチック製の硬貨を摘んで弄ぶ男は、山と山を見比べてけらけらと上機嫌に酒を呷る。はたはたと揺れる尻尾と獣耳に、崩れた着物と火照った頬も含めて誰の目にも酔っ払いとして映る有り様だ。
「ヘーイ! 悪いって顔じゃねぇぜ嘉六ゥ!」
対する仮面の男・耀 英司も負けが混んでいるにしてはくぐもった声が弾んでいる。そもそもの話に立ち戻ればこのギャンブル好きの狐・嘉六を遊びに誘い出したのも、懐やら袂やらから札に賽子にと一式を取り出すのを止めなかったのも、彼なのである。当然の反応かもしれない——そう思わせた。
ダチと酒を交わして博打、しかも珍しく勝ち越している状況は嘉六にしてみれば最高に気分が良かった事だろう。ちょいちょいと指先だけで手招かれ、内緒話のように囁かれたそれが天地を返す甘言だとはまるで疑いもしなかったのだから。
「……なァ、ちょいと罰ゲームを追加しねぇか? 追い込まれるほど燃えるタイプでね。レートも上げよう、頼むよ」
斯くして5枚のカードが卓上に見えない黒と赤の階段を描く。
「ストレートだ。中々のポーカーフェイスだったろ?」
コツコツと指が奏でる仮面の音色が最上の皮肉だった。
「あん!? ここに来て、お、大負け……!? クソッ、もうひと勝b……ち、チップがねえ!」
積まれていた最後のひと山が親によって回収されれば、取り残されるのは素寒貧の狐だけ。血の気と酔いとが一緒くたに引いていく。引き上げられたレートが祟り、もうどれだけ逆様になっても再戦は望めそうに無かった。
提案が承諾されて直ぐには大役は狙わず、ここぞとばかりに大差を付けて上がる。神か仏か、自分の運か。嘉六が助けてを求めて祈る瞬間を英司は虎視眈々と人助けセンサーで張っていたのだ。敢えて持ち込んだ
まんまと嵌り、ハートとダイヤの2以外はてんでバラバラの手札を投げ捨てた獲物に、英司は肩を揺らして笑う。娯楽。快楽。楽しみ、愉しむ。それらを心底から欲していると言わんばかりの仮面を被ったままに。
「さぁて、約束は果たしてもらわないとなァ!」
黒いジャケットは鎖骨から下を無防備に晒し、白い付け襟と綺麗な三角を描くレオタード部分の合間をネクタイが縦断する。胸囲はあれど平たいそこが布の中に収まっているのは、ボーンが入ったしっかりとした作りだからだろう。量販店で売られている薄っぺらなコスプレとは一線を画す、シックな本格派バニースーツだ。どちらにしろ、ちょっとえっちな衣装なのである。まあるい尻尾の乗った燕尾から覗く豊かな狐尾が無ければ、きっとヒップラインまで拝めたに違いない。体格の良い成人男性の尻を拝みたい人がいれば、の話ではあるが。
「うはははは! ヒューッ! 艶っぽいねぇ! サービスしてくれよウサギちゃん!」
少なくとも、嬉々として札束を捩じ込む英司とむすくれた顔を隠しもしない嘉六を見るに、罰ゲームとしては絶大な効果を発揮しているようだった。
頭の頂点を飾るウサ耳は嘉六の感情とは裏腹にピンと天へ伸びている。髪色に合っているのは偶然だろうか。衣装サイズも含めてどうにも突発の事態で用意されたにしては周到過ぎる印象だが、真実はチップと共に英司の懐の奥だ。他の卓を囲んでいた宴会参加者がわらわらと集まり出せば疑問を挟む余地も消えてしまった。
「なんだなんだ、まぁたオケラ一番乗りかよ!」
「バニーちゃん! こっち向いてー!」
隙間という隙間を埋めていくチップは英司を真似た嘉六ファン、それから何故か全く関係ない他の客達の手によるものだ。騒ぎを聞きつけて来たらしい。
「ヘイ嘉六! セクシーなポーズでも決めてやればさっきの全損分、回収できるんじゃねぇか?」
「いやいやいや俺にこんなん着せてお前らみんな楽しいのかよ!? ばか!!」
全方位から放たれるシャッター音に負けじと叫んでみても、もうすっかり酒の余興を通り越してショーの様相を呈している。当然、恥ずかしがる反応込みなので罵倒も喜ばせるだけだ。この酔っ払い共が。そう思えど、自分も大概なので言えやしない。
「おっと! ご機嫌ナナメなウサギちゃんに、コイツは奢りだ!」
すかさず握らされたグラスには溢れんばかりの透明なアルコール。英司の勝者の余裕よりも鼻を擽る豊かな薫りに引き寄せられ、躍り出しそうな心を舌打ちで誤魔化しつつガラの悪いバニー男がそれに口を付けた瞬間——
「お、ありゃお誂え向きな柱だな。次はポールダンスでも、」
「ぶふッ!! けほ、っ……!?」
——盛大に噴き出す羽目になった。指差された先には座敷席とテーブル席の境目、銀色の細い円柱が店内の電灯をスポットライトのように浴びている。咽せて涙目の嘉六にはあまりにも眩しい。
「おっまえ、何言ってるかわかってんのか? 男のバニーでもキッツイってのに誰得だよ……」
「需要はここにあるだろ。なぁ?」
しっかり減った分を注ぎ足して返す英司の言葉の最後は、周囲への問いの形。同意と期待と口笛が満場一致を表せば嘉六も閉口せざるを得なかった。
「とまぁ、最高に盛り上がった訳なんだが」
「は?」
熱い夜を語り尽くされた暮石・仄の口から転がり落ちるドスの効いた声は、受け入れ難い与太話だと唾棄する気持ちと、もしも真実なら仮面を叩き割ってやるという怒りが混在している。
「これなんかイイ顔してると思わねぇか?」
「……は?」
追撃も見事に着弾した。それはカードマジックのように英司の指の間に現れた一枚の写真。自棄になったバニー姿の嘉六と撮ったツーショットのチェキだ。しかもそれぞれの手指を合わせてハートマークまで作り、直筆サイン入りで何処ぞのアイドル染みた代物である。
そら、もうひと押しだ——そう心の中で呟く英司の手から溢れたのは。
「はあ!?」
「おま、いつの間に撮ってんだよそれ!?」
仄とドリンクを持って席に戻って来た嘉六の叫びがハモる。致し方ない。なにせ、散々飲まされて絆された嘉六が銀のポールに足を絡めて踊る姿だったのだから。
「処分するから寄越「なんで! 俺を呼んでくれなかったんすかッ!?」
写真を奪おうと身を乗り出した嘉六の手を、嫉妬やら憤怒やら羨望やらで噴火した勢いのままに仄が掴む。
「俺だって自分の目で見たかっ……いや、あんた、なんて格好してるんすか! 酔って醜態晒すにも限度ってもんがあるでしょう!?」
「離せ、仄! 後悔してるから証拠隠滅しようとしてんだろうが!」
「そんな勿体ない事させませんけど!?」
いまいち噛み合わない遣り取りで騒ぐ二人を眺め、英司はけらけらと笑い声を上げる。語り部を演じた英司が想像した通りの愉快な『日常』がそこにある。今夜も酒のツマミには事欠かなそうだった。