PandoraPartyProject

SS詳細

白き星は雪解けに咲いて

登場人物一覧

ノースポール(p3p004381)
差し伸べる翼
ノースポールの関係者
→ イラスト

●空虚と空白の違い
 陽が昇ろうとする早朝。
 捲られた空白の頁に新しい黒液が滴り、羽根先が伝う軌跡に従って文字が紡がれていく。
 多くの馬車が集まり、人や物資をそれぞれ積んでいるのを横目に彼はペンを羊皮紙に走らせた。
 フルフェイスヘルムに全身鎧の傍らで揺れる白い花。
「おや……見送りに来てくれてありがとう」
 車窓の直ぐ傍まで来た少女を前に、彼は手を振り返した。
 その時……日月を刻んで来た本の頁が巻き戻るように捲れる。

『――――先日の討伐依頼で保護した少女はポラリス・クラウベルというらしい。
 荷物の中にあった手帳を見て知った彼女の名と、その家族達の名。
 私は彼女の村に近くにある町でたずね人の貼り紙を出して様子を見ている。まだ誰も名乗り出ていないが、せめて奇跡が起きる事を期待して。
 三日目の朝、ポラリスは目を覚ました。
 私は彼女に事の顛末を全て語った。それが私の義務であり、向き合うべきだと思ったからだ。
 だけど……私は失敗した。
 彼女は自身の命が在った事に安堵するよりも、村の全滅の報せに何よりも悲しんでいた。
 ……それこそ自分が死ねばよかったのだと言い出しかねない程に』
 ─────
 ───
 ── 

 一輪の花を机上の花瓶に差して、彼は振り向いた。
「……体調は優れないようだね」
 全身鎧を纏う男。クリス・ヴァイラスは眠るポラリスの容態を診ていた仲間へ視線を向ける。
「良くなる筈もないわ。目を覚ましてから半月、ギルド(ここ)の居住スペースでの様子を見ていたけれど……
 明るく振る舞っていても悪夢から抜け出せてない。
 食事も殆ど食べてなくて、定期的に私や騎士様が見に来なければいつ倒れてもおかしくないんだよ」
 瀕死の重傷から回復したばかりの少女に体力は残っていない。
 術式を施していた長身の魔導士の女はそう言い切ると、ポラリスの額に浮かんでいた汗を丁寧に拭って。
「彼女は」
 ボロボロになった手帳をクリスは見下ろす。
「……ポーは私に似ている。誰の為でも無い。自分以外の人々の事を考えて生きて来た少女だ。
 もし仮に私がギルドや周りの人を大勢失ったとしたら、きっと耐え難い苦しみを味わうと思う。だけど……」
「騎士様なら再び立ち直る心力があるだろうさ、だけど……この子が失ったモノは多過ぎる」
 朱いベールの下で目を細めた女魔導士は首を振った。
 死なせたい訳がない。だが。
(どうすれば……いいのだろうね)

 ボロボロの手帳には沢山の思い出が綴られていた。
 誰かに褒めて貰える度に喜んで。無茶をして怒られて、頑張って。
 みんなが笑顔になってくれる事を一番うれしい事だと信じて。
 過ぎ去った時間を残しておきたくて始めた少女の日記。
 そこには本当に素敵な日々が描かれていた。
 だからその先を、日記を捲った先に記されていた内容にクリスは胸を痛めた。
 ずっと。
 ポラリスはギルド『風護院』に助けられたことに感謝する一方で、自分の弱さを嘆いていたのだ。
『―――みんながいない
 誰もいない
  朝起きたら聴こえる筈のみんなの声が、聞こえないよ
  ……辛い。悲しい。苦しい  上手く笑えない
 こんな私に生きている価値はあるの?
  全部忘れたい
 それが無理なら、みんなのところにいきたい――――』

 失われかけていた命を拾い、平穏を与えられても。それが救いになるとは限らない。
 心が死んだ者の脆さはクリスも知っているつもりだった。
 ポラリスはもう限界だ。だが、だからといって見捨てるつもりはない。
 例え生きる力を失っているとしても、彼は。
「私は彼女を……ポーだけは守らなければいけない。
 あの日、あの村で弔った人々が彼女にとって大切な存在だったなら、彼等にとっても……大切な人だったに違いないんだ。
 その彼女が生き残った事を呪っている。このまま生きる事を拒もうとしている――
 過去を、大切な人達との記憶を捨てない限り……ポラリス・クラウベルは死ぬ」
 その声は微かに震えていた。
 魔導士の女はベールの下で驚いたように目を見開く。
 クリスは今のポラリスをどうすればいいのか迷っている。すべき事は分かっているのに、それを肯定できない自分がいるのだ。
 『どうすればいいと思う』、そのたった一つの問いを誰かに委ねる事を彼は躊躇っている。
 躊躇うその様が、魔導士の女にとって半ば信じ難い姿に映ったのだろう。
「どうにかしたいなら、騎士様がやるしかないね」
 振り返り、彼女は真っ直ぐにクリスを見上げて囁いた。
「……次の満月まで待ってくれる?」
 待つ、という言葉。
 首を傾げるクリスに仲間の魔導士は自身の手を一度重ねて。
「爪痕を取り除くだけなら、出来るわ。だけどそれには準備が必要なの」
「っ! ……私に出来る事はあるかい。彼女を救えるなら何でも……」
 フルフェイス越しに口元へ伸ばされた細い指にクリスは言葉を詰まらせる。
 指を離しながら答える魔導士の女は、そのベールの下で首を振った。
「救うんじゃない。
 ……ポラリスの『爪痕』を取り除く、その為にあの子の全てを忘れさせるのよ」

●北極星の花
 日記が閉じられる。
 私室を出たクリスはギルドの廊下を見渡してから、その身に纏う全身鎧を微かに鳴らしてとある一室を目指した。
「……あぁ、寝過ごしてやしないかと心配したよ騎士様」
 扉を開いた先で部屋の床に魔法陣を描いていた魔導士の女が肩を竦めて見せる。
 法陣に散らされた紅い花弁が淡く光を放っているようだった。
「ポーの様子はどうだい?」
「……顔色が良いとは言えないね。でも、この魔法に体調は関係ないから問題ないわ」
 作業から視線を動かさずにそう告げた彼女の声に、クリスはまだ眠っているポラリスの顔を覗き込んだ。
 ギルドへ来てから一月。
 肉体の傷こそ癒えたものの精神的損耗からすっかり痩せ細り、体調も悪化していた。
「私は傲慢かな」
 返って来る言葉は無い、事実それは独り言だった。
 暫しの間。寝入る少女を見守るクリスと魔導士の女が作業する無言の時間が続いた。
「……終わったわ。
 ──『忘却の魔法』……これは古い呪い(まじない)の一つよ。互いに一方の忘却する事を望み、願わなければ成功しないこの魔法は呪術の域を出ないわ。
 だからいずれ騎士様が機を見るか、彼女自身が過去を求めるなら記憶は戻る──その為の『鍵』はあの子の手帳と……あの子の名前」
 彼女はクリスではなく、ポラリスを見て。
「これが……傲慢かどうかは後の彼女が決める事だよ。騎士様が気にする事じゃない」
「ありがとう。そしてすまない……私の決断に君を巻き込んでしまったね」
「部屋の外で成功を祈ってるわ、騎士様……いいえクリス。大事なのは『お互いに忘却を望む事』よ」

 部屋を一瞥してから退室する魔導士の女。
 静寂に包まれた暗がりの中、クリスは兜を脱ぎながら傍らの燭台へ火を灯した。
 だれもいない。
 揺れる燈を背にしてクリスは意を決した様に息を吐くと、ポラリスを優しく揺すり起こした。
「ん……ぅ……。
 あれ……騎士様、どうして……?」
 何も知らない雪鳥の少女は瞼の隙間から見えた鎧姿を見て、重い身体を動かす。
 それから見上げた先で、見慣れぬ……青年のようにも見える中性的な印象の、穏やかな顔を見た。
「驚かせてごめんよポー。大事な話があるんだ」
「……お話、ですか?」
 燈を背にしたクリスの顔、その表情を上手く読み取れないでいる彼女はまた一つ困惑したように応えた。
「これから君に魔法をかける──その魔法は、君の全てを忘れさせてくれる。
 だけど君は、自分を失う。名前も、これまでにあった全てを……君の大切な思い出を奪ってしまうんだ」
「────」
 ポラリスの目が見開かれる。
 ともすれば、細くなった手を伸ばして。クリスの手を取った。
「それは……もう二度と思い出せなくなるんでしょうか」
「そうだね」
「それは……夢に見る事も、なくなるんですか」
「…………そうだよ、ポー」
 伝い流れる雫を少女は見下ろして。
 滴り落ちる粒を彼は見つめていた。
「…………」
 ベッドから少女は立ち上がる。
 クリスの手に導かれるがままその足を紅い魔法陣の内へ踏み入れ、励起する魔力が彼女達を覆い隠す。
 言葉は無く。答えも用意されていない。
 二人の間に散る花弁が点々と光を放ち始める。
 苦しみから逃れようとする思いの一方で、生きて欲しいと願うその一心が重なり合う。
「迷える旅人を導いたとされる、北極星」
「……え?」
 紅い花弁が燃える。
 部屋に満ちる光は次第に強く瞬いて、天井に星々の如く散って行く様をクリスは見上げて言った。


「ポラリス・クラウベル。北極星の名……良い名だと思ったんだ」
 光は遂に二人の視界を埋め尽くして。
 キョトンとした顔で見上げていた少女ポラリスは、辺りが眩く染まって行く刹那──鈴の様な音を鳴らして小さく笑った。

 ──
 ───
 ─────

 射し込む朝陽を浴びて、少女は目を覚ます。
 知らない天井。
 寝惚けた様子でベッドから起き上がりながら辺りを見渡して首を傾げる。
「おはよう」
 引っ張り出そうとする記憶の中が酷く空虚に満ちている事に気付いたその時、部屋に中性的な声音が響いた。
 全身鎧。室内にも関わらずフルフェイスヘルムに素顔を隠した彼を、少女は騎士のようだと思った。
「……あの、わたしはどうしてここに?」
「私はギルド『風護院』のギルドマスターを務めている者だよ。君が倒れていたところを保護したんだ」
「倒れていた……?」
 少女は困ったように長い白髪を揺らし、また小首を傾げる。
 クリスは、その姿を見て微笑んだ。
「何も思い出せないようだね。過去の記憶はなくとも、これからを楽しく生きればいいと私は思うよ?
 それよりまずは体を休めて……それから、今後どうするかゆっくり考えて行こう」
 くすくすと笑うその姿はどこか喜んでいる様にも見えて。
 けれど何処か、少女は彼のその様子に小さく安堵を覚えた。それが何なのかはやはり思い出せないのだけれど。
「ああ、そうだ……名前を思い出せないのもまた不便だよね。何と呼ぼうか」
「何といわれましても、わたしは……」
 思いつかないのだろう。それかまだ少し混乱しているのかもしれない。
 そんな少女に代わりクリスは部屋を一瞥し、それから飾ってあったノースポールの花を手に取った。
 キョトンとした顔で見上げて来る少女を鎧に身を包む彼は見つめ。差し出した。

「──君の瞳は、この花のようだね──」

 ノースポール。
 小さなその花と共に揺れた瞳は、確かに瞬いて。

●─ゆきのはて─
 ─────
 ───
 ──
『夜の獣を討伐してから、一年。また冬の足音が通り過ぎる一月を迎えた。
 忘却の魔法が成功したポラリスは全てを忘れ去り、『ノースポール』として第二の人生を歩んでいる。
 回復した後も生来の快活さは失われず。ギルドの仕事を手伝ってもくれた。
 その励み振りは、ウチで働いて欲しいとも思ったくらいだ。
 さすがに記憶喪失に関しては気にしている面もあるようだが、きっともう……大丈夫だと思う。
 だから私は今回の監獄卿からの依頼を受ける事にした。
 ギルドメンバー全員で挑む、幻想外への長期遠征。
 これからのノースポールにとって、丁度良い機会になると思ったからだった』

 音を立てて捲れ行く頁はやがて指先に止められる。
 クリスは馬車の外で手を振る雪鳥の少女、ノースポールを見た。
 街道沿いまで見送りに来た彼女はしきりに「いってらっしゃーいっ!」と隊列を組む馬車の一つ一つを覗いている。
 その姿を見てクリス以外のギルドメンバー達は大喜びではしゃいでいた。
「大丈夫かしらノースポールちゃん一人で……ウチの騎士様ファンクラブに刺されないと良いけど」
「刺されない刺されない。
 それにあの子ならきっと上手くやるよ。要領の良い娘だからね」
 隣り合う金髪の淑女然とした女性にツッコミを入れるクリス。
 そこで馬車が動き出した。
「そろそろか……君もお別れくらいすればいいのに」
「……まぁ騎士様は知らないだろうね」
「え?」
 向かい席に座っていた魔導士の女は赤いベールの下で目を伏せる。
 暫しの間。馬車が動き出してノースポールの声が聞こえなくなった頃、彼女は舌を出して言った。
「実は私ね、あの子と一度も話した事ないんだよ」

 ──
 ───
 ─────

「……行っちゃった」
 ちょん、と取り残された気分になるノースポール。
「うん、寂しくない寂しくないっ! まずはえっと……騎士様が用意してくれたお家に行って、それから……」
 町へ戻りながら、新しい手帳を手にする。
 ノースポールは切ったばかりの短い髪をふわふわと風に揺らし、少女は前を向く。
「お仕事を貰いに行かなきゃ!」
 手帳をポーチへ仕舞いこんだ直後、ぽんっとその身を小さな雪鳥の姿へと変える。
 パタパタと飛び行く少女が向かう先は王都メフ・メフィート。
 記憶を失った後も、失う以前の彼女にとっても。これが初めての冒険となる。

 初めて見る町並み。
 幾つかの定期便馬車を経て、先ずは赤い屋根の小さな家に辿り着く。
 まだ人気は少ないけど風が活気を運んで来る。
 けれど誰もいない寂しさをちょっぴり感じて、しんみりして。
 のんびりと散歩しながら町を探索して。
 昼下がり。
 お腹が鳴ったのを皮切りに財布の中身を見てから。
 それから、少女はその日一番の目標を達成しに向かうのだった。

「ここが、ギルド・ローレット」
 多くの人々が通うその建物を前に、ノースポールは雪鳥から本来の姿へと戻る。
 聖杯を思わせるそのエンブレムを掲げるは可能性の中心地と自称する幻想最大手のギルド。少なくとも彼女はそう聞いていた。
(色んな人がいるっ……! 凄い、見た事ない種族も沢山……あれが旅人かな?)
 多種多様な種族、旅人が行き交うその姿を前にほんのちょっぴり圧倒される。
 それでも前向きにギルドの中を覗こうとする辺りは流石。それもこれも、彼女が目指す理想があればこそなのだろう。
(ここで私も騎士様のように沢山の人を助けたい。
 どんな仕事だって……きっとこなして見せる! だって私は──!)
 数人の獣種の戦士がギルドへ入って行くのを見送り、頬を叩いて気合いを入れたノースポールは意を決して扉を押した。

「こんにち────、は……?」

 扉を潜った先の視界は一変する。

 唐突な風に煽られ、辺りを見回した少女は言葉を失った。
 その見晴らしは良好に過ぎる。
 眼下に見える地上世界は模型のようで、今まで見た何よりも精彩で。
 高鳴る鼓動を忘れ首を回せば『空』が少女の隣に広がっているのだ。
 足元を通る石畳の続く先……庭園らしき中心には厳かなる神殿がノースポールに神秘の一端を見せつけて。
 ようこそ、と。誰かが言った気がした。


 この日──新たな特異運命座標の物語が始まったのである。

PAGETOPPAGEBOTTOM