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ノイズの向こうに君を見たんだ
登場人物一覧
つぼみを付けるように、君は笑おうとしたね
日だまりを見つけるみたいに、君は消えようとしたね
本物になりたかった君の、偽物の偽物に、僕らは逢えて良かったんだ
虹色の花が咲いていた。誰がどう作ったものやら、奇妙な色合いの花弁は冬場であるにも関わらず視界を染める勢いで広がっていた。調整された気候は春のそれに似ていて、ここが人工の街なのだと思い知る。
布で包んだ酒瓶をさげた男性が、虹色の間にできた小道を進んでいく。
お墓を作ろうと最初に言い出したのは、誰だったろうか。あるいは自分だったのかもしれない。
零・K・メルヴィル (p3p000277)はさげた酒瓶の重みを左腕に感じながら、人工の太陽がさす眩しさと熱に額の汗をぬぐった。
あの子が死んで、一年になる。
姉ヶ崎-CCC (p3n000240)。
虹色のノイズの向こう側に素顔を隠したあの子を。
「絶対に、忘れてやらない」
彼女の犯した罪を、多くの人が知り、そしてなかば許しつつある。
それは姉ヶ崎CCCという電脳空間に生まれたバグにすぎない存在を、たとえ意志を持っていたとはいえ現実の脅威と見なすには同情的余地がありすぎたためである。
電子の魂を人間と認めること自体は、事件終了と時期を同じくして生まれた姉ヶ崎 エイスたち同様に人権と共に許容されていたが、だからといってあの仮想世界そのものを全面的に受け入れるのは、各周辺国家からしても、そして重要プロジェクトととらえていた練達国家からしても奇妙な話だったのかもしれない。
少なくとも零には、練達の人々が姉ヶ崎CCCの脅威そのものを忘れようとしているように思えた。
そして当時、彼女が自分にかけた言葉と想いの意味を、知りつつあった。
――「今更、何が出来るっていうの。私の自殺に付き合ってくれる……とか?」
――「一緒に生きて欲しいんだよ……俺は」
――「無理に決まってるでしょ。ぶっ殺されたいの?」
あのときの、ノイズにまみれた彼女の表情の向こう側を、零は零だからこそ知っていた。
多くの人々が彼女を『ただの敵』『ただのバグ』『ただの事故』として忘れようとするこの今を、彼女はあの時点で予期していた。
「俺……人がどうして生きてるのかとか。生きてるって何だとか。そういうこと、考えずに生きてたんだ。十数年、さ。こっちの世界に来てからも、しばらくはなんとなくだったよ。大切なことも沢山あったけど、だからって……生きるだ死ぬだって考え、そんなになかったんだ」
飢えに苦しみフランスパンを召喚した時でさえ、どこか遠い出来事だったように、今の彼には思えてならない。
「姉ヶ崎CCC。君は……生きたことを刻みたかったんだな」
亡骸も残らない。
記録もあるいは残らないかもしれない。
電子の海に生まれた名前のない怪物。
彼女が生きるためにしたことは、誰かの大切なものを壊すことだった。
誰かの大切な思い出をかき乱すことだった。
憎しみが、恨みが、怒りが、あるいは後悔が彼女を人々に刻み、残り続けるだろうと。
「俺は……なんて言ったらいいんだろうな。
『残念だったな』かな。
それとも……。
『おめでとう』かな」
零が立ち止まる。そこには、ひとつの墓石がたっていた。
かつてマザーAIの暴走と六竜の襲撃によって多くの被害が生まれ、復興が行われた後に墓地もまた拡張された。亡骸を回収できず、墓石だけが建てられたケースもあるという。
零たちはそこへ紛れ込ませるように、姉ヶ崎CCCの墓を建てたのだった。
それは今ここにあって、定期的に誰かが訪れているらしく、墓石は綺麗なままだ。
「俺は……君を許さねえ。それが君との約束(ケジメ)だからな」
彼女の怒りも、彼女の願望も、彼女のあのわざとらしく悪びれた笑顔も。もう全て消えてしまったけれど。
「許さねえし、忘れねえ」
墓石に花と酒瓶を供え、日本式の墓参りを済ませて立ち去る。
それだけの時間だ。それで終わりだ。
行為自体に大きな意味なんて無い。
自分が自分に、彼女が『生きていた』ことを忘れさせないための儀式だ。
虹色の花にはさまれた小道を引き返しながら思う。
自分が死ぬとき、誰かが自分を覚えているだろうか。
愛する人が、自分を刻んでくれるだろうか。
敵でさえ、自分を。
許すことは、時として忘れることと同義だから。
いつの間にか空は夕暮れの色をしていて、伸びる影は花畑を撫でている。
引き返す道ゆきの左腕が軽くて、つい何もない空に手をかざした。
遠い雲を掴むみたいに手を握って、なにもないと確かめる。
あのとき彼女は、そんな気分だったんだろうか。
俺の世界を再現した仮想空間に、エイスを送り込んだあの時から。
なにもかもを忘れてしまう俺たちを、こんな風に見ていたんだろうか。
だから彼女は。
「――最後に、『友達』になってくれたのかな」
敵のまま。
許さないまま。
忘れないために。
俺たちは、敵で……友達だ。
その日、夢を見た。
ノイズだらけの壊れたROO世界のどこかを、セーラー服を着た少女が一歩一歩ゆっくりとあるく風景だ。
裸足が割れた世界の欠片を踏む度に血をにじませて、それでも彼女は歩いて行く。
「――!」
自分は声をかけ、彼女は振り返った。彼女は笑顔だったような気がしたし、涙を流していたようにも見えた。全てはモザイクノイズの向こう側に消えて、見えなくなってしまう。
「俺……!」
つかえた喉が通るように、零は吐き出すように声を出せた。
「俺、目標ができたんだ。故郷とここを繋ぎたいって目標とは、また別にさ」
再び歩き去ってしまいそうな彼女が、こちらに背を向けたまま立ち止まっている。
世界は崩壊を続け、はるか遠くでがらがらと何かが崩れる音がした。
人々の悲鳴をもした弦楽器が一斉にならされたような音がした。
チカチカと空が明滅し、夕焼けと雪と雷鳴と青空がモザイクタイルのように混ざり合って入れ替わる。
何もかもが不確かな世界の中で、確かなのは二つだけ。
彼女と、自分。
君と俺。
息を胸いっぱいに吸い込んで、吐き出して。
そして零は再び声を出した。
「取り返しがつかないからって殺すなんてのは、もうお前だけにしたいんだ」
『その言葉』の意味することは、世界に反逆するほどの無理難題だ。
あまねく死者を蘇らせるくらいに。
けれどだからこそ、彼は抱くのだった。
「そうすりゃ君とも……本当に友達になれるんじゃねえかな」
夢みたいな話だ。
夢みたいな話だから。
「一緒に生きて欲しいんだよ……俺は」
夢が覚めると、零は布団の中だった。
枕にあずけていた頭が妙に重くて、こめかみを滴がつたう感触で、自分が涙を流したのだと気付く。
袖でぬぐって、身体を起こした。
いつもならフッと消えていくような夢の内容が、ぼんやりと起き抜けの頭に残っている。
「あの子は……あの後立ち去ったのかな。それとも、まだ待ってくれているのかな」
夢みたいな話だ。
夢みたいな話だから。
ノイズの向こうに君を見たんだ
果てない夜の先があるように
明けた君が、笑っているんだよ
俺にはそれがわかったんだ