PandoraPartyProject

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チェレンチィ(p3p008318)
暗殺流儀


 チェレンチィが自室のバスルームから出てきたのは午前九時ちょうど。つめたい朝の空気に、ほどよく太陽の暖かさが混じり始めた頃であった。
 涼やかな額に流れる短い白金の髪はしっとりと濡れ、カーテンの隙間から射しこむ陽射しを浴びて春光のように輝いている。
 左の眼窩を閉じる青糸を隠すためか。それとも鏡を見ずにナイフで衝動的に切った為か。不揃いの前髪が、タオルで水気を拭かれた拍子にぴょこりと跳ねた。
 黒いショートパンツから覗いた健康的な白い脚がフローリングを横切ると、形の良い頭に乗せられたバスタオルが白いベールのようにフワフワと揺れる。
 ――今日は休日。なにをしましょう。
 のんびりした民族調の曲を口遊むチェレンチィの歌声は普段よりも高めのアルトだ。
 その歌声を聞いてソファの上でくつろいでいた黒猫が顔をあげた。金眼がミモザの花のように輝くとソファの上から音も無く飛び降りる。
 キッチンへと向かうチェレンチィを追いかけていく黒猫の姿を、カフェオレ色の縞を持つ亜竜種猫ドラネコは見つめていた。そうして「やれやれ」と言わんばかりに大きな欠伸をすると、のっそりと緩慢な動きで背骨と翼を伸ばしてキッチンへ向かい始める。
「ご飯はさっき、食べましたよね」
 ニィ。
 行儀よく、愛想よく足元にまとわりつく二匹の生き物にむかってチェレンチィは呆れたように溜息を吐く。いくら猫が自由な生き物だからと言って、チェレンチィがキッチンに行くたびにおやつを強請りに来るのは如何なものか。
 相手が相手なので得意の皮肉も通用しない、難敵だ。
「まだおやつの時間には早いですよ。少し、外で遊んできてはどうです?」
 チェレンチィがそう言えば二匹の来訪者は普段のしつこさからは考えられないほど飄々とキッチンから立ち去った。あまりにあっさりと出て行ったので一瞬言葉が通じたのかと錯覚したほどだ。
 二匹は去り際にチェレンチィのふくらはぎや足の甲にふわふわの毛をすりつけた。もしかしたら風呂上りのチェレンチィに自分の匂いをつけにきただけなのかもしれない。それか、単純にかまってほしかったか。
 猫とドラネコのそんな自由なところを好んでいるのでチェレンチィはそれ以上なにも言わなかった。ご機嫌に揺れる尻尾を微笑ましく見送り、朝食用のシリアルを取ろうと戸棚に手を伸ばしかけたところで静止する。
 鍛え抜かれた感覚がキッチンに残された僅かな差異を感じ取る。危険は無い。無い、のだが――……。
 チェレンチィはふと片目を保冷庫へ向けた。
「おや」
 1g分の呆れを含んだ感嘆の言葉が、普段よりも血色の良い桃色の唇から零れる。
 保冷庫の扉を開けたチェレンチィは冷たい空気を顔面で受け止め、空色の目を目いっぱい見開いた。
 空っぽだった保冷庫に異変が起きていた。
 使いかけのスモークサーモンに温野菜のサラダにチョコレートのかかったビスコッティ。山のように積まれたワッフルと野菜のスープ。
 ぎっちりとつめこまれた食材やガラス瓶の上にはメモが一枚貼られている。どこか癖のある、見覚えのある字だ。
 そもそも気配に鋭いチェレンチィに気取られぬずに部屋へ侵入し、保冷庫のなかにカフェ&バー【フィーカ】で余ったペイストリーやサラダ、キッシュなどを押しこめる人物なんて一人しかいない。
「やれやれ、師匠にも困ったものですね」
 柔らかな苦笑を浮かべてチェレンチィはメモ帳をひらりと揺らすと、軽く肩を竦めた。
 簡単な朝食で済ませようと思っていたのだが、弟子を甘やかすことに余念がない師匠のせいでそうもいかなくなったようだ。
 普段であれば階下のカフェ&バーから開店の準備音が聞こえはじめる時間なのだが今日は定休日のせいか、ひっそりと静まり返っている。
 二階に居を借りてはいるもののチェレンチィが直接階下の店に赴くことは少ない。それは賑やかで華やかな空間に放り込まれるのが少しだけ、苦手で居心地が悪いからだ。
 けれども一階から聞こえる人々のざわめきや笑い声を流し聞きながら暮らす生活に不満はなかった。
「さて、お礼は何にしましょう」
 いつもより静かな部屋で、チェレンチィはブランチを用意する。
 
 人にはそれぞれ、休日特有の空気というものがある。
 チェレンチィの場合、ゆったりとした時間を過ごすのを好んだ。
 気まぐれに遊びに来た猫と戯れたり、愛用のナイフや装備の点検を行ったり、のんびりと煙草を燻らせながら思考に沈溺したり。
 ローテーブルには図書館から借りてきた厚みのある本が置いてある。栞代わりの蒼い羽根は、海賊船が主人公たちの乗る船を襲撃してきたところに挟まれていた。
 海洋を舞台した冒険小説だが、児童書にしては臨場感があって面白いとチェレンチィは感じている。あと文字が大きくて、目が疲れにくいところも好感触だ。
 海上での空中戦や姿の隠し方は参考になるし、潮風に晒された翼のケアなど飛行種にとっては有難い情報も書いてある。作者が年嵩の飛行種だからだろうか。おばあちゃんの知恵袋的な対策方法はチェレンチィの欠けていた情報を埋めてくれる。
 砥石代わりに大根を使うと書いてあった時には驚いたが、いまのところ愛用するナイフで実際に試したことはない。幸いなことに。
 海洋の塩気が多い海風や鉄粉や粉塵の巻き上げられた鉄帝の上空では、短期戦、長期戦に限らず装備や翼の重さ、生み出す気流の流れに微妙な変化が起こってしまう。
 対策はしてあるが、清める方法は多いに越した事は無い。
 何よりチェレンチィは自分の背を彩る美しい翡翠の翼が曇ることを良しとはしない。
 読みかけの本をテーブルの端に動かし、代わりに朝食がセットされた木製のトレイを置く。
 温めたワッフルの上に深緑のベビーリーフとディルを散らし、ミルク色のバターとチーズ、おまけでスモークサーモンを添えれば簡素ながらもカフェらしい一皿が出来上がった。
 思ったよりも頑張ってしまったとマグカップを持ったチェレンチィはソファの上に静かに座った。動いた空気に、珈琲と染みこんだ煙草の残り香が交じり合う。
 テーブルの上には読みかけの書物の他に、コーヒーのたっぷり入った硝子のフラスコが蒼いアルコールランプの小さな炎で温められていた。
 この古いサイフォン式のコーヒーメイカーは元々フィーカで使用されていたものだが客の増加に伴って少し良いものを導入した頃にチェレンチィの家へとやってきた。
 金色金具と黒いボディ、そして丸い硝子のフラスコはソファで寝そべる黒猫によく似ている。
 淹れる手間と時間はかかるものの、アルコールランプで温めている間は保温が効いた。酸化する前に飲みきる、という時間制限はあるものの今では良き休日の友だ。
 ほどよく温められた珈琲は、白絹のような湯気と虹色の油膜を纏ってゆらゆらと揺れている。
 目の細かい布のフィルターで濾したおかげか口当たりは滑らかだ。
 重みのある苦みと熱さが舌を焼く。その中にある漂う僅かな甘みを感じながら黒い液体を味わえば、ほっそりとした白い喉がこくりと動いた。
「今回の豆は当たりですね」
 自賛と賞賛の吐息。
 豆の種類に拘りは無く、気分に合わせて豆を選ぶ。
 砂糖やミルクは入れない。珈琲豆本来の苦みを味わうのがチェレンチィ流の楽しみ方だ。
 フィーカで仕入れた珈琲豆のうち賞味期限が近づいてきたものや、使いきれずに余った豆を譲り受けたのが始まりだったが、今では仕入れがてら新商品の味見も楽しんでいる。故にチェレンチィのキッチンは様々な珈琲豆がストックされていた。
「それにしても、この味。以前にもどこかで飲んだような……いえ」
 厚みのある白い陶器のマグカップを腿に置き、チェレンチィは黒い水面に映る自分の顔を見つめた。
 思い出すのは、くすんだ、けれども美しい春空の髪。
「そういえば彼もブラック派でしたね」
 今日の珈琲と同じ香りを、彼から感じたことがある。
 苦々しい顔で舌打ちをしながら手を差し伸べてきた彼の記憶を呼び起こす。
「ボクのことが嫌いなら放っておけばいいのに、素直じゃないんですから」
 チェレンチィは苦みが嫌いではない。
 本音を覆い隠す皮肉が嫌いではない。
 けれども今日は一人なので、誰に見せるわけでもなく素直に微笑んだ。 
 ぶっきらぼうな顔で何度も依頼に誘ってくれる。最近は血の匂いばかりさせている、世話焼きの彼。
 彼らしからぬ下手な誤魔化し方で「女性」であることに気づかないふりをしてくれる。いつも誰かの為に人一倍気を遣っている、優しい彼。
「……誰かに対して思いを傾け過ぎないようにしているのに、全くどうして、こんな風に思うのでしょうね」
 必要であれば心を傾けないでいられる。チェレンチィはそのような訓練をずっと受けてきた。けれども翼も無いのに空を駆ける彼に対しては必要以上に気を向けてしまう。
 自分と同じ機動力重視の空中戦を得意としているから。
 自分と同じ片目と言うハンディを負っているから。
 自分と違って優し過ぎるから。
 理由はいくらでも思いつくし、文句も感謝も、湧き出てくる。
 穏やかな時間に包まれていると、どうしたって脳裏を過ってしまうのだ。あの細い身体に隠されているであろう、数多な傷のことを。
「困った人です」
 彼は誰かを守るために、いつだって身を挺す。その結果必要のない怪我を負い続ける。
 いっそ彼が誰かを見捨てるような人であれば良かったのに。そんな事は絶対にありえないけれど。
 彼は自分を大切にしない。使い捨てのように乱暴に扱う。
 だからチェレンチィは彼を大切にしようと決めたのだ。
 季節が移り変わるように、ひっそりと。あの優しい人を失うことがないように守ろうと決めたのだ。
 それは人を殺め続けた存在が、自ら考え、生み出し、悟られないようにと心に秘めた決意。
 優しい空気のなか、祈りの時間が流れて行く。

  • 珈琲を見つめる完了
  • NM名駒米
  • 種別SS
  • 納品日2023年03月26日
  • ・チェレンチィ(p3p008318
    ※ おまけSS『何も言わずに押し付けた』付き

おまけSS『何も言わずに押し付けた』

「ふぅ」

 チェレンチィはやり遂げた顔で頷いた。
 部屋は珈琲の香りでいっぱいだ。
 手には年代物のミルが握られており、ローテーブルの上には挽き終わったばかりの豆が大瓶に入って並んでいる。
 散らばった滓を手早く集めてゴミ箱へ棄て、じんと痺れて重くなった手を洗う。
 珈琲豆を挽くのは意外と力が必要だ。根気と、時間も。
 無心にゴリゴリと挽き続けた結果、昼には一週間にしては多すぎる量のストックが出来た。
 一仕事後の一服のために無意識に指は煙草を探し、これはいけないと首を振る。
 タールの匂いを吸着してしまえば、挽いたばかりの珈琲が台無しになってしまう。
「挽きすぎてしまいましたか。ボクと師匠で飲んだとしても、これでは味が落ちてしまう。美味しいのに、もったいないですね」
 わざとらしく、自分に言い聞かせるようにチェレンチィは呟いた。
 いつものように眼帯をつけ、体格が分からないように服を重ねて黒のコートを羽織る。
「なので、これは美味しい豆をブラックコーヒー派の人に味わってもらうという緊急措置。片手では挽きたての豆を味わう機会も少ないでしょうし、まあお店で挽いてもらっているのかもしれませんが、やはり挽いたばかりの豆で淹れる珈琲は格別ですからね」
 瓶を抱えたチェレンチィは機嫌よく部屋を出る。
 
「お節介や世話焼きは彼の代名詞兼生涯名誉称号だと思うのですが、今日だけはボクが借り受けましょう。無断で」

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