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グレイルとエリックの話~きっかけ~

登場人物一覧

グレイル・テンペスタ(p3p001964)
青混じる氷狼
グレイル・テンペスタの関係者
→ イラスト

 深夜、雨が降っている。
 飲食街のどんづまり。ゴミ回収所の近くに、グレイルとエリックはいた。トタン板を寄せ集めた急ごしらえの小屋は、ただ雨露をしのぐためだけのものだ。ダンボールで作った床はしだいに水を吸い、ビル風は容赦なく体温を奪う。L-0ve区から脱走したグレイルとエリックは、抱きしめ合うように身を寄せ合って空腹と寒さを耐え忍んでいた。
(まずいな、さっきからグレイルがぴくりともしない)
 エリックはあせっていた。持っていた金はとうに使い果たしてしまっていた。もう一週間もろくな食事にありついていない。服は垢じみ、雨を含んで重く体へまとわりつく。お互いの体温だけが生きる糧であり、お互いの呼吸だけが心安らかにさせる。けれどゆっくりとグレイルの体が冷えていく。それが怖くて、恐ろしくて、エリックはグレイルへ回した腕へ力を込めた。
 とつぜんグレイルの腹が大きな音を立てて鳴った。
「……おなか…すいた…」
「もうすこしだ、もうすこししたら残飯にありつける」
「……うん……ごめん…ね…エリックさん……」
「ごめんはなしだ!」
 叱りつけるような声音は心配の裏返し。けれどそこまで思いは届かず、グレイルは叩きつけられた言葉に萎縮した。
(……エリックさん…いらだってる…僕のせいだ……だけどあの方法以外に…エリックさんを助ける方法も思いつかなかったし…)
 いまのエリックは、空腹と痛みにさいなまされつつ、意志の力のみで動いている。きっとこの痛みは古傷となって残るのだろう。生き延びられたならの話だが。
 エリックのほうは落ち込んでしまったグレイルを見ながら暗澹たる思いに囚われていた。
 行く宛はない。病院にはいけない。身分証も金銭もない。倒れたらきっとおしまいだ。警察には頼れない、補導の後、L-0ve区へ連行されるだろう。そこで待っているのが何なのか、想像するだに恐ろしい。夜の街へ溶け込むこともできない。そうするにはあまりに彼らは幼く、後ろ盾だってない、半グレどもに邪魔だと追い立てられるだけだ。
 だからできることと言えば、練達内の各エリアを転々とさまようことだけだった。いま自分たちがどこにいるのか、それすらもわからない。電気屋の店先のテレビでようやくそれらしい区域を特定するくらいだ。子どもが二人、それだけで何ができるだろう。疲労と空腹でとうとう動けなくなったのが昨日の晩。それからなんとか誰にも見つからず、この場所に陣取っている。ふたりの最後の命綱が、ゴミとして出される残飯だ。早く来い、早く来い、必死にそう願いながら待ち続ける時間の長さよ。
 時計の針が止まったのかと思うほど長い時間を待ち、エリック自身も気が遠くなってきた。まぶたを閉じそうになるたびに、腕の中のグレイルを抱きしめなおす。傷跡は痛み、雨は憂鬱を加速させていく。体は冷え、からっぽの胃腸がぐんにゃりと腹の中で主張している。それでも、グレイルは。エリックは考えていた。グレイルだけは活かす。なにがなんでも。どんな手を使っても。
 あの時助けてもらわなかったら今生きてなどいない。それに、俺のせいでグレイルは故郷を棄てることになったんだ。その恩には全力で報いなくては、グレイルは俺が守らないと……。
 ふたりがいる路地へ影がさした。エリックは必死に心の芯を立て直した。待ちかねていた姿がそこにあった。疲れた顔のウェイターらしき男だ。両手へぱんぱんに膨れたポリ袋をいくつも抱えている。肩へかけた傘を固定するためか、むりやり首を捻じ曲げていた。男は早足でゴミ収集所へやってくると、ふたりへは目もくれず扉を開けてぞんざいにポリ袋を放り込んだ。そして来たときよりも早く歩き去っていく。男が角を曲がったとたん、ふたりはえいやとトタン屋根の下から飛び出した。
「グレイル! リブロースだ、まだ食べられる」
「ポテトフライが…こんなにたくさん…たすかった……エリックさん…よかったら食べて……」
 ふたりは体中の力を振り絞って冷めきり油の張り付いたステーキや、乾いたサラダを貪っていく。生き残るためだ。とにかく腹へものを詰め込まなくては。急な負荷に胃が悲鳴をあげようとも、餓死よりは断然マシだ。その時だった。妙にのんびりした声が二人の耳へ響いたのは。
「そんなところでお食事かい? ぼくへついといで、あたたかいものをたべさせたげるよ」
 ふたりはぎょっとして声のする方を振り返った。懐中電灯を持ち、傘をさした男が立っていた。鹿の獣人でくたびれたスーツを着ている。横へ張り出した立派な角へは、道行く人を害さないようにか、白い布が巻き付けられていた。
 エリックを守ろうと、とっさにグレイルは前へ出た。同時にエリックもグレイルを守るために動いた。ふたりの足が絡まり、みごとに引っくり転げる。
「……痛ぅ……」
「っ痛ぁ」
 同時にあげた声を聞いた男は、ほがらかな笑い声を立てふたりのそばへ近寄った。そしてしゃがみこみ、濡れ鼠になったふたりへ傘を差し掛けてやる。
「あやしいものじゃないよ。ぼかあね、教員だ。センセーとでも呼んでくれ。趣味で夜回りをやってる者さ。特に君たちみたいな子と話すのが好きでね」
 傘が弾く雨音を背景に、ふたりはキョトンとしていた。教員を名乗るその声は暖かく、心地よかった。
「どうするグレイル」
「…エリックさんは…?」
 センセーは黒目がちな瞳へおだやかな微笑を浮かべたままふたりの返事を待っている。
「……ついていってもいい、か?」
「…僕も…そう思う……」
「じゃ、決まりだ」
 そうセンセーがまとめる。すこし歩くよ、と断って、センセーは傘をふたりへ渡すと先へ進む。ふたりはおそるおそるついていった。いつでも逃げ出せる準備をしながら。
 おっかなびっくりの道中を過ごし、やがてふたりは大きな門の前へ連れてこられた。周囲には高い壁が果てしなく続いており、なにかの施設らしいということはわかった。
「だましたな! オレたちをとっつかまえるつもりだろう!」
 エリックが吠える。グレイルもうなり声をあげた。精一杯の威嚇だった。
「いや違う違う。ここの食堂のからあげ定食が絶品なんだ」
「…からあげ…」
 グレイルの口の中へよだれがあふれてきた。エリックも口をぎゅっと引き結んでいる。同じことを考えたのだろう。
 やがてあくびをするかのように二重扉が開かれた。ふわりとあたたかな風がふたりを包んだ。センセーがふたりを振り返る。
「ようこそ、学園ノアへ」

 センセーは嘘つきではなかった。まっすぐにふたりを食堂へ案内し、からあげ定食をおごってくれた。
 具沢山のスープ、彩りを添えるピクルス、舌の上で踊るポテトサラダ。そして山盛りの唐揚げ。湯気を立てるそれは口の中でじゅわっと脂の甘味を残してはじけ、本当に本当においしくて、すこしだけ涙の味がした。
「泊まるところがないのなら、空いてる部屋を紹介するけど、どう?」
「…なんで…そこまでしてくれるの…?」
「言っただろ、君たちみたいな子と話すのが好きなんだ」
 ここはね、とセンセーは説明を始めた。
 学園ノア。
「混沌への順応」を掲げ、中等部から大学部までの学びを得られる場所だ。全寮制で種族を問わず門戸を開いている。学生たちは普通科からスタートし、ある程度の教養を積むとそれぞれ戦闘や魔術や研究などの専門課程へ進んでいく。
 外壁に見えたのは厚生棟と呼ばれる施設で、それがぐるりと敷地を取り囲んでいる。中心には大きなホール。その周りに複数の授業棟や研究棟が立ち並んでいるのがこの食堂からも見える。他にもクラブハウスや売店、カフェ、病院なども併設されており、地下には学生街が存在する。広さは普通の大学程度だが、学内の施設だけで衣食住に必要な生活必需品がまかなえる、そのうえ季節の娯楽まで提供しているそうだ。
「体験入学してみない?」
 センセーは軽い調子でそう言った。
(…ここなら…)
 グレイルは思った。
(……ここなら…エリックさんがまともな生活を送れる…)
 グレイルはちらりと隣のエリックを見やる。エリックは難しい顔をしていた。けれどその心の中ではひたすらにグレイルのことだけを考えていた。
(ここなら)
 エリックは思う。
(ここならグレイルは故郷にとらわれることもなく暮らしていける)
「入学して……」
「入学しろ」
 言葉は同時に飛び出した。ふたりはお互いに見つめ合ったまま硬直していた。
「じゃあ決まりだやな。校長のところへ行こう」
 センセーの声がふたりを誘った。
 食事を終えたふたりはぽかぽかした体をひとつの傘の下で寄せ合い、センセーの後ろへついていった。センセーは広い敷地を横切って売店へ近づいていく。
「なにか用事があるの…?」
 グレイルの問いに、センセーはにやにや笑いながら「校長は校長室にほとんどいないんだよなあ」とだけ返した。売店につくと、リザードの獣人がせっせと品出しをしていた。緑色の鱗がきれいなトカゲだ。そのトカゲはふたりを見るなり立ち上がり「やあまた拾ってきたな」と声を上げた。それは男とも女ともつかないが、深みのある優しい声音だった。
「もしかして、校長か?」
 エリックが問いかけると、校長はゆるやかにうなずいた。対してエリックは毛を逆立てたままだ。グレイルもまた、いつでもエリックの手を引いて逃げる準備はしていた。
「ごはんは済ませたかね?」
 校長の声掛けに、ふたりは用心しいしいうなずいた。
「いきなりのことで君たちも混乱していると思う。今日はもう風呂に入って休みなさい。出ていくかどうかは、明日の朝ごはんを食べてから決めても遅くないだろう?」
 そう言って、そのちょっと変わった校長は明るい笑顔をふたりへ向けた。
 外は、雨が降っている。だからまあまずは……信じてみようか。この一瞬を。

 それはふたりの少年が、学園ノアへと編入することになったきっかけだった。

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