SS詳細
触れあうまで
登場人物一覧
二人でいる時間は、落ち着く。結婚式はまだ挙げていないけれど、望乃とフーガは夫婦だ。友達よりちょっぴり進んだ関係から、二人で手を伸ばしあって手に入れた形。
この世界には、平和な場所もそうでない場所もある。今日が何もなくても、明日は大きな出来事があるかもしれない。ただ、それでもと言うべきか、だからこそと言うべきか。こうして二人きりで過ごせる時間は、幸せで、大切だ。
部屋に置かれた大きいソファーは、薄い緑色で、自然の色に近い。だから腰かけていると落ち着くし、なんだか癒されるような気持ちになる。
ソファーの傍に置かれたぬいぐるみはシマエナガ。もふもふとした姿が特徴の鳥だ。そのシマエナガのぬいぐるみを抱えた望乃は、その柔らかな毛をふわふわと触り、隣に座るフーガに寄り掛かった。
「どうしたんだ?」
「何となく、です」
望乃がふにゃりと微笑めば、フーガは照れたように頭を掻いて、それから望乃の部屋着のフードをぱさりと被せる。突然視界が狭くなった望乃が、「わ」と小さな声を上げた。
望乃の部屋着はもこもこで、フードはシマエナガの顔がプリントされている。フードで顔が半分ほど隠れた望乃があわてている姿は、小鳥が近くでぱたぱたと羽を動かしているようにも見える。それを眺めるフーガは望乃を抱きしめたい気持ちと、いきなり抱きしめて驚かせたくない気持ちの間に挟まれることになった。
(ほんとうに、可愛いな)
抱きしめるのも、口づけるのも、初めてではない。想いを伝え合ったときに初めて望乃に触れて、胸が大きく音を立てた。それから何度かキスもしているけれど、慣れることなんかなくて、いつもいつも、どきどきしている。
(フーガ、もしかして)
フーガの様子に気が付いた望乃が、フーガの部屋着の袖をきゅっと掴んだ。
望乃は年下で、フーガは年上だ。恋愛経験がどれほどあるかという話はともかく、フーガの方が大人であることは確かだ。だから彼と同じようになりたくて、背伸びしたくなる。
フーガは望乃をお子様扱いすることはしない。リードしてくれることはあるけれども、どちらかと言うと、共に歩いてくれる人、という印象が近い。だから一生懸命背伸びしなくても、ありのままを受け入れてくれるだろうとは思う。そうは分かっていても望乃からフーガをどきどきさせてみたいのは、やはり彼のことを想っているから。
「今日は、グラオ・クローネですね」
グラオ・クローネは感謝を伝え合う日でもあるけれど、チョコレートを贈る日でもある。だからこの特別な日に理由をつけて、愛する夫をどきどきさせてみたい。
「漫画で、読んだんですけど」
望乃が取り出したのはポックーというお菓子。棒状のクッキーをチョコレートでコーティングした、さくさくとした食感とほろにがい味が特徴のものだ。
「ポックーゲームって、知っていますか?」
望乃がほんのり顔を赤くして尋ねると、フーガはうーんと首を傾げ、それから知らないなあと呟いた。しかし望乃が赤くなっていることに気が付くと、つられて表情を変えた。
「えっと、その」
こんなに照れながら説明するつもりはなかった。そう望乃は俯きながら、もじもじと言葉を選び始める。
「ポックーの端と端をくわえて食べすすめるんですけど」
ポックーゲームを知らない人に、それが何かを説明しないといけないのは、恥ずかしい。だって、「キスする」って言わなくてはいけないのだから。
「先に口を離した方が負けで、お互いに離さなかったら」
キスすることになります。呟いた一言はあまりにも小さかったが、フーガにはきちんと聞こえていたらしかった。先ほどまでのぽかんとしていた表情から徐々に口元が動き、やがてその顔が真っ赤になった。
「キミ」
フーガがほんの少し躊躇って、それからゆっくりと唾を飲んだ。
「やるかい?」
ほんの少しいたずらっぽく笑ったフーガに、望乃はかくかくと頷く。
「あ、は、はい」
手を広げたフーガの元に望乃が近づくと、すっと抱きかかえられて、そのまま膝の上に乗せられてしまった。フーガの体温が近くてどきどきする。
望乃がポックーを一本取り出して加えると、フーガが一瞬目を逸らした。
「じゃあ、始めようか」
望乃が頷いたのを確認して、フーガもポックーの反対をくわえる。望乃の香りがぐっと近くなって、どきりと心臓が音を立てた。思わず噛んでしまったポックーの端が折れる。
(もっと、ゆっくり)
多分こういうのは、唇と唇が触れあうまでの時間を楽しむものなのだと思う。お菓子をさくさくと食べてしまうのは勿体ないし、もっとこの時間を楽しみたい。フーガが思い切って望乃の背中に手を回すと、望乃の身体が小さく震えた。ぱきりと音がして、二人の距離が縮まる。
望乃の手が迷いながらフーガの胸に触れて、とくとくと音を立てる場所を探す。
時折ぎゅっと目をつぶって、それからゆっくりと目を開ける望乃。時折フーガと目が合って、その度に唇が近くなる。背中に回された手が優しく背や腰をさするから、その度に胸がきゅっと音を立てた。
(わたしがどきどきさせるつもりだったのに)
元々どうにか大好きな夫をときめかせたいと思って始めたポックーゲームだ。可愛らしく唇をとがらせて、フーガをきゅんとさせるつもりだったのだ。それなのに、「大切にしている」と伝えてくるような抱きしめ方をされて、背中をさする手が時折首筋や耳にまで触れていく。どきどきさせられているのは望乃の方だ。
ぱきりぱきりとポックーが短くなっていく。近づいていく唇に、心臓の音がフーガにも聞こえてしまいそうだと望乃が心配したとき、ぱきりと中央が折れた。どちらが口を離したわけでもない。引き分けだ。
何とも言えない表情をしたフーガが、残りのポックーをさくさくと食べていく。望乃もそれにならって小指ほどの長さもないそれを食べきると、ゆっくりとフーガの手が望乃の頬に添えられた。
「え」
小さな驚きは、フーガの唇に塞がれた。優しく触れるように、時折啄むように、フーガの唇が重ねられる。
「ごちそうさまでした」
離れていく温もり。望乃があわあわと自分の唇を押さえると、フーガは照れ臭そうに頭を掻いた。
かぁと望乃の顔が赤くなっていく。期待していたのはそうなのだが、だけど、やっぱり。
「望乃は可愛いな」
夫をどきどきさせようと頑張る妻がかわいくて、ついキスしてしまった。望乃が耳まで真っ赤になっているのも愛らしくて、フーガの口元が緩む。
「愛しているよ」
「わたしも、愛しています」
フーガが腕を望乃の身体に回す。
「もう一本、やっていい?」
耳元で囁かれた言葉に、望乃はこくこくと頷くのだった。
おまけSS『赤薔薇の唇』
望乃の顔が湯気にたつほどに真っ赤になったところで、ポックーゲームはお開きとなった。フーガもまた自分の頬が熱くなるのを感じながら、同じように熱くなった指先で望乃の頬を撫でた。
顔全体が火照っているせいか、望乃の唇が普段よりも赤くなって見えた。唇で触れていた柔らかさを思い出して、指先を頬から赤い薔薇に添わせる。
「フーガ?」
望乃の頬は深く色づいたまま。花弁のような唇も染められたまま。それがあまりにも可愛らしくて、また食べたくなる。
「フーガも真っ赤ですよ」
「やっぱりそうか?」
「そうですよ」
ふにゃりと笑う望乃に、フーガもまた笑い返す。またキスしたいけれど、このままでも自分も顔から湯気が出てしまう。ひとまず休憩しよう。
可愛い妻と甘いひと時を過ごせることが幸せで、フーガはもう一度微笑んだ。