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穏やかな日々
登場人物一覧
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穏やかな村だったように思う。
それでも、時々あの村を恋しく思うことがある。
マリエッタを保護し手厚く迎え入れてくれた。故郷のような、あの村を。
その村は幻想に存在していた。他国との国境付近に存在する、小さな村であった。
ただでさえ辺鄙な町外れの村。村人でさえ夜の森を歩くのは躊躇われるのに、女性一人で歩くなどもってのほか。不審に思った村人が声をかけたところ、記憶を失い狼狽え彷徨っていたのがマリエッタであった。少しの会話を挟み、彼女は村での保護を受けることになる。
記憶喪失であるということは、なにも己を示す手だてがないということ。
同情ではない。彼らなりの心配あっての行動だったのだろう。
けして裕福ではないだろうことはわかっている。それでも、帰る場所も、よすがもわからないマリエッタにとって、それは救済に他ならなかった。
差し出された手の温もりは、冷えきった掌には酷く痛いものだった。
手入れされた畑と、食用の動物たちが暮らす小屋。目立つ建物といえば風車小屋や時計台くらいで、特に大きなものはない。
良く言えば控えめで、悪く言うなら田舎っぽい。されど野盗にに襲われるようなことは内容で、平和と安寧に満ちていることは明らかだ。
各国の都市部と大きな繋がりがあるわけでもなく、閉鎖的ではないものの新しい顔ぶれと称されるのは赤子のみ。朗らかで優しい村人たちは、赤子でない新顔のマリエッタを快く歓迎した。
保護されたということもあってかマリエッタには体力や筋力が一般的な女性よりも欠落していた。
「あんた、今あんまり走れないだろう」
「え、ええと……」
「こら、隠すんじゃないよマリエッタ」
「うう……実は、はい……」
「そうだろうな。今はゆっくり療養しておくんだ。畑仕事は手伝わなくてもいいから、家の手伝いをお願いしてもいいかな」
「そ、そんな……私も、動けます」
「そうやって無理をしようとするんじゃないよ。まったく」
「そうだぞ。今はゆっくり回復に努めるんだ」
「ひとには向き不向きってものもあるしな。お前には本棚の整理や家の掃除を頼んだほうが良い」
「ま、たまにうっかりもあるけどね」
「そ、それはないしょでは……!」
「うふふ!」
大きな病院があったわけではないけれど、村の医者ですら解るほどにその体は衰弱していた。きっともともと体力も筋力も低かったのだろうと推測されたのだけれど。
「マリエッタおねーちゃん、あそぼー!」
「はい、少し待ってくださいね。……よいしょ、っと。一緒に遊びましょうか」
「今日はよんでほしい絵本があるの!」
「そうでしたか。なら、一緒に図書館に行きましょうか」
子供たちの面倒を見たり。雑草抜きや種まき、動物たちの餌やりがマリエッタの村での仕事だった。
心穏やかで人当たりのいい性格もあり、最初こそ珍しいものを見るようにマリエッタを見ていた村人たちもマリエッタと親交を深めていくのにそう時間を要することはなかった。
「マリエッタねーちゃん、こっちこっち!」
「……おねーちゃん?」
「もー、また本に気を取られてる!!」
「今日はわたしたちと遊ぶ日でしょー!!?」
「はっ! ……す、すみません、ついうっかりしていて」
「もー、しかたないなあ」
「一回読み始めちゃったら止まらないしね! 本を読むのはまた今度でいいよ!」
「うう……すみません……」
知識を得ることが好きなのか、仕事のない日はよく図書館に入り浸っていた。わからないことはすぐに聞くのもきっと、未知に対する好奇心や知りたがりである性質が影響していたのだろう。例えばあんな風に、知らない本を見つけたら目的も忘れて読んでしまったり。
うっかり気質は生来のものか、もう村中のみんなが知っていることではあるのだけれど、それでもうっかりは起こってしまうものだ。だってうっかりだもの。
躓いて動物たちの枯れ草を頭からかぶってしまったこともあった。植物の種を知らずにいちごの種をひとつずつ外していたこともあったか。
普段こそ落ち着いている彼女が慌てふためくさまは村人としても微笑ましく。うっかりをしてしまうのは恥ずかしいけれど、彼らの笑顔をみるのはマリエッタにとっても嬉しくて幸せなことに他ならなかった。
そんなささやかで穏やかな生活は、マリエッタが
平凡な暮らしではあったけれど、幸せで、楽しくて。悪いものではなかった。
穏やかな村だったように思う。
それでも、時々あの村を恋しく思うことがある。
過去を知りつつある今。この手がもう一度村の門を押しても良いものだろうか?