SS詳細
無垢な正義、優しき少女
登場人物一覧
- 桐生 雄の関係者
→ イラスト
「うめぇうめぇ酒がうめぇ」
何時も変わらず、己を癒してくれる酒精もとうに尽きた。夜風が身体を震わせるが、特段寒いということでもない。
千鳥足で思うがままに歩いてきたのは当人にも分からぬ建物の裏口。分からないと言う割には慣れた動作で石の階段に座り込み、手摺の支柱にもたれかかって船を漕ぐ。
既に無い筈の酒を美味そうに飲む自分が視えているのか、意識は夢の中へと誘われているのだろう。
辛い時でも美味い。楽しい時でも美味い。金が入れば酒場に走り、その日の博打の勝敗で笑ったり泣いたり隣で勝ってた奴を恨みながら、喉に命の水を注ぎ込むのが娯楽であり、生きていく上での糧なのだ。特異運命座標になってからは、任務であちこちに行けるもんだから、豊穣で燻っていた子供だった頃より、余程充実していると答えられる。
夢に揺蕩う鬼人。桐生 雄(p3p010750)は、別嬪のバニーガールがお代わりをお酌してくれた所で、意識を手放した。
眠りの供、想起させる記憶は遠いほどではなく、ついこの間かのように思える数日間の事。
●
「竜宮城、ねぇ」
海底の街と聞いてもピンと来なかったのだ。
退屈で仕方のなかった故郷を出て、転々とその足で各地を歩いてきた雄だからこそ、海の中を歩くという概念に納得し難いものがあった。
そう芳しくない様子を見せていたものの、竜宮からの依頼を前向きに参加していったのは、もう一つの噂から。
『竜宮の酒場に一度でも行くと、帰れなくなる』
酒呑みである彼にとって、なんという聞き捨てならない言葉。更に。
『見目麗しいバニーガール達が、接客してくれる』
こうとまで聞いてしまったら、行かずには居られない。正しく衝動の赴くままに、ローレットで依頼を探し始めて。
竜宮からの依頼で稼いだ金で、竜宮に飲みに行こう。宵越しの金は持たないを是としている雄は、大量に稼いだ金こそ、どんと使うべきだと思っている。抑えきれぬ欲のまま、いざ行こう桃源郷へ。
実際に降りたってみれば、雄が思っていた数倍、濃密な空気が街を漂っていた。
「酒場は、どれだ……?」
何処が酒場なのか、ではない。何処の酒場に入れば良いのかという、想定外の悩みが出来てしまった。
見渡せば点在する、BARや大人の社交場。周囲を歩くバニーガール姿の美人達。更にはうさみみカチューシャを付けた精霊達。独特の空気に呑まれつつも、同時に高揚感も高めてくれる。城全体で、客を歓待するという雰囲気が出来上がっているのだ。
「あら、お兄さん初めて?」
「あぁ? あぁ、ちぃとな。何処で飲むかって探すとこよ」
声を掛けてきたのは、他の嬢に漏れずバニーガール姿をした女性。豊満なスタイルに下品にならない程度に露出した肌が艶かしい。
「んふふ、色々あるものねぇ。初見さんは迷っちゃうものだわ」
「おうよ、全部飲み回っていくのも有りだけどよ。とてもじゃねぇが、一日で回りきれる訳でもねぇ」
この女性は所謂、紹介屋みたいなものだろうか。初めて訪れた者にとって、この独特の雰囲気は圧となり、何処に入って良いのか分からない者にとっては、ありがたい存在である。
「あら、全部の店に行くつもりなの? それは此処の人達も張り切るでしょうねぇ。それなら先ずは行きやすい所から案内しましょうか」
読み通り、話に乗っかってきた。当たり前のように腕を組んできた彼女に驚くも、竜宮の嬢にとって挨拶の様なものだと言われれば、そうかぁと大人しく着いていく。
内心で喜びを噛み締めつつ。
あっという間に着いたと思えるのは、彼女の誘導と話が上手かった事の証左。
「此処よぉ。じゃ、どうか楽しんでね」
「ありがとよ、おま……あんたもどっかの店に居んのか?」
「んふふ、どうかしら。また会った時、教えてあげるわ。全部の店、回るんでしょ?」
「はっ! それもそうか、んじゃ、また会ったらな」
再会を心中で祈りつつ、本命の飲み屋の中へと吸い込まれていく。めくるめく、楽しい酒盛りの時間だ。
●
「あ゙ぁ゙〜〜
大層気分が良い。
雄の持つグラスの中身が減れば、さりげなく次の酒を聞いてくれるし、会話の中で好みも把握してくれたのか、勧めてくれるのも好きな物ばかりだった。
何かを話せば、子気味よく返答してくれ、程よく雄を乗せて更に饒舌にしてくれる。
初見で途切れる事無く会話を続けるというのは、如何に大変か。しかも此方のペースを乗せながらヨイショしてくれるのだ。これが竜宮嬢。これがプロということなのだろう。
「さ〜いこうだったなぁ! ツマミはうめぇ、あの子もこの子も別嬪で会話もうめぇ!」
アルコールで抑制の枷が外れているのか、思考がそのまま口から出ているのも雄は気にしない。今はただ、気持ち良い飲み会が、こんなにも楽しい所を見つけられた高揚感に包まれていたかった。
しかし、時間が経つごとに、酔いは目眩に、高揚感は眠気に変わっていき、どうにも我慢が出来ない。
歩行も覚束なく、ふらふらと足を前に踏み出すにも一苦労。要は酔っ払いの千鳥足である。
何とか泊まる所まで、と思いつつも、意識に反して足は何処かの路地の中へ向かっていく。
そこで身体の糸が切れた人形のように、どっかりと腰を下ろす。あぁ、なんて楽なのだろうと、こんな硬い壁を背もたれにして、何も敷いてないコンクリートでも、動かなくて良いと言うだけでこんなにも楽になれる。
泊まる所までと言ったものの、雄の財布はほぼからっけつ。そこまで考えないで飲んでいたのだから当然とも言えるが。
「もう、今日はここでいいかぁ」
誰も否定する者は居ない、決定! と、今日の宿が決定しようとしたその時。耳元で何か雑音、否、声が聴こえてきて。
「おにーさん、おにーさんっ! 起きて!」
誰だ、やっと寝れるんだ、邪魔しないでくれよ。手放そうとしていた意識を無理やりに引き戻され、気持ち良かった気分が台無しである。瞼を開き、ぼやける視界の照準を定めれば、そこに居たのは小柄な少女。
とてもじゃないが、この様な歓楽街に居るには不似合いなあどけなさが残っている。
「そんな所で寝てたらめーっ、だよ! ほら、風邪引いちゃう!」
どうやら、路地裏で寝ている自分を咎めているのか、はたまた心配しているのか。どちらにせよ、此処から雄を退かしたいようで。
しかし、こっちはこれ以上動きたくない。立ち上がりたくないのである。理不尽とわかっていても、口は彼女を追い返す為に。
「マジかよ、可愛いバニーちゃんが声をかけてくれるならともかく、お前みたいなちんちくりんかよ……」
「すぐにバニーさんになるもん! わたしは大人だもん!」
食い気味に怒りの反論が来ている辺り、本人も気にしてそうな所だ。だが、この時の"ちんちくりん"が、彼女のプライドを傷つけ、記憶に鮮明に残ったのは、この時誰も知る由は無い。
「そ、それより、おにーさん、早く立って! 安全に寝れるお宿に行こうよ!」
「マジか、安全じゃねぇのか……ちんちくりんは早く家に帰んな……」
未だ朦朧としてる頭で、適当に流すと更に怒らせてしまった。
「また言った! ちんちくりんじゃないもん! メーリュって名前があるんだから!」
そうかそうかと、あしらった風に返せば、メーリュという少女は更に噴火しているが、その場からは離れない。どうやらこれは、此方が折れるしかないかと、仕方なく意識を引き戻して立ち上がる。
「わーった、わーったから、ちょっと落ち着いてくれ。頭に響く……」
多少ふらつきはせども、なんとか正気は保てるぐらいに調子は戻っていた。
「んで、お前は何処の誰のお子様だぁ? 良い子は家で寝る時間だろうがよ」
「むーっ! また子供扱いして! こんな所で寝てるから起こしてあげたのに!」
やいのやいの小言を行ってくるメーリュをあしらいながら、僅かに郷愁に駆られていくのを自覚する。
こう言ってくれる存在に逢うのも何時以来だろうか。物心ついた頃から
「ちょっとお兄さん! 聞いてるの!?」
「あ、あぁ、わりぃわりぃ。んで、なんだっけ。お前を交番に預けに行くんだっけか」
怒りでぱんぱんに膨らませた頬は、煽りを受けてどんどんと紅潮していく。つつけばつつくほど反応を見せる少女に、内心で笑いながらも、起きてしまったなら仕方ない。酔いも醒めたのならここに居る理由も無いので歩きだして。
「泊まる所とか言ってもな……全部使っちまって野宿するぐらいしかできねぇんだけど」
「えぇ!? お金無くなるまで遊んだの? めーっ、だよ! 仕方ないなぁ、公民館なら泊めてくれると思うから、そっちに行こうよ!」
てっきり、この場から離れれば帰ると思っていたが、ぷんぷんと聞こえてきそうな怒り方をしながら着いてくる。
「どこまで着いてくるんだ……?」
「公民館まで! お兄さん、目を離したらまたそこら辺で寝ちゃうかもしれないでしょ!」
小さく溜息をついて前を向き直す。心地好い酔いにケチがついた、とは思わない。
自身がどれほど荒もうが、小さな善意を無下にする程終わってもいないつもりだ。小さなガードマンに捕まったのなら仕方ない。今日は大人しく宿に向かおう。だがその前に。
「おう、がきんち……」
"が"の発音の時点で既にキッと睨んでくるメーリュ。なんて勘の良い奴だろうと。
「……ごほん。んで、俺に注意してくるお前はこんな時間に何してんだ。治安が良いとはいえ」
「パトロール! 竜宮の平和を護っているの」
こんなちんまりとしたガキに護られなきゃいけないのか。と、声に出さなかっただけ理性は戻っていた。
「ぱとろぉる、ねぇ。悪い奴居たらどうすんだよ。捕まえられんのか?」
「むふーっ! 今日初めて捕まえられたの!」
すごいでしょ、褒めて褒めてと言わんばかりに、うさみみも連動して動いている。今日初めて、何処かニュアンスがおかしいと思い。
「あぁ? なんだ、捕まえたって俺の事か?」
大きく頷くメーリュに、口を引き攣らせながら口角が上がる。呆れ笑いだ。
「お兄さんみたいな
それを捕まえた本人に言うものか、とは置いておき、雄は少女の純粋な正義感に微笑ましさ、では無く、一つの懸念が生まれていた。
「(あぁ、俺が悪党として映ってるのは良い、だけどよ、これは……)」
治安が良いという現れなのだろう。酔って寝ていただけの巨躯は、この子にとって大層な悪い子なのだ。
竜宮に護られているから。
海の底に包まれた穏やかな世界が、この天真爛漫な正義を生み出してくれたのだ。
それは良い事。平和を謳歌するには何も問題は無い。
しかし。しかしだ。
「(……このクソッタレな世の中で、この煌びやかな世界が何時まで続くのか)」
一歩外に出れば、本当の悪意が広がっている。何かの間違いで此処が侵された時。この少女はその光景に何を思うのか。
「お兄さん? どうしたの? お腹痛い?」
思考の渦に呑み込まれそうになった時、メーリュが心配そうに此方を見上げている事に気づく。
「なんでもねぇよ」
こんな怪しい男に着いてきて心配までするなんて、何処までも無防備な子供だ。
だが、この無垢な感情を向けられるのも久方振りだからか。鬱陶しいと思いながらも、追い返そうとならなかった。
「ほら、宿に着いたぞ。俺の監視は御役御免ってワケだ。帰んな」
「あれ、お兄さん。お金無いんじゃなかったの?」
懐に忍ばせていた
「ほら、これで終わりだ。がきんちょはさっさと帰って寝るこったな。お前までわるいこになりたくねぇだろ?」
「がきんちょじゃない! メーリュ!」
頬を膨らませながらも、漸く役目が終わったと判断してくれたのか。大人しく一歩退いて。
「もうあんな所で寝ちゃ、めーっ、だからね!」
はいはいと、受け流せば納得してなさそうな表情しながらも、歩き去る。
最後、ふと止まって此方に向き直り。
「またね、お兄さん!」
大きく手を振ってお別れをする。
「はっ……悪党にまたね、はねぇだろうが」
ちょっと不思議な出会いだった竜宮の少女、メーリュ。
これが縁と成り、度々出会う事になるのは、また別の話になるだろう。