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火花が至るその先は?

登場人物一覧

嘉六(p3p010174)
のんべんだらり

 今日は早めに帰りたかったな。溜め息を眠気覚ましの熱いドリンクと共に流し込み、眺めていたスケジュールアプリを閉じる。定時を回って残業突入前の休憩室特有の何とも言い難い空気を吸っては吐いて、たまたま居合わせた社員とするたわいもない世間話。滞った業務から束の間の現実逃避をしていた時のことだ。

「キスしようとできた時点で好き確定じゃないですか」

 数分の間に話題は二転三転、何故か始まった恋バナの矛先が急にこちらへ向いた。ぽかん。そんな効果音が付きそうな顔を晒していることに気付いて空の紙コップを口元へ運ぶ。大丈夫だ、答えは用意済みだ。
「……、未遂だからそういうことにはならな」

「そこまで迫っておいて好きじゃないとかないでしょ社長!」

 食い気味で即答され、面食らう。想定外。そもそもキス未遂も自分の中には無い他者の発想が発端だった。それなら、いや、まさか——これは恋なのか?

『それって憧れじゃなくて恋慕では?』
 あの時も、雑談中にぽろっと嘉六さんへの愚痴やら何やらを溢したらそう指摘してくる社員がいたのだ。否定しても同じように否定が返る。絶対、とまで念入りに押されればその場は適当に誤魔化すしかなく、いずれ蒸し返された時には根拠を述べて反論すべきだと感じた。すぐさま半休を入れたのは仕事を放り出した訳でも、絡みに行く口実を得て意気揚々とでもない。たまたま、午後の予定が延期になったからだ。
『キスしてもいいですか?』
 そうして生まれた手っ取り早くて単刀直入な提案。対する嘉六さんの反応はまた一段と感情豊かで心躍った。意識の内側に置いてくれているからこそ、ああした顔や声を向けてくれる。いつでも馳せ参じることが出来るよう行動圏を把握しておいた努力も報われるというものである。
『断る』『俺が既に気持ち悪がっている。以上、解散』
 自省する点があるとすれば、確認のためとはいえ些かムードに欠けたことか。真昼の歓楽街、人の往来のある道端でキスをしようというならばそれなりの空気作りと誘導が無ければ盛り上がらない。金で解決しようとしたのも、多分よくない。頭突きで済んでよかった。体を張って教えてくれた嘉六さんにはまた今度お礼を——
「……あれ」
 ——回想がぴたりと止まる。無意識に噛んでしまっていた紙コップの縁から真白い底を覗く。
 キスをしようと言い出した時点で嘉六さんは、理由はどうあれ、考えた上でキスを断った。それなら、俺は? 俺は嘉六さんとキスすることを想像して嫌悪感を少しでも抱いただろうか?
 肩を掴んで、引き寄せて、視線が交わって、体温と声と匂いとが他の何より近くにあって。どこまでやったなら嫌かどうかなんて、とっくに通り過ぎた疑問だったんじゃないか?

「いや、いやいやいや」

 生まれ直したに等しい出会いの日から四六時中、考えることといえば嘉六さんのことばかりだった。
 たとえば、想像よりずっと自堕落な生活をしていると知って手も口も出すようになったのは、ダメな兄貴分をフォローする舎弟のような気持ちだったような気がする。
 誰とも知れない女の世話になった話を聞いてからは養ってやると何度伝えたことか。絶対に頷かないとわかっていても、そんな行きずりの相手でもいいなら俺でも構わないじゃないかと気に食わなかった。
 それなら、と強い男に似合いの服や装飾品を贈ろうとしたことも二度や三度じゃ足りない。勿論、大概が突っぱねられた。どうしてそんなに拒絶されるのか理解不能でますます通うようになった。
 何度止めても命を張る危険な仕事には出かけるし、酒に酔って愚痴を吐けば笑って慰めてもくれたし、一定のラインを越えなければ世話をさせてくれることにも気づいた。それらに慣れていると感じれば苛立ちもしつつ、最近見せてくれる笑顔は受け入れてくれている証のようで一瞬で頭が塗り潰される心地がした。
 反対に、嫌そうな顔を向けられるのも悪くなかった。次はどんな反応を見せてくれるだろうと多少無茶なお願いをしてみたくなる。胡座をかいて乱れた着物の裾から晒された足。処理されていないすね毛。少し雑で男らしくて無防備な姿に妙に興味を惹きつけられ、正直に剃りたいと伝えたら煙に巻かれた。
 逃げれば追いたくなるのは当然の心理だが、訳もわからないままに何日も避けられ続けた時は本気になれば嘉六さんは俺からも逃げ果せるのだと絶望もした。だからようやく会えた日は問い詰めようとしたのに、先に償いを申し出られて驚いた。なんせ『今日一日はこの色男を好きにしていいぜ』である。爆弾発言にも程がある。唐突に何を言い出すんだと僅かに思考停止したものの冷静さを欠かずにいられた自分を賞賛したい。
 ただ、自制が効いていたかと言われれば怪しい。足を舐めたいという要求が通るのは半分計算外で、そのせいで完全に暴走した。喉を噛みたい、とか。ぶん殴られなければ止まらなかった自分自身こそが理解不能になった。
 それから、それから。抜け毛を集めたのも、あれもこれも、指摘されたからこそ思い至る結論。自分と同じように見えてまるで違う背中への憧憬も。焦りのような怒りも。今や他の誰をも押し退けてあの人の一番になりたいというドロドロとした感情に上書きされて——そう、仲の良さそうな友人に食ってかかった理由すら嫉妬が原因だったと再認識するに至ってしまった。
 シュレディンガーの猫だとかどうとか、観測するまで曖昧な何かの蓋を開けてしまったように。意識を向け、存在を認識し、そこにあると疑いようもなくなれば人間と言うのはその瞬間から逃れられない。世界の底のような路地裏を吹き抜ける風に煽られた日から、ずっと俺はじりじりと恋い焦がれ続けていたのかもしれなかった。

 カチリ。最後のピースが嵌った瞬間、全身の血液が煮えたぎり、驚愕と羞恥が一遍に沸き上がる。
「あ、自覚しました?」
「ッちが、……そんなつもりじゃ」
 口での否定なんてもう意味をなさない。茹だった頬は紙コップ程度では隠せない。長年浅ましいと思ってきた恋愛などという概念がいつの間にか自分の中に居座っていた。それをあろうことか嘉六さんに向けているのか、俺は!?

 これから、どんな顔で会えばいい?
 なにせ上っ面は何も変わっていない。変わったのは内側、俺の中にあった感情に付けられたラベルだ。収められた熱も重さも同じなのに、元からあった『羨望』の上に『慕情』がでかでかと主張して居心地が悪いったらない。いつも通りを装おうにもすぐボロが出るのが目に見える有様だ。
 これまで、どんな顔で会っていた?
 文字通り合わせる顔を持たないまま、一ヶ月が過ぎていた。自分から行かなければこんなもんか。会わないなら会わないで脳内を占拠する男を追い出すべく無心で打ち込んだ仕事はお陰様で捗りまくった。かなり精神的にもスケジュール的にも余裕を作れたし、今週はもう何があっても平気だと太鼓判を押せる。
「……よし」
 頭が冷えたような、煮詰まりきったような、そんな漠然とした感覚。未だかつてない意気込みでもって帰り支度をする俺を社員がどんな目で見ていたのか、今だけは知らないフリをした。というか見てる暇があるなら仕事しろ仕事。
 夕暮れに染まる街は行く人と帰る人が入り混じって忙しない。すっかり通い慣れた道を半自動的に進んでいく足は期待に逸るようで、声をかけるシミュレーションを往生際悪く繰り返す頭とはチグハグだ。数パターンから最終候補を絞りきれていないのに、覚悟を決めたつもりでいるから笑うしかない。あの人を前にして笑えないよりはマシだけど。そろそろ飲みに出かける頃合いだからすれ違ってしまわないように、と意識を体に沿わせて急ぐ。

「嘉六さん」
 久し振りに喉から発した名前はつっかえることなく、無事に目的の人物を振り向かせることに成功した。きょとんとした紅い瞳に自分が映り、歓喜に震え出した心に確信を得る。それだって元からあった感情だったはずだ、と変わらないことに安堵もする。これならいつも通りにいけると思った、のに。
「……なんだよ仄。彼女でも出来たんじゃなかったのか?」
 むすりと尖った唇。半眼になって睨む瞳。ほんの少し頬まで膨らませるそれは不満そのもの。どのシミュレーション結果にも存在しなかった嘉六さんがそこにいた。前提条件から狂うとか聞いてないし、まずどういう状況かさっぱりだ。
「彼女、って……どこからそんな話が」
「そりゃ約束なんざしちゃいないが、急に何の音沙汰もなくなればまあ察するよな」
 いや待って欲しい。とんでもない誤解だ。それに、その言い草はまるで——当たり障りのない会話を放り投げ、沈黙を肯定と受け取って勝手に話を進める嘉六さんの表情、声音、言動を分析していく。
「わざわざ報告に来るとはご苦労さん、それからおめっとさん。良かったじゃねぇか」
 言葉と表情が食い違ったまま、全然祝う雰囲気じゃないんですけど——まさか寂しかったんすか? 会いたかったって? いつまで経っても来ない俺を待っててくれたんすか?
「安心してください。俺の一番はこれからも嘉六さんなんで」
 もう計算もいつも通りを繕う余裕も跡形なく吹っ飛んだ。これが恋であるならば駆け引きの一つも必要だと言う知識を黙らせ、溢れた愛おしさは言葉と目一杯に回して抱き締める両腕にありったけを籠めた。次に吹っ飛んだのは驚いた嘉六さんに殴られた俺自身だったけど、後悔は微塵も無かった。



「——という訳で。全部嘉六さんの可愛い勘違いで、俺にはお付き合いしてる相手なんていないんすよ」
 二人きりで話がしたい俺と、飲みに行きたい嘉六さん。お互いに譲歩し合った結果が居酒屋で半個室のテーブルを囲む現在だ。詰めた鼻ティッシュの話しづらさに懐かしさを覚えつつ終えた弁明タイムは、夕飯代わりの一品料理を腹に収めるまでのたっぷり一時間。おかげで存在しない俺の恋人に対する不機嫌の方は引っ込んだようだった。
「……お前、頭でも打ったか? 変だったのは元からとしても、今日は一段と……こう……」
 代わりに不審者をみるような視線が刺さろうと、彼女の真偽は別にどっちでもいいと言い放ったのが照れ隠しであろうと無かろうと、上手く掴めない違和感を持て余してグラス片手にろくろを回す姿を見ていられるなら気にしない。一ヶ月振りの最上級のおかずを咀嚼しながら話を促した。おそらく嘉六さんが一生懸命に考えてくれているのは自覚による変化で、貴重な客観的意見なのだから。
「俺、何か違いますか」
「んー?……甘ったるく感じる、っつーか年上の男つかまえて可愛いとか言ってんなよばーか」
 けらけらと笑うのに泳ぐ視線。逸された顔はほんのり色付いて、酔いのせいにするには早く、暖色照明のせいにするには赤い。尻尾がはたはたと忙しないことには言及しないでおこう。
「やっと修羅場ってた案件を片付けて来たのに、捨てられたって拗ねてる嘉六さんが悪いんすよ」
 ひと月も何やってたんだよ、と問い質されたのでそういう設定にした。仕事してたのは嘘じゃない。浮気を疑われた旦那気分が不謹慎ながら楽しくなってきた俺は、冗談めかして畳み掛ける。
「お疲れの仄くんにいい子いい子くれてもいいんすよ?」
 ずいっと頭を差し出して、わざとらしい上目遣いも付けておねだりすれば。
「ったく、しゃあねぇな……ほらよ!」
 空いたグラスを置いた両手がわしゃわしゃと髪を掻き乱していく。勢いよく、遠慮も警戒もないスキンシップ。酔っ払い同士の戯れ。間違いなく『いつも通り』の光景だ。
「ありがとうございます、嘉六さん」
 ちらりと盗み見た満足げな笑顔の想い人とどうなりたいのか、俺が思考を巡らせて続けていること以外は。

  • 火花が至るその先は?完了
  • NM名氷雀
  • 種別SS
  • 納品日2023年01月15日
  • ・嘉六(p3p010174

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