PandoraPartyProject

SS詳細

邂逅

登場人物一覧

メリーノ・アリテンシア(p3p010217)
狙われた想い
メリーノ・アリテンシアの関係者
→ イラスト


「……ユベニス。もう起きていたの?」
 薄暗い空に微かな陽光が差す時間帯。街の高級宿の一室にて、ユベニスと呼ばれた男性は傍らに眠る女性から声を掛けられる。
 両者は共に服を着ていない。誰が見ても情事の後であろうと分かる光景の中で、静かに寝台から身を起こした彼は、女性の側へと仄かに笑う。
「今目覚めたばかりだよ。君を起こすのは偲びなくてね」
「あら、お上手ね」
 嫣然と笑い返した女性は寝台を降り、浴室へと移動する。
 暫しの後に聞こえた水音。細やかな雑音の中に、女性の声が再びユベニスの元へと通る。
「……次は、いつ会えるかしら」
「君が望むのなら、何時でも。何時までも」
「その度にこうも遊ばれては、私の財布が保たないわ」
 くつくつと言う笑い声が続く。事実、女性の言葉に誇張は無かった。
 ユベニスと言うこの青年は決まった職を持たず、日銭を稼ぐ代わりに数多くの男女を渡り歩き、寝食を共にすることで生活している。
 問題は、彼が要求する『生活費』が余りにも法外であると言うこと。
 彼と同衾する者は一晩を共に過ごすだけで、商家の平均収入の一か月ほどが失われる。それを分かっていながらも、未だにユベニスを知る者は彼と少しでも長い時間を過ごすことに固執するのだ。
「なら、僕を捕らえて、鳥籠の中で飼い続けてみる?」
「いいえ? そんな貴方は欲しくないもの」
 挑発的な声音に対しても、女性の側は靡かない。
「好き勝手に奪って、使い潰して。そうされる側に対して、貴方は甘い言葉とその身体で何かを与えたつもりにさせる。
 性質の悪い薬のように。依存する毒のように。そんな貴方だからこそ、私は耽ることが出来るの」
「悪い女性(ひと)だ」
「そう?」
 浴室から現れ、可愛らしく小首を傾げる女性に対し、ユベニスは軽くバスローブを羽織った姿で近づく。
「僕がそうした在り方だと知りながら、搾取されるひとがもっともっと居ると知りながら、僕と言う存在を容認し続けている」
「当然でしょう? その人たちがどうなろうと、私にとって関係はないのだから」
 軈て、密接する二人は頬に唇を交わし合う。
「先に部屋を出るわ。料金は払ってあるから、後は好きに過ごして頂戴」
「ああ」
「ねえ、ユベニス」
「何だい?」
 口づけの後、彼女はユベニスに後ろ髪を引かれる様子もなく、身支度を整えては颯爽と部屋の出入り口に向かう。
 ただ、一度だけ。彼の方を向き、言ったのだ。
「『愛している』わ」
「………………」
「いい顔ね。それが見られただけで満足よ」
 言葉通り、満足そうな笑みを向けた「60歳間近の」女性は、その言葉を言い残して部屋を去っていく。
「――全く。本当に悪い女性だよ、君は」
 一人残された後、嫌悪と辟易を込めた表情を終ぞ浮かべたユベニスは、寝台に身体を預けてはバスローブの中に隠していた紙煙草を口に咥える。
 軈て、舞う紫煙。緩やかな呼気でそれを肺に取り入れる彼の表情は、しかし与えられた環境に対して少しも喜びを見せていない。

 ――『愛している』。

 疲弊じみたその態度は、それが年老いた女性から向けられた言葉であるためではない。
 その言葉の内実。愛と言う感情。それを臆面もなく口に出来る彼女が、即ち「貴方の知らない感情を私は知っている」と言う意図を以てユベニスに発したと言うこと。
「……」
 煙草を吸い終えた彼は、それを灰皿に押し付けた後、女性と同様に浴室へと向かう。
 ただ一言、
「『それ』は、何だ?」と呟きながら。


 ユベニスが現在のような生き方を送るようになったのは、天性の才能と惰性の結果である。
 生まれつきの整った容貌、多少の運動で形作られる彫刻品のような美しい造形の肉体。
 何よりも、彼は――向き合った相手の不安や心配事などを、僅かな会話から洞察する能力に長けていた。
 それはギフトではない。一種の直観じみた能力と言えば良いだろう。其処から相手が望む言葉を与え、穴の空いた心を自らの存在で以て埋めるようにすれば、他者はユベニスから離れることが出来ないようになっていった。
 そうした、ちょっとした労力で身も心も……言ってしまえば財産さえも簡単に投げ出すようになる人々を前にするたび、彼は真っ当に稼ぎ、生きることを放棄したのだ。
 日々の『作業』で金を湯水のように使い果たし、市井に住む平凡な人間が到底味わえないであろう生活を過ごす。それが、今のユベニスの日常である。
 ――けれど、ならば、この現状に満足しているのかと言われれば、それは否だった。

「ユベニス、大好き」
「好きです。愛しています。ずっと一緒に居ます」
「ありがとう、ユベニス。貴方のことが好きよ」

 ユベニスは、人の心を――一種の麻薬じみた在り方を以て、だが――満たす。
 けれど、ユベニスは自らを満たす感情を持っていなかった。
(愛、なんて)
 理由は明白だ。ユベニスは先にも言った洞察力から成る話術によって、人の心を手に取るように変化せしめる。
 それは逆説、「移ろいやすい人間の感情など何の価値も無い」と己の経験をもとに断定づけてしまえたと言うことだ。
 無論、それは自分に対しても当て嵌まる。何かに、或いは誰かに固執できず、即ち己の心を満たす手段を見出せない彼は、今こうして過ごす日常の中で、少しずつ精神を摩耗させていっている。
 ――つまらない、くだらない、面白くない。
 自分が満たされない日々に対して、優しい言葉を掛けた『客』は本懐とでも言うかのように幸福そうな態度を見せる。
 だから多くを奪った。不幸な自分の気分を少しでも味わえばいいと思って、財産を奪い、周囲の人間関係を奪い、それでもしつこく付きまとうようなら命すらも奪った。
 そんなことをしても、自らが何かを得ることが出来はしないのだと、理解していながらも。
「……今日は、此処かな」
 宿を出て、大通りをぶらついていたユベニスは、軈てアタリを付けた酒場にふらりと足を運んだ。
 酒が目的ではないと言ったら噓になるが、彼がこうした場所を訪れる理由は『今晩の客』を吟味するためでもある。
 時刻は平日の昼間。こうした時間帯で少なくない量の酒を飲んでいる相手は、大抵長期の休みを貰って浮かれている人物か、自棄になって人事不省でもになろうとする人間の何方かに当て嵌まる。
 そのどちらであってもユベニスには関係なかった。前者であれば「長く拘束できる」し、後者であれば「大きく搾り取れる」。
 その日も、そうした相手を求めて酒場を訪れた彼は、しかし。

「……も、情報は……?」
「……まないな、まるで……らない」

(……?)
 ふと、片隅で聞こえる声に、気を惹かれた。
 声の先に居たのは二人の男女。身体全体をローブで覆った日陰者らしき男性とは違い、金の髪と碧眼を惜しげもなく曝け出す女性は、少なくない数の女性を相手にしてきたユベニスをしても美しいと形容できる容姿であった。
「………………」
 ユベニスは、それをじっと見つめている。
 両者の会話が気になったためでも、金髪の女性の容姿に見惚れたためでもない。
「……追加の料金は良い。アレほど貰っておいて欠片も手掛かりが得られないのはこっちの不手際だからな」
「そう? それじゃあ、よろしくねぇ。
 かのちゃんのことが分かったら、すぐにでも連絡して!」

 ――素敵な人よ。いっつも明るくて。優しくて。

「確認だが、名前はカノプス、で合ってるんだよな?」
「そうよぉ! 私よりキレイで、可愛くて、ちょっとトゲトゲしてるけど、話すととっても良い子なんだから!」

 ――いっつも私のことを「かのちゃん」って呼んで、傍に居てくれる。自慢の姉さん。

「失礼、ちょっといいかな?」
 気づけば、ユベニスは男女の方へと足を向けていた。
 警戒心を微かに覗かせる両者。普段、こう言った状況に陥った時、彼は即座に「分が悪い」と身を翻していた。
 けれど、今は。
「その人……カノプス、だっけ?
 僕なら、その子のことを知っているかもしれない」
 初めて。ほんの、僅かではあるけれど。
 ユベニスが知らなかった好奇と言う感情が、自らに背を向けることを拒ませていた。


「手狭でごめんね。今日はこの部屋しか取れなくて」
 ――自らの金で宿の部屋を取るなど、初めてのことだった。
 ユベニスと、金髪の女性……メリーノと名乗った彼女は、あの会話の後適当な宿屋に向かった。昨日の老女から与えられた小遣いは部屋を取った後でも十分に残っており、部屋のテーブルに着いた後、彼は伝声管を通して軽食を注文する。
「別に良いわぁ。えっと、ユベニス……さんは、この街に住んでいないの?」
 見知らぬ男性に宿へと案内されながらも、少しも動揺する様子無く言葉を返すメリーノ。
 ユベニスはそれに対して、表情には出さぬものの気を引き締める。恐らく、彼女はこのような場で襲われてもそれに対処できるような人間であると想定して。
「そうだね、決まった家は持っていない。今は風来坊だ」
「お仕事は?」
「其処は、聞かないでくれると嬉しいかな」
 ふうん? と首を傾げるメリーノ。事実、形式的な質問であって、彼女はユベニスに対して然したる興味を持っていないのだろう。
「それで、かのちゃんのことを知ってる、って」
「うん。彼女とは一年くらい前、或る町で知り合ったんだ」
 町の場所と名前を告げるユベニス。それは彼らが今居る街から国を隔てた遠い場所に在った。
「『仕事』の関係でね。何日か付き合ったけど、その後は別れて、僕も彼女がどうなったかは分からない」
「……その町の周辺をあたれば、手がかりが得られるかしら?」
「難しいと思う。当時の彼女は僕と同じく定住者ではないように見えたからね。一年も前の旅人を覚えている人もなかなか居ないだろう」
 念の為、メリーノとユベニスはカノプスという女性についての容姿などで認識の照合を行ったが、凡そ間違いはなさそうだった。
「彼女から、君のことはよく聞いていたんだ。
 明るくて、優しくて、自慢の姉さんだって」
「………………」
「仲が良かったんだね」
「……そうよぉ。大好きな妹なの」
 少しだけ、落ち込んだような笑みを浮かべるメリーノに向けて、ユベニスは卓についた状態から僅かに身を乗り出す。
「メリーノと呼んでも?」
「構わないわぁ」
「じゃあ、メリーノ。
 僕がこれから、君の妹を探す力になると言ったら?」
 男性の言葉に対し、メリーノはきょとんとした表情を浮かべた。
「見返りは?」
「暫く、君と一緒に居たい」
 臆面もなくそう言い切るユベニスに対して、メリーノの表情は先ほどと変わらなかった。
「恥ずかしい話かもしれないけどね。
 君の妹……カノプスさんに話を聞いてから、君がどう言う人物か気になっていたんだ」
 普通の人間が話せば歯の浮くような台詞も、この男が発するそれは真摯なそれに聞こえる。
 そう思わせるだけの力が、ユベニスにはあった。
「カノプスさんから、君の話を聞いたように。
 君からも妹さんの話を聞かせて欲しい。それは僕が彼女を探す手掛かりにもなるし、君と言う人を知る切っ掛けにもなる」
 こう話す時点で、ユベニスはメリーノの胸中をある程度察していた。
 ユベニスにとって、人間の心は一つの球体のようなイメージである。
 それに日々の疲れや悩みなどによって欠けた部分や削れた部分、穴が空いた部分があり、彼はそれを埋め立てる「ような」言葉を贈ることで、相手の心を擬似的、かつ一時的に綺麗な球形に整えるような形にし、安らぎを与えているのだ。
 今のユベニスには、メリーノの心が美しい球形に見えている。
 ただし、それは表面上だけだ。その内側には確かな亀裂が存在しており、それは何らかの切っ掛け――恐らくは妹に対する良からぬ情報などによって、表層にまで広がる可能性を秘めている。
(だから、それに干渉する)
 ……気付けば、いつもの『仕事』のようにメリーノに察している自分に気づき、それと同時にメリーノに期待していた自分へと落胆した。
 ユベニスがメリーノに話した情報は嘘ではない。事実、彼はカノプスに会っていたし、彼女から姉であるメリーノの話もよく聞いていた。
 優しく、明るく。行動的でみんなの気を惹く。そんな美点ばかりの姉の話を聞かされていたユベニスはメリーノに対して何らかの期待を抱いており。
 そして、現在。実際に会った彼女の「与し易さ」に対して、呆れすら覚えていたのだ。
 ――だが。
「……それが、あなたの『お仕事』ぉ?」
「……!!」
 球形が、ユベニスの見るセカイから、姿を消した。
 メリーノは穏やかな笑顔を浮かべ、彼が注文した軽食が届くよりも前に、静かに席を立つ。
「待っ……」
「誤解しないで欲しいけれど、貴方のようなひとはよく知ってるし、嫌いというわけでも無いのよぉ?
 けれど、ごめんなさいね」
 瞬間。
 ユベニスは、確かに我を失った。
「私たちは、この世界で新しい生き方をするって決めたのぉ。
 かのちゃんは、『前の私たち』のやり方で手にした情報で見つけてもらっても、きっと、喜ばないと思うから」
 去り際、メリーノは困ったような、恥ずかしそうな笑顔で、そう言って、部屋の扉を閉めた。
 その笑顔を見て、ユベニスは動くことが出来なかったのだ。


 ――人は、完全なものを求める。
 それは誰しもに共通する事実だ。だからユベニスは自らが接した人々に対し、その心を満たすことで偽物の「完全な安寧」を与える。
 そうすれば、彼がその後仕向けるまでもなく、相手は勝手にその安寧へと依存していくからだ。
 けれど、彼女は。
「………………メリーノ」
 その容貌と容姿を以て、「共に居たい」と話しかけた。
 その心が求める相手に纏わる話を提案した。彼が確かに見つけた心の陥穽に、必ず響くような言葉を投げ掛けた。
「メリーノ、メリーノ、メリーノ」
 けれど。
 それら全てを「要らない」と言ってまで。彼女が自らの妹を優先し、向ける感情は。

 ――――――それこそは、彼が今まで出会うことが無かった「不変の感情(あい)」では無かろうか?

「俺は、君が、欲しい」
 ユベニスは、その言葉の矛盾を理解していた。
 彼がその欲求を果たすためには、即ち彼にとっての「不変」であるメリーノの心が自らに対するものへと「変わる」必要があると言うこと。
 つまり彼の願いが叶えば、彼の願いはその存在を失ってしまうのだ。

 ――どうすれば良い?

 メリーノの想いが変わらぬまま、けれど、その存在を自らの傍へと繋ぎ止めるにはと、少なくない時間を考えた。
 脳裏に映るメリーノの去り際の姿を何度も反芻しながら、思考を重ね、そうして漸く彼は呟く。
「嗚呼、そうか」
 ……某所、自らが持つ唯一の「家」の中で、ユベニスは言葉を掛ける。
「『カノプス、君が居れば良いんだ』」



 言葉と共に、
 灯りのない家の中で、ゆらりと、誰かがユベニスの前に傅いた。

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