SS詳細
いつか俺の海を飛びましょう
登場人物一覧
拝啓、ハイペリオンさま
いつか俺の海を飛びましょう
大陸じゅうを飛び回った、伝説の頃のように
カイトにはお気に入りのスポットがある。
海洋の英雄、太陽の翼にして風読禽。彼が信仰(?)するかみさまの聖地、ハイペリオンランドだ。
もうこの語感の時点で聖地というより遊園地だし、かみさまというよりマスコットなのだが、カイトにとってはその二つは同じ意味だし、なにより……。
「おはようございます。今日も良い天気ですね、カイトさん」
にっこりと微笑むハイペリオンさま。カイトはハンモックに揺られてお昼寝していたようである。
当たり前のようにハイペリオンランドの年間パスポートを持っている彼は、休日のレジャーをよくここで過ごす。ハイペリオンハウスなるドーム状の施設の中。大きな身体のハイペリオンに適して作られたこの場所は、出入り自由の空間だ。ハンモックやクッションがあちこちにあり、時々子供が入り込んで遊んでいる。
ハイペリオンは毎日こんな環境で気が休まらないのではと想ったりもしたが、さりげなく聞いてみれば『大地の子らが元気でいるのは嬉しいです』とほがらかに言ってくれた。
そう、これだ。
カイトがハイペリオンさまに感じているのは信仰というより……そう、母性。
太陽は母性を司ると聞いたことがあるが、ハイペリオンさまにはまさにそれがあったのだ。
「ハイペリオンさま」
身体を起こし、カイトは問いかける。微笑みが『なんですか?』と言外にこたえるので、カイトはこほんと咳払いをした。
恋人をデートに誘う感覚じゃない。神様に祈る感覚ともちがう。
なんだろう、家族と旅行にでかけようと切り出すような、安堵と恥ずかしさのミックス。
「休みの日に……空を飛びませんか」
「空を? カイトさんは、空を飛ぶのがお好きなのですか?」
優しく問いかけてくれるハイペリオン。出してくれたお茶に口をつけ、カイトは思わず空を見上げた。
透明なドームで覆われたハイペリオンハウスには、いつも空がある。雨の日も雪の日も、そして今日みたいに青く晴れ渡った日にも。
「ああ、そうだ……そうです」
カイトは寝ぼけた頭で普段の口調に戻りそうになって、ぷるぷると首を振る。
まるで実家のような安心感ゆえに口調がラフになりがちで、それを自制しようと敬語を交えるものだからここでのカイトはちょっと口調がヘンだ。前にそのことを話したら、ハイペリオンさまは『カイトさんが楽なしゃべり方でいいんですよ。ヘンなのがよければ、それでも』と微笑んでくれた。心からそう想っているのがわかる笑顔で。だから、あえてこの『ヘン』を維持している。少なくとも今日は。
「『風』があるよな。俺は風を読むのが昔から得意で、風をどんなふうに捕まえたら空を飛べるか……それが皆よりも上手かった。だから、飛ぶのは好きです」
不思議なもので、風にふかれているときはただの人であっても、風をつかまえている時は『世界』を感じる。世界の一部になって、自分が世界という部位の表面を撫でているような……そんな錯覚を時折覚えるのだ。
単に高所の環境とスピードでハイになっているのだといえばそれまでかもしれないが、仮にそうだとしてもカイトの空への愛着は変わらないだろう。
魔法と科学が同じものであるように、夢と現実もまた同じものだ。
そして最近抱いた夢が、ハイペリオンさまと一緒にこの青空を飛びたいというものだったのだ。
「けれどカイトさん。シャイネンナハトの夜にも一緒に飛びましたよね?」
「それはそれ、これはこれで」
両手で箱を動かすジェスチャーをするカイト。
「一人で飛ぶより、誰かと飛んだ方が楽しいのです。例えるなら……ツーリングです」
「つーりんぐ……」
ピンときてない顔でくり返すハイペリオンさま。母性と一緒にたまに見せる、この現代への無知さだ。
「一緒だと、嬉しいものなのですか」
「ハイペリオンさまだって、一人で踊るより誰かと一緒に踊ったほうが楽しいだろう?」
「その通りです。ああ……カイトさんにとっては、空を飛ぶことは踊ることと同じなのですね」
言われて、ふと気付く。
飛行をただの移動手段にしている人間は多いし、アクロバティックな飛行を戦闘技術として磨いている者も多い。
そんな中で、カイトは風とともにあり、そして風と共に踊っていた。
それが彼の器用な飛行術や、速度や、これまでの数々の戦歴を作り出してきた。カイトはそもそも、飛ぶことを楽しんでいたのだ。
「ああ……」
納得したようにぽんと手を打つ。
ハイペリオンさまはそれをおっとりと微笑んで見つめていた。
「そうですね。では来週……鉄帝の空島へお出掛けしますから、その時に一緒に行きませんか?」
「おお! 行こう行こう!」
カイトは思わず立ち上がり、そしてどこからか聞こえてきたケルト音楽にのせてステップを踏み始めた。
上機嫌に立ち上がり、踊り出すハイペリオン。
共に踊る。共に。
もしかしたら、それが世界のありかたなのかもしれないと、思えるほどに。
風をつかみ、撫でるように急上昇する。
加護をうけたせいで身体は軽く、そしてどこか温かい。
「普段はこんな風に行き来してるのか?」
「場合によりますね。今日は、カイトさんとお出掛けするためにこのやり方をしてみました」
ハイペリオンさまの口調はどこかはずんでいて、うきうきした様子が声音からも伝わってくる。
翼を広げゆっくりとはばたくその様は、上手に風をとらえた鳥のそれだ。
意外かもしれないが、一度風をとらえてしまうと飛び続けるのは案外簡単なのだ。鳥がすさまじい距離を飛行しわたっていくことがあるように、飛行とは時に力を抜いてのんびりと楽しむものでもあるのである。
チルミュージック、あるいはローファイなそれを思わせる空気は、世界をパステルカラーに魅せていく。
カイトは横を飛ぶハイペリオンをちらりと見て、そしてハイペリオンもまたカイトを見返す。
「ハイペリオンさま……力が随分戻ってきたみたいだし……そのうち、海洋の空も飛ばないか」
「カイトさんの故郷ですね。それは、とても楽しみです」
笑うハイペリオン。胸がぽっと熱くなり、カイトは思わず笑顔になった。
温かいのは、加護だけのせいじゃない。
心の中にともった太陽が、カイトを暖めてくれていた。
「俺は見せたいんだ。英雄と旅し、昔みた景色が今、どんな感じになっているのか。守った世界の人々の暮らしを」
「はい……」
ハイペリオンが遥か遠くを見つめている。
勇者を背に乗せて飛び回った日々を思い出しているのだろうか。
ぼんやりとした記憶のなかに少しずつ手元に降りてきた、大切な大切な思い出を。
カイトはそこにはいないけれど、これから紡ぐ思い出には、そしてハイペリオンさまが目覚めてからの思い出には、ずっとカイトの姿がある。
「いつか一緒に見よう。海洋も、他の国々も、豊穣なんかにも行ってみたい」
「そうですね。いつかきっと……平和な空を飛びましょうね」