PandoraPartyProject

SS詳細

月の無い夜の始まりの話。或いは、ある者たちの転機…。

登場人物一覧

トキノエ(p3p009181)
恨み辛みも肴にかえて
トキノエの関係者
→ イラスト

●月のない夜の序章
 暗い、暗い夜の話だ。
 空には分厚く黒い雲。月のない夜だ。星の粒さえ頭上には無い。見上げれば、どこまでも落ちていきそうな真っ暗闇が広がっている。
 じぃ、と眺めているうちに、まるで空に吸い込まれてしまいそうな気さえしてくる。
「ひと雨来そうだ。冬の雨は骨身に染みる」
 湿気で重たくなった前髪を掻き上げてトキノエ(p3p009181)はひとつ溜め息を零した。白い吐息が闇夜に落ちる。
 ここは豊穣。
 とある山奥。
 木の幹に背中を預けたトキノエは、闇深い森の奥へ横目を向けた。そこにあるのは粗末な社だ。社に住まうのは“病魔払いの巫女”と呼ばれる、1人の若い女性であった。
 “病魔払い”などと呼ばれてはいるものの、彼女の身体は数多の毒に侵されている。それも、人の手によって無理矢理に、身勝手にその身は病毒に侵されたのだ。
 毒を持って毒を制す……という言葉がある。金持ちたちは、こぞって彼女の肉を買い、それを喰らうのである。
 偶然、彼女の存在を知ったトキノエは、それ以来、時々こうして彼女の様子を見に来ているのだ。彼女……病葉 樒という巫女を救うためではない。見守るためでもない。
 何のために、わざわざ森の奥の社に足を運んでいるのかなんて、トキノエ自身も理解できてはいなかった。
 トキノエがその気になれば、樒を社から連れ出すことは容易である。
 そうすれば、樒を連れ戻すために追手が差し向けられるだろう。だが、多少の追手であればトキノエだけでも追い払うことは可能だろう。必要に迫られれば、イレギュラーズの仲間に相談することもできる。
 だが、しかし……果たしてそれに何の意味があるというのか。
 樒の意思を無視して社から連れ出したとて、それが彼女にとって何かの救いになるとは限らない。そもそも、長年にわたって数多の病毒に侵された身だ。
 助け出しても、いつまで生きていられることか……助けた結果、彼女は長く病に苦しむことになるかもしれない。
 病に苦しみ、布団からも起き上がれない日々を送って、そしていつかは命を落とす。それを自由と呼べるのか。社に囚われている現状と、一体なにが違うのか。
「結局、どう生きるのか、どう死ぬのか、決めるのは彼女自身ってこった」
 
●雨の降る明け方の幕間
 “病魔払いの巫女”がどこかに逃げ出した。
 社の周囲で、松明を手に右往左往している数名の男たちが口々にそう騒いでいる。トキノエが微睡んでいる間に、樒がどこかへ逃げ出したのか? 或いは、トキノエが社を訪れた時点で、既に樒はどこかに逃げていたのかもしれない。
 だとすれば、なんと馬鹿な時間を過ごしたものだろう。空の社を一晩眺めていたとすれば、笑い話にもならない。
「……ったく、何をやってんだよ」
 吐いた言葉の向く先は、果たして自分か、それとも樒に対してか。

 樒を社から連れ出したのは、痩せた若い女性であった。
 月の無い夜、社にそっと近づいて固く閉ざされた扉を開けて、樒を外に連れ出した。着ている服は泥や垢に汚れていて、伸び放題の長い髪には木の枝や蜘蛛の巣が引っ掛かっている。
 爛々と目を輝かせ、黄ばんだ歯を剥き出しにして、彼女は樒の手を引いた。その日に限って見張りが近くにいなかったのは、きっと彼女が何かの仕掛けをしたからだろう。
 彼女の目的は何だろう?
 “榊”の一族から樒を奪って、代わりに“病魔払いの巫女”の肉を売り捌くつもりか? だとしたら、それは無駄なことだ。“病魔払いの巫女”の肉なんて胡散臭い代物は、榊の一族でもなければ売り込めない。
 すっかり弱った樒の身体では、痩せ細り、病気で爛れた樒の脚では山道を速く走ることは出来ない。だが、そんなことはお構いなしに彼女は樒を引き摺るように社を離れる。
 そうして2人が辿り着いたのは、社から暫く離れた沢の畔だ。
 体力の尽きた樒は、血混じりの咳を繰り返し、砂利のうえに座り込む。呼吸を荒くした彼女は、そんな樒を一瞥すると懐から1本の包丁を取り出す。
「何のために私をこんな場所まで引き摺って来た? 殺すためというのなら、社でも問題無かったじゃろ?」
 そう問うた樒を一瞥し、女はにぃと口角をあげた。
 その両目は血走っている。闇深い夜の帳の内でさえ、炎が燃えるように見えたほどに。
「なぜって、決まっているでしょう。社でそんなことをすれば、すぐに見張りがすっ飛んでくるもの」
「弱り切った私を殺めるのに、そんな時間が必要か?」
「殺める? えぇ、そうね。でも少しだけ違う」
 肩を揺らして、女は言った。
「苦しめて殺すの。爪を一枚ずつ剥いで、足の先から肉を削いで、目を抉って、鼻を抉って、身体に虫が湧いて、貴女が“もう殺して”と懇願しても生かし続けて、生きたまま地獄を味わわせて、最後に心臓をひと突きするの」
 なるほど。彼女は狂っているのだ。
 抵抗する力は無い。逃げる体力も無い。そもそもここを生き延びて、一体どうするというのか。病魔に侵された体では、そう長くは生きられないだろうに。
 だから、樒は目を閉じた。
「まずは抵抗できないように、肩の筋を裁たないと」
 地面を蹴る音がする。
 包丁を振るう音がする。
「こんなことなら、もっと早くに逃げておけばよかったのう」
 けれど、しかし。
 覚悟していた痛みは無かった。

 鼻腔に張り付く鉄錆の臭い。否、これは血の臭いだ。
 目を開けば、そこにあるのは黒く広い男の背中。暗くて顔は見えないが、その身より感じる不吉な瘴気には覚えがあった。
「お前、どうしたい?」
 瘴気を纏う男は言った。
 曖昧模糊とした問いだ。けれど樒には、彼の求める答えが分かる。
「私は生きたい。自分の意思で、自由に……」
 掠れた声でそう答え、そこで樒の意識は途切れた。

「何だって“病魔払いの巫女”を殺そうとしたんだ?」
 意識を失った樒の身体を抱き支え、トキノエは眼前の女に問うた。女は唾を吐き散らしながら、狂ったように言葉を返す。
 曰く、彼女の父は“榊一族”の顧客の1人だったらしい。病に無縁の身体を求め、“巫女の肉”を手に入れようと私財のすべてを擲って、最後には飢えと渇きに苦しみながら病で命を落としたという。
 半狂乱といった有様の女から、以上の話を聞き終えてトキノエは小さな溜め息を零した。つまり、彼女も被害者なのだ。
「お前の親父さんは気の毒だが、こいつを殺したって何の意味もねえぞ。奴らはすぐに次の『巫女』を用意して……それで終わりだ」
 女の手から包丁を取り上げ、川へと捨てる。
 
 ふらふらとした足取りで、女はどこかへ消えていった。彼女にも本当は分かっていたのだ。彼女の父が死んだのは、決して樒のせいではないと。
 彼女の父は、榊一族の悪徳と自身の愚かさゆえに命を落としたのだと。
「さて……どうするかな」
 樒をここに置いていくわけにはいかない。

『だったら、生きて俺に逢いに来いよ。生きる覚悟を決めてよ……そうすればお前、少しは生き残る目も出て来るんじゃねぇか』
 
 思い出すのは、ある夜に吐いた自分の言葉だ。
 そして彼女は、生きたいと言った。
「……掻っ攫うなんて真似はしないといったのは誰だったか」
 今頃、榊の部下たちは樒の行方を捜しているか。それとも、すでに捜索を止めて次の巫女を探しているか。
 どうでもいいことだ。
 トキノエは、樒の身体を背に負うと夜闇の中を麓目指して歩き始めた。

PAGETOPPAGEBOTTOM