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もう哭かない為に
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この森は明るすぎると、僕は思う。
陽が昇れば、木々の合間から一直線に橙色の朝陽が直撃するし、空に上がったソレは木漏れ日なんて可愛い例えが似合わないほど降り注いで来る。
夜の帳が訪れる前。まるで消えかけの蝋燭が、最後の力を振り絞ったかの様な鮮烈さで、夕焼けは辺りを暖色に染め上げて消えていく。
この森は、かつて居た所に比べて、明るすぎる。
濡れた空気が軽い。
撫でる風が軽い。
踏み締めた大地が、暖かい。
……悪い所では、ない。と、僕は思う。
何より、あの娘が静かに過ごせる場所だから。
座り込んだ僕の前、木目の十字が地面に固定されている。
かつて僕を慕い、慕ったが故に命を奪われた、憐れな少女の墓だ。
……憐れは言い過ぎかもしれない。というよりは、失礼かもしれなかった。
きっと少女は自分の事をそういう風には思っていないだろうし、僕自身、そう思いたくはない。
そんな考えが出来るようになったのは、業腹だが、あの女の影響だろう。
わざわざ名前など覚えてはいないが、そう、やたら楽器を鳴らすのが巧い女だ。
「……ガフ」
我を失い暴れていた僕を止め、行き場のなかった少女の亡骸を弔った女。
感謝などしない。
……なんて言えば、嘘になる。少なくとも、この娘がもう何者にも侵されず、安心して眠れる地を得た事に関しては、だ。
だが、しかし、だ。
毎朝、花を供え、祈りを捧げ、時たま音色を奏でるまではいい。
でも僕の事を「わんわん」等と呼ぶのは……なってない。躾がなっていないぞあの女。
大体、穏やかな森と言えどこの周辺には魔物が多数いる。対した装備も無くここまで訪れるなど……危機管理能力を疑う他無い。
まあ、墓を荒らされたくない一心で、近寄る邪悪を一蹴してはいるけれど。
それは決してあの女の為ではないのだ。
「──?」
と、吹いた風に匂いが乗っている。
人の匂いだ。
森の近くにある修道院があるし、それ自体は良くあることだが、今回のはやけに濃い気配がする。
朝の祈りは済んでいるから、あの女ではないことは間違いない。
ということは、第三者の人間が、この森に踏み行ったということだろう。
「……」
今一度、気配を探る。
覚えのある匂いだ。
やはりこれは、その修道院で嗅いだ匂いに合致するように思う。
いや別に覚えてなどいないが。
しかし、なんの理由でこの森に? あの女は何をしている? いやそんなことよりも。
「バウッ」
駆けてきた犬が一吠えした。
この森に来て、一番に知り合った者だ。
続いて狐や小鳥なんかも集まってきて、口々に鳴いて何かを訴え掛けてくる。
「くぅん?」
……別に、動く必要も義理もないが。
少女の安息のため、僕は重い腰を上げ、地を蹴った。
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「もう、しかたないなぁ」
溜め息を一つ吐き出したミファーは、葉を枯らした木々の間を歩いていた。
冬の森はどこか寂しくて、吹き抜ける風は肌を刺すように冷たい。
それでも、わざわざその中を進むには、それなりの理由がある。
「ソラったら、もう、加減を覚えてくれないかなぁ」
修道院には子供が多い。年少は比較的大人しい子が多く、逆に年長にはやんちゃな性格が目立つ。
その中でも、特に泣きやすい年少組のレミーが大事にしていた物を、事故とはいえ年上のソラが壊してしまったのが発端だ。
わんわんと泣く姿に、流石のソラも悪いとは思ったのだろう。ばつの悪そうな顔でぼそぼそっと謝っていた事を、彼女は思い返す。
ただ、まあ。
「そのあとが……」
なんというか。
年頃にはよくある悪循環が起きた。
一方は感情を理性で制御出来ない幼子で、片や少年はどうしようも出来ない相手に自分は謝ったじゃないかという跳ねっ返りのプライドがある。
こうなるとその瞬間だけは、相互理解など場に存在しなくなってしまうのだ。
要は子供の喧嘩である。
終息させるには外部の介入が不可欠な段階にまで入っていて、他のみんなはそれぞれその用事で居らず、必然的にその役回りはミファーの請け負いになった。
「仲裁はよくしているけれど、ね」
方法は簡単だ。ソラは不貞腐れているとはいえ非を認めて謝罪していた。後はレミーを落ち着かせて、許させる一言で仲直り出来る筈。
そう考えた彼女は、壊れた物の代わりを与える約束で、納得をさせて森に来た。
必要なのは、壊れた物。砕けた半透明の石に似た、レミーが気に入る透き通った石。
「この辺りで拾ったらしいから、ある筈なんだけど……」
少しだけ深く、森へ行く。
修道院から近いこの森は、動植物が穏やかだ。浅い域までは良く入って遊ぶし、慣れているとも言える。
ただ、奥深くとなると、また別だ。
「ん……」
あまり入った事の無い深域。そこには何があるのだろうか。
ほんの少しの好奇心は、探検してみたいという感情へと変わる。石を探すついでに、普段みない景色を物珍しげにキョロキョロと見回していた。
そうしていると、ふと、気温が少し下がった気がする。肌寒さに体を抱いて、胸の内から沸く不安に、心細さが増していった。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
呟く言葉で自分を納得させる。大丈夫、石を見付けて帰るだけだ。でもそろそろ帰ろうかな、どうしようか。
心の中でも唱え、考え、ゆっくり歩を進めて、
「っ」
息を飲む光景に出会った。
四足歩行の黒いシルエットが、目の前に現れたのだ。
大きい。
自分の数倍くらいはあるだろうかと、どこか冷静な思考が感想を思わせる。
そしてそれが、こちらを見て、ニヤリと笑うように口を開き、ヨダレに濡れた牙を剥き出した瞬間。
「ぁ……!」
ミファーは脱兎の如く逃げ出した。
子供ながらに感じる、捕食者の気配と、自分に迫る濃い死の気配。それに耐えられる強さなんてあるわけがない。
無駄の多い走りに心臓は痛く跳ね、露出した木の根に躓きながら、遂に態勢を崩して一回転して転ぶ。
「……ぅ」
そうして、恐怖に消えていく意識の中、迫る黒い影に包まれて。
「──」
力強い咆哮を、聞いた気がした。
●
朱が射し込む森の中。
「ミファー! どこー!」
急ぎ足のリアが、声を大にして駆けていた。
不在の間に起きた出来事を聞いて、その足でミファーの捜索に出たのだ。
何せこの時期、冬の厳しさが増す季節には、よく餌を求めて魔物が入り込んでくる。もしそれが子供と出会ってしまえば、間違いなく冬越えの蓄えとされてしまうだろう。
最悪の可能性を振り切るようにリアは走り、不意に、穏やかな旋律が聴こえた。
音ではない。
それは、彼女が保有するギフトによるモノ。生き物の心を汲み取る能力だ。
そしてその旋律は、良く聴いているものだった。
「……わんわん?」
「……」
言葉の通りに、木陰から四足歩行の犬が現れた。
リアに不機嫌そうな半目を向けた彼は、ふんっと鼻を鳴らして静かに足元へ進む。
「もしかして……ミファーを助けてくれたの?」
その背に、穏やかに眠るミファーを乗せて。
速く受け取れ、の感情を受けて少女を抱き上げ、辺りを見回せば確かな戦闘の痕跡が見える。
「ありがとうわんわ──」
助けられた。その感謝の言葉を口にした時には、もう姿は無い。
ただ、子供を森に近付けるなという、お叱りみたいな旋律があって。
「……シスターに怒られた気分」
なんだかんだの優しさを見たリアは、無事だった温もりを抱いて、微笑みで帰路に着いた。