PandoraPartyProject

SS詳細

Lupus Noxは導かず、ともにある

登場人物一覧

ラグナル・アイデ(p3n000212)
アイデの番狼


 追っ手は、追いかけてはこなかった。
 天候と、おそらくは場所が原因だろう――ラグナルはそう読んでいた。
 極地では方位磁石はアテにならない奇妙な動きをする。ここヴィーザルにも、方位磁針が役に立たない場所がある。
 ラグナルが逃げ込んだのもそんな場所だった。鉄帝の方から流れてきた原始的な方位磁石はまるで役に立たない。……もっとも、鉄帝の技術力はすさまじいものがあり、また、世界には理解を超えるような神秘があるから……だから、絶対ではない。
 そう、絶対じゃない。
 ラグナルは、この年になって外の世界のことを少しばかり知った。

 狼たちは、ラグナルよりは見えているのだろう。その鼻の鋭さで。人よりもずっと多くのことを識っている。
 激しい吹雪で、視界はすっかりホワイトアウトしていた。
(あいにくの日だな……)
 鉄帝の騒動に伴って、アイデの集落周りでも、小競り合いが明らかに多くなっていた。鉄帝から流れてきた密猟者に見えたキャンプは新皇帝派の一派であることがわかった。
「となると、本隊の場所を見られたな……キャンプの場所を移動しなくては」
「足止めは俺にやらせてくれ。大丈夫、深追いはしないから」
「……戻ってこいよ」
 それに、あいては新皇帝派――嬉しいことに、好き勝手暴れ回る乱暴者の一派であった。ノルダインの戦士であれば強い者と戦えることこそを誇りに思うだろうが、ラグナルは相手が悪人であることのほうが重要だった。心置きなく戦える。
(外の世界にも、イイヤツはいるって知っちまったからなぁ)
 狼にしか聞こえない笛を吹いたが、魔物のいくつかはそれに気がついた。
「ヒットアンドアウェイだ! 死んだっていいことはないぞ!」
 奇襲をかけ、数を減らす。それは、数で劣るノルダインの戦法だった。
 作戦は上手くいったが、反撃を受けて、狼の一匹が足に怪我を負ってしまった……。たいしたケガではない。大丈夫だ。それに、きっちりと借りは返した。
 けれどもこうやって雪を掘り、ビバークしていると、どうしても考えてしまうのだった。
 判断は正しかったのだろうか?
 自分がケガをするならまだいい。けれども、狼が傷つくのは自分がケガをするよりもつらい。それよりもラグナルが怖いのは、自分が間違うことだった。
 そうすれば、全ての群れが飢えて死ぬ。
 弱い者は死ぬ。ヴィーザルの掟もまた、鉄帝と似通ったものがあった。

 かつて兄は語った。外の世界は広く、きっと知らない者たちがいる。その世界はきっと素晴らしいものだろうと。父は語った。奪い去って見せようと。二人とも立派な戦士だった。ラグナルは外には出たくはなかった。ずっと冬ならいい。冬に閉ざされて、誰も来なければいいのにと思ったことだってある。
 けれども、春は来る。ぜったいに。雪が解け、氷が溶けて、春は来る。
 望んでも望まなくてもそういうものだ。
 今この状況で雪と氷は味方をしていた。雪に点々とついた血痕の上に、つぶてのような雪が降り注いでいた。この天気であれば、痕跡を消さずとも追われる可能性はない。狼の手当をしているのを、ベルカとストレルカはじっと見守っている。体温の保ち方もよく分かっている。大丈夫だ。
 ラグナルは思い知った。どれほど氷が世界を閉ざしても。どれほど世界の隅でも、世界は途切れたりしない。自然に築き上げられた壁を、人はあっさりと突破してしまうのだ。隙間から忍び寄る風のように、それは、ときに、あたたかくて自由だ。
 イレギュラーズたちのおかげで、この世界にはまだまだいろいろなことがあると知った。
 ラグナルは、ふと、自分を呼ぶ声を聞いて目を覚ました。
「……?」
 誰かが、招いている。外から招いている。
「あれは……」
 雪の中で声を聞いたら、返事をしてはいけないよ。
 アイデの老人は、よく子どもたちにこう言っている。
 ラグナルの土地に伝わる言い伝えのひとつ。
 雪に閉ざされた土地で、目印にする星。まばゆく光る星は、この土地で生きる者たちの目印である。けれども、老人たちは同時にこうも言うのだ。
 あの星が出ている間は、子供を一人にしてはいけないよ。

 いらっしゃい、いらっしゃい。
 歌うような声が、あたりに響き渡っている。

 可愛そうに、つらかったんだね、と女の声がする。兄の嫁に似ていた。もうなにもかんがえなくてもいいんだよ、と、兄の声がする。声は反響して入り交じり、深く、低く、知り合いの者のように、あるいは全く知らない者のように、代わる代わるにささやいている。
 迷うことはなかった。今は、やることがある。
 けれども、声には聞き入ってしまう。
「悩むようになったのは、やっぱり悪いことじゃないと思う……」
 けれども、綺麗な景色だった。綺麗なオーロラの空が見える。
 きれいだ。
 ふらふらと洞窟から歩み出て、星に手を伸ばそうとしたとき、
――しっかりしなさい!
 誰かの声が聞こえた気がした。
 頬をぱちっと軽くはられたように、ラグナルは目を覚ます。眠ってしまっていたらしかった。狼たちがなにかに向かって吠え立てている。ベルカががっちりと腕を噛んでいた。
「あ痛あっ!」
 だいぶ強く噛まれていたが、これでも気がつかなかったのか……。
 ラグナルが目を覚ますと、仕方がないな、というようにその場を離れて寝始める。自分では結構正気を保てていると思ったのだが、そうでもなかったらしい。
 そのとき、懐からこぼれ落ちたのは、美しい懐中時計だった。
「あ、」
 星をそのまま閉じ込めた……閉じ込めたという感じはしない。自らの意思でそこにいるようにしっかりと収まっている空が映る。
 祝福がこもったものだと分かった。
 それは、方位磁石のように、どこに行けとは言わない。
 ただ、一緒にいて、落ち着くまで一緒に時間を数えてくれるような友達だ。
 時間は変わらない。時は一定で、道しるべだ。どっちに進もうが変わりはしないのだ。遠くにある星は変わったりしない。
……吹雪はやんでいた。空には星が瞬いている。
 次の日になった。
「……ありがとな。嬉しいよ、一緒に祝えて」
 自分も祝いたかった。酒を並べて干し肉を並べて、お祝い事でもして、盛大に祝いたかったものだ。
 あの星だって、悪いものではないのだ。人とは違う理で生きるのだろう。恨む気持ちはなかった。単なる目印だよな、と思えた。



 いろいろと危ないこともあったが、無事、集落まで戻ることができた。
 こんな状況だから誰もが口数少ないが、飯は状況に反してわずかに豪華だった。今日はラグナルの誕生日なのだ。
「三人、噛み殺したか。よくやった」
 狼と話した父親は珍しく少しだけ笑みを見せた。
「ただいま」
「お前が帰ってくるのは当然だ。――次はお前があとを継ぐことになる」
 死は名誉だ。そうやって、ノルダインの戦士は死後も戦い続ける。
「これをくれてやる」
「……形見みたいなこと言うな」
 父が、ぶっきらぼうに弓を押しつけてくる。不器用だが気持ちは分かった。分かってしまう。誰が間違っているとか、そういうことはない。父だって、間違っていないのだ。自分で選ぶしかない。
「ありがとう」
 返事はせず、父親は出て行った。

おまけSS

「来たな怪盗フレグランスーっ! 勝負だ! とう!」
 いったい、リーダーは何の夢を見ているのか。
 狼たちはラグナルをあきれた顔で見下ろしている。
 こんなご時世でなかったら、パーティーがしたかった……。あと誕生日のパーティーも盛大にしたかった。1年に1回しかないんだぞ。
 悔しさをぶつけるようにラグナルは夢の中ではしゃいでいるのだった。ベルカがぺろぺろと頬を舐めはじめた。
「ぶわっ、冷た。冷気攻撃だな! この匂いはえー、なんだろう、良い匂い……ならこっちはバケツ一杯のワカサギで……あっモフってきた、この狐め……」

PAGETOPPAGEBOTTOM