SS詳細
声にはならない叫び
登場人物一覧
ナヴァン・ラグランは旅人である。人工知能が国内を統制し、数少ない『生き物』達が優雅に暮らしていたサイエンス・フィクション世界の住民である。
青年は人工知能の研究者である。国内の人工知能達の産みの親であったが故に独自の進化を遂げていく『ロボット』達を『人間』たらしめる理由が何であるかに察知が着いてしまっていた。故に、特権階級となっていた『生き物』達へと訪れる凶行――『X-day』を阻むため尽力し続けていた。あと少しでその全てを喰い留められるはずだと検討は付いていたというのに、青年は混沌世界に召喚され、今に至る。
元世界への回帰を目的とした練達で研究者として寝食を蔑ろにして過ごしてきた青年には小さな友人が出来た。出会い自体は偶然であったがローレットに所属している秘宝種は丸い銀色の瞳を向けて首を傾げたのだ。
「お腹が空いたのですか?」
そんなところからナヴァンと秘宝種――ニルの関係性は始まった。
ニルは食事を必要としないが、ナヴァンは必要である。ゼリー飲料で誤魔化しては来たがある程度の栄養素を体内に補給しなくては死んでしまう。『一日一つで栄養を補給できる完全食』などと言う非人道的な食事の開発も行なわれては居たが食った気にならない為、逆に腹が減ると研究者達には不評であった。
ニルはナヴァンが腹を減っているのに食事をしない変な人だと認識したことだろう。ニルは食事を楽しむ事は良く分からない。だが『おいしい』というのはとても素晴らしいことである事は分かった。
「ナヴァンさま、これは『おいしい』ですか?」
そう言って練達の街を歩き回っては購入してくる料理がナヴァンは好きだった。餌付けされたとはとんでもない。食べる必要が無く、食事をする素振りも取らない秘宝種に変わって消費しているだけだ。無論、秘宝種であろうとも食事を口にすることは可能だ。だが『空腹が最大のスパイス』という言葉はニルには分からないままだろう――何時か、ニルにも『おししい』が味わえたら良いのに、などと他人事のように考えて居た。
晴を、夏を、秋を、冬を。ニルはことあるごとに顔を出しシャイネンナハトなどのイベントにナヴァンを誘った。
勿論、ナヴァンからすれば「何が楽しいんだ」と言いたくもなる事だらけだが、ニルが余りにも嬉しそうな表情を浮かべるのだから、それ以上は云う事は無かった。
当たり前のようにニルが日常の傍らに居る事に気付いたのは、ニルが持ち込む食事を楽しみにし出した頃からだった。
あと少し、もう少しと仕事に根を詰め続けるナヴァンに同僚達は呆れては居たがニルが来れば手を止めて食事をするだけで大きな成長だと見守ってくれている節もある。
(そう言われると不本意ではあるが――まあ、持ってくる食事に罪はないからな)
145cm程度しかない小さな身長、まだまだ幼い少年を思わせるつるりとしたフォルムの秘宝種は限りなく人間に近かった。
ナヴァンからすれば故郷の人工知能達に似ている気がして近付きすぎることを避けている節はあったが、自我を有しながらも人々に対して何らかの反感を抱くことのないニルはある種の安心までも与えてくれた。斯うして、故郷でも遍く存在が仲良く共存して行けたならば最良ではあったのに。
「ナーヴァン、ニィちゃんきた?」
「……いや?」
「今日、来ると思ってたんやけどなぁ」
可笑しいなあと肩を竦めたのは同僚であった。彼はぱちくりと瞬いてからナヴァンのテーブルへと珈琲を置く。モニターに奔っているプログラムの軌跡を眺めてから「此処、ループしてる」と指差した東 九之助は「ニィちゃん見たか皆に聞いてくるわ」と手を振った。
普段ならば気にも留めないがこの日ばかりはナヴァンもどうしようもなくニルのことが気になった。
「おい、俺も探す」
立ち上がったナヴァンに九之助は口許を手で押さえてから「あら、めずらしっ」と茶化すように笑ったのだった。
練達の街の中をメモを片手にニルは歩いていた。オススメの店舗があると聞いてやって来たのだ。
具材がたっぷりのスープとパンが絶品だというその店は月毎に販売メニューが変わるらしい。今月はじゃがいものクリームスープとチーズを練り込んだパンだそうだ。
(ナヴァン様は『おいしい』と言ってくれるでしょうか)
ニルにはまだ『おいしい』は良く分からないが、ナヴァンはアレで居て表情に出る。美味しいときは何処か嬉しそうな顔をするのだ。その表情を見るのがニルは好きだ。
ナヴァンは屹度、今日も必死に仕事をしていて食事を忘れているはずだ。折角ならばスティックチキンなど簡単につまめる物を持っていけば研究所内で共有してくれるだろうか。
逸る気持ちを抑えながらも足取りは軽い。店へ向かうのは淀みなく、スキップをしていたニルは「こんにちは」と声を掛けられて首を傾げてから振り向いた。
「こんにちは」
「……ああ、ええと、種族は人間種かな? それとも旅人?」
「……? ニルは秘宝種です」
ぱちくりと瞬いたニルの前に立っていたのはオオカミの耳を有した青年であった。ナヴァンと同じように白衣を着用している青年はニルを興味深そうに眺めている。
秘宝種という返答に心やら嬉しそうな顔をした青年は「テオロジーアという」と穏やかな声音で名乗る。
「テオロジーア様。ニルはニルです」
「ニル、君に少し手伝って欲しいことがあるのだが、飴をあげるから手伝ってくれるだろうか?」
「はい」
素直に返事をしたニルは嬉しそうに頷く。元々、警戒心と呼ぶ物はそれ程強く有していないが練達はナヴァン達が居る事で警戒するという意識が抜けていたのだろう。
初対面の青年の提案を受けて嬉しそうに歩き出すニアはテオロジーアの背中を追掛ける。
一体何を手伝うのだろう。お手伝いの後は美味しい料理の店を教えて貰えば良いだろうか。
「テオロジーア様、何をしますか?」
「そうだな……ニル、お前のコアは何処だ? 秘宝種にはコアがあるのだろう」
「はい。ニルはシトリンのコアがあります」
「秘宝種のコアについて研究しているんだ。だから、秘宝種にしか手伝えない事だろう?」
穏やかな声音で告げるテオロジーアにニルは「それは、秘宝種じゃないと、いけませんね」と頷いた。
「ああ。秘宝種達には研究の世話になっている。それがこの世界の発展や元世界への回帰に繋がっている可能性があるからだ」
「はい。ニルのだいすきなひとも元の世界に戻るための研究をしておられます」
「そうか。なら、その人のためになる。是非協力してくれ」
「はい。がんばります」
大きく頷いたニルがテオロジーアに連れられて遣ってきたのはセフィロト内でも人気の無い区画であった。研究所には共通IDが有れば入れるのだろう。
だが、余り使われていないのはテオロジーア自身の研究が煙たがられてるからである。目にしなければ『していない』のと同義だとでも言うかのように、無視をされているのだろう。
人気が無いとは思いながら、ニルは大して警戒することなく研究所内に入った。
自動点灯の明かりがぼんやりとニルとテオロジーアを照らしている。
「広いですね」
「ああ、本来なら数人で利用する場所ではあるが、一人で使っているからな」
すいすいと歩いて行くテオロジーアに付いていきながらニルはふと顔を上げた。精巧な人間を思わせる人形が横たわっている。
(ロボット……?)
ロボット、だろう。胸元にぽっかりと穴が開いている事を見ても、それは人間ではない。精巧な人間を模した人工物である事が良く分かる。
不思議そうに周囲を見回していたニルをテオロジーアはベッドへと誘った。ベッドと言えども、それは寝具ではなく手術用に用意されている物のようであった。
ニルは誘われるままにベッドに腰掛けて まじまじとテオロジーアを眺め続ける。
「さて、コアは何処だったか」
「鎖骨です」
「成程」
突如としてテオロジーアの手がニルの衣服に掛けられた。片手にはメスが握られており、勢い良く衣服が刃物で引き裂かれていく。
ニルはぽかんとその様子を眺めてから「お洋服が」と唇を動かした。
「必要ないだろう。秘宝種に」
「いいえ、お洋服は皮膚を護るものですから」
「皮膚。まあ、確かにそうだな。お前は出来が良い」
そこまで言われてからニルは何科が可笑しいとテオロジーアを見上げた。
「コレがお前のコアか。うん、良さそうだ。取り出すにも容易な形をしている」
「取り出す……?」
「横になれ」
勢い良く体を倒されてニルは思わず呻いた。視界いっぱいにテオロジーアが居る。
「何をするのですか」
「お前に教える必要は無い。実験を手伝うのだろう」
唯、其れだけしか言われることはなく、手が伸ばされる。シトリンのコアが光を帯びる。
無理矢理に破られたシャツに――迫り来るのはコアとその周辺だけを採取する為にナイフが握られている。
嫌――嫌だ――頭の中にそんな言葉がよぎった。
「テオ、」
やめてくださいと唇は動かなかった。恐怖が体を支配して硬直させる。指先が冷たくなって力がこもったままになる。
「な、何を……?」
「綺麗なコアだな、ニル」
手が伸ばされた。コアには触らないで欲しいと叫び出したくなったが唇が上手く言葉を紡がない。舌が縺れ、唇がはくはくと動くだけだ。
「しかし、精巧だな。人間にしか見えない」
テオロジーアはニアの手首を掴み上げてからまじまじと見詰め、ナイフを――
……ぷつん、とニルの意識が強制的に途絶えた。体から力が抜け、抜け殻のようにごろんと首が倒れる。
テオロジーアは「何だ」と呟いた。一体何が起ったか分からないが寧ろ好都合だ。
興味はあったのだが、未だ触ったことがなかったのだ。目の前の『コア』を切り取ればこの体は死んでしまうのか。何処まで『コア』を痛めつければ死に至るのか。
先ずは其れを測定してみなくてはならないか。ナイフを突き立てようとした手首を離せば、腕は容易に地へと落ちていった。
「ふむ、先ずは何から……」
其処まで口にしてから、扉が開いた。かつかつと鋭い靴音が響き勢い良く青年が飛び込んでくる。
首から提げられたIDカードを見るに『実践の塔』辺りの研究所の職員だ。確か――とテオロジーアはおとがいに手を当ててから思い当たった。アレはナヴァンだ。ナヴァン・ラグラン。人工知能の研究者であり、
「ナヴァン・ラグランか」
「……テオロジーア、だろう?」
「ああ、其方も知っていたか。テオロジーア、研究者の一人だ。面と向かって話すのは初めてだったか」
ナヴァンはテオロジーアに「そうだな」と返してから何かを探す様に周囲を眺め遣った。そうして、ベッドの上に転がされているニルに気付きひゅ、と息を呑む。
慌てて飛び込んでくる青年に「人の研究所だというのに、随分だな」とテオロジーアは唇を尖らせた。
傷はない。意識を失っているが、体は綺麗だ。ナヴァンは無理矢理に破られたシャツを見詰めてから「何をした」と静かな声で問い掛ける。
「研究材料だ」
「材料――? お前、何をしたんだ!」
「その秘宝種が手伝うと言った。その言葉に甘えただけだが」
何を可笑しな事を、とテオロジーアは鼻で笑ってからコアを取り出すための器具を手に取った。
つかつかとニルに近付き、その華奢な肩に手を掛ける。ナヴァンはひゅうと息を呑んでから「止めろ」と叫んだ。
「何故だ」
「何をしているか理解をしているのか!?」
「研究だ」
「研――究……?」
体が震える。理解が出来ないと言う様にナヴァンは目の前のテオロジーアをまじまじと眺めた。
不思議そうな顔をしたテオロジーアは「研究だ。コアを獲る」と淡々と告げ、器具を突き刺そうとし――
「ッ、テオロジーア!」
ナヴァンが声を荒げた。テオロジーアの手を叩き、其の儘、ニルを取り上げる。
意識を失ったままのニルを掻き抱き鋭い視線を投げ掛けた。眼窩の光は強いが、全容はと言えばまるで弱々しい。その表情は青褪め、唇は震えていた。
対照的に冷め切った目でナヴァンを見下ろしていたテオロジーアは肩を竦めてやれやれと首を振る。
「研究の邪魔をするのか」
「これが研究と呼べるとでも!? この子は『秘宝種』でも生きている。
知能を有しているならば、それは命と同等だ。しかも、秘宝種は世界に認められた存在だろうに」
ナヴァンが絞り出すように言えばテオロジーアは理解出来ないとでも言う様に目を伏せった。
非人道的な行いだとテオロジーアは糾弾されることがあった。非難の的にされることは慣れきっていた。何故ならば、テオロジーアがその程度で研究を中止する訳がないからだ。
「それは人間ではない」
「だが、生きている……」
「ロボットは壊しても良いが、秘宝種は壊してはならない理由が理解出来ない。
そのボディの質感は素晴らしい。人間に近しい存在であるだけの『痛覚を有し、世界が認めた』人形だろう。
ならば、造られたモノを有効活用すれば良い。その人形を利用すれば人間のためになるのだ。人形とて名誉だろうに」
テオロジーアにとっては誰かの思いがこもったビスクドールだろうが、遺跡の守人であろうが――微笑んで、可愛らしく活動するイレギュラーズであろうが、モノはモノだった。
秘宝種と呼ばれた生殖能力も無く、性別も存在せぬ造られた存在。命となるのはコアそのものだ。体など唯の容れ物に過ぎないとでも言うかのようである。
「……狂ってる」
「お前が言うか、ナヴァン・ラグラン。人工知能の研究者だろうに」
それは『お前が造った
「だが、これは
「だから、その違いが分からない。世界が認めたと言えどもそれは
疑似生命であるならば有効活用できるだろう。同じ肉を断つならば心も痛もうが、これは人形だ。食事も睡眠も不要な人造の生き物でしかない。
それに人体実験に近い代物を行なわねば世界は発展しないことを研究者ならば知っているだろう」
ナヴァンは唇を噛んだ。テオロジーアの云うことは尤もだ。ナヴァンだって元の世界で自身以外の研究者が人工知能の発展のために非人道的な実験を行なったことは知っている。
それが社会の発展に繋がる事位分かって居た。それでも、だ。
「これはモノではない」
「ならば何だと言うんだ。お前の友達とでも?」
「……そうだとしたら?」
ナヴァンはニルをぎゅっと抱き締めて唇を震わせた。嫌悪感ばかりが溢れる。
見下ろすテオロジーアは鼻先をすんと鳴らしてから「興醒めだ」とだけ呟いて。
「――ニルは眠っていました」
ぱちりと目を開けたニルを見詰めてナヴァンはひゅ、と息を呑んだ。
ニルにとって『だいすき』なナヴァンが心配そうに覗き込んでいる。体がふわふわして、景色が変わる。
「ナヴァン様?」
何が起ったのか分からないと言った様子でニルは問い掛けた。ナヴァンは「起きたか」と返す。
「大丈夫か? テオロジーアに……」
「テオ……? 何かありましたか?」
ぱちくりと瞬いたニルにナヴァンが息を呑んだ。危険な目に遭ったというのに、其れ等全てを忘れてしまったとでも言うようにニルは振る舞っている。
(これは……何らかの理由があるのか、それとも、恐怖の余り欠落したか、どちらだ)
まじまじとニルを見詰めるナヴァンは「いや、いい」と首を振った。足がぷらんぷらんとする、とニルはぼんやり考える。体の下にはナヴァンの腕があった。どうやら、彼に抱えられて居るようだ。
「ニルが寝ていたから起こしてくれたのですか?」
「……ああ、まあ。お前が顔を見せるはずだと研究所の奴らが煩くてな」
思えば、ナヴァンはニルのことは余り知らない。研究所に「ごはんです」と食事を持って現れること、自分は食事が出来ないくせに「おいしいですね」と嬉しそうに笑う事。
共に出掛けて欲しいと手を引いて遊びに連れ出すこと。子供っぽく、何処か世間知らずで危なっかしいこと。
それ以外のニルをナヴァンは把握していなかった。ニルがイレギュラーズとして戦ったのは一度きり。
ナヴァンとて旅人だ。この世界については詳しい。ニルの欠乏が『何らかの理由がある』事は察知出来た。そう――ナヴァンは
(……食事を与えてくれる、日常の存在ではあるが、お前のことは碌に知らないんだな)
見下ろせば、服の隙間からシトリンのコアが覗いていた。美しい、その色彩が痛烈な光を湛えるように見えたのは、それが命の目映さだと感じたからだろうか。
「……腹が減ったんだ」
「何か買いに行きましょう。ナヴァン様のおいしいのために」
「ああ。それから、今日が暇なら少しだけ研究所に居てくれ。話がしたい」
ぱちくりと瞬いたニルは「おはなし」と何度か繰り返した。ナヴァンからの珍しい誘いが嬉しくて「はい」とニルは頷いた。
――この小さな秘宝種のことをナヴァンは何も知らない。
だから、少しずつ知っていきたいと思った。好きなものは、友人はいるのか。そんな他愛のないことでいい。
それを教えて欲しいのだと、漸く一歩だけ踏み込めたような気がした。