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シャイネンナハトのその夜に
登場人物一覧
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もともとニルは、眠らなくても大丈夫。
徹夜でお仕事とかもへっちゃらです。
「ニルはもう眠りません」
とてもとても、いやなゆめを。ニルはもう、見たくないから……そう、決めたのです。
でもみなさま夜は眠ってしまうから、夜のニルはひとりぼっち。
夜はとってもとっても長いから……今夜はどうやって過ごしましょう?
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凍えるようだ、と思う。
少なくとも、温もりを理解できるようになってからは。それがとくべつな。彼らが、ひとびとが。命を使って生まれさせるぬくみなのだと知ってからは、その温もりを特別にいとおしく思うようになった。
それから。それを奪う寒さは、少しだけ恐ろしいようだ、とも。
冬の夜は、おそろしい。
深緑の一件を経て。それは、ひどく煮るの心を傷つけた。眠ることをやめてしまおうとも。まぶたを閉じることが、こわいのだ。もしもニルがにんげんであったのならばまた話は異なってくるが、幸か不幸かニルの身体は人間ではく秘宝種のそれ。ぬくみを自ら発生させることができているのかすら曖昧なにんげんではないなりそこないであった。
「また明日ね」
「はい、また明日」
「……今日の夜も、おさんぽ?」
「はい。ニルは、そうするつもりです」
「そっか。何かあったら、ローレットに戻っておいでね」
「わかりました。では、おやすみなさい」
おやすみなさい。
そう告げて分かれるのは、少しだけ寂しい。そう思うけれど、きっと彼らには帰るべき場所があって。帰りを待つ人がいて。ともに眠るべき夜がある。
ニルにそれはないのだから。『おやすみなさい』で『さようなら』をするのは正しいことなのだ。
ひらりと手を振りかけていく知り合いのその背中を、とおく、とおくなるまで見送って。それから、ニルも己の道を定めてあるき出す。ぽっかりと灯った街灯だけがともだちで、道標だ。
ぼんやりと等間隔で並んでいるそれは、規則正しい秒針のようにあるき続けるニルの行く先だけを照らしていく。
大小様々なかたち、きっとおんなじだと断言することなんてできやしないのだろういくつもの屋根。煙突、まちあかり。とわに感じる夜を、抜け出してしまいたいような錯覚。それが痛みであると気付くにはまだ少しだけ時間を要しそうだ。
小さなからだが寒さを感じないように、なんて。秘宝種だから。人間や、ほかの。いのちが。心臓が波打つみんなとは違うから。寒いのも、熱いのも。わかりっこないのに、なんて。すねてみることは容易いけれど。
そんな彼らの僅かな思いやりに親しいマフラー、耳あて、手袋、それから、それから。無防備に出した膝小僧だけはしまえずに。ほんのりと赤みを帯びていくのも、きっと回路でしくまれた計算の一つ。人間に馴染めていればこれさいわいと、夜の街を歩みだした。
今日は聖夜、らしい。
輝かんばかりのこの夜も、長い針が12をすぎるころにはゆっくりとそのまばゆさを消していく。
「おや。ぼく」
赤いころも。やわらかそうな長い髭。
大きなそりの上から声をかけてきた初老の男性は、柔らかな表情に不安を浮かべていた。
「……ニル、ですか?」
まばたき。ニルの瞳が不思議そうにひかりを反射して。
「きみはニルというのだね。こんな夜にひとりかい」
「はい。ニルは……ひとり。ひとりぼっち、です」
「うーん。おうちのひとは、いるかい?」
「いいえ。ニルは、秘宝種だから。かぞくは、いません」
「……そうかい。それなら、おいぼれの手伝いを頼めないかい、ニル」
「はい。ニルでよければ、おてつだいします」
「ふふ、ありがとう。それじゃあ……こっちにおいで」
光り輝くそりの上から手を差し伸べた老人は、ぬくもりを孕んだ手を差し伸べて。ニルの小さな手を掴みゆっくりと引き上げると、トナカイたちに出発の号令を出した。
しんしんと降り行く雪の中。ニルの柔らかな頭をなで、赤い帽子を被せた。それはすこしだけぶかぶかで、ニルの頭を覆うにはすこしだけ大きい。
トナカイたちは少しずつスピードをあげてしまうから、風に帽子が攫われないように、ニルはきゅっと帽子を深くかぶった。
「ええと。ニルは、どんなお手伝いをすればいいのですか?」
「そうだなあ。プレゼントに書かれた宛先を読んでくれるかい?」
くぃ、と指で指し示された先。白い袋の中には大量のプレゼント。その中からいくつかを抱えてみる。住所は近く、数件の家に連なっているようで。
「はい、わかりました。ええとこれは、」
ニルの声がたどたどしく住所を読み上げていく。ふんわりと魔法で浮かんだままのそりは、空をかけて煙突の近くで立ち止まる。
「いやぁ、雪の夜は少しだけ困ってしまうね。とってもロマンチックなのは間違いないんだけど」
「どうして、ですか?」
「屋根の上に雪が積もってるとプレゼントが濡れてしまうからね。それに足場も悪い」
「そうなのですか?」
「ああ、そうだよ。そうだ、ニルにもお手伝いをおねがいしようかな」
「おてつだいですか?」
「ああ、そうさ。このプレゼントを届けてほしいんだ。眠っている子供たちのくつしたのなかに、いれてくれるかい」
「はい。ニルは、がんばります」
「はは、頼もしいね。それじゃあ、よろしく頼むよ」
恰幅のいい身体を器用に煙突に押し込んで。ひらひらと手を降ったおじいさんは、その奥へと降りていく。
(……ニルも、いってみましょう)
お腹周りがつっかえることもなく。スルスルと落ちていく。
「けほ、けほ」
煤が髪を、身体を汚す。帰ったら洗濯しなくては、なんて呑気に考えてしまうけれど。くうくうと穏やかな寝息が聴こえてくるものだから、きゅっと気を引き締めて。眠っている彼らのために、足音を鳴らさないように気をつけて。
(……あのおじいさんはきっと、)
サンタさんなのだ。
再現性東京で聞いたお話。サンタクロースという老人がプレゼントを配る魔法の聖夜。
(つまるところ。今のニルは、サンタさんなのでしょうか?)
よじよじと煙突を登りながら考える。おじいさんはニルをみると駆け寄って。
「すまないね、せっかくの素敵なお洋服を汚させてしまった」
「いいえ、だいじょうぶです。それよりも、あなたの名前は……」
「わたしは……サンタクロースというんだ。ほんとうはだれにも姿を見せずに仕事をするのが常なんだけれどね。きみはなんだかさびしそうにみえたから、スカウトしてしまったんだ」
なんてね、と。茶目っ気たっぷりに微笑んだサンタクロース。わぁ、と瞳を輝かせたニル。
ふたりとたくさんのトナカイの、聖夜の大仕事はこうしてはじまったのだった。
苦しいような気もした。
けれど楽しいような気もした。
穏やかな顔で眠るこどもたちをみるのはあんまりにも楽しくて、こころがあったかくて。
プレゼントを置いて手早く去っていくだけ。そんな簡単なようでむずかしいしごとを一晩のうちに終えなければいけない彼の苦労を少しだけ思った。
寒いだろうと水筒にいれたスープをくれたサンタの手はあったかくて。ぽかぽかして。それでも彼はひとりぼっちで。それなのに、笑顔で。
わからないし、ふしぎだ。ニルならきっと、ひとりぼっちはくるしくて。だから歩いていたのに。
もしかして、サンタクロースもおなじなのだろうか。ひとりぼっちがさびしいから、こうしてニルに手を差し伸べてくれたのだろうか?
赤らんだ掌で手綱を引いて空を走る。そんなサンタの背中はおおきくて、すこしだけ寂しげに見えて。
「サンタ様、サンタ様」
「どうしたんだい、ニル」
「サンタ様は、いつもおひとりで。プレゼントを配られているのですか?」
「そうなるね。わたしはひとりだから、わたしという役目を果たしているだけなのさ」
「さびしくはないのですか?」
「さびしい……ニルは、さびしいのかい?」
「ニルは……ニルには、わかりません」
「そうかい。さびしいをさびしいと伝えられることも、大切なことだよ、ニル」
サンタクロースの表情は変わらず晴れやかだ。
けれどどうしてだろう、寂しさが滲んでいた。
「……この夜を、誰かが必要としているなら。わたしもがんばらないと、ってね。そう思えるから、さびしいけれど頑張れるよ」
「そう、なのですね」
「わたしは、そう思うんだ。ニルもみただろう? 子供たちの笑顔を。あれを見てしまうと……頑張らないわけにはいかなくなるんだ」
「なる、ほど」
うなずく。
子供たちの穏やかな寝顔を見て、それから。朝起きてからの幸せそうな表情を思うだけで、幸せになる。
そのやりがいを知っているのだろう。ニルはまだしらないけれど、それでも胸のうちがぼんやりとあったかくなるような気がして。
ニルの頬を濡らす雪は今だ降り続けているのにも関わらず、身体もこころもどこか暖かいような気がしている。
プレゼントをぎゅっと抱き締めて、次の家へ、次の家へと届け続ける。煙突を潜るのだってもう慣れたものだ。夜が明けるまで進み続ける。
プレゼントを袋から出して。
プレゼントを子供たちへと届けて。
プレゼントを袋から出して。
プレゼントを子供たちへと届けて。
その繰り返し。
子供たちへと夢を届け続ける。時には眠りから目覚めそうな子供たちにひやひやとしながらも。
「ニルは、サンタ様が本当にいるなんて思っていませんでした」
「おや、そうかい。でもそれくらいのほうが、わたしは不思議な存在として語り継がれるだろうから、いいね」
「サンタ様は知られたくないのですか?」
「ふふふ。夢は夢のままのほうが、楽しいからね」
不思議なものだ、と思う。
さびしくもありながらやりがいもあり。知られていないからこそさびしくはあるけれど、人知れず働くやりがいは何ものにもかえがたい。
空は静かに白み始めていた。
ネオンライトは消え、雪は止み。そうして、空の群青には柔らかな水色が溶け込み始めていた。
「ニル」
「はい、なんですか?」
「……これは、きみへのプレゼントだよ」
「ニルに、ですか?」
うなずいたサンタクロース。
「本来なら、きみの枕元に届けるべきだったのだけれどね。せっかくだから、きみには手渡しであげてしまおう」
「わあ! ニルはすごくうれしいです。ありがとうございます」
「ふふ、今日のお手伝いのお礼にしては足りないくらいだけれどね。今日の夜が、ニルにとっても素敵なものになればいいな」
「はい。ニルにとっても、楽しい夜でした」
ひとりぼっちの夜はさびしい。
だけど、誰かを起こしてしまうなんてことは望んでいなくて。毎日ぼんやり歩いて、誰かがいたらお話をして。困っているひとがいたら手を貸して。
それを繰り返しているうちに、また朝が来る。眠らないから、一日がどんな長さだったかなんて忘れてしまった。
眠りたくないなんてわがままだろうか? それとも駄々?
「また、あえますか?」
「……ああ。ニルが望むなら、きっと。どこかで……ふふ。来年の今日にも、会えるよ」
「はい。ニルは、その日を楽しみにしていますね」
夜が終わる。魔法の夜が終わる。
こどもたちの魔法の夜が、終わる。
くうくうと眠るこどもたちの幸せな夜へ。
どうか、素敵な眠りがありますように――
「ニルは、おうちに帰るかい?」
「はい。明日のお仕事のために、ニルも準備をしなくては」
「そうかい、それじゃあここでお別れだね」
空っぽになった袋をかかげて。
「今日はありがとう。とっても助かったよ」
「はい。ニルも、おてつだいができてよかったです」
手を振り、そして別れる。
それぞれの朝を迎えるために。
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そして、また夜が来ました。
もともとニルは、眠らなくても大丈夫。
徹夜でお仕事とかもへっちゃらです。
「ニルはもう眠りません」
とてもとても、いやなゆめを。ニルはもう、見たくないから……そう、決めたのです。
でもみなさま夜は眠ってしまうから、夜のニルはひとりぼっち。
夜はとってもとっても長いから……今夜はどうやって過ごしましょう?
「さあ、夜のはじまりです」