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異聞女子力暗黒神話
登場人物一覧
薄闇の中、身を寄せ合って眠る鳥達が互いの鼓動を聞きながら夜明けの訪れを予感する頃。
無辜なる混沌の何処か、奇奇怪怪な像が立ち並ぶ館の奥の奥。誰にも侵されず、奪われぬ、心臓部の寝所にて『彼女』は目覚め、一日が始まる。
さあ、覗いてみよう。『彼女』の一日を。
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生命芽吹き萌出でるように、或い脳髄底に潜む原初の感情が蘇るように、触手は立ち上がり肉塊は這い出でる。『彼女』は寝所から己の肉体を引き摺り出すと、胴を抱き締め臓腑の数を数え、手指を薄明かりに透かして一本ずつ丁寧に数え、その他細々した検分を終えてから、3Mを超す巨躯に相応しい鏡に無貌を映した。
にくにくしい肉壁が聳り立つ。触手が蠢く中浮かぶ紅い三日月が『笑う』。そこにあるのは『憎悪』でも『嘲笑』でもなく『愛』。『アイ』。『I』。
『彼女』が鏡越しに見つめるのは己であり、己では無い。光が結ぶ反転像の奥に愛する者の姿を見、声を聴く。愛の言葉が蘇り、肉体の中心が激しく鼓動する。嗚呼。溶ける。融ける。解ける。磨いた肉が緩んでしまう。編み込んだ触手が蕩けてしまう。
準備をしなくては。下拵えをしなくては。美しく、愛らしく、芳しく。
壁役として全うするために。そして、愛する存在の為に。
鏡の前に化粧道具を広げて、並べて、整える。粉状の、液状の、糊状の色とりどりの色彩から『彼女』は慣れた手つきで迷うことなく掬い取り重ねてゆく。触手をぬらぬらと蠢かし、肉を塗りたくる。絵画を描くように、物語を綴るように、己が身に筆を入れ、頁を充実させて女子力を高めるのだ。高い女子力は不滅の肉塊をより魅惑的に、より頑強なものとする。
かつて『彼女』は彼でも彼女でも無かった。ある日ある時、『物語』は『人間』と定められ、浴槽に揺蕩う肉は定まらぬ『Unknown』から『女性』と観測された。未知から既知へ。望まれたからそうなった。望んだからそうなった。固定された認識が容れ物に変化を及ぼし、容れ物が変化すればそれに合わせて中身も形を変えるのは至極当然の事だ。
鏡の中の影は美しく、愛らしく、芳しく修飾されてゆく。ホイップクリームのように泡立ち、チョコレートのように爛れた豊満な肉体。秩序であり無秩序の玉虫色と、欲望掻き立てる怪しい引力は磨き抜かれた女子力の証。
最後の仕上げに、胸を割り取り出した心臓に紅い三日月が口付けを落とす。想いと共に触れたあの手の感触が蘇るようで、愛らしい心臓は小動物のように戦慄いた。
「Nyahahahahahaha!!」
満ち足りた笑い声。攪拌された色彩が飛んで散る。
くる、くる、くる。両手を広げて回る。回る目玉はないが乙女は総て備えた世界の中心で、全ては乙女の為に回るのだ。即ち全動説。女子力は森羅万象万物絶対の法則也!
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おいしいたのしいランチの時間。表面を磨いたらお次は内面だ。珈琲一割牛乳九割角砂糖十個蜂蜜多量。真上に昇った太陽の下、原初の生命を育んだ原始の海のスープのような飽和するほど充実した液体をお供に甘味の山に挑み掛かるのだ。
『彼女』は酒や煙草よりも甘味を好む。不滅の肉塊と暗黒の脳味噌を育むには甘味が至高。健全なる女子力は健全なる肉塊に宿る。食事は決して欠かしてはいけない。生命の基本、本能の根源。肥るのだ。育むのだ。食事を抜いて萎んで痩せたお肉なんて!
宝石のようなキャンディーに、香ばしいビスケット。艶めくジェリーに、蕩けるチョコレート。それから忘れちゃいけないアイスクリーム。パイント?クォート?いいや、全部だ!
ホイップクリームの海に溺れて触手を伸ばして纏めて掴み、歯列の無い三日月で咀嚼もせずに嚥下する。時折喉につかえて酸欠に喘ぐこともあるが、糖分に浸された脳髄は法悦に満たされる。
パステルカラーの甘味達よ。黄金色の甘味達よ。極彩色の甘味達よ。漆黒の胃袋に飲まれるが良い。脳髄に染み渡るが良い。総て渾然一体に混じり合う。さあ、もっと寄越すが良い。乙女は貪欲なのだ。よく言うだろう、「甘い物は別腹」と。
臓物に、脳味噌に、はち切れんばかりに詰め込んだ。けれど足りない。満たされない。まだ、まだ、もっとだ。底抜けの欲求が肉体を苛み、底知れぬ感情が精神を揺らす。中心が強請るように脈動し、疼きを孕んで熱を持つ。腐敗寸前の果実のような、甘く熟れきった肉を抱えて彼女は呻る。
食欲は満たした。今度は何を詰め込むべきか。今度は何を貪るべきか。三代欲求とやらに則するべきか。それではお次は睡眠欲か。それとも、もしくは、あるいは、愛する存在を館に誘って貪り貪られて云々。
触手を編んだ黒衣を纏い、夜の帳が降りた街へと繰り出そう。天に浮かぶ月よりも妖しく鮮やかに、紅い三日月は輝いて嗤う。
オラボナ=ヒールド=テゴスの朝は早い。昼は甘味の山を貪る。夜は早く寝るかもしれないし、寝ないかもしれない。眠らない時は、きっと。