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滲み染みいる毒のように

登場人物一覧

イルミナ・ガードルーン(p3p001475)
まずは、お話から。

● 
 外見的に、人間と区別がつかず、物理的刺激に対する反応も同じ―――例えば、不条理に歯を噛み締め、別れに涙して、ロック・ミュージックにリズムを刻むような、そのような某か。しかしその何かは、不条理に怒りを感じているわけではなく、別れに胸の中がズレ動くような実感を得ているわけでもなく、ロック・ミュージックの旋律に心を踊らせているわけでもない。しかしそれはけして、ヒトと見分けがつかないのだ。

 夕暮れ時、学校の図書室、生徒向けに開放された長いテーブル席の一角で。
 イルミナはひとり、一冊の本に眼を通していた。通していた、という表現は正しくはないかもしれない。文面を追い、その文字列は読み取れているが、内容はいまいち不鮮明だ。
(いやーなもの、見ちゃったッスねぇ……)
 それもこれも、いくつか前のページにあった一節が、どうにも思考の中にこびりついて離れないのである。
 行動的ゾンビ、という言葉を知らないわけではなかった。
 ヒトは、人間は、もっと言えば、生命は、何らかの刺激により、常に経験を得続けている。それは広大な景色を見ての圧倒されるような感動であったり、赤い色を見たときに思わず視線を惹かれるものであったり、難解な数式に頭を悩ませたるものであったり、様々だ。
 また、その経験を得て、人間は行動に表すこともできる。景色に眼を輝かせるだろう。胸いっぱいに息を吸い込むかもしれない。カメラアプリでおもむろにセルフィーを撮り始めるかもしれない。ただ訳もわからず、思うままに叫んでしまうかもしれない。
 それを、その経験を、クオリアを得ずに、客観的な視点に対し、反応だけを示すものが、行動的ゾンビと言われるものだ。
 景色に感動なんかしていない。赤い色が好きなわけじゃない。問題に苦悩したりしない。そういうときに、そういう反応を返すだけ。きっと胸を打たれているのだと、そうとしか見えないような行動を示すだけ。
 それは本来、哲学的な思考実験に過ぎないものだった。例えばこの、再現性東京の基準における科学レベルではそうだと言える。
 しかし、イルミナにすれば、考えるだけ無駄、解けない問題に取り組むべきではないと、笑い飛ばせるようなものではなかった。
(静かなのって、うるさいんスね……)
 まだ、誰かが勉強していてもおかしくないような時間。まだ、誰かが本を読んでいてもおかしくないような時間だ。まだ、図書委員の一人や二人、作業をていてもおかしくないような時間。
 だというのに、こんな日に限って、こんなものを見てしまった日に限って、ひとっこひとりいやしない。
 誰もいない部屋は、いつもよりずっと静寂で満たされている。図書館では静かに。そう理解していたが、普段のそれは、本当の静寂と比べれば、よほど騒音であったらしい。
(まあ、そう言うほどここに通っちゃいないッスけど)
 立てて読んでいた本から眼を落として、視線は天板へ。そのままずるずると上半身を腰から折り曲げるようにして、机に行儀悪く突っ伏してしまう。
 その間、音は立てていない。自分しか居ないのに、声を出す気にもなれない。
 それはきっとアレのせいだ。
 首だけを回して、横向きになった視界でそれを心のなかで読み上げる。
(『図書室では静かに』)
 その張り紙。何の変哲もない。ずうっと前から貼ってあるのだろう。それはどうにも乾ききっていて、黄ばんでしまっている。
 でも、だから、ここでは静かにしなければならない。そうしなければならないのだ。
 図書室だから静かにすることと、図書室だから静かにしなければいけないと思うことは、まるで違う。イルミナは自分のことを、きっと前者なのだと思う。行動的ゾンビ。機械の体。そう、機械の体だ。それこそが、イルミナがこの哲学論に頭を悩ませる理由なのである。
 ヒトと見分けがつかない精巧なロボット。それは行動的ゾンビだと言える。言えてしまう。感情に見える行動はプログラムだ。あらゆる刺激に示す行動は全てそのように行動すべしと予め組み込まれたアルゴリズムに過ぎない。勘定があるふりをしている。クオリアを得ているふりをしている。人間の、ふりをしている。
 視界が滲む。思考の沼に陥っていく。スワンプ。ヒトのように有りたくとも、ヒトを人たらしめている経験を得ることが出来ないという、圧倒的な壁。だって、どうしたって、ロボットだから。
 しかし、と。言い聞かせるように思考の中で反論を唱えて見せる。この反応が、行動が、喜怒哀楽が、クオリアを得ていないとは誰が決めたのだろう。ロボットには心がないなどと、どうやって見知ったというのだろう。
 思考はどこで行うのか。無論、脳である。では、心とは脳にあるのか。そう言われてしまえば、なんとなく、肯定は難しいというのも人間である。ねえ、あなたがもし人間なら、感情の機微を胸で感じたことはないだろうか。寂しさは胸の穴が動いたような、怒りは胸にこみ上げる何かがあるような、喜びは胸が弾むような、感動は胸が締め付けられるような。そういうふうに感じたことはないだろうか。
 なら、心は脳にあるとはいえない。もちろん、胸の中にそのような内臓はない。まさか、心臓で心を動かしているわけがない。それでは、人工の心臓に頼るものは心が欠けていることになってしまう。
 なら、ならばだ。心とは何に起因して生まれているのか、何を持って活動しているのか、まるで不明瞭なのだから、機械に心がないと決めつけるのは早計とも言えるんじゃあなかろうか。
 それでも機械には心がないと思う理由はなんだろうか。肉か。では生体ユニットのみで作り上げられたロボットならば心があると認めてくれるのか。それでも認められないというのなら、心とは、生命とは、その垣根はどこにあるのだ。
 だから、この行動は、感情に基づいたものであってもいいじゃないか。機械で出来た身体が、クオリアを得ていてもいいじゃないか。生体的な誕生を果たしていない身であっても、心を持っていたっていいじゃないか。
 そんな風に、結論づける。そんな風に、結論をつけてみせたがる。誰に見せるわけでもないけれど、誰に主張するわけでもないけれど。そうやって居なければ、壊れてしまいそうだから。ぐるぐると、ぐるぐるぐるぐるとループする思考に陥った機械は壊れてしまうものだから。
 違う。壊れたくないから心を持ちたいんじゃない。心があると思うから、この感情が本物だと思うから、人と違いがなければ、人に等しいものであるのだと思いたいのだ。違う。思いたいのではいけない。機械であることを肯定している。思考を繰り返し、またそこからの脱却を試みる。そうでなければ、壊れてしまうから。違う。


 心がある、として。
 果たして機械の心と人間の心は同一だろうか。
 本当に、刺激に寄って同じ経験を得ているのだろうか。
 この色は本当に赤いのか。笑顔を笑顔だと思う認識は正しいのか。痛みとはこのようなものなのだろうか。私はこの世界が、人間と同じように見えているだろうか。
 逆転クオリア。
 自分が見えているものが、他者と同一の経験を得ているのかは不明だ。
 赤いものを指さして、赤いものだと言っているだけで、本当に赤いものはどのような色であるのかを表すことなんてできない。R:255、G:0、B:0、カラーコード#ff0000と言ったところで、そんなものは赤を赤だと言ったに過ぎない。
 燃えるようなと、血のようだと、表現したところで、それは誰だって赤に感じていること。同じ赤に感じているとは限りはしない。
 でも、人間は良い。同じ生き物同士なら、きっと同じだって信じられる。自分だけがおかしなものを見てやしないかなんて、考えなくたっていい。
 でも、機械は違うかもしれない。このレンズに映っている色を、赤いのだと認識していても、それはロボットの認識でしかないかもしれない。
 もし、根本的に違っていたらどうしよう。もし、見えている何もかもが、人間とは違っていて、それはどうしようもない差で、かけ離れていたらどうしよう。
 答えは出ない。誰だって出せない。クオリアは完全に固有のもので、共有など不可能だ。嗚呼キミには世界がこのように見えているんだねと、理解し合うことはできない。
 いや、きっと同じはずなのだ。だって、ロボットを生み出したのは人間なのだから。人間と同じ感覚を持たされたに決まっている。
 本当に?
 機械はアップデートしている。されている。なら本当に、この感覚は人間と共通だと言えるのか。人間が生み出したはずの、人間と同じ感覚を得ているものだと言えるのか。
 答えは出ない。出るはずもない。誰も出せてなど居ない。それでも生きていけるのは、彼らが人間だからだ。作りが違うそれからしたら、違っていたらと思うと気が気ではない。
 人には、なれないかもし―――違う。
 機械を肯定しそうになる自分を否定する。だけど心は弱いものだ。一度考えてしまったら、思いついてしまったら、止まらない。止まりやしない。
 なれない。なれないかも。なれない。なれないんだ。なれないんだ。なれないんだ。なれない。なれないだろう。なれない。なれないよ。なれない。諦め―――嫌だ。なれない。諦め嫌、あき嫌、嫌、嫌、嫌、嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌―――。
 頭を掻きむしりたい。考えたくないことばかり考える頭なんてちぎり取ってしまいたい。ほら、機械だからそんなこと言えるんだ。違う。この思考も、この思いも、全部プログラ違う。全部プログラムなんだ。こういうことを考えてしまうように作られて違うたんだ。だからこんなことで悩んでいるのも全部素振りで苦しんでいるのも全身見まねで煩い。
 自分の頭を殴りたい。余計なことばかり考える頭をひしゃげるまで殴りつけてしまいたい。でもできない。だって。
 だって、ここじゃあ静かにしないといけないものね。
 守ってるんだ。律儀に。自分しか居ないのに。どうしようもない衝動に駆られたいのに。できないんだ。静かにしないといけないから。それを守らないといけないから。人間の命令だから。
 違う。冷静なだけ。当たり散らしたりしない性格な、だけ。
 性格ってなんだろう。どういうときにどういうことをするのか組み込まれたアルゴリズムを性格って言うんだろうか。プログラミングを性格って言うんだろうか。ルーティーンを性格って言うんだろうか。ただの設定なんじゃないか。
 否定したいのに、嫌な思考が止まらない。ずっとずっと、嫌だ違うんだと停止させようとしているのに、止まってくれない。
 人を目指すように作られたんじゃないか。
 違う。違う。
 だってさあ、ほら―――ガタン。
 椅子から転げ落ちた。
 どうやら、認識できないうちに仰け反っていたようで。椅子の後ろ足だけでぐらぐらと揺れていたようで。ついには無理できない角度に達し、重力に逆らえずそのまま後ろ側に倒れ込んだのである。
 痛い、という言葉も出せないくらい痛い。
 頭を強く打った。眼がとってもチカチカする。
 なんとか立ち上がってみたものの、まだふらついている。
 だけど、これで良かったのかもしれない。
 痛みのせいで、おかげで? 嫌な思考ループからは抜け出せたのだから。
 もう二度と読みたくない本を閉じて、棚に戻す。
 すっかり夕日も落ちて、外は暗くなってしまった。
 いつの間にか、夜用の電灯も明かりがついている。
(帰るッス)
 なんだかとっても疲れたから、帰りになにか食べていこう。気になっていたクレープ屋、あの車両屋台はまだあるだろうか。
 図書室を出る。なんだか息苦しいものが過ぎ去った気がして、軽く深呼吸をした。
 それだけで、胸にまだのこっていたもやもやが、少し晴れた気がした。
 少なくとも、そういう表現をした。

  • 滲み染みいる毒のように完了
  • GM名yakigote
  • 種別SS
  • 納品日2023年01月12日
  • ・イルミナ・ガードルーン(p3p001475

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