SS詳細
ささやかで、しかし穏やかな。
登場人物一覧
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「あー……」
森の中にひっそりと建つ洋館。人間、幽霊、妖精など多種多様な種族が棲まう其処で、館の主たるクウハはキッチンで頭を掻いて唸っていた。
「…….クウハ? どうしたんだ、そんなところで唸って」
唸り声が聞こえたのか、キッチンに顔を覗かせたのはクウハの恋人のファニーだ。その手にはマグカップを持っており、読書の供に何か飲み物を淹れにでも来たのだろうと想像がつく。
「おう、ファニー。大したことじゃねえんだ。ストックしてた食材がそろそろ切れそうでな……買いに行かねえとって思って在庫確認してたとこだ」
「ああ、じゃあオレも行くよ。荷物持ち要員は必要だろ?」
この洋館は森の中にあり、かつ食事を摂る住民は少なからず居る。当然、買い出しに行く時は大量の食材をまとめ買いしがちだ。最近この洋館に越してきたファニーもそれは承知していたため、迷わず同行を申し出た。……
「そうだな、悪ぃが付き合ってくれ。ファニーと一緒なら神殿経由で楽に移動できるしな」
「悪いなんて言うなよ。此処の世話になってるんだから当然だろ」
そう2人で笑い合い、貯蔵室や冷蔵庫、冷凍庫の在庫状況を2人で確認する。生鮮食品、調味料、保存食……あれが足りない、これがそろそろ無くなりそうとメモに書き留め買い物リストを作るとお財布にメモを挟み込み、エコバックも準備完了。いざ、買い出しへ。
「……なぁ」
「ん? どうしたファニー?」
「……手、繋いでいいか」
「なんだ、遠慮するなよ」
服の裾を小さく引くファニーの手を取って、クウハは穏やかに笑った。
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「卵10個90Gold! 卵10個90Goldでーす! お1人様1パックまで!」
「新鮮ミルク1Lで120Gold! ご奉仕価格だよー!」
「本日はほうれん草がお買い得です! おひたし、胡麻和え、ナムルはいかがですか!!」
ワイワイ、ガヤガヤ……。
クウハとファニーの訪れた練達のスーパーはまさにそう表現していいくらいの活気に包まれていた。所狭しと並んだ商品、行き交う客の群れ、その合間を縫って忙しく動き目玉商品を叫ぶ店員……、とにかく目まぐるしい、賑やかな喧騒が耳を叩く。
「うおお……
「流されてはぐれんなよ、ファニー?」
普段こういった場所に訪れることの少ないファニーは思わず眼を瞬かせた。その恋人の様子に苦笑しながらクウハがカゴとカートを持ってくるとファニーもハッと我に返ってカートを押す役を買って出る。
「何から買うんだ、クウハ」
「冷凍食品は最後にして……とりあえず牛乳なんかの飲み物だな。それから肉のタイムセールに行ってその後に魚を買って、調味料と野菜と……」
「ああ、溶けるもんな冷凍食品……まとめ買いするときは順番も大事と。勉強になる。因みに今日の夕飯は?」
「何がいい、ファニー?」
「……ビーフシチュー」
「OK。じゃ、人参は星形にしねえとな」
その本性は悪霊であるクウハだが、彼は意外にも家庭的な面を持っている。特に料理が好きで、こういった買い物をする際には複数の店のチラシを見比べ、いい物をより安く買える店を選択するという主婦の様なマメさを持ち合わせている。今日選んだこのスーパーを訪れたのも肉のタイムセールがお目当てだ。最近は『味覚』が発達途中のファニーのために味を調節したり、目で見て楽しい様に野菜を星形にくり抜いてやったりとその面倒見の良さが遺憾無く発揮されている。ファニーも自分のためにあれこれ手をかけて料理をしてくれるクウハに深く感謝をして、自身の舌を色んな味に慣らしているところだ。
「さぁて。走らず急ぐぞファニー、さっさと飲み物を買わねえと。間も無くタイムセールだ」
「そんな急がなくてもいいんじゃねえか? まだ始まってすらいないだろ」
「甘いな」
クウハは不敵に笑う。
「戦場だぜ、あそこは」
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「いや〜、大漁大漁。やっぱ肉のタイムセールと聞けば逃せねえぜ」
「……ポルターガイストまで使うんだもんな、おまえ……ありゃ驚いた」
15分後、そこにはホクホク顔のクウハと唖然とした表情を見せるファニーの姿があった。カゴの中には戦利品の値引き肉がどっさりと入っている。カゴを押しているため、遠くからタイムセールの様子を観戦していたファニーだったが……あれに巻き込まれたら骨の自分は全身砕かれそうだな、と率直にそう思う。
「使えるモンは使わねえと損だろ。……っと?」
カゴの中にいつの間にかミートボールが入っている。買い物リストには入っていなかったそれが、誰の仕業で入っているものかわかっているクウハは苦笑して
「オマエ、本当ミートボール好きな? いつ入れたんだ?」
「あ、やべ、バレた?」
口では悪ぶってそういうものの、ファニーは照れた様に笑って
「館の
そんな恋人の様子に可愛いと思いつつ、クウハはそっとファニーのまろい頭を撫でる。実際に洋館の幽霊達は子供が多く、特にクウハの主人が設置した祭壇で幽霊達に供物として料理を提供できる様になってからは彼らからの食事のリクエストは多岐に渡る、その中でもミートボールを使った料理は人気なので備蓄としてもう2、3パック買っていってもいいぐらいだった。
「……いや、いっそ自作するのもありだな。その方が安上がりか……?」
「! 作れるのか、ミートボール!?」
ああ、
「次のタイムセールはひき肉を大量に狙ってみるか。丸める作業が大変だから、その時は手伝ってくれるよな?」
「ああ、わかってる。ラップを使えば出来るだろうし……なんでも手伝うよ」
こくこくと頷く
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魚、調味料、保存食も各種補充し、所変わって野菜コーナー。
「人参、じゃがいも、玉ねぎは自分で袋詰めのが安いな。それからマッシュルーム、後は……お、大根が安い。キャベツ……は? 1玉で190G? クソが、この間のうちに買っときゃよかったな……あとさっき言ってたほうれん草はおひたしに……」
完全に主夫。イキイキとした様子で野菜の値段を確認し、新鮮な野菜を選んでカゴに入れていくクウハを見ていると彼が悪霊であるという事実以上に彼の生来の細やかな気性が垣間見える様だった。ファニーはキャベツや玉ねぎの良し悪しはわからないため、カートを押す以外はできることが無いというのも若干申し訳がない気分がしてしまい、何かできること……と考えていると、ふとファニーが「あ」と思い出したように声を上げた。
「……なぁ、ビーフシチューってルーが要るだろ。取ってこようか?」
「おっ、そうだったな。頼んでいいかファニー?」
「わかった」
ファニーはカゴから離れスーパーの奥へと向かっていった。ビーフシチューのルーやカレールーが並んでいるコーナーは多少離れた所にあるが、そうは言ってもさほど広くもないこのスーパーの中ではすぐに戻ってくるだろう。クウハはそう思ってカゴを押しながら更に野菜を入れていく。ねぎ、ピーマン、小松菜、ごぼう、レタス……野菜も一部は適切に処理すれば冷凍保存が可能だが、肉や魚に加えて野菜も冷凍するとなるとなかなか冷凍庫の圧迫も激しい。やはり主人に頼んで保存の魔術を仕込んだ保存庫を作ってもらうべきだろうか、と多少悩む。そうしている内にあらかた必要な野菜を書い終わってクウハは周囲を見回した。
「……なかなか戻ってこねえな、ファニーの奴」
正確な時間こそ測っていないが、このスーパーでルー1つを取ってくるには少々遅い時間だ。もしかしたらスーパーの中で迷ったかもしれないとクウハはカートを押して辺りをうろうろして
「……なるほど……ケーキってそこまで難しいもんじゃないのか……」
「うん? ケーキ作りたいのか?」
「どわっ!?」
ファニーは急に声をかけられたことに驚いた様で手の中から調理キットを逃がし、ファニーの手は慌ててそれを地面に落とさない様に数度の追いかけっこを繰り広げる。
「何してんだよ」
呆れた様にクウハは笑い、ポルターガイストで調理キットを捕まえてやり棚に戻してやるとバツが悪そうにファニーは振り返った。
「悪ぃ。つい目を惹かれて読み込んじまった。ちょっとだけ興味があってな」
「モノにもよるが案外簡単だぞ。今度教えてやるよ」
「……ああ。その時は頼むよ」
その前に、ちょっとは練習しとかないとな……とファニーは心の中だけで呟くと、後でこっそりこの調理キットを買いに行くことを決意しつつ抱えていたビーフシチューのルーの箱をカゴの中に入れる。
「おう、まかせとけって。……さ、後は冷凍食品買って終わりだな」
ビーフシチューのルーの下にしれっと隠してカゴに入れたチョコレート数枚を、クウハは見なかったことにしてやった。
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「おおー……すげー。レシートってこんな長くなるんだな」
ファニーはゆうに40cmはありそうなレシートを両手で広げて天に翳した。時折見せる、この少年っぽい無邪気さは当初の彼の印象とは想像が付かないものだったが、かといってそれが嫌いではなくてクウハは微笑ましく彼を眺める。
「だいぶ買い込んだしなぁ。
「ん、半分寄越せよ。そのために来たんだから」
「それじゃあ、遠慮なく」
ファニーに軽めの袋を1つ渡すと、「もっと持てる」と文句が飛んでくる。クウハはそれに悪戯っぽく微笑むと自身の手を差し出した。
「片手は空けておく必要があるだろ?」
「〜〜っ、おまえって奴はさぁ……!」
ファニーは骨身だというのに思わず紅潮した顔を隠す様に空いている片手で覆った。ファニーにとっての一番星は、照れもなくこういうことをするものだからタチが悪いのだ。少ししてファニーがおずおずと手を差し出すとその手をしっかりと握り、クウハは満足そうにとろりと微笑む。
「帰ったらさ、野菜の皮剥きを手伝ってくれよ。それから型抜きも」
「ん、もちろんだ。ついでにさ、包丁で皮を剥くコツとかも教えてくれよ」
「別にピーラーでいいだろ、ああいうのは。……そんな顔すんなよ、教えないとは言ってないだろ?」
「むう……」
「器用なんだから回数こなせばすぐ慣れるさ」
こんな些細な会話も愛しく、ファニーはもう少しこの時間が続けばいいのにと名残惜しく思いながらクウハの手を握り返す。2人は睦まじく手を繋いだまま、館への家路をのんびりと帰っていった。
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【クウハ、ファニー、おかえりーっ】
【今日は何作るのー?】
【ハンバーグ?】
【オムライス?】
【違うよー、ビーフシチューのルーあるもん】
【らぶらぶ?】
【お土産は? お土産は無いの?】
【あ、ミートボール! 僕これ好き!】
【うぇー、私ピーマンきらーい】
【人参使うならきっと星形にしてね、クウハ!】
【ファニー、遊ぼうよー】
「だああああ、一斉に喋んなオマエら! 勝手に袋から食材を漁るな! ただいま!」
「heh……ただいま。人気者は辛いなクウハ」
洋館に帰ると子供幽霊達が一斉に2人を出迎えてくれた。
「ほら、今から料理するんだから一旦散れ散れ。行くぞファニー」
「ああ。みんな、夕飯楽しみにしててくれよ?」
しっしっと子供幽霊達を追い払うクウハの手つきと言葉は棘がある様に思えて、その声音は優しい。子供幽霊達も素直に「はーい!」とそれに従ってまた各々好きな所へと向かう。……何人かは厨房の方角に向かっている様に見えた。
今からこの大量の食材を仕分け、食材によっては下処理をして、保存し、それから夕飯の準備。隣にいる恋人や館の住人達の手伝いもあるとはいえ、随分な重労働の様に思える。だが、それをあまり苦とは感じないのはクウハにとってそれが、……そう、『悪くない』と思えるから。そんな日常を、クウハは愛しているのだ。
それはファニーも同じだった。こういう『幸福』をこれからも分け合いたい。手放したくない。そんなふうに思いながら、いそいそとクウハの後を追って厨房へと向かうのだった。