PandoraPartyProject

SS詳細

風の記憶

登場人物一覧

ラビィ(p3p003672)
欠片拾い
ゼファー(p3p007625)
祝福の風

 青い風がボクを通り抜けていくたびに、あの日の彼女を思い出す。
 曖昧に曇った空と、湿った草と、残った雨のにおいと、ノイズのかかった彼女。
 彼女が誰だったのか、ボクにはなぜだか思い出せない。
 そもそも彼女だったのか、彼だったのか、それともどちらでもなかったのか。それすらもう、思い出せない。
 ボクに差し出された手や。
 ボクをのぞき込んだ目や。
 ボクに背を向けたあの流れる髪も。
 ノイズの向こう側に消えていった。
 まるで風が通り抜けていくみたいに。
 ボクの、熱だけを奪い去って。

●ある未成年の思い出語り
 ツギハギだらけの幌馬車が、草地を踏んで進んでいく。
 きしむ車輪の音を聞きながら、彼はガスマスクの下で深く呼吸をした。
 長くさらさらとした髪や細長い手足は少女のようであり、しかしどこか自由な振る舞いは少年のようであり、得てしてどちらとも言えない外見をしていた。
 少女なのか、少年なのか、それともどちらでもないのか。馬車を引くキャラバンの女に尋ねられて、彼はガスマスクを外した。
 少女のように幼く少年のようにいたずらめいた顔で、彼は相手を煙に巻いた。
「別に、どっちだっていいじゃないか。仕事に支障があるのかい?」
 馬車の荷台で膝を抱えるように座っていた彼が、幌の外へ顔を出した。
 吹き抜ける風が、蒸れた頬や首をさわやかに抜けていく。
 それが気持ちよいのか、彼はうっとりと目をつぶっている。
「今まで、だいぶかわったイレギュラーズを雇ってきたけど、アンタもたいがいだね」
 顔半分に大きな火傷跡を残したキャラバンの女が、彼の格好と持ち物に目をやった。
 ガスマスクとごわついた迷彩服。小物や最低限の貴重品こそベルトポーチに納めているものの荷物らしい荷物はなんだか凶悪そうな見た目の大きなぬいぐるみ一個きりである。
 とても長旅をするような格好には見えないし、まして商人の護衛をつとめるようには見えないが……ひとを外見で判断してはいけないというのがここ混沌の常識である。
 キャラバンの女は厚いフードの下で小さく笑うと、彼に身の上話を求めた。
「なんだっていいさ。なんなら嘘やごまかしを混ぜたっていい。旅は長いんでね、身の上話にはもってこいなのさ」
 女に同意するように、彼は『そうだね』と考えをめぐらせた。
「ボクもこうみえて、短くない人生なんだ。今までいろんなことがあったけれど……今日みたいな日には、あの人のことを語りたいな」
 彼は懐かしそうに。
 旅先で開いたトランクの中身が空だったときのように、どこかむなしい目をして語り始めた。
「『記憶にないあの人』の、話さ」

 遠い記憶を手探るように語る。
 彼の名は、ラビィ。
 『追放者のこども』。

●風に触れた日のこと
 『自分は世界から追放されたのだ』と、ラヴィの父はよく言っていた。
 それはラヴィに大きな遺産を残して亡くなったその日まで、つまりは最後まで述べていた言葉である。
 それが事実なにを指していたのか、正しく知るすべはもはやないが、父の趣味からそれを漠然と察することはできた。
 浄化能力を失ったガスマスク。通信機能をもたないスマートフォン。位置情報を発信しないGPS端末。飛ばない欺瞞情報誘導ミサイル。込められない確率変動弾。熱の出ないAIレンジ。半分以上の機能が死んだ自律ぬいぐるみロイド。
 異世界から召喚されてきたウォーカーたちが異世界のノウハウで組み立てた物品ばかりだ。すべてこの世界のルールに従って機能が均一化ないしは消去され、そのほとんどがガラクタと化していた。
 ラヴィの父はそんなガラクタ集めを趣味とし、それでもどうやら商才はあったらしく裕福に暮らしていた。
 裕福に暮らしていたが。
 裕福なだけだったとも、言えた。
 旅先で親において行かれた子供のような、言い知れぬ悲しみをいつまでも抱えた父。
 その子供として裕福なだけの家でガラクタに囲まれて暮らす、ラヴィ。
 幸福だったのかと言えば、NOとは言えない。
 しかし満たされていたのかと言えば、はっきりとNOだと言えた。
 それが、幼いラヴィの暮らしであった。

 ラヴィの楽しみは、夜にこっそりと窓を伝って外へ出ることだった。
 深夜0時を過ぎる頃、森の近くにある草地で過ごすのが好きだった。
 昨日と今日の境目を独り占めしているようで、この世界が自分のものになったみたいで、ラヴィはなぜだか楽しかった。
 あとから思えば、それは家への反発だったのかもしれないが。
 少なくとも、雨上がりの草地に立って深く夜の空気を吸い込むことが、気持ちのよいことなのは確かだ。
 その夜も、いつものように家をこっそり抜け出して世界の境目を独り占めしていた。
 しかし。
 その夜だけは、少し違った。
 ウウ、という獣じみたうなり声が森のほうから聞こえる。
 確かな気配が、こちらを狙っているのがわかった。
 手にしているのはぬいぐるみひとつきり。
 家に戻ろうと振り返ったところで、なにともわからぬ獣が回り込んで道を塞いでいることに気づいた。
 それだけではない。
 うなり声は四方から囲むように増え、どこへも逃がさないように見えない円が狭まっていく。
 理屈を通り越してただ恐怖と絶望だけが膝から力を奪い、ラヴィはその場にとすんと座り込んでしまった。
 そうなる瞬間を待っていたのだろうか。獣たちは一斉に吠え、走り、飛びかかり――。

 目をつぶった。
 だからだろうか。
 獣たちの中で、素早く駆け抜ける風のような足音を敏感に聞いた。
 迫る獣の声をまるで振り払うように、風はラヴィの前で止まり、そして骨を砕き肉を切る独特の音をたてた。
 おそるおそる目を開くと、破壊された狼が月の明かりに照らされて倒れている。
 その様子に何かを察した他の狼たちが素早く走り、逃げ去っていった。
「こんな夜にお散歩?」
 綺麗な槍をひゅんひゅんと鳴らして回すと、■■■■は振り返った。
 横から月明かりに照らされた■■■■の顔。
 余裕そうな目尻。
 不適な笑み。
 寒い日の月のような色をした髪。
 ■■■■。
 ■■■■。
 血を流して死んでいる獣と、ただ平然とこちらを見る■■■■。
 ラヴィの心臓が大きく高鳴って、耳を覆わんばかりにうるさかった。
 恐怖の鼓動とは、どこか違う。
 ドキドキして、とまらない。
 ■■■■の出す手が白くって。
 ささやく声が優しくて。
 ラヴィは訳も分からず立ち上がり、何も言わずに走り去った。

●風と語った思い出
 泥のついた靴を放り出して、土と夜露に汚れた服のまま、ラヴィはベッドにくるまった。
 ドキドキして眠れない。
 あの風が。
 あの音が。
 あの声が。
 ■■■■の手が、瞳が、月に照らされたあの髪が。
 忘れられない。
 あのとき名前を教えておけばよかっただろうか。
 名前を聞いておけばよかっただろうか。
 お礼もまだ言ってない。
 またあの夜が来たら良い。
 そんな気持ちを胸いっぱいにして。
 気づいたときには、もう、朝だった。

 汚れたパジャマを新しいものに着替えて、まだ眠い目をこすりながらリビングへの扉を開けると。
「ハローハロー、遅いお目覚めね」
 開いた窓が、レースカーテンをおおきくふくらませて、朝日を白く輝かせる。
 ■■■■は、当たり前みたいにそこにいた。

 ブルーベリージャムをいっぱいに塗ったトーストをかじる。
 唇についたジャムを親指で拭って舌先で舐めとる。
 こちらに気づいて、小さく笑う。
 ■■■■の青い瞳は、室内サーキュレーターの回転音を忘れさせた。
「良い家に住んでるのね。広くて大きくて、素敵なカラーリングだわ」
「そうかい。まわりじゃ奇人の家だって有名だよ」
 イチゴジャムをトーストに塗りたくって応えると、■■■■はからからと笑った。
「なにかおかしいかい?」
「ううん。そのしゃべり方」
「なんだよ」
 ジャムを塗りつける手を止めてにらみつけてやると、■■■■はラヴィの目をまっすぐに捉えて、そしてあの余裕そうな目尻でこちらを見つめ返した。
「……ボク喋り方に文句でもあるのかい?」
「ううん?」
 ガラクタだらけの部屋を見回す時と同じくらい、面白いものをみつけたいたずら少女の目で、ラヴィの瞳の……そのまた奥を、じっと■■■■は見つめていた。
「ちょっと変わってるなって」
 ラヴィは目をそらして、ジャムトーストを食いちぎった。
「なんだよ、それは」

●風がすぐそばにあった頃
 ■■■■はしばらくラヴィの家にいた。
 彼女が師匠と呼ぶひとと一緒にラヴィの家に宿泊していた。
 ■■■■は師匠とともに幻想国のあちこちを旅して歩いていたらしく、たまたま立ち寄ったラヴィの家にご厄介になっているということらしい。
 朝早くから庭で槍を振っては、同じように槍を振る師匠をまねて反復練習を続けている。
 なぜそんなことを続けるのか、なぜ旅をしているのか、聞いても■■■■は笑うばかりだった。
 はぐらかすなよとムキになって問い詰めた時には、■■■■はマーガリンを過剰なくらい塗りつけたクラッカーをかじりながらこんな風に語った。
「風が吹くのにどんな理由があると思う? どんなことにも理由はあるけど、それっていつも、とてもシンプルなものに行き着くわよね」
 どこか暖かい風の通り抜ける草地に直接座って、網籠のバスケットからマーガリンの瓶とクラッカーを取り出していく。
 独り占めされてはかなわないと、瓶をひったくって自分の分のクラッカーに塗り始めるラヴィ。
「けど、家があるのは普通のことだ。自分の家がないのは、つらいことじゃないのかい?」
 わざと意地悪な質問を投げつけてやった。
 けれど。
 ■■■■はあの余裕そうな笑みを浮かべたまま、たっぷりぬったマーガリンを指で拭って持って行ってしまった。
 自分のクラッカーに塗りつけて頬張ると、指に残ったマーガリンを下唇でさらっていく。
「あるよ。見て」
 ■■■■は得意げに空を指さしてから、更に大地を指さした。
「この世界が私の家よ。無限に広い天井に、無限に広い床。いろんな部屋やいろんな物があって、一生飽きないと思わない?」
「そんなのへりくつだ。こんなの家じゃない」
 けれど。
 楽しそうに風に吹かれる■■■■の横顔が、どうしてもラヴィには忘れられなかった。
 同時に、いくつものガラクタを集めては家に閉じこもり、自分は世界から追放されたとばかり言う父を思い出す。

「ねえ、■■■■」
 この感情には、どんな名前があるだろう。
 逃避。
 羨望。
 嫉妬。
 興味。
 好奇。
 安堵。
 ■■。
 そのどれにも収まらないように、ラヴィには思えた。
 ■■■■の自由な横顔が。
 風のように吹き抜けていく彼女の存在が。
 明日にでも消えてなくなってしまいそうな気がして、ラヴィは彼女の手首を握った。
「ン?」
 振り返り、小首をかしげてみせる■■■■。
 こちらが何かを訴えようとするとき、■■■■はいつも目を見返した。
 余裕そうに、興味深そうに、それがなんだかむずむずして、どうしようもなくて、だから……。
「ボクも、連れて行ってよ」
 と、言ってしまったのかもしれない。
 ■■■■はほんの少しだけ瞳を動かしてから、より深く笑った。
「いいわ。明日の朝早くに、窓の外に靴を置いておいてね」
 一緒に抜け出しましょ。
 ■■■■は、ラヴィの耳元で甘くそう言った。

●風過ぎ去りて雨は降る
 雨の降った朝のこと。
 ラヴィが窓を開くと、雨に濡れた靴だけがそこにあった。
 父が言うには、昨晩遅くに■■■■たちは旅立っていったという。
 旅の行き先も、その理由すらも告げぬまま、まるで風が吹き抜けていくように唐突に。

 約束は守られなかった。
 ラヴィは、いつか彼女が戻ってきて、部屋の窓を叩いてくれるような気がして、毎日のように靴を窓の外に置いた。
 けれど何日たっても、窓を叩かれることはなかった。
 しだいにラヴィの中から■■■■の顔や、声や、細かな仕草が思い出の中から消えていくのがわかった。
 奪い去られた熱のように、どんなに思い出そうとしても、戻ってくることはない。

 もう■■■■の顔が思い出せなくなった頃、ラヴィの父が亡くなった。
 残されたのは莫大な遺産と大きな家。
 そして山のようなガラクタ。
 ラヴィは小さなアタッシュケースとお気に入りのぬいぐるみだけを抱えて、窓から外へと飛び出した。
 記憶にあるのは、雑草の上で世界を手に入れてみせた彼女の姿。
 声も顔も、名前さえも残らなかった彼女が、唯一ラヴィに残していった熱。
 けれど、旅立つには十分な熱。
 旅に出るのに大きな荷物はいらない。
 窓の外に置いた靴と、窓を通り抜けられるだけの荷物さえあればいい。
 なぜならもう、世界は手に入っているのだから。

 そしてやっと、窓の外の靴をはいて、ラヴィは家を出て行った。
 
●世界に風は巡る
「へえ、不思議な話だねえ。じゃあアンタはその財産だのなんだのをかなぐり捨てて、こんなボロ馬車の護衛仕事をしてるって言うのかい?」
「まあ、そうなるね」
 立て付けのわるい荷台の縁によりかかって、身体をかたこととゆらすラヴィ。
 キャラバンの女は大きく笑って、そして馬をとめた。
「面白い話を聞かせてくれてありがとうね。そろそろ休憩にしようか。ここから少し危険なエリアに入るから、護衛を一人増やす予定だしね」
 噂をすれば追加人員が来たよ、と指を指す。
 馬車から降りてそちらを見ると。
「ハローハロー」
 銀色の髪。
 余裕そうな青い目。
 小さく笑う口元。
 大きくて綺麗な槍。
初めましてかしら?また逢えたわね。私はゼファー、よろしくね。あなたの名前は?」
「ああ、ボクは……」
 名前を名乗ろうとして、ゼファーがからからと笑ったのがわかった。
「なんだよ」
「そのしゃべり方」
 顎をあげて、にらみつけるラヴィ。
「ボク喋り方に文句でもあるのかい?」
「ううん?」
 小首をかしげて、ゼファーはラヴィの目をまっすぐに捉えた。
「ちょっと変わってるなって」
「……?」
 首をかしげるラヴィに歩み寄り、ゼファーは彼女の手首をとった。
「さ、一緒に旅をしましょうか」

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