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スパイスは君の笑顔
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ローレットのキッチンは今日は貸し切りだ。ソアとエストレーリャは材料を買い出して、レシピ本とにらめっこ。
毎日舞い込むクエストが多いローレットでは人の出入りが多いが『はじめて』の料理がしたいと申し出たエストレーリャにユリーカはローレット内に或る小さめのキッチンスペースを使うといいと提案した。
ソアとエストレーリャのお料理が成功することを祈っていると胸を張った敏腕(?)情報屋のおかげで無事に二人で作ることにしたのはカレー。
エストレーリャはレシピをまじまじと見ながら分量などを確認する。その隣でソアは「何をする? 何する?」と尾をゆらゆらと揺らしていた。料理をあまりしない方ではあるが、ソアには美味しいカレーを食べて欲しいとやる気十分のエストレーリャのエプロンの紐をつーと引っ張ってソアは小さく笑う。
「エスト、エプロンほどけてる」
「え? あ、本当だ」
「結んであげるよ! エストはレシピの確認してて?」
いそいそとエプロンを結び直すソアにエストレーリャはお礼を一つ。買ってきたばかりの野菜類をボウルに入れて調理器具を確認する。鍋とお玉、包丁やまな板。何所に何があるか慣れぬローレットのキッチンでエストレーリャは全てをカウンターに並べてから「よし」と呟いた。
「準備完了?」
「準備完了」
「今日は何を作る?」
瞳をきらりと輝かせて練達でおなじみ昼の『料理番組』の雰囲気を醸し出したソアにエストレーリャは「今日はカレーを作るよ」と優しく言ってから玉ねぎに手を掛けた。ぺり、玉ねぎを剥いたエストレーリャにソアは「カレー!」と瞳を輝かせる。
「ボクは何をすればいい? えへへ、お肉を食べたいな!」
おなかをが空いたというジェスチャーを送るソアにエストレーリャはくすりと笑った。天真爛漫な彼女は今はカレー作りに夢中だ。意気揚々とエプロンを身に着けるソアへと『子供用包丁』を手渡したエストレーリャは「大丈夫?」と聞いた。
「大丈夫!」
「じゃあ、ソアは、お肉を切ってもらえる? 食べやすいようにね」
尾をゆらりと揺らしたソアは大きく頷く。お肉は小さくも大きくもなく『ソアが食べたい』サイズにしていいとエストレーリャは優しく言った。
なら、まずは……包丁を押し込む様にぎゅっと肉を切り分ける。その様子を眺めながらエストレーリャは玉ねぎ――これはきっと、ソアも目が痛くなってしまう! エストレーリャの仕事だ――の下準備を続けていく。
切り分けた肉は一先ず、バットに移してほしいと指示をして、籠の中身を気紛れに好きに切ってねとエストレーリャは柔らかに告げた。
「見てこのジャガイモ! 穴ぼこが顔みたいだよ!」
ほらほら、とジャガイモを手にしてエストレーリャの顔のすぐそばに向けたソアはにんまり笑顔だ。
料理を続けるエストレーリャはそれに大きく頷いてから黙々と材料の下拵えを続けていく。ソアはじゃがいもをむうと見つめた後、どうすればいいんだろうかとエストレーリャを伺った。
「それじゃあ、皮を向いて食べやすいサイズにしてくれる?」
「これ全部の皮剥くの……わあ……えっと、そのままでも美味しいかも!」
どうかなあ、とじゃがいもと人参を見せる様な仕草を見せたソアにエストレーリャは目を丸くしてから小さく笑う。
「ふふ。本当だね。皮は、人参はそのままで。じゃがいもは、剥いたほうが美味しいかもね」
そう言って、たまねぎを油を熱しておいた鍋へと投入した。香ばしい香をさせる鍋でたまねぎを焦がさぬ様にするエストレーリャを覗き込みながらソアは皮むき器でじゃがいもの皮を剥き続ける。
ちょっぴり飽きが来ては「エストー」と傍に寄り鍋の中を眺めては上機嫌でじゃがいもの皮を剥くのを繰り返す。
リズミカルにとん、とんと切り進む音を聞きながら先に玉ねぎを鍋へと放ったエストレーリャのエプロンをちょいちょいと抓んだソアは自慢げな顔を下。
「見てこのニンジン! これは星、これはウサギ、ええとこれは……なんだっけな?」
歪でも可愛らしく切り分けられた人参たち。自慢するようにひとつひとつの解説を交えたソアはへんてこりんな形になったにんじんとにらめっこした。
「これは……猫かな? それとも、虎かな」
「虎!」
エストレーリャが人参を指させばソアは瞳をきらりと輝かせた。尾を揺らし、そうだったと言わんばかりに人参たちの解説を交え続ける。ソアの為の美味しいカレーをと調理に奮闘するエストレーリャとは対照的に、幼子の興味が移る様にソアは少しの飽きを感じていた。
肉を切るまでは楽しかったけれど、単純作業のジャガイモは詰らない。それから人参の形を作ることはとても楽しかったけれど――炒めている様子を見るのは何だか面白くないのだ。
「ねえ、カレーの続きは後で作らない? 外がとってもいい天気だし」
窓を開けて外を眺めるソアの頬にぽかぽかとした陽気が感じられる。冬と謂えども陽が差していると十分に暖かいのだ。
「でも、ソア。お腹いっぱい食べた後にお昼寝したら、きっと気持ちいいよ」
むう、と唇を尖らせるソアはエストレーリャの作業を見守る。じゃがいも、人参、肉を投入して火を通すエストレーリャの手元を眺めながらソアはお肉の美味しそうな匂いがしたと尾を揺らした。
お肉が食べたいと宣言した通り、肉の香りが立つと楽しみが倍増してくる。ただ、それをすぐに食べれるわけではないと知っているからこそ、ソアは「うーん」と小さく唸った。
「やっぱり遊びに行かない?」
「ご飯の後に少し運動するのも大事だね」
遊んで欲しいと近寄るソアにエストレーリャはにこやかに返し続ける。手元の鍋には水を加えて野菜を煮込む作業開始だ。くつくつとリズミカルな音を鳴らす鍋から離れてエストレーリャはリンゴの皮を剥いていく。
「林檎? それってデザート?」
「ううん。『隠し味』って言うんだよ」
レシピ本には載っていないけれど、こうすると美味しいという情報は確りキャッチだ。あまりに辛すぎればソアも食べれないだろうし、まろやかで美味しいカレーの方が彼女も喜んでくれるだろうとエストレーリャは林檎をすりおろす。はじめは林檎がすりおろされていく様子を興味深そうに見つめていたソアであったが、徐々に詰らなくなってきたのかエスト、エスト、と何度も呼びかけながら寄ってくる。
鍋のアクを掬いながら煮えているか確かめ、レシピ本の確認をするエストレーリャに「エストー……」と拗ねた様な声が響いた。
「ねーえー……こっち向いてったらー……こちょこちょこちょー♪」
「ちょ……ちょっとソア、ふふふ。そこは駄目だからハハ!」
脇に手を差し入れて、指先で擽るソアはエストレーリャがこちらを見たと上機嫌でそれを続けていく。思わぬ処から現れた手にエストレーリャは思わず笑いが堪えられなくて息も絶え絶えになりながらソアを振り返った。
「ほ、ほら、ソア。大事な仕事があるよ?」
「大事な仕事?」
「『野菜さん』を柔らかくゆっくり煮込んでる間にお米の用意をしないと!
ソアにしか頼めない重要な仕事だから。よろしくね」
エストレーリャにそう言われてしまえばソアだって大きく頷くしかない。ぽん、と頭を撫でたエストレーリャに頑張るとソアはやる気も十分。……少しどきりとしたことはエストレーリャだけの秘密なのだ。
重要な仕事なのだとボウルにお米を掬い上げて、水場でしゃこしゃこと洗い続ける。虎のおててではお米を洗うのも一苦労だと言う様に指先を動かして、懸命にお米を洗うソアに「もう大丈夫だよ」とエストレーリャは後ろから覗き込んで頷いた。
「じゃあ、これでいい? これで『大事なお仕事』はできた?」
「うん。流石ソアだね」
お米の準備を整えて、ぐつぐつと鍋の中で揺れる野菜を眺めたエストレーリャはじゃがいもに竹串を突き刺してみる。柔らかく煮えた野菜たちを確認してから練達では主流となっており最近では幻想にも流れてくるカレールウを使用してみる。スパイスから調理するというのもあるらしいが、それは上級者向けだというアドバイスも聞こえてきたため今回は甘口ルウの登場だ。
ぱきり、ぱきりと手元で割って鍋の中でよく溶かしていく。その様子を眺めるソアは「チョコレートを作るみたいだね?」と不思議そうに首を傾げた。
チョコレート。確かにチョコレートみたいなカラーリングだ。カレールウだって板チョコのような形をしているし、ぱきり、ぱきりと割って溶かしていけばチョコレートと遜色ないカラーにもなる。
「ふふ、確かにそうだね。チョコレートみたいだ」
そう言ってぐるりとかき混ぜてみればカレーの香りが鼻孔を擽る。尾をゆらりと揺らして、ソアは「カレーだ!」と瞳を輝かせた。
「ああ、いい匂い……ボクもお腹減って倒れそうだよ」
そうなってくるとお外で遊びたいという欲求は消えてお腹が空いたという気持ちが胸の中を占める。
腹が減っては何とやら、こうして目の前においしそうなカレーが存在するのだから食べないという選択肢はないのだ。
「もう少し、だね。ソアも頑張ったから、きっと美味しいよ」
「もう少し?」
「そう。さっきのすりおろし林檎にハチミツを混ぜて……これを入れないといけないから」
火を止めた鍋の中ではルウが待機している。じっと見つめるソアはお米の様子を見てくると慌てた様に立ちあがり「ごはんはどうかな?」と尾を揺らし続ける。
その隙に隠し味を投入し緩くコトコトと煮込み続けていく。こっそりバターも投入してまろやかさをプラスした鍋の中から先程ソアが虎と言った人参が顔を覗かせる。
「エスト、お米は大丈夫だった!」
「うん。じゃあ、お皿の用意をお願いしていい?」
了解と言う様にそそくさと皿とスプーンを用意したソアはテーブルにテーブルクロスをせっせと敷きながらカレーが運ばれてくるのをドキドキしながら待って居る。
虎の手が器用にスプーンを掴んでおり、エストレーリャが盛りつけて運んできたカレー――しかも、ソアのお皿は肉が多めだ――に瞳をきらりと輝かせて感動した様に「すごい!」と言った。
「食べてもいい?」
「うん。それじゃあ――」
いただきます、と口に含めばソアはスプーンを握った儘エストを見遣る。瞳がきらきらと輝いて、これを二人で作ったのだという実感を感じ――実際はエストに遊んで欲しいと脱線も多かったのだが、それはそれだ――感動も大きくなる。
「んんー、美味しい! エストはきっと天才だね!」
スプーンを手にしてそんな事を言われればエストレーリャだって嬉しくなる。邪険に扱わずに頭をポンポンと撫でてみたり、引っ付くソアを宥めたりしているその時間が何よりも幸せで、ちょっぴりドキドキしてしまったけれど、二人で作るからこそ楽しいのだと言う様にエストレーリャはソアの幸福そうな笑みを眺めて頷いた。
「ありがとう、ソア。じゃあ、ソアがもっと、美味しいって言ってくれるように頑張らないと」
その言葉にソアは嬉しそうに笑う。虎並みの勢いでがつがつとカレーを流し込んでく彼女の食べっぷりを喜ばしく眺めるエストレーリャは手元にレシピ本を手繰り寄せた。
次は何を作ろうか。ハンバーグでもいいだろうし、サンドウィッチを一緒に作ってハイキングに出かけたっていい。クリスマスに向けてお菓子を作ることも楽しそうだとレシピ本とにらめっこするエストレーリャの手元を覗き込んでソアは「エストはケーキって作れる?」と首を傾いだ。
「ケーキは作った事はないけれど、ソアは食べたい?」
「お店で売ってるイメージだったけど、お家でも作れるのかな?」
「勿論。ちょっと難しいかもしれないけど。ローレットなら誰かに頼めると思うし……」
習ってからなら二人でも作れるかもしれないねと微笑んだエストレーリャにソアはクッキーやマフィンも作れるのかと尾を揺らす。料理の成功経験を活かせばきっと無限大に二人ででいることが増えていくのだ。
「ソアが食べたいものをまた一緒に作ろう」
「本当?」
「本当。だから、次に作るものは一緒に選んで。ソアが今日以上にもっともっと美味しいって言ってくれるように頑張るからね」
頑張ろうと頷くエストレーリャに満面の笑みを浮かべたソアは大きく頷いた。カレーの香りの中で、満腹だと満足げに呟いたソアの前には空っぽの皿が置かれている。
流し台へと運びながらエストレーリャが顔を上げれば窓の外はまだぽかぽかと暖かな陽気で満ち溢れている。
「ソア、さっき言ってたけど外に出てみる? レジャーシート持っていけば今日は気持ちよくお昼寝できるかも」
「お昼寝してたら暗くなって寒くならないかな。陽射しが差し込むところでのんびりとおはなししよう!」
後片付けを終えたら、ローレットの中に或る部屋でカーペットの上に腰かけてクッションをお共にお昼寝しようではないか。
満腹で心地よい体はきっとすぐに眠ってしまうけれど――そうして、のんびりと過ごせるのも幸せだ。
からっぽの鍋を見下ろして満足そうに笑ったエストレーリャは買い出し袋にこっそり入っていたお菓子と一緒にロイヤルミルクティーを用意する。
折角ののんびりとした時間ならば、お茶請けも必要だろう。「エスト?」と何をしているのかと興味深そうに近寄ってくるソアには「秘密」と笑ってクッションの準備をお願いした。
隣室は休憩スペースにもなっていて、心地よい日差しが入り込む事から貴重なお昼寝スポットだ。クッションやぬいぐるみで満たしてのんびりとするためにその空間を作りに行ったソアの為に、あともうひと頑張りだ。
菓子皿にはクッキーやマドレーヌ、それからソアが好きそうなものをたくさん並べよう。
「エスト、準備できたよ!」
その声に頷いて、洗い終わった皿類を綺麗に片づけてからエストレーリャは隣室に向かう。
残ったカレーの香りは、幸福さでその肺をいっぱいいっぱいに満たしてくれた。