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水無月と霜月とベネラーの話~呪文~
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呪文を唱えるんだ。そこで思考を止め、やるべきことだけをやる。できそうかな?
やってみないとわかりません。
そうだよねェ。誰だって最初はそうだ。だから訓練しよう。体へ覚え込ませよう。やれそう?
はい。
いいこだねェ。あんたはいいこだ。それじゃあ一緒に呪文を唱えよう、いいかい、いくよォ?
「「発砲許可を」」
よし。
さあ、あんたはすべての思考を止める。狙って撃つ。呪文を唱えたあと3秒間、あんたという存在は、照準を合わせ引き金を引くだけの装置になる。でもあんたがいないと銃弾は発射されない。いいね?
はい。
時間はきっちり3秒。それ以上ではダメ。それ以下でもダメ。人間の体はね、10秒もすれば眼球が乾いて照準が危うくなる。人間の脳はね、7より上の数は把握できないうえに、これには個人によって、プラスマイナス2の誤差がある。だけど敵は待ってくれない。5秒も待っちゃくれない。だから体と脳の誤差がなく懐へ入られる前に撃つ。その第一関門が3秒。わかったァ?
はい。
いいこだなァ。いいこだ、ベネラーちゃん。訓練開始だ。
がらりと訓練場の扉が開き、やや乱暴に閉められた。縁側で待っていた水無月は出てきた同僚へ声をかけた。
「才能は」
「ない。平凡」
「ものになりそうか」
「努力だけはできる」
「忍候補としては?」
「とりえもない、つまらない、役立たず」
「辛辣だな」
「ちゃんとそう教えないといけないときってあるだろォ。今がそうだ。あんただって、あちゃーって目えしてたくせに」
「否定はせん。厄介な事情があるだけの、どこにでもいるただの少年だ、彼は」
「でもそこそこの人生は送れる。ちゃんと生きていける子だ」
「ああ」
否定はせん。水無月はささやいて月を見上げた。底冷えする夜でも、月はくっきりと輝いている。縁側に腰掛けた同僚――霜月も月見をする。偵察に特化した水無月と、射撃に特化した霜月は相性がいい。ゆえに、共に戦線へ出ることが多く、距離も近かった。
視線をあわせないまま、霜月がこぼす。
「……子どもはさァ、やっぱダメだァ。なんもできねえくせに、話通じねえし、言ったこと守らねえし守れねえし、とにかく手間がかかるし、すっげー大変で、かわいい」
「そうだな」
「かわいいってのはダメだァ。なんとかしてやりたくなる。ダメなやつはダメだってわかっているのに」
扉の向こうからは、ベネラーの自主練の音が聴こえてくる。それを横目に、霜月が深いため息をつく。
地道にやるのって、大変だけど。あいつはそれができる子だよ。そこだけは評価する。だけど、それだけじゃァ、ダメなんだなァ。結果出せなけりゃ、死ぬんだよ。
「ベネラーちゃんがんばってるけどォ、戦力にはならねえなァ」
「そうだな」
「なのに名無しの魔種だろォ? あいつ、いつ来るかさっぱりわかんねえうえに来たら来たで毎回めんどくせえことしやがる」
「そうだな」
「そんでもって鯨飲美食倶楽部の件もあったしィ? 俺は家事もしてえし、頭領の面倒も見なきゃだし、なにより奥方は絶対お守りしたいんだけどォ、そうなると子らの身辺警護続けるのは正直しんどい」
「そうだな」
「どこまでリソース割くべきか様子見しながらやっていくしかないしなァ」
「そうだな」
「あーあ、奥方にお会いしてえなァ、でもこのツラ下げてはいけねえわ」
「そうだな」
「さっきから省エネ対応してねェ?」
「そういうわけではない。ただ、残念ながら全部お前の言う通りだから肯定するしかない」
水無月は顎を引き苦笑した。覆面のズレを直し、白い息を吐く。ぽかり、ぽかり。月へ向けて水無月と霜月の吐息が昇っていく。いつものハイテンションが嘘のように霜月は悄然と月をみている。他にするべきことが見当たらず、仕方なくそうしているのだろう。それは自分もだと水無月は自嘲した。霜月が独り言のリズムで口を動かす。
「……でもさァ。俺はさァ、また後悔したくねえんだァ」
「そうだな」
水無月は再度うつむいた。重ねてしまう、どうしても。孤児という身の上でありながら、けなげに日々を過ごしている彼らを。見捨てられない。甘いと知りつつも。
暦とは頭領である鬼灯によって名を奪われた集団である。そうすることで鬼灯は彼らを救い、そうすることで鬼灯は彼らを支配している。暦であるかぎり、鬼灯の支配からは逃れられない。そうあれかしと願ったのは、ほかでもない暦たち自身である。頭領とその妻という絶対権力へひれ伏すことで、彼らは自我を保っている。
それだけの修羅場にぶちあたってきた。過去は相変わらず重く冷たい。まるでこの夜のように。だけれど鬼灯とその妻は、さながらあの月のよう。遠く、それゆえに尊い。
ぽかり、ぽかり。白い息。冷たい夜。月。
「冷えてきたなァ」
「そうだな」
「……あの晩もこうだったわ」
「そうか」
俺もだ、と水無月は嘆息した。
「まあ俺の時は、雨が降っていたんだがな」
「鷹ァ、ぜんぶとられたんだっけ」
「ナナシ以外はな」
この冷えきった空の中を、巡回してまわっている相棒。子どもたちを保護してからは、皆が眠りにつく間、ナナシはずっと見張りをしている。その労苦を思うと、水無月は胸が苦しくなる。ナナシが『私は大丈夫だ』と言いはるから、よけい。
「水無月ちゃん、ブチ切れて城主ぶっ殺したんだっけか」
「そうだ」
俺にとって鷹は家族だったから。水無月が遠い目をした。かつて水無月は天下人お抱えの由緒正しい鷹匠一派の当主だった。だが。
「俺は反対したんだ。鷹は戦へやれないと。鷹たちの索敵能力は、俺への信頼と以心伝心の鷹声あってこそだった。そこを無視して、主は強引に俺から鷹たちを奪っていった。俺は囮などにせず生きて返すことを懇願したが……結果は」
大事な鷹たちは、全滅した。まだ雛だったナナシだけが水無月へ残された。
敵の鉄砲隊の注意を鷹たちで引き付け、その隙に城主は軍を進め一気呵成の勢いでひとまずの勝利をおさめた。特攻させる気だったのだ、城主は最初から。せめて無念を伝えんと城主へ謁見した水無月は、怒りに我を忘れた。
「『でかした』と言ったのだ。あやつは。『おぬしの鷹は立派に役目を果たしたぞ』と。そんなことをさせるために、俺は鷹たちを育てたんじゃない。あげく『次の鷹を早く育成せよ』とまで」
いまだに燃えている。「人間よりも畜生の命の方が大事か」と放言した城主への憎悪が。激高した水無月は城主を斬殺した。その場で捕らえられ処刑される直前、影がやってきた。その影は場に居た人間すべての首を瞬時に落とした。影は、鬼灯と名乗った。
そして鷹匠は『水無月』を拝命し、ここにいる。
「俺は無力だった」
水無月は己の両手をながめた。
「無力では何も守れない。だからあんな子どもが武器を取ることになるのも致しかたなしと見ている」
「だよなァ」
ぽかり。霜月が息を吐く。
「……俺もあの子らに銃を教えてたら、違ったのかなァ」
「悲田院を運営していたのだったな」
霜月は月から目をそらさず小さくうなずいた。
「身寄りのない子なんてさァ。掃いて捨てるほどいたわけ。それでも縁があった子くらいは育てようって……。もう食わせるのに必死でさァ。毎日毎日駆けずり回って頭下げてさァ。そんでもすこしでも快適な環境と、独り立ちできるだけの知恵と勇気つけてみせらあって心に決めてたのに」
肥溜めみてえななかで育った、俺みてえになってくれるなと、それだけを願ってさァ。
水無月は霜月から顔を背けた。彼の瞳が潤んでいることに気づいたからだ。いかなるときも詳細に観察してしまう自分の目を、水無月は若干いまいましく思った。
「でもぜんぶなくなった。悲田院なんかが、金たんまり持ってるわけねえだろ。普通に考えりゃわかるだろ。なんで襲ったのかねェ、あいつらは」
その日、彼はいつものように方々へ寄付を頼んで回っていた。朝からの行脚で疲れ果てるも、八百屋では売り物にならなかった青菜をもらい、漁師からは網にかかった雑魚を渡され、なにより米を手に入れて、久しぶりに腹いっぱい食わせてやれると意気揚々と荷車をひいて帰宅した。そんな彼を出迎えたのは、紅に染まった沈黙だった。苦しんだのだろうことはひと目でわかった。誰も彼もが、助けを求めて這いずり回った痕を残していた。庭にまで逃げ出した幼な子は、頭を砕かれて目玉が飛び出していた。それでも死にきれなかったのか、血溜まりから抜け出したところで力尽きていた。
犯人はすぐに割れた。指名手配されている盗賊団。証拠隠滅のため皆殺しにする手口は広く知れ渡っていたから、放っておいても近々お縄になるだろうことはわかっていた。それでもなお。
「……独りで乗りこんでいったのだったか、お前は」
「お上の裁きなんか待ってらんなかったのよォ」
盗賊団の見張りは驚いていた。幽鬼を見たからだ。その幽鬼は銃を背負っていた。その幽鬼は銃を構えた。その光景が盗賊団の終焉だった。ひとりひとり、確実に、丁寧に、幽鬼は殺してまわった。逃げ出す者へも、立ち向かう者へも、平等に幽鬼は死を与えていった。すべてをやり遂げた幽鬼は銃口を己へ向けた。そのとき、影がやってきた。影は銃身を握って幽鬼の冥府行きを止めた。影は、鬼灯と名乗った。
そして悲田院の長は『霜月』を拝命し、ここにいる。
「俺はさァ、やっぱあの子らにこれ以上死んでほしくない」
「いいと思うぞ、それで」
からりと背後で扉が開かれ、水無月と霜月は振り返った。扉の隙間から、ベネラーが申し訳なさそうにこちらを見ている。
「すみません、霜月さん。水無月さん。もうすこしご指導いただいてもいいでしょうか」
「いいよォ」
「承知した」
ふたりはいつもの顔に戻り、立ち上がった。
フォームが崩れてるよォ。教えたとおりにねェ。
はい。
体の重心をもっと下に。膝は軽く曲げて、そうだ。いいぞ。
はい。
夜はふけていく。