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慟哭に喚ばれて
登場人物一覧
絢爛な夜であった。
赤い絨毯が一面に張られた、広々とした屋敷の一室である。円卓がそこかしこに設えられ、上には贅の限りを尽くした料理と酒が並んでいた。頭上には豪奢なシャンデリアがきらきらと光る。
男も女も、皆等しく豪華に着飾っている。その辺りにいる男を一人捕まえて、身に纏う金品を全て出させたなら、五年は遊んで暮らせよう。
だがそんな狼藉を働こうものなら、即座に捕捉され、拿捕されるに違いなかった。貴人が集うに相応しく、黒服の警備兵がそこかしこを行き来している。
万全の警備を固めた、貴人の夜会――それが意味するものとは。
「長らくお待たせいたしました、皆々様! これより『聖骸』をお分けいたします!」
一人の男――一際煌びやかに着飾った、禿頭の中年――が言うなり、場にいた貴人らがどよめいた。
「ゴラス様!」
「お待ちしておりましたわ!」
ゴラス――というのがその男の名なのだろう。豊かな髭を蓄えている。細い目、笑みの形に垂れた目尻。だがその目の奥に酷薄な光があることは、注意深く見ればすぐに分かることであった。金で目が曇って居なくば、すぐに見通せる程度に冷たい目をしている。
「もうあれが無いと楽しむ時に不便でなあ」
「うちの妾どももこぞって聖骸を、聖骸をとせがむのだ。全く困ったものだがね」
「依存性もない、即効性、一度夢に沈めば四半時は極楽に耽れる――夢の薬よねえ」
貴人らのざわめきの中には、そのような声を聞き取ることが出来た。
――聖骸とは。
簡単に言えば麻薬だ。しかし依存性や、人間としての機能を破壊するような副作用を保つわけではない。内服、もしくは水に溶かして静脈注射することで摂取する。
摂取後には五~六時間の多幸感、酩酊感、感覚の鋭敏化が約束されている。
人の生死には直接的には繋がらず――快楽だけを齎す麻薬。実際の所その売り文句は事実であり、ゴラスはそれによって巨大な富を得ていた。
――しかし、そんなものが簡単に手に入るか?
人間に対して完全にクリーンであり、快楽を求めて群がる人々を次々と虜にする魔性の薬。富が生み出す眩き光には、その分暗い影がついて回る。
「では皆様、ご覧ください。こちらが今回の目玉の聖骸となります。本日はこれを煎じるところから、ショーとしてお楽しみいただければと存じます――」
ゴラスが言うなり、ステージに光が射した。
光浴びるスタンドの上、ケースから布が払われる。
その中にあったのは――
全身が屍蝋のような光沢を帯びた、美しき妖精の骸だった。裸体の形を見れば女性だったことは自明。その肢体は今やその長髪の一房に到るまでが、彫像めいて白く凝っている。
固く閉じられた眼は二度と開くことはなく、命失ったその身体には、今以て無念の魔力が満ちているように思われた。
魔力を視認できる魔術師ならば、その残虐さに呻いたに違いない。
「此度の個体は大変に魔術に長けており、その身に詰まった魔力を存分にお楽しみいただけること間違いなしでございます。いやはや、捉えるのには大変骨が折れましたが、我が方に使えております魔術師らの総力を挙げ、二週間に及んでの追跡と狩りを行い、一ヶ月を掛けて精錬いたしました。苦労とコストは掛かりましたが――間違いなく、皆様に上質の体験をもたらすことでしょう」
ゴラスは得意げに演説をぶる。それを貴人らが愉快げに聞く。誰からともなく手が上がり、捕獲にあたっての苦労話、『精錬』の方法についての質問をした。――耳を塞ぎたくなるような、身の毛もよだつような話がいくつも連なる。
狂っている。妖精とて生きていた。魔力を持ち、魔術を用いる高度な知性体だ。追われながら彼女は、想像もしがたいほどの恐怖を覚えただろう。悍ましい方法で屍蝋へと変えられていく自らの身体を見下ろしながら、妖精は、一体何を思ったのか。
――外道共の勝手な言い草を、悍ましい話を、唯々彼女は聞いていた。
この場でただ一人。犠牲となった妖精を悼み、正しき怒りを胸に抱いた少女が。
「積もる話も尽きませぬが、では、早速腑分けした上で煎じてお分けしたいところです。ご存じの通り、胸から上は特別価格となります。妖精の魔力集う心臓と頭は格別ですからな! それではまず脚の方から競りを初めて参りましょう――では、まず右足! 金二〇〇〇から――」
ガンッ!!!
朗々と喋るゴラスの言葉を遮るように、激音が響いた。机の一つが軽々と宙を舞い、料理と酒がブチ撒けられる。
「なっ……」
ゴラスが息を詰め目を見開いた。たっぷり二メートルは浮いて落ちた机が壮絶な音を立て、周りの貴人らが身を竦める。――もう貴人などと言う必要も無い。奴らは、あの妖精の骸を消費する『モノ』に貶めた、屍肉漁りにも劣る畜生共だ。
視線が集まる。そこに少女がいた。白を基調とした美しいナイトドレスを纏い、アンバーの瞳を爛々と光らせたブルーブラッドの少女。猫の耳がピンと立って、警戒と怒りを示している。
「もう、聞いてられないよ。その妖精さんの死を、それ以上侮辱しないで。その子は、絶対に――そんな風に使われるために生きていたわけじゃない!」
あどけない声を、けれど燃えるような怒りで染めて、少女――スー・リソライト(p3p006924)が吼えた。
「何を吠えるかと思えば……! 不埒の輩だ、ものども、捕らえよ!! 客人らの安全を確保するのだ!」
ゴラスが命を下すなり――いや、下す前に、黒服達が短杖――ワンドを抜いていた。明らかに荒事に慣れている。対応が早い。こうした不測の事態にも慣れているのだと見えた。
敵数、十四。全員が魔術師。
スーは怖じることなく直短剣『Dance of death』を抜剣。その飾り布を舞いめいて翻し、敵へと吶喊した。
ワンドの先端に蒼き光が集い、次々と魔力矢が撃ち出される。マナ・ボルトと呼ばれる、魔力を単純に固め、それに指向性を与えて射出する戦闘用の初等魔術だ。
しかし侮るなかれ、熟達者が杖を用いて放つその威力は銃弾を容易に凌駕する。その上、炎や氷などといった属性による二次被害をもたらさずに対象の攻撃のみを行えるため、こうした状況で使うには都合が良い魔術であった。
魔術師らは射線を重ねぬよう扇状に散開し、冷静にスーを照準してマナ・ボルトを連射した。手足の一つもそぎ落としてしまえば無力化出来よう、と言う肚であろう。
――甘い。温すぎる。
・・・・・
彼ら風情が彼女を止めるのならば、初めからもっと容赦なくやるべきだったのだ。
スーは射出されるマナ・ボルトを短剣で弾きながら駆け抜ける。一足飛びに跳んでテーブルを蹴飛ばし、ドレスと短剣の飾り布を翻しながら宙へ舞い上がった。
突然の鉄火場に逃げ惑う人々ですら、見惚れたように仰いでしまう、高く美しい跳躍。まるで白鳥が翼を広げて飛び上がったかのような優美さ。
即座にマナ・ボルトが空中の少女へ連射される。しかし頭上への射撃というのは、訓練を経た熟練者でさえ忌避するほどに困難なものだ。いわんや、正確な照準機構を持たぬ魔術での射撃で捉えようなどとは烏滸がましい話である! スーは短剣の飾り布を手繰り、振り回すことで無数の銀月を描いた。彼女の周りに吹き荒れるのは死の旋風。魔力の弾丸とて、その結界めいた銀月の隙間を抜けるに能わぬ!
蒼白い火花と金属音が連なり、次々とマナ・ボルトが弾かれる。驚愕に魔術師らが目を見開くが、一方のスーは興味もお構いもなし。怒りに引き結んだ唇を動かさず、彼女は敵数名の至近距離へと飛び込んだ。
着地。至近距離からマナ・ボルトが放たれる。だが既にスーの身体はその軌道上にない。着地で撓めた膝がそのまま次の移動の予備動作になっている。
雷光めいて駆けるなり、一人の手の腱を斬り裂き、悲鳴を上げる敵手の影に回り込んで魔弾への盾とする。
「ぎゃあぁああっっ?!」
「おっ、おい、撃つのを止めろ!! 誤射になる!」
もう遅い。ズタズタになって頽れる男の影から、白き死神が瞬息、低姿勢で駆け出る。
「糞ッ、デタラメな――!」
再三至近弾を放とうとする敵手三名の前にバサリとケープが広がる。視界を塞がれ、一瞬だけスーの身体がどこにあるか曖昧になる――
「遅いよ」
スーには、ただその一瞬で十分すぎた。
投げ広げたケープのさらにその下をくぐり抜け、男達の骨の隙間を縫い、腱を、血管を斬り裂き貫いて血を飛沫かせる。吹き出る熱き血潮さえ、舞い踊る彼女のドレスを汚すに能わぬ!
「がっ、」
「ぎゃああっ?!」
「痛えっ、いてェよぉ……!!」
ほぼ一瞬で四名が戦闘不能。残りの十名は及び腰。
――いまの戦闘を一目見れば分かる。格が違う。
あるいはこの場に居る以外の増援がたどり着けば、この屋敷にある戦力を結集すれば勝負になったやも知れぬ。
しかし――余りにも時間が足りない。一瞬で鎧袖一触、精鋭の筈の魔術師を手玉に取って四人倒した少女を、残り十名でどれほど抑えておけるものか――
「ひ、ひいいいっ!!」
ゴラスは護衛の全滅を予見し、魔弾と剣戟の重なる音を恐れるように、聖骸のガラスケースを抱いて走っていた。隠し扉を開き、地下通路を転けまろびながら逃げる。この聖骸だけはなんとしても失うわけにはいかない。捌ければ立て直しが幾らでも効くからだ。
何故、自分がこのような目に遭うのか。どこから情報が漏れたのか。余りに突然のことで、皆目分からぬ。今はとにかく駆け、近隣に身を隠すほか無い。
泡を食って隠し通路の出口扉を跳ね開け、ゴラスが扉を閉めようと振り返ったその刹那、
「ぎっッ……?!」
ゴラスは肩と脚に食い込んだ熱杭めいた痛みに仰け反り、尻餅をついた。痛みに呻く彼の視線の先で、金の双眸が地下通路の闇に瞬く。
歩み来るのは言うまでもない。スーである。もはやホールの魔術師を蹴散らし追走してきたというのか。
ゴラスの両太股と左肩に突き刺さったのは、ホールに飾り付けてあった儀礼短剣だった。スーが投擲したものである。驚嘆すべき技量。しかし少女は誇るでもなく、ゴラスに向けて悠然と歩く。
「ま、待てッ! 金ならある、幾らでもある! 何が望みだ! この聖骸を無事に売れば巨万の富が手に入る、金でも、宝石でも、領地でも思うままだぞ!」
「要らない。私が欲しいものは、そんなものじゃないよ」 尻餅ながらに後ずさるゴラスの甘言など一顧だにせぬ。
白き死神は、その目を刃の如くに細めた。
――娘が帰らぬのです。
――私が、あの日遠出を赦したばかりに。
――ヒトに捕まり、命を落としたのだと、聞きました。
――どうか、どうか。
――裁きを下してくださいませ。
ああ、依頼をしてきた妖精の、胸に迫るような悲しみの表情を忘れない。
今スーが求めるのは、あの悲しみに報いるための、不義を滅した証だけだ。
「な、ならば何を差し出せば良い! この聖骸以外ならば、何であろうとくれてやる――」
だから命だけは、と続いたであろう台詞を、スーは疾風の如くに踏み込み――右手の短剣、Dance of deathを一閃して断ち斬った。
「――、」
ごぼぼ、ひゅうう、
ぱっくりと裂けた男の喉から空気が漏れ、心臓の鼓動に合わせて血が噴き出す。
「それなら、あなたの命をもらっていくね。もう――こんな哀しい骸が生まれないように」
喉を押さえて目を見開くゴラス。その手には既に聖骸のケースはない。斬撃を浴びせざまに、既にスーが奪い取っている。
「これで閉幕だよ。――こんな哀しいステージは、これきりにしたいけれど――ね」
短剣を血振り。
ぴぴっ、と地に数滴の血が跳ねて、ゴラスの肥満体がどう、と仰臥した。
言葉はない。
スーは、奪還した妖精の骸のケースを離さぬよう抱えて月下を歩き出す。
物言わぬ骸の頬が月光に濡れ――
まるで、泣いているように光っていた。