SS詳細
人と悪霊
登場人物一覧
『平和でありますように』
あの日の短冊への願いは、果たして叶ったのか。それは空を見れば分かる。怒りと絶望の象徴だった黒い太陽はなく。黒煙が視界を遮ることもなく、鉄の臭いが鼻をつくこともない。頬を撫で髪を靡かせる風は、春の香りを漂わせて、心を躍らせる。あぁ、今日はなんて穏やかな……
―――つーっ。
「キャアアア!?」
突然背中に感じたものに身を縮めて振り返る。
「ケケケッ! 相変わらずオマエは怖がりだな。本当いい声で啼くゼ。」
紫の髪をかき上げて盛大に笑う親友に、自身のコンプレックスを刺激され、思わず声も大になる。
「ったく、気色悪いことすんなよな! それにいい声とか、茶化すのもやめてくれよ。」
怖がりで、女みたいな声がでてしまうおいらの……
「あん? いいじゃネェかよ。オマエは女なんだからヨ。男の庇護欲をそそるってもんだゼ?」
「……は?」
そう言われて、指で示される方を見れば。
「……え?」
壁一面を飾る姿見に映るのは、浅黒い肌に肩までの短い黒髪。それを引き立てるような、純白のドレス姿の女性。それは、まぎれもなく。
「……私?」
「なぁにを呆けてんだヨ? 約束しただろ?」
耳元でそう囁かれ、背筋がゾクリと泡立つ。聞き慣れた彼の声。腰を抱かれ引き寄せられれば、人より冷たい彼の体温を感じ、それと反比例するように自身の熱が高まる。
セットされた髪に純白のタキシード。
「そう、だ……約束した……」
なんだろう。頭に靄がかかったような。けど、今、とても満ち足りているようで。これが、当然の光景だったような。
「だろ? 落ち着いたら、結婚式を挙げるってナ。」
「そう、結婚式を……」
そう。なにも間違っていなくて。私は、何を疑っているのだろう。今日は、”私”と”彼”の……
「おまえとなら、毎日平和に過ごせそうだゼ。」
そう、毎日平和に……
「…………違う。」
毎日平和に? 私の。いや。おいらの親友が、そんなことを願うだろうか。
『面白おかしく過ごせます様に』
そう、あいつが願ったのは、そんな言葉だったはずで。
「私が……おいらが約束したのは、クウハに仲人をしてくれってことだ。」
”俺”と認識した途端、姿見に映っていた女性は姿を消し、本来の自分の姿がそこに現れる。
目の前の”彼”はその様子を、変わらず口角を上げて眺めている。
その表情は、いつもの彼のようで。けれど、どこか異質で。
「アンタ、誰だ?」
そう尋ねれば、見知った彼の表情はより歪に変わる。
「なんダ。やっぱ新郎の方がよかったカ? そんなら、これならどうダ?」
その言葉と共にその細く長く、節ばった指を鳴らせば。鳴らした指はより細く。白く。
胸は膨らみ、身に着けた白はふんわりと裾を広げ。その身に着けた純白の穢れなさとは裏腹に、それを身にまとう”女”の表情はどこまでも蠱惑的で。科を作り豊満な胸を押し付ける。その感触はまさに”夢”のようでいて、けれど現実のソレだ。けど、それでも。
「悪いけど、おいらにゃ浮気する甲斐性はないんだ。ナイトメアの姉さん。」
そっと優しく、けれど確かな意志を示すフーガに、静かに距離を取る目の前の女性。親友のようで違うその艶めかしい彼女の全身を改めて視界におさめると、(あいつ、女になるとものすごい美人さんだな)と過る思考を(いやいや)と払う。
「小柄な貴様の番にはない肉感だとは思うが。そうか。貴様はそういう趣向だったか、人間。」
「誤解を招くようなことを言わないでくれ。」
女になった親友の姿のままポンッと手を打ち何か納得されるが、待ってほしい。
「現実と紛うほどの、それ以上の感覚で見ることのできる己の欲望のままの夢など、そう味わえるものではないというのに。好き者ヨ。」
そう話しながら、纏うドレスを白から黒へと変え、ふくらんだスカートの裾をつまんで腰を折る。所為、カーテシーという奴だ。必ずしも人の礼など必要ないのかもしれず、皮肉の一つかもしれないが、フーガも胸に手を当て礼で返す。
「クウハに聞いてさ。アンタに会いたかったんだ。プエルト、って言うんだよな。俺は……」
「名乗りなど不要だ、人間。夢を見せるということは、その者の内を見るということ。」
「それもそっか。でも、仲良くなるのに挨拶ってのは大事だろ? 改めて。おいらはフーガっていう。アンタと仲良くなりたいと思ってるんだ。」
とくに気分を害した様子もなく、めげることもなく柔和な笑顔で手を向けてくる。その様子に、フンと息を吐き、その豊満な胸の下で腕を組む彼女はけれど。
「気安く呼ばれるのは好かんな。いや、貴様が今一度肉欲の夢に溺れるというのなら、その夢の中で幾回であろうとも我の名を紡ぎ、我も貴様の名をその耳元で囁いてやってもよいが……」
そのつまらなそうな表情を今一度笑顔へと変え、寄せた胸元を目の前の男に見せつけるようにしながら言葉を返す。わざとらしく、誘うように笑って見せる彼女。だがその実、もうフーガが彼女に靡くことがないとわかっているのだろう。故にこのやり取りは、もはや悪夢にはあらず。目覚めを待つまでの茶番に過ぎない。
「悪い。さっきも言ったけど、おいらにはもう可愛い嫁さんがいるんだ。」
変わらず惑わされないフーガに、もはやプエルトも雌の色香を封じて応じる。とはいえ、何もないように見える空間に座ってその長い脚を組めば、自然と足が覗き、一瞬フーガの視線が泳ぎかけるのを、目の前の女はフフッと笑う。それもこれも、親友の顔をしてめちゃくちゃ女性的な肉体のままで相対するプエルトのせいなのだが。
「人間など、たとえ番がいようが一夜の肉欲に溺れる者だろうに。なるほど、まだ番って久しい故か。愛いものだ。」
「いや、色々見たんだろうけど、あんまり明け透けに言われると恥ずかしいもんがあるな。ていうか、そろそろその、姿を戻しちゃくれないかい?」
「夢の中で、我に姿などあってないものよ。」
姿については話しても仕方がない。そう察し息を吐くフーガ。気を取り直して、改めて笑顔で彼女へと向き合う。
「前に、クウハが起きた時に近くにいたって聞いたんだ。『もしかしたら俺の悪夢を食ったのかもしれネェ』って。あいつはそういうこと、素直に言わないかもしれないけど。クウハによくしてくれて、ありがとう。」
そう言って改めて礼をすれば、目の前の彼女は気だるげに息を吐く。なんとなくその態度がクウハっぽくて、いや、外見はクウハなんだが。
「勘違いをするな人間。貴様の尺度で物を語るな。そこに食事があったから食べた。我にとってはそれだけのことだ。」
「……言い方は難しいけど、なんか、クウハも言いそうなセリフだな。悪霊っていっても、やっぱりいい奴もいるんだな。」
フーガにとってクウハは特別な親友であり、悪霊らしい性格がありながら、気さくで優しい一面もあると認め、友として彼の支えになりたいと思っている。なんとなく目の前の女性、プエルトにも、そんな彼と似た気質があるように感じた。だが。
「もう一度言う、人間。貴様の尺度で語るな。」
その言葉は、照れやごまかしではない、重さと冷たさを持っていた。
「……すまない。気を悪くさせたなら、謝るよ。」
怒りは感じない。だが今、さきほどまではなかった”距離”を。”壁”を。フーガは目の前の親友の顔をした存在に感じている。
「善悪。それは主観でしかない。だが人間。いかに転じようとも、我ら悪霊はすべからく”悪”だ。」
「…………」
プエルトの言は、出来の悪い子どもに言い聞かせるような。そんな印象を与えるもの。フーガはそこに口を挟まず、静かに耳を傾ける。
「貴様から見て、なるほどあの同胞は今のところ良き隣人足りえるのかもしれない。だが、貴様は本質的にアレを理解しているのか?」
「理解……って?」
「我に答えを求めるな、人間。知りたくば本人に聞けばいい。アレが語るかは知らぬがな。」
アドバイスのような言葉を投げかけておきながら、次の瞬間には突き放す。気まぐれな親友にも通じるソレだが目の前の彼女の言葉は、やはり熱を持たず、隔絶を感じさせる。
「厳しいな。でも、そうだよな。会ったばかりのプエルトになんでも聞くのもおかしいよな。でも、おいらはクウハのことを親友って思ってるのは本当なんだ。だから、クウハを同胞って言ってくれるプエルトとも友達になりたいと思ってる。だめかな?」
フーガは仮にもクウハの親友だ。故に、”彼ら”との付き合い方も、知らないわけではないと、そう思っている。そしてそれはあながち間違ってもいないのだろう。だから、プエルトも彼と対話をしてもよいと思ったのかもしれない。それでも。
「そも、我をソンブラなる家畜と同列に扱う時点で、貴様と我の道は違えている。なるほどそなたは他を愛する者なのだろう。だが、根本を違えている。我は夢馬プエルトなり。悪霊よ。重なるもの、相容れぬものもあるのだ、人間。」
立ち上がり、一歩二歩。歩み寄るようでいて、けれどそれ以上は交わらない距離で。その赤の双眸で目の前の人間を冷たく見据える夢馬プエルトに、これは、今はまだ、この距離が限界かなと苦笑する。
「確かに、現実では馬の姿でも、こっちが本質なんだろうな。いやな思いさせて、すまなかった。でも、ソンブラもいい奴なんだ。いや、これも余計か。」
頬を掻くその仕草に毒気を抜かれた……というわけでもないだろうが。話はそれまでということだろうか。それまで感じた壁が幾分和らぎ、プエルトはまた何もない空間に座す。
「話はこれまでだ、人間。我の夢に堕ちぬのならば、早く常世へと帰るがいい。」
「お? プエルトはそれで大丈夫なのか? この森の中じゃ、そんなに夢ってのも食えないだろ? もし腹が減ってるなら、今からでも……」
「それ以上語るなら、貴様の愛する小娘の姿となってやってもよいぞ?」
人間からの施しともいえる言葉に、今一度冷たさを帯びる瞳。けれど言葉の棘は鋭くなく、フーガでも、あぁ、これは半分冗談だなと感じることができた。とはいえ、彼女の姿で何かされるのは、色々と後が怖い。
「あー……悪い、それは勘弁だ。んじゃ、そろそろ行くよ。」
そういいながら、フーガの手には使い慣れたトランペットが姿を見せる。
「起き方ってのはよくわからないけど、たぶん、これが一番だと思うんだ。衛兵ってのは、寝るのも得意だけど、起きるのも得意なんだぜ。」
夢馬に向かって何を自慢することがあろうかという話だが、これはフーガの夢。であれば、フーガが「こうすれば目覚める」と思ったことを為すのは正しい。
かくして、夢の世界に起床のラッパが鳴り響き、衛兵は日常へと帰りゆく。
(そういえば……これって、悪夢だったのか……?)
目覚める間際。まるで夢に堕ちるかのように微睡む思考の中でそんなことを思うと、声が聞こえたような気がした。
『過保護な同胞への、意趣返しだ。人間。』
――――――――――――――――
「……い。」
声が。
「……きろヨ。」
声が、聞こえる。聞き慣れた……
「……起きろっつってんダロ、寝坊助が。」
げしっ。
「……踏むこたぁないだろ、クウハ……」
「うるせぇ。こっちは寝ぼけたアホにいきなりラッパ鳴らされて耳が潰れるかと思ったゼ。」
いわれて見れば、手にはギフトで出現させたトランペットが。なるほど、夢の中での行動だったけれど、現実でもやっていたのか。頭を掻きながら、ふと目の前の親友を見上げる。
「どうだ? いい夢みれたかヨ?」
そう尋ねる彼の顔が、夢の中で見た彼女のソレと重なって。
「クウハ、お前……まつ毛、長いんだな……」
「……ア゛?」
まだ覚醒していなかった思考から口を突いて出た言葉を遅れて自覚する。一度自覚してしまえば、夢の中の彼女を見た時に抱いてしまった感想を思い出してしまい、いたたまれない。
「……お前、大丈夫カ?」
珍しく心配するような言葉をかける親友の、その優しさが痛い。
「……悪い、ちょっといますぐアーカーシュに転移して飛び降りてくるわ。」
「は? いや、オイ、待てっテ。お前俺らと違って不死性ねぇダロ。死にたがりか?」
わけわからんという風で心配するクウハを他所に、少しでも早く彼から離れて冷静になろうと。そして、愛する妻を抱きしめて、俺はノーマルだと確認しようと、そう決めたフーガであった。
おまけSS『安寧は何処に』
『この人間の望みを叶えんと我を呼んだのは貴様だろう、悪霊。そのように高みから警戒を滲ませて、礼がなっていないのではないか。』
枯れた古木の袂。気持ちよさそうに寝息を立てる親友へと鼻を近づける紫色の毛並みの牝馬からの”言葉”に、枝に寝そべっていた体を起こして答える悪霊が1匹。
「……んだヨ、お前しっかり話せんじゃねぇカ、プエルト。艶っぽい声してんナ。」
森のおしゃべりな小鬼どもから、名前だけは聞いていた。だが他の連中のようにこちらに懐くことはなく、真に”言葉”を交わすのはこれが初めてのことかもしれない。けれどそこに、同胞としての親しみは感じられない。
『愛するモノを得て忘れたか、悪霊よ。人と我らは本質的に相容れぬもの。我がこの人間を害するとは思わなんだか。』
「おうおう、お説教か?ご高説痛み入るゼ。だが、おまえさんはそうはしネェ。俺の夢、食っただろ? これでも感謝してんだゼ? だから、腹減ってんならちったぁ礼をしようと思ってヨ。こいつも会いたいって言ってたしな。こいつはおまえさんを悪く思わネェし、おまえさんはこいつを悪いようにはしネェ。俺はそう思ったし、実際どうダ? 」
腹の探り合いか茶化し合いか。けれど、クウハは事実プエルトに感謝していた。一時期、夢見の悪い時期があったが、彼女に夢を食われてからしばらく、よく眠れるようになったから。だが、悪霊というものはけっして善意で動くものではない。それはクウハ自身、よくわかっている。
『なれば先の言を重ねよう。なぜ警戒を解けぬ? 信ずるといいながらその実、貴様は我を疑っている。だが、それで良い。我も貴様も悪霊なれば、それが正しい。此度は我も気まぐれに生気を奪うことはしまい。されど、この森にいるは我のように気まぐれなものばかりではないぞ。ほんに護らんとするなら、二度とこの場所までの歩みを許さぬことだ。次は目覚めぬかもしれぬぞ。』
そう話し、プエルトは頭を上げ、蹄を返すと森の奥へと消えていく。
後ろで、枯草を踏む音がする。あの同胞が人間のもとへと降りたのだろう。
『難儀なものよ、悪霊。貴様にとっては、現実こそが悪夢であろう。』
絆を得たかの悪霊。されど、通じた魂は甘露である。共にあるほどに、温もりを得るほどに、その存在の根底に眠る飢えが目覚めていく。飢えを忘れられる夢の中のみが、あの者にとっては真の安寧。
故に。あぁ故に。
先の夢は、気まぐれに食したに過ぎない。
それは同胞の、今ひと時の穏やかな日々のためか。
あるいは。
来る時、より熟成された悪夢を自身の手で見せるためか。
『常に悪夢に身を置くものなど食指が動かぬというものよ。』
……それはそれとして。上から見下ろされ警戒心を向けられるのは面白くなかったのは事実。だから、プエルトは夢を見せた。
『しばし、距離の合わぬ日々を過ごすがいい、愚かな人と同胞よ。』
ブルンと鳴いた声は、どこか笑ったようだった。