SS詳細
背面穿ちの曲矢
登場人物一覧
●菩提樹の葉
ミヅハが所有する新緑の領地。もっとも領地と言っても貴族が管理しているような堅苦しい物ではなく、主に弓を扱う幻想種へ向けて開放されている村の様な場所である。
その領内に造られた小屋の中、パッチワークのカバーをかけたお気に入りのソファの上でミヅハは愛弓の手入れをしていた。汚れを丁寧にふき取り、弦の張り具合を確かめていた時、コンコン、と控えめに硝子を叩く音がしたのでミヅハは手を止めて、窓へ向かった。
「よっ、暇か?」
窓の外にいたのは、ミヅハと知り合いの
そんな男がこんな朝早くから何の用だというのか。
「アンタかよ。暇……と言えば暇だけど。どうした? 熊でも出たか?」
頬杖をついて揶揄う様に問えば、幻想種は違う違うと笑って手を横に振った。
「なぁ、久々にアレやろうぜ」
「アレ?」
合点がいかず、首を傾げるミヅハに幻想種はにっと笑って、懐から布に包まれた何かを取り出した。丁寧な手付きで取り出して、掲げてみせたのは立派な菩提樹の葉であった。その青々とした葉を見てミヅハは漸く合点がいったと頷いた。
「ああ、アレ《・・》ね」
新緑にはとある伝承がある。
英雄譚の一つで形を変えて様々な国で受け継がれている物だ。
かつて、悪竜を斃しその血を全身に浴びて不死身となった英雄が居た。
しかし、偶々落ちてきた菩提樹で覆われてしまった背中だけが血を浴びることが出来ず、彼の唯一の弱点となり、最期はその弱点を刺されて命を散らした。
この伝承を元にしたゲームが新緑にある。ルールは以下の通り。
一つ、ゲームの参加者は『戦士』と『狩人』に別れる。
二つ、戦士は背中に菩提樹の葉をつけ、制限時間まで之を射抜かれない様に立ち回る。
三つ、狩人は複数人で立ち回り、制限時間までに戦士の菩提樹の葉を射抜く。
勿論、ゲームの為、矢は殺傷能力は皆無の物を使用する。
このゲームのポイントは『背中の菩提樹以外は当たってもノーカウントとする』という点だ。伝承に倣っている他、狙いすました一点に当てるという命中の精度を上げるための訓練を兼ねたゲームなので『数撃ちゃ当たる』では意味が無いのである。
「いいぜ。最近やってなかったし。鹿とか猪じゃ弓の練習にもならないからな」
獣とは違い人間には知恵がある。知恵がある相手というのは早々うまく取らせてくれないものだ。訓練にはうってつけであった。
心なしか手に取った愛弓もやる気に満ち溢れているように感じる。
「よし来た。じゃあ、俺人数集めてくるわ。
先に準備しててくれ。俺は戦士をやりたいんだが……ミヅハは狩人でいいよな?」
「勿論」
「じゃ、またあとでな」
人数を呼びに行った幻想種の背を見送り、ミヅハは鼻歌交じりに鏃を取り換え始めた。
●
結論から言うと、
木々を味方につけ気配を殺してやり過ごし、漸く姿を捉えたかと思えば盗賊の様な身のこなしで射線を切り、次々と放たれる矢を軽々と躱していった。
「どうなってんだよあいつ……」
「追いきれねぇよ……」
味方が弱音を吐き始めたが、無理もなかった。しっかりしろとミヅハが鼓舞し、再度弓を構えなおしたがミヅハ自身、乾燥してかさついた唇を噛みしめていた。
制限時間は刻一刻と迫っていき、冷たい汗が滲んで肌の上を滑り落ちる。それを乱暴に拭って、ミヅハは沸き上がった焦りを無理やり押し殺した。
ゲームもいよいよ終わりの時が近づいてきた。
始めたばかりの時は太陽はあんなに高く昇っていた筈なのに、今ではとっくに傾いて辺りを鮮やかに染め上げている。日が完全に沈んだ時、それが試合終了の合図だ。
(日没まで、あと少ししかない)
森林の一角へと戦士を追い込んだミヅハだが、状況は狩人側が不利のままだった。戦士の表情にも僅かばかりの疲労の色が浮かんでいるが、あってない様な物だろう。
『俺は背後に回る』
味方の一人がミヅハへ合図し、さっと木々の影に消えていった。
その背を視線だけで見送ったミヅハだが、静かに首を振った。
(いや、それじゃ間に合わない)
この森は木々が生い茂っており、天然の遮蔽物となっている。ただでさえ移動にはそれなりの時間がかかるのだ。よしんば背後にうまく回りこめたとしても、周り込めたところで時間切れだ。
足元に出鱈目に矢を打ち込むことで撹乱し、本命の矢を当てるという手法もあるが、ミヅハの矢筒には矢が一本だけしか残されていない為それもできない。
外せばそれで終わりだ。狩人の、ミヅハの負けである。
普通の狩人なら潔く負けを認めて、獲物を追うのを諦めるのだろう。
だがミヅハは
「……一か八か。やるしかないよな」
一瞬だけ目を閉じて、風の囁きに耳を澄ます。弦を引き絞り、最後の矢を番えた。
「……ッ、ここだッ!!」
ミヅハが出した結論はソレだった。
勿論今までそんなことをしたことは無い。精々、ある程度獲物の動きを予測しての曲射がいいところだろう。成功率は極めて低かった。だがミヅハは今までの経験と狩人としての自分の『勘』を信じたのだ。
矢は真直ぐに飛んでいった。
ヘタに動けば背中に当たる可能性があると判断した戦士はその場からあえて動かなかった。実際それは途中まで正解だった。
そして戦士が矢が当たったと認め手を挙げた為、見事狩人側の逆転勝利となった。時計の秒針が十二の数字を迎えに行く僅か数秒前の出来事であった。
チームを勝利へと導いた英雄に、事を見守っていた幻想種たちがわっと歓声を上げながら駆け寄ってきた。
「すげぇよミヅハ! さっきの奴どうやったんだよ!」
「俺見てたけどさ、矢の軌道がさぁ、もう意味わかんなかったもんな」
「絶対勝ったと思ったのになぁ。お前ありゃずるいよ……」
ガシガシと頭を掻いている戦士が完敗だと溜息を吐いているが、その顔はどこか嬉しそうであった。そして、ミヅハの明るい太陽の色の髪を撫でまわしていた幻想種が「あっ」と声を上げた。
「というかさ、絶対今のできるようになった方がいいって。一回だけとか勿体なさすぎるだろ」
「練習なら付き合うからさ」
正直言うと今の技は完全なマグレである。再現できるかといえば答えは「NO」だ。だが、真正面から敵を見据えたうえで、背中を狙うという技が習得できれば奇襲技としても使えるし、さっきの様な場面でも突破口になるかもしれない。ミヅハは深く頷いた。
「うん、そうだな。頼むわ」
この後幾度も失敗を繰り返し、その末に生まれた技。
それが