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彼岸花は咲わない
登場人物一覧
けもののこころえ。
「い゛ッ……!! う、はっ、あ、ふっ……」
ひとつ、だれもしんじることなかれ。
「はぁっ、はぁッ――」
ふたつ、だれもにがさぬことなかれ。
「…………」
みっつ、だれもあいすることなかれ。
「おしまい」
●
命を奪うことには責任が伴う。それでも、リコリスはまだその責任を『弱肉強食に伴う対価』としてしか解釈できていなかった。
つまるところ。恨まれる、ということの本質を理解していなかったのだ。
リコリスとその師匠であるリーディア。二人は命を奪うことをも請け負う狙撃手であった。特にリコリスは命を奪うことへの抵抗感や躊躇いがなく。ヒトか獣かで言えば獣の側面の強い少女であった。
引き金を引くことに躊躇いがない、というのは素晴らしいことだ。味方の裏切りにも素早く対処できる。殺す相手にどんな理由があろうと、依頼であるからと切り捨てることも出来る。そういった側面では才能とも呼ぶべき性質であろう。けれど、リーディアは懸念していた。いつかその性質に飲み込まれてしまうのではないかと。
獣であらんとすることはいい。獣の側面を残したって構わない。けれど、リコリスがフードを被った瞬間の変貌ぶりには思わず息を飲まずにはいられないのだ。まるで溺れるように。彼女は切り替わる。
例えば、指を鳴らして。
例えば、水を一杯飲んで。
例えば、頬を叩いて。
そういったルーティンを軸にして殺しのスイッチを入れることはなんら不思議なことではない。現にリーディアの知り合いにもそうしている狙撃手は居るし、かくいう弟子のリコリスもそれを『フードを被る』という仕草に取り入れている。
それだけなら良かった。けれどリコリスの場合はまるで人格が変わるようだ。普段がヒトであり子犬のような愛くるしい少女の側面であるのならば、銃を持ちフードを被れば狼になる。待ても首輪もできない、狼に。
依頼が頓挫してしまうほどの風穴を依頼対象に空けたこともあった。狙撃手としては命を綺麗に奪うのが理想的ではあるのだけれど。
(……さてと、どうしたものかな)
リコリスと連絡がつかない。というのも、今日は本来ならばリコリスと銃のメンテナンスをして買い物をする予定だったのだった。
アデプトフォンを開く。何度かのタップとリロードを繰り返す内に、「しばらく会えなくなりそうです。ごめんなさい。」とだけ簡素に連絡が来ていたのだと通知が教えてくれる。
寝坊ならまだしも当日のドタキャンなんて、彼女らしくないと思う。リーディアには少なからず他人から愛されているかどうかを理解する力がある。それはハニートラップに使うためでもあるし、依頼人との円滑なやりとりを行うためでもある。
フードを被っているときの判断はともかく、普段のリコリスはまるで本当の家族のようにリーディアを慕ってくれているのだと感じていた。溌剌と笑う彼女の表情からは敵対心なんてものは微塵も感じたことはなかったし、リーディアも彼女を大切に想っていた。愛しい赤ずきんが、これからも幸せであるようにと願うくらいには。
きっと何か訳があることくらいわかる。それでも、こんなにもぶっきらぼうになんて。心配しない理由もない。
待っている間に飲み干す予定だったコーヒーはいつの間にかぬるくなってしまった。
「うーん……」
何とも言えない焦燥だけが胸の奥で暴れるが、リコリスとは本当の家族でもなんでもない。詮索することなんて出来る筈もない。
ぬるくなったコーヒーは苦味だけを口内に残す。赤ずきんの行方を思い、氷狼の目は静かに伏せられた。
●
獲物を殺すときは確実に。
逃さないようにするのがいいが、姿を見られても問題ない相手・場所ならば押さえつけても構わない。
眉間と心臓にそれぞれ一発ずつ。それで問題ないことも、もう身体が覚えていた。
けれど。今のリコリスにその判断をすることは出来なかった。
「お師匠」
「リコリスさん。私の教えは覚えているかな?」
「うん。覚えてる」
「じゃあ、実践する番だよ。さあ、銃を持って」
「……っ」
「出来ないなら、フードを被ると良い。出来るだろう?」
「やだ、やだよぅお師匠、ボク……」
「リコリスさん」
諭すような。それでいて責め立てるような。
震える手で相棒を握ったリコリスは、照準を合わせることすらもできない。だからぐっと心臓の上に銃を突き立てて、引き金を引いた。
リーディアの真っ白な肌がみるみる青みを帯びていく。命を持っていたのだとは言い難いぬるさ。じんわりと体温が奪われていく。
「ああ、あああああ――――!!」
飛び起きた。
やけにリアリティのある夢だった。
嫌だ。嫌だ。お師匠を撃っただなんて。信じたくない。きっと夢だ。それでも恐ろしくて、寝る前に数えた弾の数が減っていないかを確認する。
やけに手が震える。きっと夢だ。悪い夢だ。そう信じ込まなくてはこの身体の震えも汗も止めることが出来ない。
握った銃を重く感じたのは久しいことだった。
筋力ならばもう充分ついているだろう。ならば、この重みはなんだろう。わからない。
ずっと背中を追いかけていたお師匠を殺すことだけは酷く恐ろしいことのように思えて。
「う、あ、れ、れんらく」
今姿を見たら、泣いてしまうかもしれない。それに、殺してしまっていたら会えない。怖い。
いつもなら顔文字を飾ろうかなとか、返事はいつ来るだろうかとか、ぼんやりと頭を悩ませるだけで良かった。いや、なんなら連絡なんてメッセージじゃない、電話ボタンを押して声で行っていたことだろう。
でも今のリコリスにとってそれは重労働に等しく、命がけに等しかった。おぼつかない手付きでメッセージを送信し、カーテンを閉め切って。
通知が聞きたいわけでもないのでアデプトフォンの電源を落としてから、真っ赤になった手のひらの感覚を忘れるためにシャワーをしに行った。
どれだけボトルをプッシュして手のひらに石鹸を広げても、赤が消えないような気がして。どく、どく、と脈打っていたはずの心臓の音が弱くなっていくのを、この耳では拾えてしまうから。それが恐ろしくて。
「ゆめだ、夢……ゆめだって、ゆめ。ぜんぶぜんぶ、悪い夢だから……」
だから?
どうしろというのだ。
実際に確認することすら怠っている自分に逃げ場などない。瞼の裏には今も死体となったリーディアの姿が焼き付いているというのに。意識を落とすことすら恐ろしい。それから、リーディアを撃たなければ生き残れなかった己の弱さにも腹が立つ。
涙は流さない。流してはいけない。それは弱さだから。シャワーで顔を濡らせば、涙なのか水滴なのかすらもわからなくなる。曖昧で、不安定な心が煩わしい。
どうしたらもっともっと、強くなれるんだろう――
ぐっと握りしめた手のひらには爪が刺さり、じんわりと血が滲んで――ああ、そうだ。これがあった。
狼なのだから。爪も、牙も。なんでもあるじゃないか。
恵まれた天賦の才である嗅覚と聴覚も。獣以上、怪物とも言わしめた集中力も。きっとこの力の全てはお師匠を守るためにあったのだろう。
ならば刃は研がなくてはならない。磨かれていない刃はただ錆びるのを待つのみ。相棒たる銃との旅路は一先ずここまでだ。
武器は大いに越したことはない。少しでも多くリコリスが技術を身につけることで殺しも殺させもしないのであれば、リコリスは喜んでこの身体を捧げるのだ。
そうと決まれば依頼を受けて少しでも沢山の経験を積まなくては。最初はモンスター討伐から、倒すのにもなれてきたら徐々にヒトや知能を有したモンスターの出る依頼に回っても良いかもしれない。
リュックサックには財布と最低限の応急セットを詰め込んで。しばらくは帰るつもりもないので、リュックサックの底に部屋の鍵は押し込んだのだった。
銃を持たないこと。
牙と爪で戦うということはつまり、距離を取ることを捨てたということだ。
深く被ったフードは何があろうと外れることはない。それは一種のおまじないでも、呪いでもあり。
ターゲットは小型モンスター。知性もなければ理性もない。でもきっと、肩慣らしには丁度いい。
村の人が困っているのだ、なんて付け足した情報屋には曖昧に笑みを返し。だって、ボクだって困っているのだ。もっともっと強くなりたいのに、お師匠は頼れない。
ぽん、とスタンプを押された紙を受け取る。依頼を受理した証である。これを依頼人に見せれば問題ない。ので、村の人に見せて依頼はスタートした。
荷物を村に預けて、フードを被って。にこやかだった少女の変貌ぶりに、村人は困惑していただろうか。
今はそんなことを気にする余裕はない。にゅ、と伸びた爪を確認する。一応研いで鋭利にはしてみたものの、これが誰かの命を奪うに足るものだという自信はあまりなかった。
「……」
親指の腹に爪を埋めれば、ぷく、と血がみるみる溢れてくる。
ああ、なんだ。
これさえわかれば簡単だ。
皮膚のやわいところを裂く力があるのならば、大丈夫。
「依頼は、殲滅で大丈夫なんでしたっけ!」
「はい。巣穴の壊滅は……お一人だと厳しいでしょうし。無理のない範囲で帰ってきていただいてかまいません」
「わかりました」
肩がやけに軽いのは、きっとこの戦いが自分に新しい何かを与えてくれるのだと、確信的な予感があるから。
狩りは一方的であるべきだ。
と、誰かが言っていた。一方的であるからこそ狩りであり蹂躙足り得るのだと。
モンスターたちの返り血は青かった。リコリスの赤いコートを見る見る紫に変えていくくらいには。
獣種らしい卓越したフィジカルは柔軟な筋力へと変換されゆく。群れとなり襲いかかってくるゴブリン達を人間離れした体幹で躱して、一匹ずつ嬲っていく。
いちめんの✕✕。
(このまま壁を蹴って
いちめんの✕✕。
(おっと、変に足場崩されちゃったな。このまま手で着地して回し蹴りしてみて、一旦牽制)
いちめんの✕✕。
(……あれ。なんだか、汚いなあ。もっと綺麗に殺してるつもりなんだけど、なんで?)
森の奥。小さな壁の切れ込みは、きっとリーディアならば入ることは難しかっただろう。小柄な体躯であったリコリスだからこそ受けられた依頼に違いない。
まぁきっと、リーディアならばそんな些細な障害すらもなんとか乗り切ってしまうのだろう。少しだけ、鼻の奥がつんと痛んだ。
そして、現場の惨状に気がついた時には、リコリスの身体を強烈な疲弊と痛みが襲ってきた。
「折角気に入ってたのになあ……」
なんて。お気に入りのコートだったのに。汚れてしまうなら、黒のほうが望ましいだろうか。
青い血溜まりにへたりこんだリコリス。砕け散った肉は壁に散らばり、無慈悲にちぎられ、或いは砕かれ。そうして沢山の亡骸が山をなしていることには気付くことが出来なかった。
(この戦い方なら、お師匠を守れるかなあ……)
わからない。でも、きっと基礎はできた。こんなめちゃくちゃな基礎ではお師匠に叱られてしまうだろううか?
あまりにも眠い。依頼は達成したことだし一眠りしよう。血溜まりへと寝転がったリコリスは意識を手放した。
「……リコリスさんはご無事か?」
「はい。でも、これは……」
「あまりにも、酷い……」
「リコリスさんが起きる前に回収して、村で寝かせよう。そうして、帰ってもらう他ないだろうな……」
◇
なまえ:リコリス・ウォルハント・ローア
いらい:てきをたおす
けっか:だいせいこう!
きになること:つかれてねちゃったのがよくなかったかも。
もうちょっとかたづけとかしてからにしたらよかったかなあ。
あとこーとがよごれた!
・
依頼受託者:リコリス・ウォルハント・ローア
依頼内容:洞窟から村を襲うゴブリンの討伐(可能なら巣穴の特定、破壊)
結果:成功
備考:普段の銃を使う戦い方をやめたようです。
依頼人の話はしっかり聞いていたようではありますが、戦闘の後始末がされた様子はなくそのまま気絶したものと見られています。
後始末とかかなければいけないほど戦場は酷く荒れていて、形容するのも難しいほど無惨な有様でした。
また、血溜まりで眠っていたリコリスさんの掌や口元から推測するに、己の爪や牙を武器にしていたようです。
普通はモンスターを口に食むことですら警戒するものかとは思われますが、彼女の場合は一方的な虐殺に等しいほどの壊滅具合でした。
今のような戦い方を続けるようならば、誰かに監督してもらうべきかと思われ、今回このレポートを届けさせて頂きます。
以下、戦場の写真。添付資料として受け取ってください。
◇
「…………」
リーディアがローレットへと呼び出された理由。それはリコリスについて。
元々不安定な傾向があったけれど。戦闘中のみであると考えていた。けれど連絡のつかなくなった間に、まさかこんなことをしでかすとは。
彼女の戦いはあまりにも無鉄砲だ。命を命として見ていない。
それは獣らしく、本能に忠実で、普通ならば褒めて伸ばしていたところではあるのだけれど。彼女が無鉄砲で無頓着なのは他者の命だけではない。自分の命にすらもだ。
いつだったか、リコリスが「この世は弱肉強食だからね!」と笑っていた時、自分の命が奪われる可能性がある、という現状をまるでジュースのようにたやすく飲み干しているのだと呆気にとられたものだ。
その時の焦りや躊躇いは間違いではなかったのだと、今になって気付かされるなんて。
「……リコリスさん」
今は連絡が取れない。
きっとそれがリコリスの選択した道なのだろうことは充分わかってはいるけれど、納得できるか、許容できるかなんて別で。
彼女が帰ってきたらそのときは、まずは彼女の話を聞かなくては。
添付されていた資料に添えられたリコリス。口元も爪も青く汚れている。きっと、モンスターの一部を食いちぎったりひねり潰したりしたのだろう。獣としての本性を表しているのだろう。
何が一体、そこまで。
思わず溢れそうになった言葉を喉奥に戻して。やるせないため息とともに、リコリスの行方を想った。
●
コートが汚れてしまった。リコリスにとっては何よりも悲しいことの一つだった。
お気に入りのコートはスペアを用意していたからまだ良かったものの、はじめての一人での依頼の報酬はこのコートたちの撥水加工の費用に消えることだろう。
やや落胆しながらもリコリスはローレットへとやってきた。リーディアの匂いが少しだけ残っているのは、きっと彼もここに来ていたからなのだろう。リーディアも、リコリスの匂いに気付いてくれるだろうか?
今はまだ強くないからお師匠には会えない。自分に課せたルールであり目的。彼の命を奪わなくても良くなるくらいに、強くならなければ。
しばらくの間にいくつか依頼を受けてそのすべてを達成、成功させてきた。形になり始めてきている今の戦闘スタイルは、次の依頼を最後にしてお師匠に会いに行っても良いかもしれない。
そのためにも、次の依頼を成功に収める必要がある。
次の依頼は、リコリスが最も得意とし、また慣れ親しんできた『暗殺』であった。
狙撃手として受けていた依頼ならばリコリスとは相性もよくきっと快諾していたことに違いない。けれど今は、爪と牙、それから格闘技術しかない。それだけあれば充分かもしれないが、距離があるのとないのとでは仕込める罠の数も違う。敵の前に姿を晒すということは無防備であるということ。その危険性を、狙撃手として戦っていた頃の経験からも、リコリスはよく解っていた。
でも、受けない理由もない。強くなるために変わったのだ。彼を殺さなくて良いように変わったのだ。へったくそだけれども治療方法も覚えた。一瞬壱秒でも長く戦場に立つ方法を学んできた。その経験はきっと、この戦いで輝くことだろう。
練達の夜に、狼が吠える。
いつだったか、お師匠と潜入したことがあったのを思い出した。
きっとこんなにも動きやすさを意識してはいなかった。ただお師匠が、これが良いんじゃないかな、と。差し出してくれた、甘いふわふわのスカートのドレスで身を着飾っていたのだったか。
けれど、ここ数週間。いくつもの依頼を一人で乗り越えてきたリコリスは理解していた。自分の見目の良さですらも活かしてこその狩人であるのだと。
クロスホルターネックにフィット・アンド・フレアの真っ赤なドレス。高級感溢れるファー付きのフード付きコート。低めのヒールでいつでも戦う準備はばっちりだ。
今年で齢19になるのだ、大人のレディと言っても過言ではない年齢。己を美しく着飾って花に化けることで、毒にも気付かず標的は近寄ってくるのだ。
銃を持っていたのならば上手く隠すことを考えなければいけなかっただろうけれど、その必要もない。
「お嬢さん、この集まりは初めてかな。見ない顔だね」
「はい、初めてです! リコリスと言います。今日はお招きいただきありがとうございます」
「いや、何。こんなにも可愛いお嬢さんが居るなんて知らなかったなあ」
情報屋曰く。このパーティに集まっている全員を殺す必要がある。
小さな子供も。未来あるだろう学生も。皆。すべて。
それが依頼であるなら躊躇う理由はないけれど。一歩間違えていたら、この会場で殺されるのはリコリスだったかもしれない。それは少しだけ、悲しいような気もする。そんな感傷に浸っている余裕はないのだけれど。
「そうだ。今日は素敵なプレゼントを持ってきたんですよ」
行動に移すなら警戒されていないときにずどん、がいい。リコリスはフロアの真ん中へと走ると数発だけ装填したピストルを空に掲げ、解き放つ。きっと一生かけても届かないであろう金額のシャンデリアがみっつ、すべて落ちる。
(こんなときでも、お師匠の教えは役立つんだなあ……)
正確無比な弾丸は確実に、しっかりと繋がれていたであろうチェーン部分とシャンデリアとを撃ち抜いて別つ。きらきらと輝いていたはずのシャンデリアはろうそくが使われていたのだろう、美味しそうな食事に、きっと値の張るワインに、カーテンに引火していく。
「き、貴様ッ、何者だ……!!」
「何者って……だから、ボクはリコリスだって! もう……ひどいなあ……」
依頼。みなごろし。
フードを深く被る。にこにこと浮かんでいた笑顔がみるみる内に消えていく。まるで空気が冷えていくようだ。
きっと想定されていたクーデター。リコリスの蹴りはそのまま男の骨を砕く。
水滴がひとつ落ちた水面には波紋が広がる。きっとこれは、その水滴。これから起こる動乱が、巻き起こる波紋なのだろう。その変化の渦に飲まれて溺れて死んでいくか。渦を切って中央へと進んでいけるかは本人次第。
ぺちゃんこになった身体も、焼けていく皮膚の焦げ臭さも、きっと今はどうだってかまわない。ヒトは死んだら火葬をしていくのだから、その時期が早まっただけかもしれない。なんて、倫理観に欠けるだろうか?
どっちにせよ、救うことは出来ないし、救うつもりもない。そういう依頼だから。リコリスにそんな感情はないからだ。
だからそう。「息子だけは頼む」とか「金ならいくらでも払う」とか、そういった甘ったるいかのように見えた、蜂蜜みたいな言葉は、リコリスにとってはただのねちっこい戯言にしか聞こえないのだ。
馬鹿を殺したところでつまらないのはそうだけれど、それでも全員の亡骸を確認するまでは帰るつもりもない。ほぼ一般人で薬をもられただけのヒトも殺さなくてはいけないのは、つらいのではなくて骨が折れる。大変だ。
けれど予めこうやって誰かが殺しに来ることを悟っていたのだろう数人は、SPや護衛を雇っている、そういったヒトを倒すときこそ楽しくなってくるのだ。
「ボクに銃を向けるなんて、いい度胸だね」
パン、パン、と乾いた発砲音が響く。血の匂いときつい香水、それから食事の匂いで鼻は利かないかのようjに思われたけれど。空気を突き進んで濃くなる火薬の匂いにリコリスが気付かないはずもない。無事だったワインボトルで視界をくらませて、短期決戦と洒落込んで。
けもののこころえ。
「糞がっ、寄るな化け物め!!」
「い゛ッ……!! う、はっ、あ、ふっ……」
腕を貫く鉛玉。痛い。痛い。痛い。けれど、ああ、この赤が好きだ。
ひとつ、だれもしんじることなかれ。
「なんで、なんで動けるんだよ!! おかしいだろ!!」
「もっと撃て、蜂の巣にするんだ、じゃなきゃ――が、ああ、あ」
「はぁっ、はぁッ――」
きれいだ。あかはきれい。だからすき。あかいろ。あかいろ。
ふたつ、だれもにがさぬことなかれ。
「この野郎、絶対、絶対殺してや――え?」
「…………」
「あ、ああ、あああ」
わあ、すごい。いっぱいあかがみえる。もっと。もっと。
みっつ、だれもあいすることなかれ。
階段を飛び降りて追いかけた。窓ガラスを叩き割って。時には床を潰して。そうして、建物は崩壊していく。
己の呼吸の音しか聞こえない。ぱちぱちと火が燻るわけでもなく、フィナーレを告げるように気持ちばかりのスプリンクラーが水をまく。乾いた戦場にリコリスがただひとり、立っている。
子供も、大人も。皆を殺した。
「おしまい」
いちめんのあか。
いちめんのあか。
いちめんのあか。
いちめんのあか。
「綺麗」
大暴れ。大狂乱。リコリスの掌をぽたぽたと汚していく。
建物が崩落することなど、誰にも分かる結果だろう。けれどリコリスにはわからない。
疲れた。だからもう寝よう。
数少ない無事だったソファの上にぱたりと身を横たえる。きっと、きっとお師匠は褒めてくれるかな。そうだったら、いいな。
「……そうだね、私の赤ずきん」
●
「ふぁぁ、よくねた……」
「おはよう、リコリスさん。よく眠れたかい?」
「あ、え、ええ?! お師匠?!!」
「ふふ、まるでおばけでも見たような返事だね。依頼、お疲れ様」
「な、なんでそのこと……あれ、ボク、あれえ……?」
「なんでもなにも、ローレットで寝ていたんじゃないか、リコリスさん。依頼報告が終わったんだよ、って誇らしげに語ってくれたのに……忘れてしまったのかな?」
「うーん、そうかな……そうかも。にしてもお師匠、ここどこ?」
よくよく見れば見慣れないパジャマだ。それにお師匠の匂いが強い。もしかして、ここは。
「どこって……私の家だよ。ほら、朝ごはんが出来たから、一緒にいかがかな?」
「お師匠の家?!! て、手料理まで……わーい! ごはんだ!! ほしいほしいっ!!」
リーディアは二人分のガレットを用意して。リコリスが美味しそうに食べるさまを微笑ましげに見守った。
「お師匠をね、殺しちゃう夢をみたんだ」
「……ふむ」
「でもね、そんなこと怒らないように特訓してきたの!」
にぱーと笑みを浮かべるリコリスに不安の色がにじむ様子はなく。どこか焦っていたのはそのせいだったのかと合点する。
「リコリスさん」
「なぁに?」
「よく頑張ったね」
赤毛とも呼ぶべき茶色いその髪の指触りを確かめながら、リーディアはリコリスの頭を撫でる。
「えへへ、でしょう? ボクすっごい頑張ったんだから!」
だから、もう誰にも殺させやしない。殺すならきっと、自分がいい。いいや、そんな未来は望んでは居ないのだけれど。
「お師匠が怪我したらボクが治してあげられるし、お師匠がキレイな人を砕いてたらボクがめってしにいくもんね!」
「ふふ、それは頼もしいなあ。楽しみにしているね」
窓の外には青い空が広がっている。美味しい美味しいと食べるリコリスの笑顔は胸を癒やすもので。
愛しい愛弟子。可愛い愛弟子。
どうかその牙がうんと鋭くなっているころには、この命を食らってくれたって構わない。
だからどうか、美しく咲き誇る毒花でありますようにと。
リーディアは、願っのだった。
◇
依頼受託者:リコリス・ウォルハント・ローア
受託者の回収者:リーディア・ノイ・ヴォルク
依頼内容:麻薬を扱うパーティの壊滅、関与した者の殺害
結果:成功
備考:しっかりと殺せていましたが、自身がそこで眠ったら死んでしまうという自覚が足りなさ過ぎる。
今回はリーディアさんの申出により回収をお願いさせていただきました。
殺害方法も効率が悪く、もしかしたら殺しを楽しんでいる可能性があります。