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幸せと願い
登場人物一覧
カネルを抱えてリコリスの家の庭に入ると、猫の形の雪だるまが目に入った。まだ溶けずに残っていたようだ。
カネルがジョシュアの腕から降り、雪だるまの横に座る。気に入っているのだと伝えてくれているようで、思わずカネルの頭を撫でていた。
「また遊びましょう」
もちろん、と言うようにカネルがにゃあと鳴く。そろそろ中に入ろうとカネルを促すのと、家の扉が開いたのはほとんど同時だった。
「ジョシュ君、いらっしゃい」
「リコリス様」
「寒かったでしょう。さ、入って入って」
お邪魔します。そう言うと、リコリスはジョシュアの肩や鞄についた雪を払ってくれた。
招き入れられた部屋の暖炉には火がつけられていて、ぽかぽかと温かい。外の空気で冷えていた身体が、段々と温まっていく。
「森の中だからかしら。夕方を過ぎると、この辺りはよく冷えるのよ」
そう言いながら彼女は、甘く作ったココアを渡してくれる。
「来てくれてありがとう」
リコリスに微笑まれて、ジョシュアもまた笑みを返す。
シャイネンナハトは、今までいつも一人で過ごしていた。独りの自分には関係ないと思いつつも、街で誰かと過ごす人とすれ違ったり、通りかかった家の中から温かな話し声が聞こえたりする度に、羨ましいと思っていたのだ。そうして、温かで穏やかな一日に対する憧れを抱いているのだと思い知る。
シャイネンナハトの時期が近づいて、街がその色に染まり始めると、毎年のように抱えた気持ちを思い出す。リコリスも街に出た時に同じようなことを思うのだろうか、同じようにこの時期を過ごすのだろうかとも考えて、気が付いた。それなら一緒に過ごせばいいのではないか、と。一緒なら、寂しくないから。
「こちらこそ、ありがとうございます」
料理を用意してきたのだと鞄を開けると、リコリスが覗き込んでくる。照れ臭く感じつつも中身を広げると、嬉しそうな声が聞こえた。
「ホワイトシチューね」
「ええ。こっちは、温めれば大丈夫です。あともう一つ、チキンは焼くだけです」
よく冷え込む冬だから、熱々の料理を食べてほしい。だけど一から作ると時間がかかってしまうから、加熱だけすれば食べられるように、家で大部分を作ってきた。その方が、リコリスとゆっくり話ができるだろうと思ったからだ。
キッチンを借りて、シチューを入れているタッパーを開ける。ベーコンやブロッコリー、コーンの鮮やかな色が目に入る。「おいしくなあれ」の魔法もかけてきたし、味見もしてきたけれど、食べてほしい人の前で開けるのは、何だかどきどきする。
鍋でホワイトシチューを温めている間に、タレに漬け込んでおいた鶏肉を焼く。皮目から先に焼いて、ぱりっとした食感になるようにする。
リコリスは時折シチューをかき混ぜて、合間にオーブンの様子を見ていた。キッシュを焼いているのだとはにかみながら教えてくれて、胸がほんのり温かくなった。
焼き上がった鶏肉の照り焼きを切り分けると、皮の部分が軽い音を立てた。内側まできちんと火が通っているし、肉汁も溢れている。きっと、おいしくできている。
湯気のたっているシチューを二人の器に分けて、キッシュも切り分ける。「ちょっと特別」と言ってリコリスが取り出した飲み物をグラスに注いで、二人で席についた。
「シャイネンナハトの日は、どんな風に挨拶をするのかしら」
「そう、ですね。『輝かんばかりのこの夜に』と言いますね」
リコリスの住む場所では、「メリークリスマス」と言うそうだが、彼女はこちらの世界の挨拶をしたがった。頬が赤くなるのを感じながらグラスを持って、リコリスと息を合わせるように挨拶を交わした。
「「輝かんばかりのこの夜に」」
傾けたグラス同士が、どこか華やかな音を立てる。静かな部屋に響いたそれが、この日らしい雰囲気を醸し出していた。
いただきます。この声は自然に揃って、思わず微笑み合う。特別な日に、二人で食事を囲んで笑い合えることが、嬉しかった。
「ジョシュ君、本当にお料理が上手ね。シチュー、おいしいわ」
「ありがとうございます」
実は得意料理なのだと呟くと、リコリスは「そうだと思った」と表情を崩した。「だって、すごくおいしいんだもの」
鶏肉の照り焼きも、焼き加減と味付けが丁度いいと褒めてくれた。つられるように食べてみると、外側はぱりぱりとしていて、内側はふっくらとしている。味見ができなかったからどう出来るかちょっぴり心配だったけれど、これは良い出来だ。
リコリスが作ったキッシュも、パイがさくさくとしていて、ほうれん草ときのこの風味がよく合っていて美味しい。最近パイを作るのが好きだと言っていたから、キッシュもよく作るのだろうかと想像して、何だか微笑みたくなった。
ジョシュアの膝に座るカネルは、時折こちらの料理に興味を持って、テーブルにひょっこり顔を出した。その度に「カネルは食べちゃだめよ」とリコリスが優しくたしなめていた。
混沌世界のシャイネンナハトの様子、この世界のクリスマスの様子を話しているうちに、料理をあっという間に食べ終わってしまった。
リコリスと過ごすときは、時間をとても早く感じる。まだ料理を食べただけと言われたらそうなのだが、何だか寂しくなる。それでもリコリスが「ケーキにしましょう」と優しく微笑んでくれるから、くるしくはなかった。
「これは、ブッシュ・ド・ノエルというケーキなの」
木や薪を横に倒したような見た目のケーキだった。ココアパウダーやチョコレートでスポンジやクリームは木の色のようになっていて、クリームで描かれた線はごつごつとした木の幹を思わせた。
「すごい、森みたいです」
飾られたベリーやミントが、葉や実を思わせる。華やかで、それでいて落ち着いた雰囲気の森がそこにうつされていた。
「この辺りでよく食べるケーキなのだけれど、トッピングは森らしくしてみたわ」
ケーキを切り分けてもらい、フォークをそっと刺す。口に運ぶと、柔らかなスポンジとクリームがとろけて、ココアの風味が広がった。スポンジで包まれていた果実のみずみずしさがはじけて、甘すぎないさっぱりとした味わいになっていた。
「美味しい」
呟くと、リコリスは嬉しそうに笑った。彼女も一かけらを口に運んで、満足そうにうなずいている。
「作ってくれて、ありがとうございます」
ゆっくりと伝えると、リコリスはほんの少し目を瞬かせて、それからその目を細めた。
「一緒に過ごそうって、誘ってくれたお礼よ」
だって私も、一人は寂しいもの。リコリスの口調は優しかったけれど、瞳の奥に寂しさや悲しさが滲んでいた。やっぱりリコリスは、自分と似ている。
温かさを分け合えたら。そう思って始まった交流だけど、彼女に救われていると感じることは多い。だからこそ、彼女に寄り添いたいと思う。
「この世界では、クリスマスは幸福を数える日なのですよね。リコリス様の幸せは何でしたか」
今日という特別な日の意味を知って思い浮かべたのは、リコリスとの出会いや、それから共に過ごしたときの出来事だった。彼女の作った美味しいお菓子を食べたり、カネルと仲良くなれたり。それに、毒の精霊だと知っても受け入れてくれたし、彼女に教えてもらってミエルを作ることもできた。そういったことがいくつも思い浮かんで、穏やかな気持ちになる。
もしリコリスの幸せに、自分の幸せが重なるのであれば、嬉しい。そう思って尋ねてみたところ、期待していたものと同じ微笑みを浮かべて、リコリスは照れ臭そうに頬を染めた。
「一番は、ジョシュ君に会えたことね。それから――」
リコリスの幸福には、自分と過ごした思い出がいくつも含まれていた。手紙のやりとりができること、遊びに来てくれることが嬉しいということ。一緒に食事をして、お茶をすること。誕生日を祝ってくれたこと。それから、ジョシュアが薬を作れるようになったこと。そういったことを、大切に大切に、彼女は口にした。
リコリスの幸せの中に、自分がいる。自分の幸せと重なっている。そう思うと胸の奥が熱くなるようだった。ジョシュアの幸せを自分のことのように喜んでくれているのも嬉しくて、ずっと、彼女の優しさに包まれていたのだと感じることができた。
リコリスはこんなに優しいのに、この世界ではひとりだ。この世界に住む人々は魔女を悪と決めつけていて、リコリス自身を見ようとしない。
彼女や彼女との日々を大切に思う程、この世界の魔女と人々の事情に何もできないことが悔しくなる。だけどそれを伝えるときっと、リコリスを困らせてしまうから、言えない。それに、リコリスは「これでいいのよ」なんて寂しそうに笑うような気がするから、尚更言えなかった。例えリコリスが良いと思っていても、ジョシュアが良いと思えないのだから。
リコリスが「魔女」だからと悪く言われたり、冷たくされたりするのは、自分が同じことをされることよりも、辛くて苦しい。
「ジョシュ君はどんな願いを捧げるの?」
決まった? と首を傾げるリコリスの笑顔は、どこまでも優しい。
苦しみも悲しみもたくさん知っているはずなのに、明るく振る舞ってくれるリコリスのことを大切にしたい。幸せになってほしいと、心の底から思った。
「僕の願いは」
何て言葉にするかを悩んで、決めた答え。緊張で少し唇が震えたけれど、呟いた言葉に淀みはなかった。
「どうかこの世界に優しさを」
リコリス様が傷付くことがありませんように。
リコリスの目をそっと見ると、その瞳がゆっくりと輝きだしていた。
リコリスも同じ願いを抱えているのだ。そう気が付いて、嬉しいような、切ないような気持ちになる。
いつか願いを叶える方法を見つけられたら。そう思わずにはいられなかった。
おまけSS『雪の結晶』
小さなクリスマスツリーに、雪の結晶が飾られた。
「ジョシュ君はお仕事でいろいろな所に行っているのね」
この雪の結晶はツリーに飾るオーナメントで、最近あったばかりの仕事で貰ったものだ。リコリスが雪を綺麗と言っていたのと、シャイネンナハトらしくなるだろうと思って持ってきたのだ。棚の上に小さなツリーがあったから、飾らせてもらうことにした。
「他にもどんなところに行ったのか、教えてもらえるかしら」
ジョシュアは頷いて、ここしばらくの間に行った場所のことを思い浮かべた。リコリスが出してくれた甘酸っぱい飲み物を飲みながら、行った先であったこと、そこで感じたことを話し始める。
この夜は、もっとたくさんのことを話したい。日常の些細なことも、少し驚くようなことも、たくさん。リコリスが微笑みながら耳を傾けてくれている様子を見て、そう思った。