SS詳細
宝物
登場人物一覧
雪は、眩しい。冬の薄暗い森の中でも、リコリスの家の周りは時折陽が差し込む。その度に雪がちらちらと輝いて、ジョシュアは目を細めた。
リコリスは今、お誕生日会の準備をしている。彼女は外の寒さを心配して、もう中に入って良いと言ってくれていたが、雪かきが大変そうなのがやはり気になっていた。だからちょっぴり早く来て、準備が終わるまでの間に、彼女が少しでも過ごしやすくなるようにしておきたかった。
この後のケーキや贈り物のことを思い浮かべながら雪かきをしていると、きぃ、と扉が開いて、小さな足音がとことこと近づいてきた。カネルだ。
「準備ができたのですね」
そうだとでも言うように、カネルがにゃあと鳴く。それならとカネルを抱き上げて、ジョシュアは家の中に入った。キッチンに立っていたリコリスが振り返って、その表情に花が咲いた。
「お待たせ。雪かき、ありがとう」
暖炉で温められた部屋は、何だかほっとする。外にいる間に冷えた皮膚が次第に温度を取り戻していく。
「リコリス様も、準備してくださってありがとうございます」
そう伝えると、彼女は「だって今日はジョシュ君の特別な日だもの」と微笑んだ。
今日はジョシュアの誕生日だ。前々からこの日は一緒に過ごそうと約束してはいたけれど、いざ自分のために用意されたお菓子や贈り物のことを思うと、何だか照れ臭くて、やっぱり緊張する。
「実は、お土産があって」
仕事で分けてもらった上等なカカオ。それから、ラサのとっておきの紅茶屋さんのブレンドティー。それらを広げると、リコリスの目が輝いた。貰っていいのかと、その表情が尋ねている。
「カカオはお菓子の材料にしてもらえれば。紅茶はケーキのお供にと」
「そうさせてもらうわね、ありがとう」
リコリスはカカオをどうしようかしばらく考えていたようだったが、やがて思いついたように「もうすぐバレンタインだし、一緒にお菓子を作るのはどう?」と尋ねてきた。こちらではグラオ・クローネのことを、バレンタインというらしかった。
「僕でも作れるのなら、是非」
リコリスと過ごす日々は優しくて、強張っていた心がほどけていくような気持ちになる。だから次の約束をすることも、その約束の日がやってくることも嬉しくて、季節が巡るのが待ち遠しくなる。
またバレンタインの時期にと約束して、紅茶の準備をしてから席に着いた。
「どんなチーズケーキにしようか迷ったのだけれど」
そうはにかみながら、リコリスがケーキの上に被せていたカバーを取った。
「レアチーズケーキに飾りつけしてみたわ」
下半分はチーズケーキで、上半分は苺やラズベリーが底に並べられたゼリーだった。ゼリーの平らな表面には食用の花が浮かべられていて、春の季節を閉じ込めたようなケーキになっていた。
上から見るか、横から見るかで、このケーキは表情を変える。上から眺めると宝石が沈められた湖のようで、横から眺めると夢を詰め込んだお城のようだった。いくつもの煌めきを含んだそれをしばらく眺めて、ジョシュアはようやく息を零した。
「すごい」
この気持ちをどう言葉にしようか迷って、でもなかなか言葉が見つからなくて、ひとまず彼女の方を見る。すると彼女は穏やかな笑みを浮かべて、ジョシュアの頭をそっと撫でた。
ここしばらく、リコリスが作るチーズケーキがどんなものかを思い浮かべて、その見た目や味を想像していた。だけど、こんなに綺麗なものを作ってくれるなんて思っていなかった。
今まで、誰かと親しくなること自体が少なくて、誕生日を祝ってもらえることもほとんどなかった。ジョシュアを大切にしてくれた数少ない人だったエリュサとは誕生日を迎えることができなかったし、友人のシエルには祝ってもらったことはあれども、こういった優しい雰囲気とはまた違うものだった。だからこうしてリコリスに温かな気持ちで迎え入れてもらって、気持ちのこもったケーキを作ってもらって、胸の奥深くから温かいものが溢れてしまった。
「ジョシュ君、お誕生日おめでとう。この一年を、幸せに過ごせますように」
リコリスに優しく見つめられて、やっとジョシュアは小さく頷いた。
「ケーキも、お祝いも、ありがとうございます」
温かくて、照れ臭いようで、頬が火照るほど嬉しかった。リコリスもまた、そんな様子のジョシュアを見て照れ臭そうに笑う。
「さ、食べましょうか」
紅茶を淹れて、ケーキを切り分ける。赤と白の宝石が、皿の上に置かれる。
「「いただきます」」
柔らかなゼリーが崩れないようにフォークを刺すと、一番下のクッキーの部分がさくりと音を立てた。そっと口に運ぶと、まずゼリーの甘酸っぱさが広がって、それから滑らかなチーズが舌の上でとろける。チーズの優しい甘さを果物の酸味が引き立てていて、爽やかな味わいだった。
「おいしい」
「喜んでもらえてよかった」
リコリスはふわりと笑って、それから紅茶に口をつける。
「この紅茶、とても美味しいわ」
ケーキを食べながら、紅茶を手に入れてきたところがどんなところかを話す。彼女が興味津々といった様子で話を聞いてくれて、驚いたり、感心したりしてくれたから、だんだん話が膨らんでいく。
「イレギュラーズって、すごいのね」
「そう言われると、何だか照れますね」
確かにイレギュラーズになってから色々な仕事をするようになって、生活は安定しはじめた。だけど、これまでのことを思うと、いつかローレットからも追い出されてしまうのではないかと不安になって、他人を警戒してしまうこともあった。居てくれて嬉しいと言ってくれる誰かに出会えることももうないのではないか。そんな気持ちになってしまうこともあった。
一年前は、こんな風に心穏やかに過ごせるようになるとは思ってもいなかった。だけど、リコリスと出会ってから、また優しい日々を過ごすことができている。
ここには、自分の居場所があるのだ。
「あの、リコリス様」
なあに、とリコリスが笑う。
「僕がこうして笑っていられるのは、リコリス様のおかげなのです」
居場所があって、優しく包んでくれる人がいる。それはきっと、特別なこと。だからこの特別を守りたいと思うし、大切にしたいと思うのだ。
「私も同じなの」
紅茶を一口飲んでから、リコリスはゆっくりと目を細めた。
「私、最近街に出るのが前より怖くなくなったの」
街の人には魔女であることは隠しているけれど、それでも関わりはなかなか持てないのだと彼女は言う。もしものことを考えると足がすくんで、生活に必要なものを揃えにいくだけでも億劫だったという。
「でもこの家は、私の居場所で、ジョシュ君が遊びに来てくれるところだから」
もし何かあったとしても、この家があると思うと落ち着くの。彼女はそう微笑んだ。
「お礼を言うのは私の方なの。だからこれは、感謝を込めた贈り物」
リコリスが戸棚に隠していた包みを取り出す。手紙で話してくれていた、誕生日プレゼントだ。
「開けてみて」
こくりと頷いて、リボンの端をそっと摘まむ。包装を解く度にリコリスからの視線を感じて、頬が火照る。どきどきと心臓が音を立てているのを聴きながら、中身を取り出した。
植物の種と花が詰められている、細い瓶だった。空いた隙間は透明な液体で満たされていて、花の色が時折浮いたように見える。思わず息が零れた。
「私が生まれた場所であったおまじないなの」
季節ごとに咲く花とその花の種を詰めて、長持ちするように保存する。それを相手に送るのが、おまじないの方法。意味は、「あなたに何度も季節が廻りますように」
綺麗。小さく呟いて、瓶をそっと回す。そうして瓶の中で華やかな姿を保っている花や種を見つめていると、半透明な花があることに気が付いた。
「これは、冬の終わりに咲くという、あの花ですか」
「そうよ。あとこれは、ちょっと隠れてるけど、フルリール」
よく探してみるとミエル作りに使った黄色の花もあって、瓶に詰められた花を一つひとつ見つけては、リコリスにどんな花で、種がどれなのか教えてもらった。
「とても、嬉しいです。ありがとうございます」
きっとこの贈り物には、日々を穏やかに、そして楽しく過ごしてほしいという願いが込められている。次の季節が巡ってくるのが待ち遠しくなるように。過ごした日々が、いつまでも心の中に残り続けるように。そういった彼女の優しい願いが、この瓶には詰まっているのだろう。
「宝物にします」
これまで過ごした時間にも自分を大切にしてくれた人がいて、これから過ごす季節にも、自分を大切にしてくれる人がいる。もう自分は、一人ではないのだ。
「本当に、ありがとうございます」
宝物を抱きしめて、ジョシュアは微笑む。身体が優しく温かいもので満たされて、目頭が熱くなっていく。
「これからもよろしくお願いします」
こちらこそよろしくね。そう微笑み返してくれるリコリスに頷いて、ジョシュアは再び宝物を見つめた。
おまけSS『思い出』
ネズミのおもちゃを投げると、カネルが小さい足で追いかけていく。ネズミを捕まえたカネルが前足でつついたり甘噛みしたりして遊んでいるのを、ジョシュアは微笑みながら見つめていた。
「カネルが遊んでくれてありがとう、ですって」
「楽しんでもらえて何よりです」
カネルのための料理は参考書を見つけたばかりだと言うと、彼女はこれから楽しみだと言うように笑った。
「私もまだ探しているところ。皆で一緒のものを食べるの、きっと楽しいわ」
そうですねと、ジョシュアもまた笑みを浮かべる。
「ドリアは練習しているところです」
「ふふ。とても楽しみだわ、ありがとう」
リコリスとやりたいことはたくさんあって、次はどんなことをして過ごしたいか、迷ってしまう。こんな風に、誰かと一緒に何かをしたいと思えるのは、幸せだ。
机の上に置かれたハーバリウムを見ると、フルリールの花と目が合った。
今日の思い出は、この宝物を見れば鮮明に思い出せるのだと思った。