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宝玉窟の一日
登場人物一覧
亜竜集落ペイトの出身である仙月は極めて卓越した武道を求める古くからの一族に産まれたが、その姓を捨てた女である。
その所作からも感じられる教養の高さや育ちの良さは滲んでいるが仙月は多くは語ることはない。
そんな彼女は現在、ペイトではなく『宝玉窟アンペロス』に居を移していた。その理由も、十数年前に一人の少女を拾ったからだ。
利き腕を失った仙月は武人としてではなく母親として『少女ユウェル』を育て上げると決めたのである。
ユウェルは宝食の竜であった。彼女の腹を満たすためには宝石を安価で手に入れられる場所を見付けなくてはならない。
その時ばかりは生家を頼った仙月は勘当される者と認識していたが当時の当主たる父親に「子を護る親となるのもまた武道だ!」と力強く送り出されアンペロスに辿り着くことになった。
アンペロスは覇竜領域では貴重な宝石を安定して入手できる場所と居て知られていた。武器飾りなどにも利用される宝石はこれからの交易でも使用されるだろう。
それ故に場所はあまり知られることは無く限られた人間のみが宝石の採取をする事が出来る。
害を及ぼさぬ人間は時折憩いの場として訪れても居るが、仙月自身はその血に訪れた事は無かった。
一人の娘を抱えてやって来た仙月は自身の有用性を里長に説いた。そして、娘が宝石を食む竜であることも付け加えたのだそうだ。
そして、里長の用心棒としてユウェルと共に過ごしてきた仙月は里長が引退する際には『里長代行』として次代を育む立場となったのである。
「おかーさん!」
走り寄ってくるユウェルに気付き「おはよう」と仙月は穏やかに微笑んだ。
結い上げた赤い髪、失った片腕は衣服の中に仕舞い込んでいる。服の袖が虚に揺らぎ、仙月は眠気眼の娘を迎え入れた。
里長代行の居所として利用している小さな家の居間は良く人が訪れるため簡素な設えだ。木製テーブルには宝石を乗せた皿を一枚置いてあった。
仙月はフリアノンより持ち込まれた資料に目を通しながら寝起きのユウェルに朝食を獲るように促した。
「おかーさんは今日は何するの?」
「そうだねえ……珱のお姫さまから少しばかりアンペロスの宝石を分けて欲しいって話しが来ているからそれを若い奴らに運ばせようか」
「さとちょーのお願い?」
「珱家は良い友人だからね、お姫さまが宝石を悪用するわけでもないし、良い『実』を選んでやりな」
珱のお姫さま――こと、フリアノンの里長『珱・琉珂』からの手紙と資料は宝石の斡旋とその使い道であった。曰く、ラサに宝石を持ち込み加工して貰うことが目的らしい。
欲しがっている宝石の大きさから判断するにブレスレットなどのアクセサリー類だろう。あの里長が私用で欲しがることは滅多にないが。
ふと、仙月は思いだした。
(……珠珀の誕生日がそろそろだっけね)
長く生きてきている仙月にとって、フリアノンの里長と云えば未だ年若いあの娘ではなく彼女の父親というイメージがあった。
琉珂の父である珱・珠珀はそれはそれは穏やかな男であった。
娘である琉珂の外見こそ、妻の琉維に良く似ているが珠珀の持った穏やかな瞳と琉珂が時折見せる大人びた表情は良く似ている。
仙月とて琉珂を見て懐かしむ事があった。珠珀が早くに亡くなってしまったことは残念で仕方がないが彼は相談役に言われ資料に取引を全て残してくれていた事でまだ縁がつながっている。
仙月にとって珠珀は可愛らしい坊やであった頃からの付き合いであったが故に、そんな『坊や』が其処までしっかりと里長の仕事をしていたとは恐れ入ったものだ。
その資料を端から端まで読んだという現里長は珠珀の話を聞きにアンペロスを訪れることも多かった。
だが、最近は姿を見せることは少ない。資料を残すことを進言した相談役――『
(……ベルゼーの事は不憫だけれどね、わたしもアレはいい人だと思っていたから……琉珂なんて特に懐いていたろうしねぇ。
珠珀は知っていたのかね……琉維なんかは本能的に気付きそうなものだけれど、まあ、そんなこと考えても意味は無いか)
ぼんやりと物思いに耽る仙月の様子を眺めながらユウェルは宝石を食べて居た。よく食べて、大きく育ってくれる可愛い娘の食事風景が仙月は好きだ。
我に返ってからユウェルを眺めてから「腹は満たされるかい?」と穏やかな声音で問うた。
「んふー(うんー)」
「こら、ユウェル。口の中に入ったまま話すんじゃないよ」
「ごくん……だっておかーさんが聞いたでしょ? うん、お腹いっぱいだよ。寧ろ食べ過ぎちゃった位!」
にんまりと笑ったユウェルに仙月に大きく頷いた。その言葉を待っていたとでも言いたげに立ち上がる。
「腹ごなしがひつようかい? 『収穫』前に遊ぶとしようかね」
「え、おかーさんがお稽古つけてくれるの? 今度こそわたしが勝っちゃうかも」
「よく言うよ。泣きべそかいたって知らないからね」
里長代行としての仕事は少し後回しにして可愛い娘との日常を謳歌するのも悪くは無いだろう。
と、云えどもユウェルの攻撃は仙月にとっては『可愛い子供』そのものだ。片腕であれども、ユウェルの斧槍をひらりと躱し素手で受け止めるほどである。
仙月はペイト出身の良家の娘だ。武闘派でも知られる家門の娘である事から淑やかさからは遠いが、その実力はお墨付きなのである。
幼い頃からの修練に、イレギュラーズとして活動を始めた娘の攻撃をまだ容易に受け止められるほどの実力者。
それだけ鍛練を積んできたのだから周りからは『アンペロスの里長代行になんてならずとも、もっと良いお役目があっただろうに』と言われることもあった。
仙月にとっては余計なお世話だ。実家の事もあるがアンペロスこそが己にとっては一番の場所である事には違いはない。
そもそも自身は片腕だ。娘の成長を見守るだけの人間になったって構わない筈だ――と、そこまで考えてから部屋に琉珂からの資料は破棄しておこう。
仙月をアンペロスの里長と認めた上で、今後来たるであろう『冠位魔種との決戦』に力を貸して欲しいのだという。
(こんな小集落から力だなんて、今代の里長は甘えん坊がなったもんだね。
それとも、頼り上手なのかは分からないけれど――わたしは
ユウェルと鍛錬を終えてから家路を辿る。相変わらず「美味しそう~」と果実を眺める娘には「太るからやめなさい」とお小言を添えながらも、嫌なことを考えたと嘆息する仙月は走り寄ってくる小さな影を見付けた。
「里長」と声を掛けてくる小さな亜竜種の少年は仙月を本当に里長であると思い込んでいる「代行」と付け加えると不思議そうな顔をして見せた。
「でも、仙月より里長っぽい人なんて居ないじゃん」
「居なくても代行さね」
「どうして? お父さんもお母さんもばあちゃまも仙月が里長が良いって言ってた」
「……ばあちゃまも人が悪い」
ばあちゃま――前里長が仙月を里長に推す為かアンペロスの中でも彼女を里長にという声が高まっているのも困りものだ。
仙月はあくまでもアンペロスに子育てと隠居をしに訪れたつもりなのだ。琉珂からの召集も
あくまでも宝石窟アンペロスは『果実のように実る宝石』を取る事の出来る亜竜集落の中での交易品を算出するだけの場所であれば良いのだから。
守り抜くだけの自信は仙月にはあった。イレギュラーズとして徐々に強くなっていく娘が帰宅する度に手合わせをしているのは自身の修練も兼ねていたからだ。
(それでも、里おじさまの影響が此処に及ぶなら……――いや、それは有り得ないかね。
アレは優しすぎるから何かあれどもフリアノンやその周辺を巻込むことはしないだろうさ)
幼い子供と共に収穫をしようと宝石を取りに行く娘の背中を眺めながら仙月はその様に物思いを馳せた。
長く生きて、里長であった珠珀と接触する機会に恵まれればどうしてもその相談役であった里おじさまの姿が眼に入る。
フリアノンの名家出身でもある里長代行達は彼を頼りにし、彼の指示を聞きながら過ごしていた程だ。勿論、仙月の父も里おじさまとは交友があった。
仙月本人はまだ幼かった頃に幾許か言葉を交した程度だが、穏やかで優しげな紳士であったと記憶している。
誰からも信頼されて居た里おじさま。仙月も彼の知識には憧れたものだ。……そんな彼が、今や敵、だという。
(酷い事もあったもんだねぇ……。それを知ったのが子供達が最初って言うのが一番酷い話さね)
もしも自分やフリアノンの里長代行達が先んじて知ったならば子供達には知らすこと無く対処をしただろうか。
そんな詮無いことを考えてしまう程に参っていた事に気付いた。自身とベルゼーが知らぬ存在ではないということもいつかはユウェルに伝えなくてはならないだろうか。
それも、もう少し覚悟を決めてからだ。
収穫を続けて居る子供達を眺めながら仙月は深く息を吐いた。子供達は宝石の『収穫』を覚えて一人前に育っていく。
コレだけ小さな里だ。立場は弱いに決まっている。宝石窟がこの集落の存在意義であり、仙月が居を構える理由となったのだ。
(それでも、此処で生きてる子がいるんだからね。わたしも護り抜く覚悟をしないといけないかね……)
フリアノンから多数が出兵すればその影響を受けて各地のパワーバランスも変化する可能性がある。火事場泥棒的に何かが攻め入って来る可能性もあるのだ。
仙月はそうしたときの為に子供達にも武術を教え込むことを決めた。当然ながら、その提案を受けた子供達は「ユウェルぼこぼこなのに」「やだよ~!」と文句を言うのだが……。
自分の身は自分で守らねばならない。そう強く説けば子供達は「ユウェルをぼこぼこにする!」と仙月の一人娘を標的にすることに決めて居た。
そんな平和とて仙月が造ったものだった。この平穏と、予想もしていなかった『外』との交易で開かれていく亜竜集落を珠珀坊やは見たかったのだろうかと感傷的に考えてから「お姫さまの手紙はばばあの心を揺さぶるから困っちまうね」と立ち上がった。
「収穫は? こら、ユウェル、摘まみ食いするんじゃないよ!」
「うわあ、みつかった。でもね、これとってもおいしいから、さとちょーとかりんりんにあげようと思って……」
「宝石を喰うのはお前さんだけだろうに!」
叱り付ける仙月に「おかーさんごめんなさい~!」とユウェルは慌てた様にポケットに幾つかの『実』を滑り込ませた。
「里長~、ユウェルがポケットに実を入れた」
「代行。ユウェル……?」
「お、おやつ!」
わたわたと手を振るユウェルに仙月は仕方が無いと肩を竦めた。
あと少し『収穫』をしたならば琉珂の個人的な品と共にフリアノンまで届けさせれば良い。運搬役の亜竜種と共にユウェルもフリアノンへ向かいイレギュラーズとして仕事に励むのだそうだ。
娘が出掛けた後は里の管理をしようと仙月は思い浮かべた。収穫した果実の管理に、里の必要物資の計算。やることは多いが、それもやりがいを感じられるものだ。
「おかーさんできたー!」
「里長、できたー!」
代行、と付け加えることも面倒になってから仙月は「箱に詰め込んだら運搬役を呼んできな」と声を掛けた。
そろそろユウェルの身支度を手伝ってやらねばならないか。年頃の娘である事は分かっては居るのだがどうしても母親としての意識が抜けきらなかった。
「おかーさん、お世話焼きー」と揶揄うように笑う娘が可愛らしいから手伝っているというのは嘘では無いのだ。言ってはやらないのだが。
「それじゃ、運搬を宜しく頼むよ」
「はーい! 行ってきます、おかーさん!」
手を振り笑う娘に「いってらっしゃい」と仙月は微笑み返した。
偶然拾っただけの子供だった。ただ、危険を承知で右腕を引き換えに命を救った小さな娘は身寄りも記憶も無く、酷く儚げであった事をよく覚えて居る。
長く生きてきても褪せることのないその時の記憶の中の子供は泣きじゃくっていたのに。
大きな経験を積むために娘は走って行く。その背中を見送ってから仙月は「里長ーーー! 透弥が弥悠虐めてるー!」という子供達の騒ぐ声に「煩いねえ!」と叫び返したのだった。