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聞こえない願い
登場人物一覧
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その命令を下した人物のことを、イルミナは説明ができない。
どこの誰とも知らない、特徴にひとつもわからない。しかしおそらくは、イルミナがどういうものかを知っている。そのような人物は心無く彼女にそれを言い渡した。
「イルミナ・ガードルーン。『命令だ』」
それだけで、イルミナの個性というものは完全に機能を停止する。意思表示を停止する。反論抵抗を停止する。個人尊厳を停止する。
完全に、命令を承るだけの状態に移行したイルミナは、その場で直立不動、ただただその人物の言葉を待った。
「ひとつ、『ターゲットを殺せ』」
「はい、ターゲットを殺します」
ターゲット。そう言って見せられた写真の人物に、イルミナは見覚えがあった。学友。クラスメイト。先日も、小テストのための復習ができていないと、頭を抱えていたのを覚えている。ころころと表情を変える、明るい性格の―――、
「ひとつ、『命令達成まで余計なことを考えるな』」
「はい、達成まで余計なことは考えません」
そうだ。必要のないことを考えるべきではない。命令は下されたのだ。写真の彼女が何者であろうと、可及的速やかに、殺害を実行しなけれ―――、
「ひとつ、『可能な限り他者に見つからず実行しろ』」
「はい、可能な限り他者に見つからず実行します」
計画を変更。記憶している限りの彼女のスケジュールを思い出す。確か、今日は日が暮れるまで部活動で、どこかに寄り道をしている余裕はないはずだ。この時間ならまだ校内グラウンドに―――、
「ひとつ、『俺のことを記憶するな』」
「はい、あなたのことを記憶―――」
首を傾げる。さっきまで、誰かがここに居た気がする。誰かが自分に、命令を下したのだ。それが誰かを思い出せない。思い出そうともしない。命令の遂行に、その思考は不要であるから。
「殺さ、なきゃ」
ここは校舎2階。教室の窓からグラウンドを見下ろせば、運動着のターゲットが、ストレッチに励んでいるのが見えた。時刻も日が沈もうというところ。今日の部活動も、そろそろ終わる頃なのだろう。
「殺さなきゃ。誰にもみつからないように。そのために、まずは……」
そうやって、イルミナは、命令に従い、同じ教室にいる男の姿を認識できないまま、その場を後にする。頭の中を、どのようにして命令を遂行するか、それだけでいっぱいにして。
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ターゲットを秘密裏に呼び出すことは、イルミナにとって難しいことではなかった。なんのことはない、イルミナは彼女の連絡先を知っているのだから。部活動の後でいいから、どこそこに来てほしいとひとつ、メッセージを送るだけで、ただそれだけでよかった。
「イルミナちゃーん。どこー?」
了承の返事が届いたのは十数分前のこと。彼女は汗を拭き、制服に着替える前に、呼び出された校舎裏へと足を運んだ。それだけ、イルミナのことを優先してくれているという意味を、イルミナは考えない。考えることが出来ない。
「もう、このへん草凄いしさー。虫も、うう……」
校舎裏のこの一角あたりは、あまり清掃が行き届いておらず、雑草も伸びるままになっている。影になっていることもあり、生徒が好んで顔を出したがる場所ではなかった。
「あ、こっちッスよー」
ぶんぶんと手を振って、合図を送る。いつものように、いつものようにだ。休日の待ち合わせでも、このようにしたことがあったので、警戒されることはない。
「×××××っちゃん、こっちッスー」
それはターゲットの本名ではない。あだ名である。普段からそのように呼んでいるのだから、そう呼びかけるのが自然だろう。
いきなり接触しなかったのは、本当にひとりで来たかどうかを確認するためだ。もしも彼女が誰かと一緒に来ていたのなら、誰にも見つからないために、標的が増えるところだった。
「あ、いたー。もう、なんでこんなわかりにくいとこにいんのよー。で、話ってな―――あれ?」
だから、速やかに命令を実行する。声を荒げられないよう、口を塞いで覆いかぶさり、手頃なこぶし大の石を掴んで、頭部めがけて殴りつけた。
殴った。殴った。殴った。柔らかくも硬い感触があった。まだ頭蓋が無事な証拠である。殴った、殴った、殴った。抵抗はなかった。ただ、ターゲットは混乱と驚愕の顔を浮かべていた。殴った、殴った、殴った。反応がなくなった。頭の傷は出血が多い。しかししばらくは、雑草が隠してくれる。殴った、殴った、殴った。念のために、無抵抗に気づいてからも数分は殴り続けた。
それから、脈を取る。たしかに停止している。ターゲットの殺害を完了。事前に用意していた穴にターゲットの遺体を隠す。上から念入りに土をかけ。掘ってあったという痕跡を隠した。これで、発見される可能性は下がるだろう。
全ての命令を遂行したと判断。即時、イルミナ・ガードルーンとしての個人活動に移行。
「――――――は?」
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まずはじめに行ったのは、その場でぺたりと尻もちをつくことだった。
別に、記憶を失ったわけではない。正確には、命令を下した人物のことだけは何ひとつ覚えていないが、命令後の経緯は全て覚えている。
自分が何をしたのかも、全て、覚えている。
「…………え? あれ?」
否定はできない。彼女は計画的にクラスメイトを校舎裏に呼び出し、他に人が居ないことを確認した上で、殺害を実行したのだから。
計画は自分で立てた。凶器も自分で用意した。遺体を隠すための穴だって自分で用意した。
イルミナが呆けている理由は、感情と行動が一致せず、記憶と意識が交わらないためだ。だがそれもつかの間のこと。彼女の心は、自分でも実在を確信できないはずのそれは、彼女がやったことを無理矢理に、ただ事実として、理解させてくる。
「嘘だ……」
だったらどれだけ良かったことか。先週の休日に、一緒に遊びにいった友人を殺害した事実など、嘘だったらどれほどよかったことか。
「嘘、嘘、嘘、違う、違う、嘘うそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそ!!」
否定しても意味はない。事実はとうに過ぎ去っている。そして、イルミナ自身気づいていないかもしれないが、彼女は発見されるなという命令のために、錯乱しているつもりでも、声を大きく荒らげたりはせず、まして、自分の犯したそれを誰かに伝えようなどと思いつきもしない。
個人を取り戻し、意識を復活させ、自由を得たかのように見えて、まだ下された命令に忠実に従う彼女に出きたことは、誰にも見つかることのないまま、予め計画していたルートを通り、その場を逃げ出すことだけだった。
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自室のドアを開き、ゆっくりと閉める。
感情のままに音を立てたりはしない。近隣住民に、様子がおかしいと悟られてはならない。だってそうしなければ、バレてしまうかもしれないのだから。
閉じて、その場で座り込んで、膝を抱えた。
ここまで帰る途中、何度も何度も事実を反芻した。何度も何度も重ねた結果、事実は何も変わってくれなかった。
「殺した。殺した。イルミナが、殺した。違う。違わない。嘘、嘘じゃない。殺した。呼び出して、抑えつけて、殺した」
自分がそんなことをするはずがない。正しくは、普段の自分ならそんなことをするはずがない。
だからイルミナは、ひとつの事実に辿り着いていた。
きっと、何者かに命令されて、クラスメイトを殺害したのだろう。
そうでなければ辻褄が合わない。そうでなければ、自我を認めることが出来ない。せめて、何の感情もないまま友達を殺せるようなヒトであるなんて思いたくない。
だから、イルミナは誰かに命令されたに違いないのだ。しかし、その事実に確信がもてない。証拠もきっと出て来ない。正しくは、証拠を見つけることが彼女にはできない。彼女が誰かの命令を受けていたことは、イルミナ自身では命令により証明することができない。
だから、どうにもならない。
事実としても、記憶としても、明確なことはひとつ。イルミナは、友達を殺したのだ。
それにより、どうしようもなく、イルミナの自意識に、その結論が顔を出す。
イルミナは、命令ひとつで、仲の良い友達を感情無く殺害できるのだと。
思いついてしまって、目を背けたい現実を突きつけられてしまって、ただただ頭を掻きむしった。叫びだしたくても、それもできない。なにか大きなものに押しつぶされているような錯覚。内側に確かに熱を帯びているのに、外側はどんどん冷えていくような自覚。耳をふさいでも聞こえるなにか。イルミナという規格は感情よりも命令を優先する。友好よりも命令を優先する。親愛よりも命令を優先する。だって仕方がないじゃないか。
「イルミナは、――――――ッスから」
嗚呼畜生。こんな時に、目の奥に熱いものがこみ上げてきたらいいのに。嗚咽混じりの声で喚けたらいいのに。大きな声で叫びながら、クッションに八つ当たりが出来たらいいのに。
膝を抱える。ぎゅっと、抱える。痛いほどに、力を込める。嘘だと、嗚呼誰か、嘘だと言ってほしい。それかせめて、これを見つけてほしい。イルミナを今すぐ断罪してほしい。
だがそれは、きっとかなわない。殺されたクラスメイトは、行方知れずとして捜索されるだろう。同じ部員は事情聴取を受けるかもしれない。仲が良かったイルミナも、きっと知っていることはないか聞かれるだろう。それでも、見つかることはない。
だって、隠したから。ちゃんと、隠してしまったから。そしてそれを、イルミナは命令通り、見つからないように行動してしまうから。
声を出せないまま、頭の中ではずっと叫んでいる。そうして心を広げていないと、意識に押しつぶされてしまいそうだから。誰にも後ろ指をさされはしない。この事実を誰も見つけてくれない。友だちを殺しましたと、素直に告白することも許されない。
ただただ、罪の意識を抱えたまま、見つからない事実に落胆し、こぼれ落ちた現実に絶望しながら、明日も学校に行く。
友達が家に帰っていないことを、心配しているふりをして、探すようなふりをして、自分以外の中で、それが摩耗するまでその日々が続くだろう。そうして話も切り替わった頃、友達と別のことで談笑しながら、それでも孤独と恐怖を味わい続けるだろう。
誰にも気づいてもらえない罪。後ろ指をさすべきひとが現れてはくれない罪。この先、イルミナはそれを抱え続けなければならない。誰かが、彼女の記憶をすっぱりと、消え去るように命令してくれるまで。
いくらでも思い出せる。彼女の笑顔。彼女の困った顔。彼女の真面目な顔。彼女の困惑の顔。彼女の痛みに苦しむ顔。彼女の潰れた顔。
どうしたらいいのだろう。何であればいいのだろう。友達が死んでこんなにも悲しいのに、それを悲しむ資格も、誰かと共有する術も、イルミナは持ち合わせていないのだ。
誰が理解してくれるだろう。自分の手で殺したけれど、その事実を隠したけれど、誰にも言えないけれど、本当にこんなことをしたくなくて、本当に辛く、苦しく、悲しいのだと。
ガチガチと、何かが煩い。何かが鬱陶しい。畜生。奥歯が小刻みにぶつかると、こんな音がするのか。
「×××××っちゃん、会いたいッスよ……」
消え入りそうな声で、泣いているような声で、ささやかな願いを口にした。
誰も聞いてすら、くれやしないが。