SS詳細
果てに、何が在ろうとも。
登場人物一覧
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「……復興依頼、ですか」
時節は、鉄帝の帝都で決戦が行われる頃より幾許か遡る。
鉄帝の辺境に在るとされる小村。その地へと向かう街路を歩くのは、たった二人の少女たち。
珍しくも少人数での参加を良しとされる依頼を受けた『未来への葬送』マリエッタ・エーレイン(p3p010534)と『ドラネコ配達便の恩返し』ユーフォニー(p3p010323)は、軽く空を見上げながら依頼内容を諳んじる。
「暴徒に襲われた村、モンスターの被害に遭った市街。
各派閥による援助が在ったとしても、国一つとあっては手が回り切らない場所はどうしてもありますからね」
「そう、ですね……」
ぽつぽつと言葉を発するユーフォニーに対して、マリエッタの返答はどうにも言葉少なだった。
濁すしか出来ないような口調。それは今現在に限った話では無い。
「あの時」から現在に至るまで。マリエッタとユーフォニーの会話は、依頼の際などを除けば何にしても滞りがちだった。
……その理由を、発端である旅人の女性は知っている。
――『あなた』は。『あなた』をどんな未来に繋げますか。
遠からぬ過去にて、彼女はマリエッタに問うたことがある。
然る依頼にて発覚した、恐らくは血塗られた来歴を持つ自身を、今の貴女はどう思い、またどのような未来を夢見ているのかと。
問うたユーフォニーが、何を裁くなどと言う傲慢を語る心算は無かった。無かったけれども――それを受けたマリエッタの側は、まるでそれを咎められたかのような表情で懊悩し、それは現在まで続いている。
(――――――あなたは)
間違った問い方だっただろうかと、ユーフォニーは思う。
本当は、もっと。マリエッタが抱く過去から目を逸らすことなく、しかしその心を優しく包み込むような接し方が出来ただろうかと。
それでも、彼女はあの時の問いを後悔してはいない。
(あなたは。『それ』を、こんなにも悩めるんですね)
――「記憶にない自分」とは、主観的には実質他者と同義である。
況や、それが自覚も得られず、与えられた「証拠」が確証に無いただの情報であるなら猶の事。
自身に縁もゆかりも無い他人が犯した罪から、しかし目を逸らすことなく。己が犯した罪であると受け止めながら、その上で今の自分が出来ることは、抱ける覚悟はと考え続けるマリエッタに、ユーフォニーは静かな面持ちでそれを見遣る。
……己がマリエッタに掛けた問い。その答えを、彼女は焦ることなど無かった。
何故と言って。それが、きっと返ってくるものだと。ユーフォニーは理解していたから。
「マリエッタさん。村が見えてきましたよ」
だから、それまではただ笑顔で、とも。
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村に着いて、幾らかの時間が経つ。
その時点に於いて、マリエッタとユーフォニーの両者は――村の子供達に囲まれながら一緒にお遊戯をしていた。
「ユーフォニー、まだドラネコ居るんだ? すげー!」
「マリね、マリねえ。ごほんよんで。おうたうたって」
――被害に遭った建物の立て直しに加えて、収穫の時期が被っちまって。子供たちの面倒を見てくれる人が居らんのです。
訪れた村では、女も男も忙しなく動き回っていた。
そんな中、上述のような『労働』に適さないほど幼い年齢の子供達の面倒を見て欲しい、と言う村長の頼みに莞爾と頷いたユーフォニーたちは、そうして今に至るまで彼ら、彼女らの世話にかかりきりになっている。
「そうですよ! ほら、この子はフリージアって言うんです!」
「わ、わわわ……」
無防備に、無造作に。きゃらきゃらと寄ってくる子供達に対して、ユーフォニーは如才なく、マリエッタは少しだけ慌て気味に応対していく。
本来ならば、こうした子供達の扱いはマリエッタとて慣れているところではあった。ただ、今は。
「マリね、どしたの?」
「――――――ぅ」
きゅっと、服の裾を掴む幼子の両手。
……若し、今このとき、自分が過去の意識に取って代わられれば、等とマリエッタは考えて。
無垢な目でこちらを見つめる彼らが、刹那、濁った赤色の肉片となって千々に別れる様を幻視する。
逃げなければ。
逃げなければ。
逃げなければ。
此の身が、何時『自分』で無くなっても良いように。誰にも被害が及ばぬように。
思考は、子供達に対する躊躇いとなった。躊躇いは恐怖に変わり、軈てその恐怖は忌避と言う行いに転じようとしていた。
依頼を始めてから数時間経つ今まで、その衝動を耐え続けていたものの、遂に僅かに自らの足を子供達から退けようとしたマリエッタを、しかし。
「マリエッタさん」
「……!」
ユーフォニーの手が、引き留める。
「大丈夫、ですよ」
何時も通りの笑顔だった。何時も通りの声音だった。
それは、自らの変化を恐れるマリエッタに、さながら「普段通り」を思い出させるように。
「……マリね?」
「……。いえ、」
くいと、服の裾を掴んだままの子供が首を傾げる。
それに対して、マリエッタは漸く笑った。
「何でも、ありませんよ」
そう言って、彼女はもう一度ユーフォニーの顔を覗く。
片目の瞼を閉じ、口元に人差し指をあてて微笑むユーフォニーへ、マリエッタは困ったような笑顔を浮かべた。
苦笑の内実は、少しばかりの恥ずかしさ。
彼女はずっと、マリエッタに言葉ならず言い続けてくれていたのだ。
「恐れないで」と。「怖がらないで」と。
――「あなたの過ちを止めてくれる人は、もう、沢山いるのだから」と。
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「ユーフォニーさんには」
時刻は更に経ち、日が暮れるころ。
依頼を終え、家に帰る子供達と別れたマリエッタらは、依頼主である村長宅に向かっていた。茜色に差す陽の光を浴びる村の中、似通った髪色を微かなオレンジに輝かせる二人は、並んで道中をゆっくり歩いている。
「助けてもらって、ばかりですね」
「そうでしょうか?」
「少なくとも、私はそう思ってますよ」
ほんの少し、気恥ずかしげなユーフォニーの横顔を見て、マリエッタが唐突に足を止める。
それに、ユーフォニーが気付くよりも前。マリエッタは彼女の手をそっと掴んだ。
「……マリエッタさん?」
「私は。……『私』は『私』がいまだにわからないままで。
あの時、彼女に死血の魔女であると言われ、事実が並べられても答えは出ないままです」
手を掴むマリエッタに困惑したユーフォニーは、次いで発された言葉に対し、その表情を引き締める。
――答えを、聞く時が来たのだ。
「だから、あの時ユーフォニーさんがくれた問いへの十分な答えかは分かりませんが、確実に言えることはあるんです」
「……それは?」
「『私』は、『私』の過去も。
全部全部抱き止めて、未来へと進みます」
マリエッタは、過去を「受け入れない」。
けれど、その過去を「受け止める」。嘗ての自らの行いから逃げることをせず、ただ、それに呑まれることが無いようにと。
「――――――」
湖面のような面立ちのユーフォニー。
それを見返すマリエッタの手は、震えていた。
それは当然とも言えた。今告げた己の決意が正しいのか教えてくれる者は誰も居らず、縦しんばその思いが正しかったとしても、それに対して失った記憶に居る自分がそれすら呑み込む怪物であったのならという仮定は、この人間種の女性には大きすぎるほどの恐れだ。
……けれど。
「そうですか。
それなら、マリエッタさんが進む未来を信じます」
「……え」
ユーフォニーは。
それを疑うでもなく、更なる問いをぶつけるでもなく、あっさりと彼女の思いを信じると言った。
「おかしいですか?」
「だ、って。私は」
瞬間、マリエッタの胸中に去来するのは、彼女ら二人が参加した依頼にて相対した魔種の少女。
世界を敵に回してでも果たすと言う恨み。それを方々に振りまいた過去の自分という大きな存在への決意に、先の言葉一つが値するものなのかと。そう、マリエッタは問うて。
「何度だって、言いますよ。
私は、『マリエッタさんが』進む未来を、信じるんです。私以上に信じているふたりだっていますから」
――平凡な暮らしを好み、知識欲が旺盛で。
――誰かの面倒を見るのが好きで、得意で。それを「お母さんみたい」とからかわれれば、少しだけ慌ててしまって。
――時に冷酷な顔を覗かせて。後にそうなった自分に怯えて。それを人には知られまいと、何でも無いように振舞って。
ユーフォニーは、マリエッタ・エーレインという人間を「識っていた」。
なればこそ、あの短い答え一つを返すのに、どれほどの重みを感じたかを知っていた。それをこれから背負い続けると言う覚悟も十分に理解出来ていた。
だから、ユーフォニーもそれに応えた。余人にはあっさりとすら思えるほどの回答で、その裡にはマリエッタと同じほどの信頼を込めて。
……或いは。その信頼の裏付けとして、彼女はこうも言った。
「だけど。意思を持って進んだ先があのふたりの心を踏みにじるような未来であれば……その時は、私があなたをうちます。何があっても絶対に」
それは、ともすれば罪科を共に負うと言う覚悟の表れ。
例えマリエッタを大切に想う『ふたり』に恨まれようとも、今のマリエッタにとって大切な『ふたり』を、彼女自身が傷つけ、苦しめ、殺すことなどが無いようにと。
「『想いを反故にしてまで自ら進むのなら、この手を下すこともできる――』と、そういうことです」
――私だって、未熟ですから。と。
悪戯げに笑ったユーフォニーは、掴まれた手を握り返す。
マリエッタは、それに涙を浮かべた。けれどもそれを流すことだけはせず、瞳いっぱいにためこんだまま、ユーフォニーに対して笑顔を浮かべたのだ。
「……はい。ありがとう、ございます」
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気づけば、夕日すらも落ち切ろうとしていた。
すっかり暗くなってしまった村長宅への道行きを、しかし二人は恐れることなく。前へ前へと、手をつないだまま進んでいく。
(……安心してください、マリエッタさん)
道を過てば、この手でうつと、確かにユーフォニーは言った。
ただ、それが「撃つ」のか、「打つ」のか、或いは「討つ」のかを明言しないまま。
ユーフォニーがマリエッタに返した答えは本物だった。彼女が彼女の大切に想う人々を傷つけようものなら、その前に自分がマリエッタに立ちはだかろうと、確かにユーフォニーは決めたのだ。
けれど。それは決して、過去に呑まれたマリエッタを救わないと言う意味ではない。
(私は、必ず。
あなたをこの手で、皆の手で、止めて見せますから)
ともすれば、このパンドラを失おうとも、と。ユーフォニーは口に出さずにそう告げる。
過去に相対する決意を定めた少女が居た。
友人に相対する覚悟を決めた少女が居た。
その道行きが何処に繋がろうとも、今この二人は手を繋いだまま、先に進むことを恐れない。
――――――前途の暗闇は、最早二人にとって、何の障害にもならなかった。