PandoraPartyProject

SS詳細

受け継がれし魂

登場人物一覧

エドワード・S・アリゼ(p3p009403)
太陽の少年
エドワード・S・アリゼの関係者
→ イラスト
エア(p3p010085)
白虹の少女


 亜竜集落フリアノン。
 若き里長の方針により彼の地にはローレット所属の特異運命座標イレギュラーズに友好的な亜竜種が多い。
 迅家に奉公する五燈ウーデンもその一人だ。
 彼女の場合は里長の方針というよりも出会ったイレギュラーズに感化されたと言った方が正しい。
 亜竜集落での暮らしは良くも悪くも閉鎖的だ。厳しく荒々しく、渇いていて停滞している。それが当たり前だった。今までは。
「五燈さーんっ」
 厩舎を掃除していた手を止め顔を上げる。
 迅家の所有するモンスター牧場は広大だが五燈の小さな友人は直ぐに見つかった。柵の向こうに見えた小柄な人影に、大きく手を振り返す。
 五燈の狭い世界を破った、まだあどけない顔をした少年と少女。彼らは寒い夜を明るく照らす篝火のように、どこにいたってよく分かる。
「エドワードの坊ちゃんにエアの嬢ちゃん。いつ此方に?」
「今!!」
「到着して、すぐこちらに来たんです」
「ピャッピャッ」
 エドワード・S・アリゼとエア。そして二人が面倒を見ているワイバーンの雛であるコト。
 久しぶりに見る二人と一匹の屈託のない笑顔に五燈も声を出して笑った。
「ははは、そりゃあ嬉しい話ですねえ」
 五燈は、孤独を好む卑屈な亜竜種として里では知られている。しかしエドワードやエアと交流することによって彼女にも良い方向に変化が訪れていた。
「ここに来るのも久しぶりだなーっ、コト!!」
 モンスターの雛たちが戯れる牧場をエドワードは懐かしそうに見渡した。
 エドワードの頭にしがみついているコトも此処で遊んだことを覚えているのか嬉しそうだ。リズムを取るように後脚と尻尾を揺らしては快晴色の瞳を煌めかせている。
 エドワードの肩に後脚をかけるコトは、もう雛とは呼べない大きさだ。
 真紅の鱗は艶々としており瞳に濁りもない。栄養状態も生育状態も悪くない。本能や狂気に染まっている訳でも無さそうだ。けれどもそんなコトをエアは心配と慈愛が混ざった瞳で一瞬だけ見やった。
「忙しいところに突然押しかけちゃって、すいません」
「構いやしませんよ。お二人ならいつでも大歓迎です」
「ピ……」
「もちろん、コトの坊主も大歓迎でさぁ」
「ピャーア」
 小さな亜竜はニコリと笑ってみせた。コトとエドワードを見比べるように五燈は視線を動かした。
「ん、どうかしたか?」
「いいえ、何でも。それにしてもコトの坊主は随分とデカくなりましたねえ」
「うん」
 エドワード・S・アリゼが見つけた巨大な卵の孵化に協力したのは、偶然エアと共にいた五燈だった。
 その時孵化したコトは人を襲う事なく順調に生育しているようだが――……。
「アタシに、何か聞きたいことがあるんですね?」
 エドワードとエアは一瞬、躊躇うように視線を交わした。それは長年亜竜を育ててきた五燈にとっては見覚えのある翳りだった。
 迅家の訪問する理由は様々だが、幼少期に入った亜竜やリトルワイバーンを連れて訪れるのは成長に伴う本能や変化に戸惑う者たちが多い。
 亜竜と大枠で括られているものの覇竜領域に生息している生き物の生体は未知数だ。
「ああ。ねーちゃんに聞きたいことがあるんだ。コトのことで」
「五燈さん、力を貸してくださいっ」
 エドワードはしっかりと頷いた。炎を宿した太陽石の瞳が真っすぐに五燈を見つめる。それはエアも同じであった。祈るように指を組み、力強い蒼眼に宿る意思は強い。
「あ、アタシで良けりゃあ……」
 俗に「信頼」と呼ばれるものに心の臓を突き刺された女は唇をむにゃりと動かした。
「最近、夜になるとコトが外に出ていくんだ」
「お家の近くにはいるんです。最初はお月様を見ているのかと思っていたんですけど……」
「エアの嬢ちゃんは違うと思ったんですね?」
 少しの思案を見せたエアは胸元に提げた宝玉に触れると微かに頷いた。
「ええ。わたしの直感、ではあるのですが。コトちゃんはまるで何かに呼ばれているように感じました」
「……亜竜やモンスターは成長するに従って、種としての本能に目覚めていきやす。もしかするとコトの坊主も」
「コト?」
 不思議そうなエドワード声に、エアと五燈は揃って振り向いた。
 コトがくちばしのような口でエドワードの袖をつかんで、ぐいぐいと引っ張っている。
「どうしたんだ。どこかに行きたいのか? ってか、その額の宝石……」
 エドワードを見上げるコトの表情は普段の甘えたものではない。額に輝く真紅の宝玉が微かに光っている。
「コトちゃんも何か感じるものがあるんですね」
 しゃがみこんだエアの言葉を理解するようにコトは頷いた。
「エア?」
「ここに来てから、わたしも何かに呼ばれている。そんな気がするんです」
 竜玉を見下したエアは、仄かな虹色に輝くそれを強く握りしめる。
 普段は蒼いエアの瞳が淡い虹色に包まれていた。
「五燈さん、コトちゃんの事をお願いできますか?」
「ピャイ?」
 エアは流れるようにコトを抱え上げると五燈に持たせた。
 まるでテディベアのように五燈の腕に抱えられたコトを見てエドワードも動き始める。
「外を歩くなら準備が必要だよな。覇竜領域だし、念入りにしていかねーと」
「ええ、しっかり準備してから行きましょうっ」
 エドワードとエアは驚くほど素早く動いていく。それは熟練した冒険者と同じように、効率と慎重さを兼ね備えたものであった。 
「コトのことをずっと呼んでる奴って、どんなヤツなんだろーな。会うのが楽しみだぜっ」
「二人の事はわたし達が絶対守りますからねっ!」
「任せたぜっ」
 彼らは笑う。
 少しの不安と心配、そして冒険への高揚を胸に秘めて――。
 

「ふぅ」
「大丈夫か、エア」
「はいっ。すみません。エドワードくん、立ち止まらせてしまって」
 荒く息を吐いたエアにエドワードは手を差し出した。
 比較的平坦と思われる場所を選びながら一行は進んでいく。赤銅の石礫や砂がカラカラと渇いた音を立てて流れていった。
 汗をぬぐうエアの目に力強い光が宿っているのを見て、エドワードは微笑んだ。
 フリアノンの外に出てから、コトは一度も立ち止まらない。普段であればエアを待っているのに今日は後ろすら振り向かないでいる。それだけで、今のコトの状態が普通では無いと見て取れた。
「あのコトの様子。いつもみたいに自由気ままって感じじゃねー……。なんかに呼ばれてるみてーだ」
「そうですね。それに何だか焦っているようにも見えます」
 鉄分を多く含んでいるのか周囲を囲む赤茶けた岩石群に、エアは不思議と見覚えがあるように感じていた。
「ここはエドワードくんがコトちゃんの卵を見つけた場所の近く、ですね?」
「あの時は雨が降ったから向こうには行かなかったけど……五燈のねーちゃん、この先には何があるんだ?」
「このまま行くと遠鳴きの渓谷ですね。谷間を抜ける風が竜の咆哮に似てるンで、皆、そう呼んでます。あと」
「あと?」
「この辺りの、死にかけたり寿命が近づいたりした亜竜が眠る場所とも言われてンですよ。一応神聖視されてるんで、アタシらは此処から先、滅多に入りません」
 エドワードとエアの顔に緊張が走る。その噂が本当なら、『遠鳴きの渓谷』で何が起こるか分からない。
「エドワードくん、行きましょう」
「ああ、行こう」
 エアは握っていたエドワードの手を柔らかく握り返した。
 覇竜領域を歩くと決めた時、二人ともある程度の危険は予期していた。冒険に使えるアイテムや携帯用の食料の備蓄もある。
 なにより、仲間がいるというのはこんなにも心強い。

「ここが、遠鳴きの渓谷」
 岩山を登っているのだと二人は思っていた。しかし本当は隆起した大地を進んでいたのだと、足元に広がる空間を見下ろしながら二人は認識を改める。
 対岸は砂埃にけぶり薄らとしか見えない。荒涼とした地平を分断した巨大な切れ目は幾重にも重なった地層の断面を晒していた。
「ピィ……」
 岸壁とも呼べる場所から下を見下し、所在なさげに佇むコトの姿を見つけた。コトを抱きかかえたエドワードとエアはそろりと峡谷の淵から下を覗き込む。
「わ、深いですね」
「すげー深さだな。底がぜんぜん見えねーー」

 ――オォォォオォン、オォォォォオオン。

「谷の奥から、なんか聞こえるような……コト、こいつが気になってんのか?」
「ピィ……」
 幼いワイバーンは振り向いた。その顔を見れば音のする下へと降りたがっていることは明白だ。
 光届かぬ奈落より届く轟音は、果たして本当に風の音なのか。
 しかし思っていた以上に深い谷である。エドワードはじっと周囲を観察した。
「ここの崖、色んなとこに傷があんなー……でっけー生き物が来た跡みてーだ」
 あそこに見える三本の線は爪、むこうに見える黒の窪みは高音で焼かれた跡にも見える。
 亜竜たちの眠る場所というのは本当の事かもしれない。
 エドワードは唾を飲み込むと、緊張していた面持ちをふっと緩めた。
「なにかいるかもしんねーし、崖も脆くなってるかも。エアも五燈のねーちゃんも、オレから離れすぎねーでくれよな」
 ニカッといつも通りに笑ったエドワードにエアも五燈も知らずに入れていた肩の力をふっと抜いた。
「あいよ、分かりやした」
「そうだ。エドワード君、ランタンを借りていいですか?」
「ん、どうしたんだ?」
 受け取ったエアはにこりと微笑めば、彼女の周囲に粉雪のような魔力がちらつく。
「わたし、安全に降りられそうなルートを探してみますっ」
 魔力を含んだ風がエアへと集まる。膨らんだ髪から覗くのは虹色に輝くガラスのような角。透き通った風竜の翼が天使の羽のように広がった。
「気をつけろよ」
「はいっ」
 ランタンを手に少女は軽やかに宙へと足を踏み出した。
 ふわ、ふわりとシャボン玉のように降りていく。
 ほどなくして、下に降りられそうな場所を見つけたとエアが呼ぶ声が聞こえた。


 下へ、下へ。
 見上げれば地上は遥か遠く、ヒビ割れた空は今や儚い残光を残すだけ。そんな彼らの道を照らしだすのは、純白の羽毛を思わせる魔力光だった。
「そちらの、右手側から下におりられますよ」
 宙に浮いた導き手エアが手にしたランタンをかざした。虹色に煌めくエアの魔力は、風竜の加護によって生み出されたものだ。
 エアの足元には奈落のような暗闇がぽっかりと口を開けている。けれども彼女は危険をかえりみず、降りる一行の足場を照らす役割を引き受けた。
「エア、真っ白な妖精みてーだ」
「ふふっ、ありがとうございます」
「疲れたら、すぐに言ってくれよ」
「はい。でも、まだまだ大丈夫です」
 ほんのりと頬を染めたエアは、花薄雪草のように微笑んだ。愛らしく小首を傾げれば魔力の燐光が粉雪のように暗闇を照らす。それは幻想的な美しさであった。
 宙に浮き続けるという普段よりも精緻な魔力操作を続けているにも関わらず、エアは普段よりも疲れが少ないように感じていた。それはこの場所に入ってから特に顕著だ。
 まるで誰かが、否、この場所自体がエアに対して魔力を分け与えて手助けをしているような、そんな不思議な感覚に包まれている。
「結構深いとこまできたみてーだけど……まだ底にはつかねーのかな」
「そっすねえ。何となく、雰囲気が変わってきたような気はするんスけど」
「五燈のねーちゃん、ちょっと止まってくれ。エアも」
 いつの間にか渓谷を流れていた風が止んでいる。注意深く視線を巡らせてエドワードは不気味なほど静まりかえった世界に精神を集中させた。
 頬に感じた静電気のような刺激と靴底を走った微かな振動。
「……ッ、後ろから突風がくる!! オレはコトを、エアは五燈のねーちゃんを頼む!!」
「分かりましたっ」
 背負っていた盾を構えるとエドワードは叫んだ。地面に降りたエアは既に飛翔とは別の魔力を展開させている。
「コトッ、オレから離れるなよ!!」
「ピィッ」
 エドワードがコトを背中に隠した、次の瞬間。
 轟音と共に暴ぶる旋風が渓谷の間を吹き抜けた。
 風に引き寄せられた砂礫の群衆が小柄なエアとエドワードの身体に容赦なく襲い掛かる。
「く、うっ……!!」
 まるで透明な亜竜が傍を通り抜けているようだ。そんな錯覚さえ受ける暴力的な飄風。崖下に落とされまいとエドワードは盾を構え、エアは風竜結界を発動してやり過ごしていく。
 一際強い風の塊が吹き抜けると、再び渓谷の狭間に静寂と凪が戻って来た。
「っつあ~、今回のは結構ヤバかったよなあ」
「エドワード君が事前に察知してくれて、たすかりました……」
「ぴゃっ」
 ぱたぱたと頭に付いた砂を落とし、舞い上がった髪の毛を手櫛で直していく。二人はまるで普通の風に吹かれた後のような反応だ。
 五燈は驚きで開いた口が塞がらなかった。イレギュラーズの力を侮っていた訳では無い。
 しかし、まさかこれほどとは。
 視界が悪い中、進む速度が落ちないのはエドワードの指示やエアの哨戒技術が素早く的確であるところが大きい。
 チームとしての連携技術は言わずもがなである。どのように動けば最も被害を最小に抑えられるかを考え抜いた「守るため」の技術において、彼らは抜きんでていると言っても過言では無い。
「洞窟とか、崖とか、結構登ったもんなぁ。エア、今更なんだけど暗いところって平気か?」
「エドワードくんやコトちゃん、五燈さんが一緒にいてくれますから、へっちゃらです。わたしも成長しているんですよ、エドワードくん」
 エアは力こぶを握って見せると明るく笑った。大きな卵を見つけたと案内した時、荷物を抱えたエアは覇竜の道に難儀していたが、今は上手にバランスを取って歩いている。
(お二人とも、初めて会った時よりも成長してるンですねえ。そりゃあコトも大きくなるはずさァ)
 しんみりとした表情で五燈が何度も頷く横で、エアは荷物にしまわれたエドワードの盾をまじまじと凝視していた。
「それにしてもエドワードくん、盾の使い方が上手になってますね」
「へへっ、そうかー?」
 興奮した様子のエアとコトの前で、エドワードは照れくさそうに頭を掻いた。
「前に砂漠の砂嵐で練習したんだ。今なら、もう少し広い範囲でも防げそうな気がするんだよなっ」
「砂嵐って……、どえらい経験したンすね?」
「それより、見てみろよ」
 エドワードはカンテラを高く掲げた。
「渓谷の、底についたみてーだぜ」


 崖下まで風に落とされる危険が無くなったからといって、渓谷の危険が無くなった訳ではない。
 上から降ってくる落石は勿論、遠鳴きの渓谷と呼ばれる不可侵の神域に足を踏み入れている以上、何が起こるか分からない。
 走り出そうとするコトを五燈が抱え、エドワードとエアが警戒しながら先へと進んでいく。

 ――グルルル……
  ――グルルルル………

「ピィーーーーッ!!」
 上で聞くものと印象が異なる、弱々しい遠鳴きの聲。
 風の道を介さない其の音は、まるで誰かを優しく呼んでいるように聞こえた。
 応えるようにコトが叫べば無音が返ってくる。
 やはり遠鳴きの渓谷で聞こえ続けているのは風の音だけではないのだ。
 この先に、何かがいる。
「ピャ」
「あっ」
 五燈の静止を振り切って、コトが飛び出した。
 小さなワイバーンは一目散に走って行くが、その行く手を巨大な岩石が塞いでいた。
「行き止まり……?」
「ええっ!? ここまで来て、そりゃあ無いっすよ」
「二人とも、ちょっと待ってくれ。コトの様子がおかしい」
 道を塞がれて落胆するかと思ったコトだったが不思議と目の前に聳え立つ巨岩の前を慌ただしく駆け、時折鼻先を擦りつけている。
「どうしたんだよ、コト。この岩に何か……なんだこれ!?」
 エドワードは掌で触れている部分を確かめるように何度か撫で擦った。
 ごつごつとした手触りの中に時折混じる大きな呼吸の膨らみは、この岩のような物体が生物であると伝えてくれる。
 長い年月を経て固くなった鱗はまるで冷たい岩のようだ。
「生きて、る……」
「ガァッ!!」
 エドワードが言い終わる前にコトは火を噴き出し、岩へと当てた。
「コトちゃん!?」
「エアの嬢ちゃん、今のコトに近づいたら危ないっ!!」
 再びコトの吐いた緋色の炎によって岩の全体が照らされる。三人は、全容をつかんで思わず息をのんだ。
「亜竜だ。これ、岩じゃなくて、ものすごくでっけえワイバーンなんだ……」
「騎乗用の比じゃないっすねえ、家が乗りますよ。こりゃあ」
「でも、もう……」
 呆然と三人は見上げる。
 一度寝ぼけて火事騒ぎを起こしてからというもの、エドワードかエアの許可なしに火を吹いてはいけないと言う注意をコトは律儀に守っていた。
 しかし今のコトは我を忘れたように火を吹き続けている。
 初めて見るその必死な横顔に、エドワードもエアも言葉を失った。
 岩のような生き物を害そうとしているとはとても思えない。だから二人はコトのしたいようにさせてやった。コトだって、自分の行動を説明しろと言われても無理だろう。生き物は時に本能によって動くものだ。
「ピィ、ピィ? ピィ……」
 岩のような生き物に向かって、コトは何度も火を当てた。小さなワイバーンが出す炎などこの死に満ちた世界では燈火どころか燐寸一本分にも満たないというのに。
 けれども。
「亜竜の鱗に、色が戻った……?」
 黒い油膜に覆われた緋色の宝玉。
 かつて業火の輝きを放っていた額の宝玉は黒く翳り、燃えさした炭のように弱々しく明滅した。
 エドワードは手を放した。
 ゆっくりと、灰色の瞼が開いていく。白く濁った瞳孔には視力など残されていない。けれども来訪者たちには亜竜の瞳の奥に未だ枯れない知性の光が見えていた。
「こいつ、すげー弱ってる……」
 肯定するかの如く漏れ出た鼻息は低く、長く。
 遠くで聞いた時には谷間の間を反響し、唸り声のように恐ろしく聞こえた声が、今は安堵したように深い呼吸をしているだけだと理解できた。
「コトちゃんを呼んでいたのも、あなたですね?」
「エア、言葉が分かるのか?」
「いいえ。でも少しだけ、この亜竜から意思の断片のようなものが伝わってくるんです。この方だけではなくて沢山の……」
 はっとエアは言葉を切った。伝わってくるその感覚に覚えがあったからだ。
 育ての親である風竜がそうであったように、残されたものを案ずる意思。胸元でぼんやりと光る宝玉はこの渓谷に入ってからずっと光っていた。
「……そう、あなたは仲間の元へ還るためにここへ来たのね」
 エアは亜竜の宝玉に額を当てた。薄い陽炎のような意識を読み取り、祈るように囁く。
 目を開けたことが嬉しいのか、コトははしゃぎながら鼻先を年老いた亜竜にこすりつけている。亜竜の幼体は未だ死を理解してはいない。故にこんなにも無邪気に喜んでいるのだ。
「ええ、わたしもみんなの気配を感じるから。ここならきっと寂しくないですよ」
 エアが額を放した瞬間、エドワードは老いた亜竜が笑ったように感じた。ゆるゆると青空色の眼がエドワードを見て、微かに揺れる。巨大な尾が音を立てて動けば、人一人が通れるだけの隙間が開いた。
「あっちに向かえって言ってるのか? ……わかった」
 不思議と、エドワードにも老いた亜竜の意思が理解できた。
 かつては鋭い牙、巨大な翼膜を持っていたのであろう。
 今は欠け果て、無残に遺る。
 かつては強靭な緋色の鱗に鋭い蒼い瞳を持っていたのであろう。
 今は傷つき果て、色を失った。
 けれども、この亜竜は自分の命が尽きる瞬間まで墓守として、守護者としての役割を果たしていたのだ。
 コトと同じ色彩を宿した亜竜は生まれたばかりの未熟な仔を案じ、その保護者となっていた二人を見て……力を抜いた。
 エドワードたちは間一髪、本当に間一髪で間に合ったのだ。
「……ありがとな」
「ピャア?」
 エドワードは不思議そうに見上げるコトを抱えあげた。
 盲目の亜竜が宿した宝玉には今や蝋燭ほどの火しか灯っていない。
「……そのうちまた、会いましょうね」
 年老いた亜竜は眠るように瞼を閉じる。
 音を立て、皮膚が再び黒い膜で覆われていった。

 ――グルルル……
  ――グルルルル………
 
「行こう、この先へ」
「ピャ? ピャア……」
 名残惜しそうにコトは振り向いたが、老亜竜から返事がないと分かるとエドワードの後を追いかけた。

 亀裂の底にも終わりはある。
 遠鳴きの渓谷、その音の発生源は眼前に開いた洞穴のようだ。
 彼らは迷う事なく足を踏み入れた。
 数分進んだ所でエドワードは立ち止まり、数が増えてきた不思議な形状の結晶に触れる。
「見た事ねー鉱石でいっぱいだ。谷底に、こんな場所があったなんて……コト、この鉱石が気になんのか?」
 コトもまた、幾何学模様を描いた不思議な鉱石に興味を持ったようだ。
 顔を近づけると幼いワイバーンの宝玉が淡く輝きはじめた。それと共鳴するように黒い結晶に光が灯っていく。
「……ッ!!」
 光が黒い結晶の間を伝わっていく。辺り一面が極北光に包まれ、小さな虹の煌めきが周囲を眩く塗潰していく。
「な、なんだここ……」
 エドワードたちの眼前に現れたのは巨大な大空洞であった。
 街一つはありそうな広大な空間は、至る所に黒い結晶が生えている。
「たぶんここは、竜達のお墓なんだ」
 エドワードは無意識のうちに呟いた。
「さっきのワイバーンみてーに、ここで最後の時間を過ごすのかもな……」
 勘のようなものだ。しかし不思議と、そうであるという確信があった。
「そういやエアもたまーに、竜みたいな角とか翼が生えたりするよな。なにか、感じるか? ……エア?」
「……今までにないくらい、イルヤンカを近くに感じます」
 エアが不安げに胸元の宝玉に触れた、次の瞬間。育ての親イルヤンカの加護を宿した宝玉から眩い光が放たれ、風が巻き起こった。
「キャアッ!?」
「エア!!」
 悲鳴をあげたエアにエドワードが駆け寄り抱き起す。
「す、すいません! 少し制御がきかなくて……みんな大丈夫でしたか?」
「アタシは平気っす」
「オレも大丈夫だ。コトは」
 コトはじっと静かな表情で音を聞いていた。
 天上から生えた結晶が風に結晶に触れ、輝きながら洞穴内に角笛のような重低音を響き渡らせている。
 それはさながら鎮魂の鐘にも数多の亜竜が喜びの叫びをあげているようにも聞こえた。
「頭の中に流れ込んでくるこれは……竜たちの記憶、でしょうか? コトちゃんへ何かを伝えようとしてる……」
 エアの意識はあるが、視線はどこか遠くを見つめ続けている。
 遠鳴きが木霊する。
 するりと蔓が巻き付くように、コトの、緋色の体躯が紅炎が灯った。
「コ、」
 来るな、と言われた気がしてエドワードは立ち止まった。
 炎に濡れた翼膜を左右に広げて振り返る瞳は鋭く、蒼空の瞳孔は針のように細い。
 コトが甲高い鷲の鳴き声に似た音を喉から発すると風が吹き荒れ、劈くような轟音が洞穴内を駆け抜ける。

 眠っていた亜竜たちの生命が、知識が、新たな生命の呼びかけに喚起しているのだ。
 未だ眠れる亜竜の小さな牙が、受け継がれし遺産を砕き、嚥下し、歓喜しているのだ。

 資格を得た幼き同胞に生命の奔流は問いかける。
 我等に何を望むのか。
 世界を破壊する力、世界を見る速さ、世界を識る知恵。
 本能のままに与えよう。
 自分の終わりを見た雛よ。我等に何を望むのか。

 蛇の舌に似た炎がコトの嘴から漏れ出た。
 その答えに亜竜らしくない願いだ、と墓場は笑った。
 そんなことを望んだのは今まで一匹だけだと。
 ちょうど先ほど還って来た。此奴を引き継げば良いだろうと。
 まったく変わり者の一族だと。

「コト!!」
「コトちゃんッ」
 炎の中から現れたコトはもはや雛とは呼べない。
 もう少し経てば騎獣として必要なサイズを満たすだろう。
「クルルル……? ピャーッ!!」
 振り向いた亜竜は尻尾を振って上機嫌に鳴いた。
 その鱗は赤く、瞳は蒼い。

 好きな人と一緒の色だ。おなじ色だ。
 庇護されるだけの子どもではなく、コトは彼らの仲間になりたかった。
 ずっと追いかけていたその背中を守りたかった。
 コトはいつでも単純に生きている。
 エアやエドワードがつくる美味しいものは好き。だけど時々たべる苦い草は苦手。
 歌うのが得意で、楽しい事が好き。だけどエアやエドワードに叱られるのは苦手。
 痛いのは好きじゃないけど、ものが燃えるのは楽しい。よく分からないけどワクワクする。
 でも、それをしたらエドワードやエアが哀しい顔をする。だからやらない。
 むずかしいことは分からないけれど、エドワードやエアがいやがるなら、やらない。

 コトは亜竜だ。
 自然の生き物だ。
 プライドが高くて、自由で、気まぐれで、強い。
 だから過去からの問いかけに答え、選択した。
 自分は『    』になりたい、と。

おまけSS『遠鳴きの渓谷 地下マップ』

テーマ:
成長/変化/選択
受け継がれる物
守るものたちの物語

イメージワード:
宝石(鉱石の世界)、結晶化、土
乾いた世界
蒼鉛(ビスマス)
地下へと下る=死者の世界
今までの経験
マスコットから生き物へ
可愛いから青年へ
魂の渦

コトコト動いていた卵がこんなに大きくなりました!!





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