PandoraPartyProject

SS詳細

竜胆のあなた

登場人物一覧

澄原 晴陽(p3n000216)
浅蔵 竜真(p3p008541)

 ――3/14に予定を明けていて欲しい。
 竜真から晴陽に送ったメッセージは簡素なものだった。二人で会いたいという旨を伝えたときに彼女は少しばかり戸惑ったことだろう。
 あの時、想いを伝えてからどうするべきかと考え倦ねた。勿論、晴陽があの時答えられなかった理由に行き着いたわけでは無い。ただ、性急すぎた事の進めが大きく彼女を揺らがせたのは確かだったのだろう。
 生まれて初めて抱いた恋心。その行く先のアプローチにはまだまだ気付かぬままだが、それでも『恋をしたから』には、きちんとその行く先を定めておきたかった。
 晴陽の事を詳細には知らなかった。好ましいチョコレートは何かと考えて水夜子に連絡してみたが「キャラ物だと喜びそうだ」とも伝えられた。
 確かに、彼女が好きな品物は大人の女性というよりも、可愛らしい――いや、可愛いと云うよりも少しばかり横に逸れたぶさいくな――キャラクターが多いようにも思える。
(……本当に、これが良いのか……?
 このデブアザラシを晴陽さんが……いや、確かにそういうものが好きだった記憶はあるが、こだわりがあるのでは……?)
 何とも言えないでっぷりとしたあざらしがパッケージのチョコレートを前にして竜真は頭を抱えた。
 それが好きなのか、嫌いなのかはさて置いて、『これを本命チョコレート』と言って良いのかと困惑したのだ。
 勿論、水夜子は『ぶさいくさんがいいですよ』と念を押してきていた。目の前のキャラクターは不細工と可愛いの境目で丁度良いあんばいであるようにも思える。思えるが――これが『本命』なのだ。
 しかも今日はホワイトデーである。そんな日に、でっぷりとしたアザラシ。竜真は考え倦ねたが、取りあえずは数個手に取ってみることにした。
 そう、3月14日の『ホワイトデー』に会う約束をしたが、晴陽からチョコレートを送って貰ったわけでは無い。お返しとして用意しているわけでは無く、竜真が晴陽へチョコレートを送りたかったという理由でチョコレートを選んでいるのだ。
 日頃、忙しなく過ごしてる彼女に贈り物をしたい。そんな素直な気持ちを伝えれば水夜子は「姉さんはチョコレートと一緒にマスコットを渡すと喜びますよ」と伝えられたものである。
(喜んでくれると良いが……)
 一応は水夜子の助言の通りに用意したチョコレート。味は数種類合ったが、それも水夜子のアドバイス通りビターチョコレートを選択した。
 曰く、晴陽は珈琲や紅茶を口にする機会が多い為、甘いよりも其れ等と共に食べられるものを好むのだそうだ。
 其れで良いのかと考えながらも約束の場所へと赴けば、晴陽は未だ来ていなかった。
 手渡すことが出来たならば早めに帰ろうと竜真は考えて居た。彼女に気持ちを伝えてからと言う物のどうにも晴陽は不安そうな表情を見せることが多かった。
 恋愛という情に対して晴陽が感じているのは何か、それには行き着いていないからだ。
 晴陽の過ごし方も、好きな食べ物も、何もかもを知れていない竜真にとって少しずつ歩み寄り、気持ちを伝え直すことが今は必要なのだ。
 それから――晴陽の側からも、どの様に歩み寄るかの時間が必要なのだろうとも考えて居た。
「お待たせしましたか」
 時間ギリギリにはなったが、晴陽は白衣を脱いでコートを着用したのだろうと思わしき格好でやって来た。病院勤務である以上は激務なのだろう。
「大丈夫だ。大丈夫だっただろうか。その、忙しかったんじゃ……」
「ああ、いえ……大丈夫です。出掛けの前に少しばかり用事が入ってしまいましたが……心配させてしまいましたね、申し訳ありません」
 背筋をピンと伸ばして困ったように肩を竦める。その仕草も出会った頃には見られなかったものだ。イレギュラーズと関わるようになってから晴陽自身は随分と感情の表現が豊かになったようにも思えた。
 待ち合わせ場所に指定していたのは近場のカフェであった。珈琲をテイクアウトして少し歩こうかと晴陽を誘う。柔らかな陽射しは春を含み、少し歩くだけでも冬物の衣服では汗ばんでしまいそうでもあった。
「これだけ暖かいのですから散歩も良いでしょうね」
「ああ。晴陽さんはよく散歩をするのか?」
「気晴らしに、ですが。……まだ桜には早いでしょうし梅も散り始めてしまっているでしょうから、花見という洒落た物はできませんが」
 散策程度ならば道を教えられると言う晴陽について行くことにした。リフレッシュを兼ねているからなのだろう。
 人気の無い道を選び、小さな公園でよく休息を取るのだという晴陽。そんな彼女の日常を垣間見えることが出来て竜真は少しばかり嬉しくなった。
(出会った頃は、人と関わることにも極端な拒否を見せていたのに……人間は変わるモノなんだな……)
 竜真は前を進む晴陽の背中を見ていた。にこりと笑う事も無ければ表情自体の変化も乏しい彼女は、よく観察すれば案外豊かな感性を持っているらしい。
 例えば、水夜子がセレクトすることを勧めたでっぷりとしたキャラクター達。晴陽の表情はさして変わらないかも知れないが喜んでいることが仕草から伝わってくるはずだとアドバイスまで含まれている。そうした細かな仕草や表情の変化から彼女を知っていくことの始まりなのだろう。
 少しばかり歩いて辿り着いた公園は遊具と呼べる物は対して存在せず人の気配もなかった。こじんまりとしたその場所でよく休憩をして居るという晴陽はベンチにハンカチを敷いてから「どうぞ」と竜真を促す。
「あ、すまない」
「いいえ、汚れますから」
 普段からそうしているのだろう。ポーチから予備のハンカチを取り出してから晴陽は腰掛ける。珈琲はブラックを好むようだが今日はカフェラテを選んでいた。
 理由はそのカフェラテを注文すると珈琲ショップの可愛らしいキャラクターのグッズが一つ付いてくるという理由らしい。そうしたものを好ましく思うのも、関わってみなくては分からないことだっただろう。
「晴陽さん、突然だけれど少し良いだろうか」
「はい。何でしょうか?」
「……渡したい物がある」
 竜真は抱えていた紙袋をそっと差し出した。紙袋だけでは中身は分からない。折り畳んだ贈答用に添えられたファンシーな紙袋も汚さないために百貨店の紙袋の中に入れっぱなしだ。
 差し出された袋をまじまじと眺めていた晴陽は「それは?」と乾いた声音で問い掛けた。
「これ、ホワイトデーのチョコレート。変なものは入ってないから、食べてほしい。……本命だからさ。
 後で感想は貰えると助かる。晴陽さんのこと、好みとかなんでもいいから知りたいんだ。俺はまだ貴方のことを全然知れてないし」
「……本命」
 晴陽はそう呟いてから真っ直ぐに竜真を見た。大人として見て欲しいと告げて居た彼の、子供のようなどこか不安げな表情を見て晴陽は唇を引き結ぶ。
 晴陽も、向き合うときが来たと認識したのだ。それが『大人』としての責務のように感じられて、どうしようも無く唇が重く感じられる。
「有り難うございます」
「……晴陽さん?」
 受け取らず手を下げたままの晴陽は、目を伏せてから唇を震わせた。緩やかに言葉を紡いでは見たが、どうしようもなく苦い響きになってしまう。
 言い淀んでいたのは彼を――『友人』を傷付けることが怖かったからだ。
「ひとつだけ、貴方に伝えておかねばならないことがあります。チョコレートも、『本命』を頂くのなら……しっかりと、伝えなくては」
「……うん」
「私の為に後で、と……何時かで良いと仰って下さる度に私は目を背けてしまいますから……それでは、ダメでしょう。
 私が、貴方を振り回しているような物ですからきちんと向き合わせて下さい。それが今必要な事であると思いますから……」
 晴陽は困ったように肩を竦めた。竜真にとっては初めて見た晴陽の表情であった。困ったような微笑みは弟である龍成によく向けるものだ。
 ――貴方のことを全然知れていないし。
 そう告げた竜真にとって晴陽が何を伝えようとしているのかの見当は付いていた。本来ならば余り聞きたくはない言葉なのかも知れない。
 だが、その先の言葉を聞かなくては此の儘の関係性が続いてしまう。晴陽は竜真の好意その者から逃げ回り、竜真自身も晴陽の事を知れぬ儘である。
「……分かった」
 ゆっくりと頷いた竜真を見てから晴陽は静かに息を吐いた。
「好意をストレートに伝えて下さった時……私は、怖くなりました。
 私は人の感情の機微には疎いです。そも、好かれる事はあまりありません。だから、あの時あの様な反応をしてしまいました。
 私は嫌われることはあれども、好かれることは少なかったのです。私も、善人ではありませんから」
「……善人ではない?」
「はい。竜真さんが私を救いたいと仰った時、少しだけ困ってしまったというのは本音です。
 心咲を前にした私は余りにも無力でしたから、そう思って下さったことは有り難いのです。ですが、普段の私は……私は救われたいなどと思っていませんでしたから」
「……」
 正義の塊。英雄と呼ぶべき存在価値。人の生死に対しては諦観を有しては居るのだろうが、それでも救済に対する気持ちは本当である。
 英雄と世界救済。躊躇うこと無き、人を救うための腕。
 それこそが浅倉竜真を作っている。彼の根幹である救済を晴陽は拒絶していたのだろうか。その事に竜真はぐ、と息を呑んだ。
「……私は必要であれば人が死んでも良いと思っています。貴方も、同じでしょうけれど。
 それこそ、龍成のような、大切な存在は居ますが……イレギュラーズは利用価値があると考えて居ました。
 それがこの都市を平穏に保つために必要ならば、切り捨てる覚悟が出来ていましたから……ですから、怖くなったのでしょうね。
 貴方のように、人のために真っ直ぐに生きている方の好意が。私は、誰であろうとも希望ヶ浜を保つためなら死んでしまえと、思って居たのですから。
 もしも『龍成があの時、祓い屋を前に死んでしまっていたら』、私はローレットを排斥するために動いたでしょう。それこそ、己の知識を利用して……ね?」
 困り切ったような顔をした晴陽は竜真のような『真っ直ぐな青年』の恋心を受け止めることは彼の信念をへし折ることと同義だと考えて居たのだろう。
 澄原 晴陽は決して善人では無い。夜妖に対するイレギュラーズのスタンスを見るために敢て患者の治療を怠った事もある。それは、イレギュラーズが不穏分子であるかどうかの確認であったのだ。
 澄原 晴陽は悪人では無いのだろう。だが、善人でもない自身が英雄のような『正義』の塊の青年の好意を受けるのは余りにも、その信念を穢す気がしてならなかった。
 晴陽にとって、救われて欲しいのは自分では無く寧ろ周囲の人間だった。
 責務を担って茨の道であれども躊躇わずに進んで来た自分の為に、幼い頃から教育を施されてきた水夜子も。自分が『そう』であったが故に道を踏み外した龍成も。
 己の所為で苦しむことになった誰かに手を差し伸べる人が居て欲しかった。龍成が笑顔を浮かべているのを見て安堵したのだ。水夜子が張りぼての笑顔を捨て去れたらと願わずには居られない。
 だから――
「私を知りたいと仰って居た竜真さんだからこそ、私のスタンスを言うべきだと思っていました。
 勿論、今の私にその様な事を起こすつもりはありません。龍成だって生きていますし。だからこそ言えずに、居ましたが……」
「晴陽……さ、ん」
「ですから、先の告白にしっかりとお返事をさせて下さい。
 ……ごめんなさい。私は、貴方の気持ちには応えることが出来ません。
 あの時、そう言えたら良かったのに。友人を喪うことが、いいえ、私にとって『弟のような』貴方を傷付けることが恐ろしくなってしまいました」
「いや……、そうか。そうだな、晴陽さんはしっかりとあの日の答えがないと、進めないなら、俺もそれを聞かなくちゃならない」
 一つずつ進んでいかなくてはならない。戸惑わせてしまっている上に、迷惑を掛けたかも知れないと竜真は考えて居た。
 性急に応えを聞こうとするわけではなかったが――彼女にとっての一つのけじめだというならばそれを受け止めなくては前に進めないのだろう。
「今すぐに、そう言う対象で見て貰おうとも思ってない。だから、晴陽さんの今がそうであっても構わない」
「はい」
「この感情を、受け止めて貰おう事だって、難しいと分かってる。けれど……向き合ってくれた事は嬉しく思う。
 いつか、俺のこともそう見てくれれば、と……そう、思う。」
「はい。……貴方の信念を、気持ちを、全てを傷付けるかもと目を背けてごめんなさい。
 本当は向き合えてないのかも知れませんね。……私は、その先を未だ見れてやしないのかもしれませんから」
 結局は傷付けてしまったのだから意味は無かったかと晴陽は苦い笑みを浮かべた。
 彼女の笑顔を見るだけならば、弟のようだという評価を甘んじれば簡単なのだろう。だが、竜真にとっても初恋だった。それだけで諦めきれる物では無かったのだから。
「いや……大丈夫だ」
「ありがとうございます」
 頭を下げた晴陽は竜真の手にしていた紙袋を受け取ってから「可愛いですね」と頷いた。でっぷりとしたアザラシはどうやらお気に召したらしい。
「これ、頂きますね。有り難うございます。頑張って選んでくれたのでしょう」
 竜真が自分自身で選ぶとは思えないような、可愛らしいキャラクター。彼が晴陽の好みを考えてくれたことは良く分かる。晴陽は「可愛いですね」と贈答用の袋をまじまじと眺めてから目を伏せた。
「有り難うございます。困らせてしまって、申し訳ありません」
「いや……」
「大切に、頂きますね。何時も、キャラクターものを頂くと飾ってはならないと皆さんに言われるのです」
 部屋にマスコットキャラクター達を飾っているのだと可笑しそうに笑って告げた晴陽はゆっくりと立ち上がる。紙袋を大事そうに抱えた彼女を追掛けて竜真は立ち上がった。
「また、何処かに出掛けましょう。今日は誘ってくれて有り難うございます」
「いや、此方こそ。……晴陽さんの気持ちを聞けて良かったと思う」
 それならば良かったと晴陽は頷いた。何時も通り感情の機微は薄く、表情も僅かに程度しか変わらないが――それでも、彼女が『困った笑顔』だったことは良く分かる。
 傷付かないで居て欲しいと願ったのだろう。自分の思う全てを答えてしまうことがどれ程に恐ろしい事であるかを彼女は分かって居たのかもしれない。
 当たり障りの無い会話をして、別方向に歩き出してから晴陽は紙袋の中からチョコレートを取りだした。
 ビターチョコレートを梱包していた可愛らしいでっぷりしたアザラシを眺めてから「頂きます」と小さく呟く。
 口腔に放り込んだそれは甘く、少しほろ苦い味がして居た。

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