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『砲火の吹雪』よ今一度
登場人物一覧
ネオフロンティア海洋王国、首都リッツパーク。港に停泊するガレオン船の甲板では、水兵達ががやがやと喚きあいながら掃除を続けていた。そこへ水兵がまた一人、兵舎の方から慌ただしく駆けてくる。カモメの羽根を髪に揺らして、彼は甲板の上の水兵達に叫ぶ。
「おい! エイヴァン大佐が帰って来たぞ! 急いで集合しろ!」
「あ? 本当かよ?」
船縁から身を乗り出し、水兵の一人が顔を顰める。カモメの水兵は目を丸くした。
「嘘ついてどうすんだよ! 大佐が早く来いって言ってるぞ!」
「仕方ねえなあ……」
水兵達は肩を竦めると、掃除用具を船縁に立てかけ、マストから埠頭へ伸びたロープを伝ってぞろぞろと飛び降りてくる。彼らは種族がバラバラだ。海種もいれば、飛行種もおり、獣種もいる。それがエイヴァン=フルブス=グラキオール(p3p000072)の率いる『ポーラスター号』の特徴だった。他の士官は何かと部下を同じ種族で揃えたがるものだが、彼は一向に気にしないのである。それが彼の鷹揚さでもあり、適当さでもあった。
「駆け足!」
「応!」
兵舎の隅にある議場に集められた水兵達。一段高いところに立って、エイヴァンは部下達をぐるりと見渡す。ローレットのギルドに顔を出してから、既に2週間ほど経っている。しかし彼らの顔はきっちりと覚えていた。
「よし、全員揃ったな。これからお前達の新しい上官を紹介する」
「新しい仲間じゃなくて? 上官?」
「一体どんな奴です?」
古参の兵士がエイヴァンに馴れ馴れしく尋ねてくる。厳格な彼の幼馴染なら目くじらを立てるところだが、彼は気にも留めない。
「急くな、急くな。今から紹介してやるんだから。来い」
エイヴァンは議場の袖に眼を向ける。海軍士官用の制服に身を包んだ一人の人間種が姿を現した。トリコーンハットを片手に、彼は小さく頭を下げる。
「今日からグラキオール大佐の直属として配属されたトラファルガー・ファルネーゼ中佐である。これより宜しく頼む」
「トラファルガー?」
「ファルネーゼ?」
若い水兵達が首を傾げる。エイヴァンは中佐の肩に手を載せて、ぐるりと水兵達を見渡した。
「まあ、言ってしまえば異例の抜擢だが……これまでこいつは各地の海軍を渡り歩きつつ、海賊討伐などで活躍してきた実績がある。実力としては妥当だろう。あと、これから絶望の青を越えるにあたって一層忙しくなることを考えると、艦隊指揮が出来るこいつはぜひ置いておきたいと思ったわけだ」
どうせこいつを頼りにサボるつもりだろう。幼馴染の少将は早速小言を言ってきたが、実際に彼と面会させることで何とか首を縦に振らせたのである。
「というわけで、今日からこいつの言う事もしっかり聞いて頑張ってくれや。とりあえず以上だ。持ち場に戻れ」
「はぁ……?」
首を傾げる兵士達をよそに、エイヴァンは中佐を連れて早速兵舎へと戻る。階段を上がって、二階の隅の一室まで彼を連れていった。
「さて、此処が今日からお前の部屋だ。わかんねえことがあったら他の奴らに聞けば色々教えてくれるだろう」
彼は頷くと、静かに扉を開く。仮眠用のベッドや本棚、仕事用のデスクが設置された簡素な一室。彼はしばらく辺りを見渡していたが、やがてデスクの一角に目を留める。
「部屋まで世話して頂けたのは感謝の至り……ではあるのですが、何故もう既に書類の束が私のデスクに乗っているのです?」
振り返る中佐。エイヴァンはにやりと牙を剥いて彼の肩に手を乗せた。
「そりゃあ、今日から早速頑張って欲しいからさ。俺の分までな! 早速頼んだ! 俺は出かける!」
「何ですと?」
エイヴァンは急いで身を翻し、廊下を脱兎のごとく走り出す。しかし、いきなり空気が壁のように襲い掛かり、エイヴァンの身体を捉えた。巨体で必死に空気を掻き分けようとするが、足が空を掻いてすっ転ぶ。そのまま風に身体を押し付けられて、彼は中佐の足元まで転がされてしまった。
「……申し訳ないが、逃がすわけにはいきません」
見上げると、中佐は腰に差したカトラスを抜き放っている。海に吹き荒れる嵐の下で鍛え上げられたカトラス。吹き荒れる風はエイヴァンの巨体すらも捉えて離さない。
「おいおい。じゃあ命令だ! 俺がいない間に溜まっている各種報告書類、目を通して返事を書け!」
「なりませんね。大佐のお目付け役として働くよう、少将より命じられておりますので」
「アイツが!? あー、お前と何を話していたのかと思ったら……!」
エイヴァンは何とか立ち上がる。彼は器用に風を吹かせて書類の束を手元へ呼び込み、彼へと差し出す。
「さて、申し訳ないが、真面目に仕事をこなしていただきたい」
「くそっ、いい右腕が見つかったと思ったんだが……」
「大佐の仕事を奪わぬ程度には働かせていただきますとも」
帽子を胸に当てて深々と頭を下げる中佐。エイヴァンは肩を竦めた。
「お前もお前で食えねえ奴だな……」
書類の束を受け取ると、エイヴァンはすごすごと自室へ引き返していく。その背中を見送り、中佐も溜め息交じりに自室へ帰って行った。
そんなやり取りを窓や廊下の隅からこっそり見守っていた部下達。彼らはこの人間種こそ、雑務処理が進まないせいで『ポーラスターホテル』と揶揄されるような現状を打破してくれるに違いないと確信した。良い上官が来たものだと満足して頷き合うと、彼らは揚々と持ち場へ帰っていくのであった。
しかし、周囲の期待とは違って、エイヴァンは一筋縄ではいかなかった。放浪の誘惑は事あるごとに彼を突き動かし、中佐の目の届かぬ隙を窺ってはいなくなろうとするのだ。トラファルガー中佐はその度に目を光らせ、彼をカトラスの暴風で捕らえるのだった。
「お前の目敏さには惚れ惚れするよ、トラファルガー」
「下手な皮肉は止めて、早々に仕事へ戻っていただきたい」
「どれもこれも大した仕事じゃないだろう? お前がやった方が早く片付くと思うがね」
「私はまだ海洋海軍の軍規やドクトリンを完全には理解していません。貴方の仕事まで引き受けている余裕はありませんよ。早く部屋に帰ってください」
最近は数日おきに繰り広げられるやり取り。そんな姿を垣間見る水兵達にしてみれば、どちらが上官か最早わからない光景である。彼に引っ立てられて部屋へと戻ったエイヴァンは、どっかりと椅子に腰を下ろした。しぶしぶ小さなペンを手に取りながら、中佐をじっと見つめる。
「やれやれ。トラファルガー君、お前は独身だってな」
「ええ、生まれてこの方、伴侶というものは持ったことがありません」
仏頂面で中佐は応える。相変わらず堅物な彼に、エイヴァンは溜め息を吐いた。
「カオスシードの知り合いは多くは無いが、誰かいい嫁を紹介してやろうか。帰る家が出来れば、四六時中俺を見張るよりも、自分でさっさと仕事を済ませてしまった方が早いと思うようになるんじゃないか?」
「お言葉を返すようですが、グラキオール殿こそ、五十を迎える前に嫁を取られてはいかがですか。帰る家が出来れば、己の職務を放り出している場合ではないと思うようになるでしょう」
「ぬぐ……」
寡黙で勤勉、謹厳実直を絵に描いたような男、と思いきや、逆撫でのスキルは中々のものである。エイヴァンはバツが悪そうに頭を掻いた。
「言ってくれるぜ、ちくしょう……」
「もののついでですが、申し上げさせていただきます。ここ数日、部下達と食事を共にし、いくらか話を聞かせてもらいました。皆揃って貴殿を本物の父親のように慕っておられる」
エイヴァンはパイプを手に取り、煙草をマッチの火で燻り始める。その香りを嗅いでいると、彼は昔を思い出す。戦火に包まれ親兄弟も失った己を拾い上げた、一人の老いた中将を。彼は自分や幼馴染を肩に載せ、いつもパイプをふかしていた。
「大号令の下、部下達の名を挙げる好機だというのに、貴殿はイレギュラーズとしてローレットの依頼を引き受けてばかりで、ろくに船乗りとしての使命を果たそうとしない。これは幼馴染から職務怠慢と難詰されても仕方がないのではありませんか」
中佐の言葉は痛いほど耳に沁みる。エイヴァンも今まさにこんなことをしている場合ではない事くらい、本当は分かっているのだ。
「昔のあなたはこうではなかったはずです。少なくとも、私が知るあなたは、海洋の大佐を名乗るに相応しい働きぶりだった。何があなたをそうしてしまったのです」
エイヴァンは唸って頭を掻く。書類にサインを書き記しながら、空いた手で中佐を扉へと追い返す。
「わかったわかった。仕事はするからとりあえず出て行ってくれ。見張らなくてもちゃんとやるから、しばらく俺に構ってくれるな」
「……承知しました」
中佐は深々と頭を下げ、部屋を去る。エイヴァンは物憂げな眼をして深々と煙を吐き出した。
夜。兵舎の食堂では有象無象の水兵達が集って食事をしていた。そんなところへひょいと現れた中佐は、同じ釜の飯を受け取り、ポーラスターの船員の側で腰を下ろす。
「御相伴に与かってもいいだろうか」
「あ? ……別に構わねえけど」
水兵達は彼をちらりと見遣る。今日の夕飯はパン粥にキャベツの酢漬けだ。酒も無い。お世辞にも上級士官が食べるような食事ではなかった。しかしそれを彼は文句ひとつ言わずに食べている。
「どうした。私に何かついているか?」
「いや。エイヴァン大佐も大佐だが、あんたもあんただなと思ってよ」
「前は彼も君達と此処でよく食事をしていたらしいな」
「ああ。最近は
中佐は古参兵の顔をじっと見つめる。
「すまないが、前にしようとしていた話、もう一度聞かせてほしい。より詳しく。何故大佐は己の職務と向き合うことを避けたがる?」
「ああ、その話か」
「昔……ってもそう古い話じゃねえが、甲羅戯艦隊の悲劇を知ってるか」
「知っている。その時は天義の方にいたから関わってはいないが、鉄帝と海洋でそれなりに大きな海戦が起きていたらしいな。海洋が勝ちはしたが、被害は大きかったとか」
「大佐が率いていた船はその時こっぴどくやられちまってよ。大佐は丈夫だから助かったが、周りの連中は……ってな。まあ大砲の弾一発で俺たちゃ吹っ飛ぶんだから、んな事よくある話だが、大佐は自分の事を結構責めちまっててな。元はといえば船磨きに過ぎなかった俺達を中々海へ出そうとしないのも、きっとそれを引きずっちまってんだろうな」
そんな大佐が比較的真面目に事務仕事をしているのは、本当に気に入らない事があった時だ。彼らは付け足す。
「まあでも、俺たちゃ信じてるんだ。いつかは大佐もまたその気になってくれるってよ。俺達だって海の男だ。もし今回新大陸が見つかったら、大号令はそれで終わりだ。俺達が身を立てる機会はもうなくなっちまうんだよ」
「ふむ……」
エイヴァンの過去を聞いた中佐は、しばらくの間むっと顔を顰めていた。
一刻の後、中佐は再びエイヴァンの下を訪ねていた。彼の顔を見るなり、エイヴァンは深々と溜め息を吐く。
「何だ? また小言か? もう勘弁してくれねえか。お前は一々容赦が無いんだ」
しかし、彼の予想とは裏腹に、中佐は深々と頭を下げる。恭順のサインだ。
「これ以上、私はとやかく申し上げません。貴殿の心の赴くままになさればよろしい。やれるだけの仕事はこちらでこなしておきましょう。委任状さえ書いてくだされば、船の指揮まで執り行います」
突然の変心。エイヴァンは思わず目を丸くした。
「おいおい。お前は軍規覚えるので忙しいんじゃなかったのか」
「そんなものは方便です。軍規を覚えるなど、三日もあれば十分」
さらりと応えると、彼は仏頂面のままじっとエイヴァンを見据える。
「……ですが、絶望の青の彼方にも、死地の向こう側にも轟くほど己の名を高める事こそ、死んでいった者達への供養になると思いませんか」
エイヴァンは何も言わない。中佐も淡々と続けた。
「砲火の吹雪と世界中の船乗りが呼んで震えた貴殿の指揮を、私もこの眼で見届けたいと思っていますので」
「……わかったよ。前向きに検討してみるさ」
彼は煙草を吸い、静かに紫煙を燻らすのだった。
かくして、エイヴァン=トラファルガーラインの奇妙な指揮系統が完成した。絶望の海への出航は刻一刻と近づいている。
おわり