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<花蔓の鬼>咲き萎れたスカビオサ

登場人物一覧

耀 澄恋(p3p009412)
六道の底からあなたを想う

 兎円居家には一人娘が居た――居た、というのは過去の話だ。刑部省に人員を輩出し獄人でありながらも死地より帰還する能力に長けているとして都合の良い手駒扱いであれども一目置かれていた兎円居家は離散したのだ。その理由こそが一人娘である。
 当主であった兎円居 柏丹には花街『瓊枝』で見かけた元芸子である『彩芽』と言う妻が居た。大層美しい妻は美しい菖蒲色の髪と眸を有していた。咲き綻ぶ美貌に一目で惚れた柏丹が彩芽を口説き落とすべく日々を奔走したのは当時の瓊枝ではそれなりに噂にもなっていた。柏丹が手に入れたのは美しい最愛の妻と子宝であった。
 腹の中の子が女だと判明した頃から、彩芽に似て菫の花の如く美しく咲き綻ぶ笑みを見ることが楽しみだと柏丹は彩芽の腹を撫でながらよく言った事である。男にとって愛おしくて堪らぬ愛しい女との子供は其の儘すくすくと育って行く。
 最初に違和感を覚えたのは彩芽の側だったのだろう。一人娘の澄恋は両親の何方とも似ていなかったのだ。
 柏丹は短双角に薄い菫色の髪と眸を有する男である。代々の兎円居家には象徴するような鬼紋が浮き出ていた。娘は水色の髪をしていた。それを先祖返りだろうと考えていたのは最初だけである。娘に顕現した種族特徴が鋭い牙であった事も『そう』だと信じていたかった――だが、不幸にもその面影は別の男と重なった。
 彩芽との逢瀬を重ねる中で柏丹は娘の面影に良く似た男を見たことがある。商いを営んでいるという水色の髪に菫色の眸の男だ。己と同じ菫色の眸を有して生まれたと信じていた柏丹は「違う」と唇を動かした。娘の姿に現れたのはあの男――曇暗志鸞そのものであったからだ。
 幼少期より両親は不仲になった。父には露程似ていない娘を指差した近隣も者達は、彩芽が不義を働いたのではないかと口さがなく告げるのだ。
 澄恋が10代になった頃だ。遂に彩芽は澄恋の父親は柏丹ではないと告げた。その様な真実に男は耐えきれなかった。男は澄恋へと暴力を働いた。父であると信じていたからこそ溺愛していた過去をかなぐり捨てるように澄恋を殴り続ける。ついには父と呼ぶ事さえ出来なくなった。
 柏丹は澄恋に二度とは兎円居と名乗らせず敷居も跨がせてなるものかと告げた。何も持たせず身一つで追い出された女は落魄れていくだけだ。
 縋るように母に手を伸ばした澄恋を悍ましい物を見るように彩芽は見ていた。その美しい菖蒲色の眸には憎悪が滲んでいる。
「おまえは生まれるべきではなかった」
 幸福だった母にとってはたった一度の過ちであったのだろう。過ちが実を結んだ事を後悔していないと言えば嘘になる。
 彩芽の視線から滲んでいた憎悪に澄恋は引き攣った声を漏した。
「ど、どうして……お、お母様……待って」
「そう呼ばないで。おまえなんて――!」
 彩芽は不貞を犯した身だった。柏丹からの離縁の申し込みは飲むしかない。愛していた亭主との別れ、幸福であった生活が崩れ去る音を聞き、母が真っ先に斬り捨てたのは子であった。
 資金も学力も人脈も何もかも無かった澄恋は跣の儘、豊穣を彷徨いた。その脚が辿り着いたのは――奇しくも母と同じ花街であった。

 花街『玉枝』には無数の妓楼が存在していた。年若く身一つでやって来た澄恋は獄人だと指差され笑われた。八百万であった遊女は澄恋を虐め、食事も満足に与えなかった。
 勿論、それこそが豊穣の在り方だ。客も獄人であれば何をしても構わないと認識している。嬲られ、貶され、崩れ落ちる夜に魚の骨一つを盆に乗せて寄越される惨めさ。
 名家の出身であった娘は一晩で地へと叩きつけられたのだ。遊女とは名ばかり、澄恋は奴隷や見世物、道具として扱われる。
 鞭で打たれようと額を畳に叩きつけられようとも。痩せ細った体を蹴り飛ばし腕の骨一本が折れてしまおうとも「獄人ならば仕方が無い」と笑われ続けた。
 痛い。苦しい。逃げたい。帰りたい。母恋しいと泣くことも出来ず、父には汚物を見るように捨てられた。そんな己が何処に変えれば良いのか。
 澄恋は無銘の遊女だった。塵と同じ扱いの――惨めったらしい唯の道具。
 涙を流しながらも澄恋は身を引き摺った。苦しみばかりが身を責める。
 もしも澄恋が生まれてなければ、今でも両親は幸せな生活を送っていたのだろうか。屹度、そうだ。生まれるべきでは無かったのだ。
 母の言葉ばかりを何度も繰り返し考えながら澄恋は残飯を食い漁った。卑しい獄人だと蹴り飛ばされても、然うして居なくては生き残れなかったからだ。
「呼ばれてるよ」とだけ声を掛けた『女将さん』に澄恋は「はい」とか細い声で応えた。化粧品は誰かのお古か遣い差し。それでも着物だけは上等な品だった。
 誰かが贈り物で貰ったが、必要が無いだとか。汚れてしまった部位があって誰も着用しなくなった物ばかりが下げられ澄恋の衣装になる。
 傷みきった髪を梳かす櫛は欠けていたがないよりはマシだった。痛む傷を隠すように着物を羽織り、髪の毛を結い上げた。項に、肩に、痣が見えるが仕方が無い。
 髪飾りも所々が欠けてはいるがこちらもないよりマシだろう。「お前なんかに着られて着物も可愛そうだ」とすれ違った遊女が嘲笑った。
 顔を合わせないように俯いて、部屋へと赴けば酒を鱈腹呑んでいた八百万の男が「来たか」と声を張った。呂律も余り回っていないのか、澄恋の源氏名を呼ぶ声音も上擦っている。
「はい」
 深く頭を下げれば突如として額を畳へと押し付けられた。「う」と呻いた澄恋に気を良くしたのか男は更に力を込める。
「感謝が足りないな、獄人」
「も、申し訳ありませ……」
「誰が喋って良いって言った? お前みたいなグズの相手をしてやってるんだから感謝しろよ」
 八百万の男が髪を掴み上げた。勢い良く身体を掴み上げられた事でぶちぶちと髪が無理に抜ける音がする。止めてくれとも言えないのは一人でも客を取らなければ食事にもありつけず、どの様に折檻されるかも分からないからだ。
「お前、獄人の癖によくこんな場所で住んでられるなあ」
「は、はい」
「知ってるか。獄人ってのは八百万の召使いで在るために生まれたんだ。その証拠が卑しい牙だ。な、お前の尖った牙は人を食うんだろ。餓鬼みたいにさあ」
「いいえ――あ、は、はい」
 否定をした、が、頬を叩かれた。慌てて肯定を告げれば八百万の男は気が良くなる。下品に笑う男の全てを澄恋はこんなにも卑しい男がいても良いのか、と感じた。
 そうは思いながらも同じようにそんな男に買われて日々を営む自分がいる。自分も同じように卑しいのだろう。卑しい者同士であるのだから致し方がない。
「この角、折れるのか」
「あ、い、痛い」
「痛い?」
「申し訳ありません。申し訳ありません」
「獄人ってのは痛覚もちゃんと有るのか。折ってみりゃ分かるか? 角は傍目から見て分かるなあ。腕は?」
 髪を握っていた腕が降ろされた。無理に上がっていた顔を下げることが出来た事で澄恋が一心地着いたのはその瞬間だけだ。
 勢い良く、身体を倒された。布団ではなく固い畳に転がされて澄恋は思わず呻いた。目の前に男が立っている。勢い良く脚を上げ、一気に降ろされた。
 ぎい、と澄恋は悶える。激痛が身体に走る。腕だ。腕に何かが起った。悶える澄恋を八百万の男が指差して笑っていた。
 開けっぱなしの襖から覗いている『女将さん』はにんまりと笑っている。此方を見て「どうぞ、お好きに」と言いたげな顔をして居た『女将さん』は振り返ってから「ウチの獄人が喧しくってねえ」と世間話を始める。
 ぞろぞろと入ってきた八百万の男達は「獄人か」と品定めをするように澄恋を見下ろしていた。
 此処は地獄なのだ。生まれて来たことが間違いだったから、神様は罪を認めろとこの身体を穢すのだ。
 澄恋は「あはは」と笑った。笑うことしか出来なかったからだ。生まれて来たことが、間違いだ。ああ、本当に――お母さんは『私が生まれたから不幸になった』んだ。
 たった一夜の過ちだっが。それだけで終わっていたはずなのに。私なんかが生まれてしまったから。
「ごめんなさい」
 唇は勝手に動いた。もう、そう言い続けるしかなかった。
 無数の影が見える。この身体を巡っている血も、構成している骨も、澄恋という存在を構築した全ての要素もこの世界から消え去ってしまえば良かったのに。
 そうは願えども、生まれてしまったからには、過去は変わらない。

「いいね。きちんと時間までに帰ってくるように」
 買い出しに行けと追い出され、覚束ない足取りで歩いていた澄恋は久方振りに花街から出た。
 全ての買い物を徒歩で終えてこいと言う妓楼の『女将さん』――お母さんなどとは呼べない――は澄恋には逃げる場所がないと知っているからこそ使いっ走りにしたのだろう。
 そもそも、だ。獄人の差別が色濃く残る花街の近隣の街も同じく獄人は差別の対象だ。澄恋を不憫に思う者も居まい。何処かの妓楼の使いっ走りである事は目に見えて分かるようにと『女将さん』が印をつけた。それが傷だらけの身体を隠すように羽織った継ぎ接ぎだらけの衣に、ボサボサの髪は櫛の一つも通っていない女が身に着けている品の中で唯一美しい簪だった。それさえあれば妓楼の人間であることが分かる。身分が証明される。『外』では不遇な目には遭わない。
 そうは思いながらも恐怖に支配された女は痩せこけた腕で大層大切そうに財布を抱えて澄恋は早足で街を歩いた。
 その時だった――すれ違ったのは白無垢姿の花嫁と紋付き袴の新郎。
 幸福そうに笑い合い、これからの将来を語り合うその姿に澄恋は思わず目を奪われた。くすくすと笑う花嫁が耳打ちをすれば新郎は頷く。
 何を見ていたのだろう。ああ、空を自由に飛ぶ鳶か。自由に空を飛んだ鳥など、妓楼の窓辺からぼんやりと眺めているだけで何の感慨も浮かばなかった。
 それでも幸福そうな二人はそれを「素晴らしい風景だ」と感じているのか。ああ、なんて清らかで、幸せそうで、互いに愛し愛される夫婦。
 ――もしも『自分が生まれていなければ』父と母はあの二人のように幸福に過ごし続けたのだろうか。
 いや、『自分が生まれる前まで』はそうやって仲睦まじく過ごしていたのだろう。母も遊女だった。それでも清く美しく見えたのは恋だったのか。
 余りにも、自分とは対照的な二人を見て動悸がした。慌て、脚を縺れさせながら澄恋は路地裏へと逃げ込んだ。
 どうしようもない程に『美しすぎる幸福な二人』の近くに汚れた自分が立っていることが耐えられなかったのだ。
 引き攣った声を漏しながら澄恋は頭を抱えた。
 自分には一生慣れない姿がそこにある。汚れた私、穢れた私。馬鹿みたいな呪われた生まれの私。
 ああ、なんて――何て羨ましい。何時の日か『幸せなお嫁さん』になれたら良いのに。なれっこなんて、ないけど。

 そんな思いばかりを彼女は引き摺っていた。遊女を引退し、召喚を経てからも澄恋は笑顔の裏に餓えを隠せずに居る。
 花嫁とは愛し愛される存在なのだ。愛情への理解と欠如。愛情への飢餓感。それら全てが澄恋という女の精神を構築する中心であった。
 獄人は塵芥同然だった。その空気感が僅かに和らげど、少し離れた場所では未だに獄人は道具として扱っても良いと言う風潮が渦巻いている。
 恋も愛も、澄恋にとっては心を酌み交わす必要のある『難しい状態』を指していた。嬲られ、傷付けられ、ぞんざいに扱われ、血を吐き続けた過去。それでも尚も、それで身を立てた己は恐ろしい程に汚れている。
 他者に己という不利益を押し付ける事は恐ろしかった。愛し方は分からない。そもそも、誰にも愛されてこなかった身の上だ。誰かを愛す事の難しいこと。
 澄恋はあの日見た美しい花嫁の姿に憧れていた。清らかで、幸福で、自分の成り得ない理想の姿。それには愛する相手が必要だったから。
 だからこそ、己の過去も、己の生まれも、何もかもを『澄恋』という一人の『人間』として肯定してくれる存在を、逃げ場を、花嫁の概念を形成するべく愛情を与える存在を、作らなくてはならないと感じていた。
 精神構造は歪み捻じ曲がった。
 愛されなくては、生きていけない。愛されなくては、幸せになれない。

 ああ、本当に。あの人の言うとおりだ。

 お前なんて私なんて
 ――生まれてこなければよかった。

  • <花蔓の鬼>咲き萎れたスカビオサ完了
  • GM名夏あかね
  • 種別SS
  • 納品日2022年12月19日
  • ・耀 澄恋(p3p009412

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