SS詳細
Cigaret×Sugar
登場人物一覧
「お疲れ様。明日また、よろしく」
「はい、社長!」
退勤の始末をつけ、退勤ギリギリまで残っていた部下を見送る。腕時計に目を落として時間を確認する。
迎えの車が来るまで10分といったところか。
自社ビルの5軒隣まで早足で向かい、誰も見てないか注意深く確認してから裏路地に入る。
隠し持っていた小物入れを懐から取り出し、煙草を咥えて指先に魔術で火を点して吸う。
コートが汚れると困るので、壁と壁の間に立つ。現実と仕事に疲れ果てた脳に煙が充満する。
メンソールが強く軽く短いそれ。多くの人間が軽すぎて吸った気がしないと云うこれが僕にはちょうど良かった。
すぐ頭をクリアにして現実に帰りやすい煙草だからだ。
半分も吸い終わらないうちに携帯灰皿へ押し付け、口臭ケアのタブレットを口へ放り込む。
それらをまた小物入れに戻して自社ビルへ帰る。迎えの車が来るまで、約5分。
僕の名前は斉賀京司(p3p004491)。
そして世間で通ってる斉賀京司とは、爽やかな若社長で煙草は吸わないのだ。
スッキリした印象のスーツを着てラフにかきあげた前髪を七三に分けて黒髪を爽やかにする。
眼鏡は銀のハーフリムフレーム、魔術でピアスを隠せば外見が出来上がり。
一人称を私、口調を男性的に寄せ過ぎず柔かさを意識。口許はいつも軽く微笑み目を伏せて笑う癖を持つ。
人当たりは優しく穏やか、プライベートは秘密が多いものの、そこそこ酒は強い。
ーーそれが斉賀京司。世間で知られる、みんなの斉賀京司。僕が演じるべき至高の理想。
「大丈夫」
本当の弱く臆病な僕は死ぬべきだ。殺し尽くすべきなのだ。
だから今日も、そんな僕を僕が殺す。首を絞めて呼吸を奪う。
それでも苦しそうに哀れっぽい助けを乞うから煙草を吸ってしまう。呼吸を赦してしまう。
「社長、お迎えにあがりました」
「ああ」
長年、僕の……違う。斉賀京司の秘書を務める男に呼ばれ、出勤する。
安全保障の観点から移動は全て車か飛行機、面会も仕事の依頼も全て予約制。
それらは秘書の彼を通ってから僕へ伝えられる。
お陰で僕は誰とも会わずに仕事を得ていて、だから手帳を買ったことがない。
「今日の予定は?」
聞きながら書類へ目を通す。どれもつまらない羅列ばかり。目元を揉んでやり過ごす。
ふと視界にコンビニエンスストアが入る。そういえば月曜日か。止まれと云えば少々お待ちくださいと礼儀正しい返事。
降りて新作のスイーツを買う。これだけが斉賀京司に赦された自由。甘いものが好き。完璧な若社長と不出来な僕、唯一の共通点。
「到着しました」
コンビニエンスストアから結構進んで都市の中心部、車を降りて自社ビルの玄関。
秘書を伴って歩き出せば出勤途中の社員や受付嬢が頭を下げて挨拶する。それに微笑んで返す。
「おはよう、みんな。今日もよろしく」
必要なものに必要なことを記入して、必要なら判を捺す。これ以上に退屈な作業があるだらうか。
毎日の反復行動はもはや、機械にやらせた方が早い。
そうは思っても顔には出ない。自然に微笑みながら処理をする。もう癖だ。
「う、ぇ…………」
ついに吐くものを失った肉体は、血の混じった胃液を送り出してきた。
こんなものは虚空に唾する行為だ。無意味だ。
だのになんで、吐き気と気持ち悪さが治まらない? 早く平気な顔して戻らないと! 僕は倒れるわけにはいかない!
少しも顔色を悪くしてはいけない。酷い顔をした斉賀京司を求める人間はいない。
ポケットに仕舞い込んだ鏡とファンデーションで手早く顔色を美しく治す。
ここ数年、体調不良が多くなったせいで女物のファンデーションやら何やらまで買うようになってしまった。
だが、これは良い。
どんなに吐いても、どんなに疲れていても、少しトイレに篭って塗るだけで健康な顔になれる。
世の女性が綺麗なわけだ。またポケットの奥に仕舞ってトイレを後にする。
「お待たせしました。参りましょう」
……それから先の意識がどうにもハッキリしない。どうやら倒れてしまったらしい。不甲斐ない。
秘書が過労だそうでどうか安静を、と言って寝室から出ていく姿を力なく笑って見送る。
なぜ、こんな窮屈な生き方をと思う時もある。だがこれは僕の使命だ。
生まれついての病弱、父親から迫害されて家の誰も僕が生きることを望まなかった。
それでも。心優しい姉だけが、見てくれた。魔術の才を認めて、師を紹介してくれた。
姉の働きかけがなければ、母は自身の名誉の為とはいえ、僕に父の名前をくれようと考えなかっただらう。
姉と母の尽力で父から強奪した斉賀家当主の地位と名前、そして現代に神秘を伝える魔術師として。
僕は役割を、全身全霊で果たさねばならぬ。
「ただいま入ってきたニュースです。株式会社********の社長、斉賀京司氏が行方不明との事です。この件はまた情報が入り次第、お伝えします」