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<花蔓の鬼>雲間に見えるは

登場人物一覧

耀 澄恋(p3p009412)
六道の底からあなたを想う
耀 澄恋の関係者
→ イラスト
耀 澄恋の関係者
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 詩音と呼ばれる遊女がいた。花街『玉枝』に棲まう獄人の娘だ。柔らかな苧環色の髪は丁寧に手入れがされている。同色の眸に被さった睫の影が悩ましい。
 纏う衣の好みは彼女を贔屓にしている男が贈ったものだという。妓楼『花堕』では獄人でありながらも詩音は殊更大事にされていた。その理由も、八百万であったならば天下取りの天香の太政大臣殿に贔屓にされるであろうとさえ囁かれた楽師であったことだ。琴の名手であった娘をその様に称する花街の者達は有り得やしない事だと皆知っていた。何せ、嘗ての一件以降は獄人がのさばる事など赦さず、嘗ての中務卿をも処するべしだと声を上げた太政大臣だ。獄人の娘が御所の敷居を跨ぐのは難しかろう。
 その花は故に花街でのみ咲き誇る。『獄人』であった以上は底辺で這い蹲る敷かなかった女は琴のみでその存在を知らしめた。美しい音色、穏やかな響き、そして手入れをされた苧環は遂にその咲き誇る場所が代わるのだという。
 獄人の娘を娶ると決め、身請けした男は獄人であった。どこぞの商人だという獄人は八百万の顧客も多くそれなりの地位を有していたという。名を、曇暗志鸞。見目麗しき水色の髪と菫色の瞳の青年だ。男は会う度に詩音をよく褒めていた。その眸は紫水晶のようで美しく、苧環の花が咲き綻ぶように髪は艶やかだ。指先の一つさえ、誰も踏み締めない新雪の如く美しいと。歯の浮くような言葉ばかり。それでも詩音は心の底から喜び、男と祝言を挙げた。
 早朝には花街の参列者以外にも志鸞の顧客だという八百万の男達もやって来ていた。彼等が囁き詩音を眺め遣る姿に違和感を覚えながらも澄恋は遠巻きに眺めた『憧れの花嫁様』から目を離せずに居た。同じ妓楼の者達は皆、詩音の傍で笑っている。だが、憂さ晴らし程度に侍らせる為にと呼ばれる澄恋はお古の着物に欠けた簪を付けて遠巻きに見ているようにと言い付かった。よく見れば他の妓楼の獄人の娘達も同じような身形で美しい『獄人の花嫁』を見詰めている。
「いいなあ……」
 呟かれた声に、そうだろうとだけ澄恋は思った。あんな運の良い事は早々あるまい。獄人であれど幸運にも祝言を挙げることが出来れば斯うして盛大に祝われるのか――死んだとて土手から転げ落ちて文字通り水に流されるだけだというのに。

 披露宴は妓楼『花堕』の広間で開かれることとなった。主役であった詩音は獄人であった身分より慣れない晴れ姿に訪れる客人対応と目を回している。
 困り切った笑みを浮かべていた娘は、今までの己の扱いとは天と地の差だと認識していた。それもそうだろう。琴の名手と謳われるまで女も獄人であった事には違いないのだから。
「詩音、疲れた顔をしとるなぁ。外、行ってお出で――どうやら妻は疲れたようで」
 八百万に微笑んだ志鸞へと詩音はうっとりとした笑みを浮かべた。ああ、妻だなんて。愛おしいその人がそう呼んでくれるだけで心が躍る。
 一礼をしてから広間から出れば寒々しい空気が周辺には漂っていた。喧噪と賑わいの宴会場から花嫁が一度座してもそうは空気も変わるまい。何せ、獄人の花嫁など心の底では大した存在ではないと認識されているからだ。
 縁側にはぽつぽつと人影が見えた。詩音に気付き、肩を振るわせてそそくさと去る娘も居れば一礼をしてから召使いのように甲斐甲斐しく動き回る娘も居る。玉枝の各妓楼の獄人達だ。同じ遊女でも売れて居らず慰め程度に棲まう獄人達はこの様な目出度い日でも召使い扱いか。獄人の花嫁を祝う席だというのに、獄人であるだけでこの様な目に遭わされるのだから虫唾が走る。
 詩音が柳眉を顰めれば縁側の端で座り込んでいる娘が居た。丁度、己の愛しい人に良く似た色彩の娘だ。『花堕』にやって来た日から彼女の事はその様に認識している。
 志鸞と同じ氷の色の髪は、冷たい印象を与えるがそれでも手入れをして触れれば屹度柔らかで艶が出るのだろう。俯いていて真っ直ぐに見たことはなかったが眸の色とて志鸞と同じ美しさ。種族特徴さえ、志鸞と同じ。まるで――『彼の娘が居ればこの様な外見』なのだろう、とさえ感じて愛おしささえ覚える程である。
「こんにちは」
 晴れの日であるからと傷の手当てだけは雑にでもなされたのだろうか。俯く澄恋の体には幾つもの包帯が巻かれているのが見える。そろそろと顔を上げた娘を真っ正面から見たのはコレが初めて出会ったと詩音は感じた。
 彼女は過酷な家庭環境で花街へ転がり込んできたらしい。まるで人形のようにうんともすんとも反応しない娘。それが彼女だと詩音も認識するほどだ。
 ――その内実、澄恋は自覚を勘当されてから様々な妓楼を渡り歩いた。過酷労働に、人では無いかのような扱いを受けたことでその心は擦り切れて居たのだ。
 それは聞かなくとも『同じ獄人』であった詩音は良く分かる。まるで一昔前の自分の姿のようにも感じ詩音は酷く苦しい心地になった。
「……」
「寒くあれへんの?」
 顔を上げた澄恋は花嫁に憧れていた。愛し愛され、愛おしい人がいなくてはなる事さえ出来ない憧れの象徴。花嫁様。
 彼女が自信に声を掛けたのか。つう、と涙が零れたのはそんな幸せな人がその心を分けてくれたからだ。ああ、なんて――なんて幸せだろう。
「まあ、水化粧要らずの綺麗な肌。寒かったでしょうに」
 遊女で亡くなるならば京言葉はもう必要ないから、と『幸せな花嫁さん』として詩音は『唯の詩音』として彼女に声を掛けることにした。唇が震える。
 澄恋は「汚れる」とだけ小さな声音で返したが詩音は首を振った。
「ええの……あ、癖で、つい。ふふ、大丈夫ですよ。寒かったでしょう。私も少し疲れてしまって」
「……はい、あ、いえ」
「怪我、手当して貰えたんですね。……ごめんなさい、ずっと見て見ぬ振りをしていたから」
 澄恋は困ったように笑った詩音に釘付けになった。琴の名手と謳われて花街でさえその名を轟かせた獄人。そんな彼女と何も持たない己が同じ場所に居て言い訳がない。
 屹度、女将さんにドヤされる。澄恋の青ざめた表情に詩音は「皆、宴に夢中だから」と首を振ってから頬をもう一度撫でた。
「じゃあ、これは妓楼の先輩から」
 こほん、と咳払いをしてから彼女は『遊女詩音』の顔をして澄恋に向き直る。妓楼の廊下を歩く琴の名手、美しい『姐さん』を澄恋は何時だって見ていたものだ。
 あの凜とした佇まいも、獄人であるのに天を仰いだ美しい女の姿を。
「ウチも、えらい大変やった。困ったなんぎな目ェだってようおうたんよ。せやけど、今はこない幸せならせてもろて……。
 大丈夫、大丈夫よ。辛いこともあるけど、どんな時も笑顔は忘れたらあかん。ね、練習してみよ。はい、にこー」
 慌てて頬に手を当ててから澄恋は笑って見せた。人にはお見せできないような崩れた笑み。歪なそれを見てから詩音は「不細工さん」と鼻を摘まむ。
 む、と詰まった声を出す澄恋の拍子抜けした表情が詩音にとってはどうしようもなく愛おしかった。もしも、過去の自分と話す機会があったなら、言いたかったことがある。
「一番、幸せな時を想像してみ? その時、お前さんはどんな表情してるやろか」
 ――もし、過去の詩音が言われても、屹度上手くは笑えなかっただろう。苦しいだけの毎日に自死を考えたことだってあった。
 それでも今は女にも惚れた男がいて、彼が娶ってくれるのだ。こんな地獄から連れ出してくれるそれだけで幸せだ。想像する詩音の笑みの美しさに澄恋は息を呑んだ。
 絶対に自分には成れやしない美しさ。憧れた花嫁さん。もしも、自分がそうなったら――先程の歪な笑みは遠離り、穏やかな、美しい微笑みが固まった頬を動かした。まるで雪が溶け春が訪れるような幸福に詩音は「素敵」と手を叩く。
「幸せな時を忘れたらあかんよ。ずっと忘れずに笑って居るなら毎日が幸せになっていくから。
 ウチ――ううん、私も、昔は貴女と同じでした。獄人だから、塵と同じ。詰られて嬲られて残飯を食って飢えを凌いだ。
 肥え溜めにぶち込まれた方がましだとか、此の儘飛び降りて死んでしまおうかとも思った事があります。けれど、頑張ってる姿ってね。必ず誰かが見ていてくれているから」
「誰かが?」
「そう。その人がね、沢山の愛情と幸せを下さるはず。
 苦しいことがあっても、笑って乗り越えればこうやって晴れの日を迎えることが出来たんです。
 ……大丈夫よ、私でも運命の人と巡り合えたんだもの。貴女にも素敵な出逢いがきっとあるはずだから、此処での生活を頑張って下さいね」
 にこりと微笑んだ詩音は懐から扇子を取り出した。彼女が舞を踊る際に使っていたものだ。切傷だらけ、ささくれだった澄恋の荒れた手に扇子を持たせてから詩音は微笑んだ。
「幸せに、なってね」
 美しい花嫁の笑みに、澄恋は釣られるように微笑んだ。
 ――幸せな貴女が、笑ってくれたから『私』だって幸せになれるような気がした。

 宴を終えて、曇暗邸へと帰宅した詩音は装いを改め、愛しい人の部屋を訪れた。夫婦となったから以上、金銭の絡むような打算的な関係を捨て去ることが出来る。
「ああ、詩音」
「お呼びでしょうか」
 うっとりと微笑んだ詩音に志鸞は頷いた。夫婦となった初めての夜。女とて生娘ではない。だからこそ期待が胸を過った。緊張しながらも背筋を伸ばした詩音を呼び寄せて志鸞は彼女のおとがいに指をやった。
「目を閉じて」
 詩音はゆっくりと瞼を降ろす。夫婦となった際の契りとも、芸を見せたその頃に戯れのような啄みとも違うたった二人だけ。
 口吻を『貰う』というその動作だけで自身が彼の所有物になった様な気がした。獄人に生まれたからには、個など悍ましいだけのものだった。
 だと、言うのに詩音がただの詩音ではなく曇暗詩音と名乗ることが出来るそれだけで彼が自身の存在を許してくれた事を厭と言うほどに理解出来たのだ。だから、証が欲しかった。血と肉の通ったその体に詩音という個人を愛し慈しむというそのただ一つの証明――
 女の体に熱が灯る。期待に震えた肉体が早鐘を打った心臓を押さえ付ける。今か、今かとその時を待っていた詩音の耳に届いたのは『ゴリ』という音と、激痛。
「ッ――」
 叫びにもならぬ声が喉の奥から湧いて掠れた。仰け反りかけた体を支えて、優しく横たえてくれる志鸞の顔が見える。
「動くな! 折角の身体が傷ついてしまうやろう」
 何、と聞く前に志鸞が握っていた『モノ』を見て理解した。角。角だ。額を触らなくとも分かる。角が、切り落とされた。
「志鸞さ、」
「詩音。初めて見たときから思ってたんや……愛してる。
 オマエの身体は一級品や。……他人にどうしても渡したくない」
 馬乗りになった男が恍惚とした笑みを浮かべている。身動きも出来ない詩音はその様子を眺めていた。
「詩音」
 名を呼ばれる度に、幸福を感じる。身を動かさずとも感じる痛みが体を刺した。これはなんだろう? これは悪い夢なのだろう。
 屹度、そうだ。彼は何時だって優しかった。体が傷付くことを厭い、獄人であった己の身体の傷が癒える事を待ってくれた。
「太腿に火傷があるんやなあ。でも、花弁みたいで綺麗や」
 ごり、と音がした。息が詰まる。詩音はぼんやりとする頭で志鸞を眺めて考えた。違う、露出した肌に食い込む刃物も。生きながらにして肉体を分けられる苦しみも、悪い夢だ。
 目が醒めれば、彼が「怖い夢を見たんやね」と笑ってくれる筈だ。夢の中なら……そうだ、地獄から救ってくれた彼が見ている夢の中なら、何だって。
「オマエとずっと一緒にいたい」
 愛の囁きが降る。つうと涙が流れた。それが心の悲鳴か生理的なモノであるのかの判別はつかなかった。
 余りに激しい痛みに混濁する意識。ただ、愛しい人の名を呼んだ唇に布が押し当てられた。「舌を噛んだらあかんよ」と優しい声が聞こえ、意識が途切れ――

 一人の男が街を歩いている。肉屋と呼ばれる獄人『くものくら』
 彼を彩るのは獄人の角、骨やアクセサリーとして加工された誰かのものだった。それがたった一人の女のものであるのは有名なことである。
 男の身を飾ったのは正妻の肉体パーツなのだ。大層美しい女であったと噂される。
 ――だが、人の部品を余すことなく利用する男が『父』である事も、心の支えとなった女がアクセサリーとなった事も澄恋は未だ知らない。

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