PandoraPartyProject

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綻び触れて、揺らめいて

登場人物一覧

嘉六(p3p010174)
のんべんだらり
嘉六の関係者
→ イラスト
嘉六の関係者
→ イラスト

 たとえば。休日、街を歩いていて大好きな人の姿を見掛けたらどうする? 決まっている。迷う暇も惜しいどころか脊髄反射でいける。
「嘉六さん!」
 名前を呼ぶ。駆け寄る。予定を聞き出す。着いて行く。二人の『いつも通り』を繰り返した分だけ反芻しながら、気付いて振り向いてくれた彼の——
「あ゛?」
 ——後ろからぬっと伸びた腕に無遠慮に遮られれば不穏な声も出るというものだ。嘉六さんの肩に回ったそれが、俺に投げられるはずだった返事も視線も絡め取って行ったのだから。許すまじ。というか誰だあれ。早急に問い質して駆虫しなければ。
「随分親しげですね、初めて見る顔ですけど。またお友達ですか」
「お前なぁ。まぁダチっつーか……あー、知り合い?」
 敢えて視界に入れないままの俺の牽制に嘉六さんが若干呆れたように笑い、それから言い淀んだ。疑問系とか怪しさしかないんですが。
「どうしてそこで首傾げるんですか。はっきり言えない関係なんすか。他人には、俺には、言えないような間柄って事でいいですか」
「待て待て、畳み掛けるな。落ち着けって」
 ぎょっとした顔がますます怪しい。「どう話したもんか」とか悩む程に深い仲を俺の知らぬ間に築き上げちゃったんですか、そうですか。まったく、油断も隙も無い。
 普段あれだけぷかぷか吐いてる煙は虫除けどころか誘い込んでさえいる気がするのが腹立たしい。まぁ、あの香りも魅力の一部だと言われたら否定はしない。姿が見えなければ会いたくなる、追いたくなる。この人そのもののような移り香にやられた一人として、まずは冷静な会話に努めよう。気安く視界に入り込む知り合い(?)の腕も今は無視してやろう、と思ったのに。
 爪が這う。まるで有毒生物が自らの毒性を主張するのに似た、不自然なまでの青い爪が。それに視線を引っ張られる間に、図々しくも嘉六さんへ撓垂れ掛かった上体から真っ白な毛束が滑り落ち、男の顔がずいっと目の前に現れた。
 爪と同じ青に十字が浮かぶ目は笑っているようで笑っていない。無遠慮に品定めする視線に思わずガン付けて返したが無視された。実際、俺には大して興味も無いんだろう。
「これ、えりまき君の何?」
不快。不愉快。意味不明。続々と追加されるマイナス印象は、ぎゃあ、と上がった嘉六さんの悲鳴で地の底を更に掘り進めるまで達した。
「嘉六さんに何してんだテメェ!!」
「俺のえりまきに何しようが勝手だろ?」
「はあ!?」
 蝿の如く叩き落としてやろうとした手はひらりと躱され、嘉六さんの尻尾を鷲掴んでいた不届者は当然の権利だと言ってのけた。しかも飛び上がった姿を玩具みたいに見て面白がっていやがる。最低だ。
「アンタ何様だ?」
「神様」
「冗談はそのツラだけにしろよ」
 まるでつまらない事を述べるような、しゃあしゃあとした態度が気に入らない。馬鹿にしてるにも程がある。カミサマだって言うんならそれらしく人間社会からドロップアウトさせてやろうか、と考え始めたところで嘉六さんが手を挙げた。
「はいはい、ストップ。俺の上で話進めんなって。先に仄と話しつけるから壬生は黙っ」
 ——ばしん! 乾いた、それでいて重く痛々しい音。痴情の縺れの果てに女が響かせるような間抜けたものとは違う。男が全力の平手打ちをすればそんな音もするだろうな。そう分析するのは俺の中の冷めた部分だ。じゃあ、それ以外は?
「アッハハ、俺を後回しにするとかえりまき君は生意気だな〜もう」
「ッてえ、またかお前。顔はやめろって言ってんだろ」

 ぐらぐらと煮えた頭は二人が何を言っているのか全く理解出来ない。いや、壬生とか呼ばれていた何処の馬の骨とも知らないぽっと出の男が嘉六さんに付き纏っている事までは分かった。分かりたくなくとも嘉六さんが魅力的だからそういう事態もあり得ると飲み込めなくもない——が、あろうことか! この野郎! 殴りやがった! しかも笑いながら! 信じられない! 嘉六さんも嘉六さんだ! そんなに軽く済ませる話じゃないし、またかって何だよ! 前にもあったって事か? 俺は聞いてませんが? いつ、どこで、何度!! 俺は! 聞いてない!!
「まあいいけどよ」

「全然良くないでしょうが!!」
 思わず叫んでいた。怒りだとか、嫉妬だとか、心配だとか、分別不可能になってドロドロに煮詰まったものがたった一言で決壊して溢れ出してしまった。俺はただ、嘉六さんに付いた虫を追い払いたくて、なのにどうして! いくらなんでも、そんなの受け入れちゃダメでしょう!?
「仄。って……な、何も泣くことないじゃねえか……」

 言われて気付いた。頬を伝う濡れた感触。鼻の奥がツンとして目頭も痛い。あぁもう、人前で泣くなんて。そんな事よりも。

「ッ、泣いてま゛せ゛ん゛!!」

 不明瞭な視界に映る、おろおろと手を彷徨わせる嘉六さん。その頭に顎を乗せてケラケラと笑う壬生。殴られた男と殴った男の図には到底見えない。おかしい。何も良くはないのに、何も無かったような二人が分からない。おかしいのは俺なのか?
「なんで、嘉六さんが! 殴られな゛、ぅ゛……っ……うぅ」
 俺はこんなにも嘉六さんの身を案じているのに、当の本人がこれではどう言い募ったって一人相撲じゃないか。言い募る言葉も汚く濁るばっかりであんまりにも格好が付かない。逃げたい。逃げたくない。訳が分からない。恥ずかしい。目を逸らせば自然と顔も俯き、アスファルトには惨めな水玉模様と呻き声だけが落ちていく。
「うるさい虫だなあ。なあ嘉六、こいつもうほっといて、」

「壬生、お前今日どっかいけ」
 視界の外、どうでもいいと吐き捨てるような台詞をばっさりと切る嘉六さんの声。

「壬生」
「……アー、そんな睨むなよ。分かった、今日は引き下がるって」
 きっと文句を連ねる気満々だったであろう壬生を名前ひとつ呼ぶだけで黙らせる。まだ嫌われたくないんだよな、と宣う男は長く白い髪をたなびかせて消えた。陽炎か、煙か幻か。からからと不快な笑い声と気不味くなった空気を残して。
「ッ、……ふ、ぅぅ゛……」
 俺には出来なかった。虫はアンタだろと反論するどころか、自分の涙すら止められない不甲斐無さで余計に泣けてきた。ただ守りたかっただけなのに。
 心配する権利すらくれないような嘉六さんの態度に物申したくても、こんな嗚咽塗れの言葉じゃ伝わらない。そう思いながら何度も何度も袖で拭う。けれど、もうとっくに止め方がわからなくなっていて、ぐちゃぐちゃに滲んだままの視界に影が差し——ふわりと香った嗅ぎ慣れた紫煙と彼の温度に包まれた。
「仄」
 やわらかい声。あの男を追い払った時よりも、何より普段よりもずっとやさしく聴こえるそれに耳を傾けながら深呼吸する。鼓動が近い。あたたかい。嘉六さんに抱き締められている。その事実に思い至っても何故か喜びより安堵が勝った。
「仄」
 もっと呼んでほしい、と口にする代わりに。
「……嘉六さんが、悪いんですからね」
 言い訳とみっともない顔を広い胸に押し付けた。

 まともな理論も組み立てられない子供じみた感情を溢す度、嘉六さんは俺を撫でた。相槌を打っては「ごめんな」と返るそれが何に対する謝罪なのか。聞き返す勇気も持てず、情けなく腕の中のぬくもりに縋ることしか出来なかった。
 ずっと、ずっと——俺は今日、同情を引くことでしか奴に敵わなかったのだ、と噛み締めながら。

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