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ありきたりな殉情
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その日、ヴェノムは情報屋に依頼をした。
それは曖昧な輪郭でしか見えなかった一人の聖女の物語を教えて欲しいというものだ。
「聞いてどうするんすか」と情報屋は困った顔でそう云った。眼の下の隈に明確な不安を滲ませている。
「聖女リリア。彼女は人だったんすよ」
ぼやけた輪郭線。それはヴェノムの思考回路の中でリリアというおんなの存在が滲んでいることを認識させた。あの日、死ぬ覚悟はしていた。何時だっていのちのやり取りが付きまとう事を知っていた、知り乍ら届かなかったとヴェノムは貪欲な己の胎に渦巻いた苦しみを飲んだ。
僅か、愛想笑いを返した情報屋はリリアの過去の調べた限りをヴェノムへと手渡した。
聖女リリア――リリア・コルネイユはかの村で生れ育った普通の少女であったそうだ。
信心深い両親の許、敬虔なる神の徒として毎日祈りを捧げる普通の乙女。
あまり学はなく、貴族の子の様に勉学に励む事も無かったリリアは幼い村の子供達の為に裁縫や農作業を進んで手伝う活発な娘だった。
彼女が聖女に担ぎ上げられたのはその村に飢饉が襲った時であった。
長らくの不作で毎日の生活も思う様に行かぬ中、神に祈りを捧げたリリアは『ちょうどいい』と言わんばかりに聖女となった。
それは祈りで世界を救う訳でもなく、神聖なる力があったわけでもない。
リリア・コルネイユは『妙齢の女』であっただけで、ただの一人、『神の供物』となったのだ。
只の一人の人間だったのに。
彼女には何の力もなかったのに、只、その村に生まれた信仰者であり、丁度いい年齢の女であったことだけ。
聖女だなんて高尚なものではなかったのだ。
そんなよくある不幸が偶然にも救いの手として取ったのが『不正義』だった――ただ、それだけだ。
そこまで読んでヴェノムは虫唾が走ると吐き捨てた。
「生贄羊。代替品。誰も彼女を見ていない。――それと何が違うと言うんだ」
その瞳がぎょろりと動く。
あの日。
一人の聖女が笑い、一人の聖女が生まれ変わった日。
ヴェノムはリリアの中に確かなる悲哀を見た。
――ところで。覚悟はいいかい? こっちはとっくに済ませてる。
――覚悟なんてもう、とっくに。
その覚悟はリリアもヴェノムも自分自身の死だけだったのだろう。
有無も言わさずお前が聖女だとその身に科された使命が蝕んだことをヴェノムはよくわかっている。
聖女なんてものは何時だってそうだ。生贄でしかない。だから、殺そうとその刃を振るい上げた。
――けれど届かぬ事も叶わぬ事も今では分かる。
ヴェノム・カーネイジもリリア・コルネイユも自分が死ぬ覚悟しかしていなかった。
他人なんざ見てなかったのだ。両者ともに、ちゃちな覚悟と笑ってくれても良い程に身勝手だったのだろう。
聖女。魔種。誰もが望んだその姿を誰も、神をも見て居ないと言いながらその彼女に神と運命という言葉を科した。ぼやけた輪郭線に明確な答えを勝手に埋め込んでいたのだとヴェノムは自嘲する。
「僕は自分が救われたいだけだった」
感傷はとうの昔に捨て置いたはずなのに、どうしてもリリアのあの笑みが離れない。
美しい、おんなだった。嫋やかな淑女としての身のこなしに、狂気の孕んだ笑みが美しい。
「……なんでそんな執着するんすか?」
情報屋の問い掛けにヴェノムはさあ、と肩を竦めた。
そうだ、感傷も感情もないと思ったのなら、どうしてリリア・コルネイユにこだわるのか。
リリア・コルネイユ――もう、今は『聖女リリア』になった只のおんな。
コルネイユの家にはリリアという娘はおらず、村の共有する崇拝の対象であり、神の所有物となった憐れな女。
「僕はどうすればよかったんだろうな。彼女は何のために生きてきたのか。何のために生きていくのか」
情報屋はよくわからないと眉を顰めたが、ヴェノムは構う事無く只、頬杖をついて書類に顔を埋めた。
きっと、彼女は己が不幸を呪っている。
民を憂い、聖女となったその時に全てを悟ったのだろう。誰も、リリア・コルネイユなんて必要としていない。
誰かが助けてくれるなんてロマンスを抱いた乙女の純情はあっけなく砕け散り、愛しい村を壊し穢し、いっそ、自身を『除け者』にしたと殉情の限りを尽くすのだろう。
ああ、在り来たりだ。なら、呼んでやればいいのか。
リリアと。彼女を見て。いいや、どうすべきかなんて、分からない。
ヴェノム・カーネイジはリリア・コルネイユではないから。
――僕は、どうするべきなんだろうな。
嗚呼、いやだ。感情なんて、感傷なんて、腹すら膨らまないじゃないか。