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戦乙女の誓い
登場人物一覧
星降る夜から年が明け、慌ただしく日々が過ぎて行く。
動乱の最中にある鉄帝は吹雪く日が多かった。
ジェラルドは窓の外の分厚い雲を見上げる。
それがまるでジェラルドの故郷にある『天蓋』に思えたからだ。
尤もこの国の雪雲は自分達を守ってくれる揺り籠ではなく、脅威そのものではあるのだが。
ローゼンイスタフの城内は以前より活気づいていた。
長年の宿敵ノーザンキングスの現まとめ役であるベルノ一家の滞在は良い意味でも悪い意味でも浮き足立つ者が多かったからだ。それにフローズヴィトニルの影響もあり外は吹雪に覆われている。
雪に強いローゼンイスタフの兵士たちとて右往左往しているのだ。
ジェラルドはアルエットの部屋のドアをノックする。
「はーい! いらっしゃいジェラルドさん!」
柔らかな笑みを浮かべアルエットが中へ案内してくれた。
ここはローゼンイスタフの城の中、アルエットに与えられた部屋だ。
『ノーザンキングス』のベルノの娘としての扱い。隣の部屋にはトビアスが居る。
好待遇とは少し違うのだろう。これは分かりやすい言い方すれば『人質』であるのだ。
自由なアルエットには無かった枷。カナリー・ベルノスティールである少女が負うべきもの。
ギルバートが失踪した今、調停の民の血を継ぐ者としてもアルエットは必要であった。
正しく籠の中の雲雀である。
ふと、芳しい香りが鼻腔を擽った。アルエットが紅茶を淹れてくれたのだ。
テーブルの上に置かれた紅茶とアルエットを見つめジェラルドは拳握る。
この手で守ってやりたいと強く思うのだ。
アルエットはジェラルドにとって特別な存在なのだろう。
幼馴染みからの好意貰っていたから、恋心というものを全く知らぬ訳では無い。
けれど、か弱く未熟なアルエットに向けるこの想いが『恋』であるのか自分でも分からないのだ。
庇護対象に向ける愛情に近いものでは無いのだろうか。
なぜなら、アルエットは弱くて守ってあげなければならないのだから。
「それ、何編んでんだ?」
テーブルの上に置かれた籠の中から白い毛糸がアルエットの手元に伸びている。
もう大分完成に近づいているそれはマフラーだった。
「ふふふ。これはねジェラルドさんのシャイネンナハトのプレゼントよ」
「え?」
素敵な小物入れを貰ったから、お返しに温かなマフラーを編んでいるらしい。
自分へのプレゼントが目の前で編まれていくというのは中々むず痒い。
「話しかけても大丈夫なのか?」
「もちろんよ! こうして加護を少しずつ込めて編んでるの。そうすればジェラルドさんを守ってくれる」
手元を注視しなくともアルエットの指先は毛糸を器用に編み込んでいた。
せっかく部屋に呼ばれたのだ、以前から話したいと思っていたことを話そうとジェラルドは思う。
「もう、俺のこと怖くねえのか?」
ピタリとアルエットの編み棒が止まった。
アルエットは過去のトラウマから男性に近づかれるのが怖いのだ。
シャイネンナハトの夜にアルエットを怖がらせてしまったジェラルドはその事を気にしていた。
「……ジェラルドさんは大丈夫。お兄ちゃんみたいなものだもの」
お兄ちゃんというアルエットの笑顔にジェラルドは胸の奥が痛んだ。
(あれ? 何でお兄ちゃんと呼ばれて胸が痛むんだ)
ジェラルドは自分の心に問いかける。
傍で見守るなら『兄貴分』である方がアルエットは怖がらないはずなのに。
己の気持ちが分からない。心の中がぐつぐつと煮えるようで少し息苦しい。
切なくなるのにアルエットの顔を見ると温かな気持ちになる。笑顔を向けられると嬉しくなる。
きっとこの気持ちは『庇護欲』なのだ。そうに違いない。
振り払うようにジェラルドは両親の話を聞きたいとアルエットへ顔を向けた。
「私が召喚されたとき迷子だったのは実は本当なの。ママ……エルヴィーラから教えて貰ったんだけど。私にはずっと使い魔がついていたんだって。何かあった時の為に、私が困らないようにって」
知らなかったと眉を下げるアルエットの傍に黒猫が寄ってくる。
「使い魔?」
「そうなの、この子」
アルエットが膝の上に乗せた小さな黒猫をじっと見つめるジェラルド。
「この子の能力で私は『幸せな絵本の世界』で生きていた。商館の優しいパパとママはこの子が見せてくれた幻影だった」
「記憶を改ざんしてたってことか?」
ジェラルドの問いかけにこくりと頷くアルエット。
悲しんでいるのかと思えば、少女の表情は明るいもので。
「でも私は怒ってない。むしろありがとうって思ってるの。十歳の私はエーヴェルトに殺されそうになったこともパパとママと離ればなれになったことも、きっと受け止められなかったから」
アルエットは黒猫の頭を撫でて微笑む。
「冒険して仲間が増えて友達ができて、ジェラルドさんと出会って成長したから、少しずつこの子は私に記憶を返してくれた。だからもう大丈夫」
儚く幼かった少女のアルエットはもう居ない。代わりに全てを知ってそれでも自分の足で立っている満身創痍のアルエットが居た。その翠の瞳には強い意思が宿っている。
ジェラルドはそんなアルエットの力になりたいと強く想った。
傍に居て彼女が『助けを求めたときに』手を差し伸べられるように。
「俺の両親の話をしていいか?」
「ええ、聞きたいわ」
「俺は母親に『強者は弱き者を守る』と教わった。父親からは『誰よりも強くなれ』と」
両親の言葉を思い出すようにジェラルドは窓の外を見つめる。
「だから、か弱いアンタを見て守りたいと思ったんだ……」
出会った頃のアルエットは柔らかな金髪を揺らし、風に揺れるスカートではしゃいでいた。
それは故郷では見た事の無い『絵本の中のお姫様』のようだった。
絵本の中の彼女達は嫋やかで繊細、悲しみに涙して顔を伏せる守らねばならない存在だった。
だから、ジェラルドはアルエットもか弱い少女なのだと思ってしまったのだ。
『弱き者』だから守ってやらねばと。自分の中でアルエットを『強者』から追いやった。
自分が強者で居るには弱き者が必要だと心の何処かで思っていたのかもしれない。
「けどなそれは大間違いだった。アンタは守られるだけのよわっちい姫さんじゃねえ。自分の足で立ち、剣を取って前に進んでる。だったら、俺は一緒に戦うぜアルエット」
拳を突き出すジェラルドにアルエットは笑顔で手を重ねる。
「ジェラルドさん、ありがとう」
アルエットはジェラルドの『一緒に戦う』という言葉が嬉しかった。
自分が『弱い』ことを自覚しているからだ。
ノーザンキングスの姫であり調停の民の生き残りである、自分の命の重みを知っているから。
身に余る命の重みは、戦いにおいて弱さへと直結する。
アルエットには己の弱さを補う強さがまだ備わっていなかった。
だから守って貰わねばならないと自覚していた。それでも。
「一緒に戦うって言ってくれたの嬉しい」
戦友として並び立つと言ってくれたのが、心の底から嬉しかった。
「ああ……だからこれからも、傍に居るぜ」
「うん!」
満面の笑みでアルエットは白いマフラーをジェラルドに差し出す。
ジェラルドの赤い髪と対比する白色はよく似合っているとアルエットは目を細めたのだ。