SS詳細
カルーセルー巡分の南瓜夢
登場人物一覧
「わあ〜〜っ!!」
ファントムナイトの日は混沌中に魔法がかかる。
いつもと違う恰好の子供たちに出迎えられたルブラット・メルクラインは廃教会の入り口で厳かに頷いた。
自分たちに向けられる声はいつもより賑やかだ。
その声の大半は持ってきた大量の菓子、ではなくそれを運んできた妖精木馬に向けられていた。
「きょうの、えーぐる、かあいいねえ」
「カッコいい、だよー」
エーグルはルブラットの所持している木馬である。
バニラアイスクリームのような毛並みに、憂いを帯びた箒星の瞳。
妖精の魔法がかけられた不思議な自律式木馬は、見た目の愛らしさに反して非常に高い馬力と耐久力を持っている。
見た目だけで言えば、エーグルは春咲きのバラ、日曜日の遊園地、砂糖で出来たお菓子のようなメルヘンな存在なのだが、そんなメルヘンさを台無しにするほどの悪戯好きでもあった。
エーグルに対する「菓子を与えれば真っ当に仕事をこなすから使いやすい」というのはあくまでルブラットの評価であって、他の者から見れば、妖精の気質に近いエーグルは御しにくい不気味な存在なのだ。
自我もなかなか強く……だからこそ、ファントムナイトの魔法はこの木馬にもかけられたのだろう。
ルブラットがこの事態を完全に予想していなかったかと言えば嘘になる。
街に満ちる浮かれた空気が「そうなったら面白いな」という愉快犯的思考をに植え付けていたのかもしれない。
ホイップクリームのようだったエーグルの毛並みは禍々しさを煮溶かした漆黒の色へ。
夜空のような瞳は憤怒の深紅へ。
鐙を彩っていたプリンセスのバラは色とりどりの眼球が咲く滅紫の芍薬へ。
業火のような鬣から覗くのは巨大な
手綱や鞦は宝石の目を持つ黒蛇へと変化していた。
蛇たちは最初、林檎のジャックオーランタンを咥えていたのだが廃教会へと来る途中でエーグルがバリバリと鋭い牙で噛み砕いて食べてしまったのだ。
蛇たちが若干涙目になって震えていた気がしなくもないが、元は轡であるので放っておいても大丈夫だろうとルブラットは判断した。
ニタリと嗤ったエーグルの口から覗くのは草食動物にあるまじき獰猛な牙だった。
「まおーみたいねえ」
「じゃしんだよ」
ファントムナイトの夜はなりたい姿になれる。
願いがかなった木馬はなりたい姿になった。
おしゃれを望んだのか。破壊活動を望んだのか。その両方か。
魔王、悪魔、邪悪と形容されても今日のエーグルはとても楽しそうだ。
「うん」
なら、それで良い。
他人の信仰や主義主張を頭ごなしに否定しないのがルブラットの良いところだ。
そういう訳で、少しばかりの躊躇はあったものの攻撃性と禍々しさを全面に押し出したエーグルをルブラットは受け入れ、普段と同じように荷運びをさせている。
「おいしゃのせんせー。えーぐるに、おかしあげても、いい?」
「君に渡したものだ。好きにしたまえ」
質問に答えながら、減りゆく菓子の量と速度に追加購入を検討する。
ルブラットが子供たちにと持ってきた菓子の殆どが、連れてきた妖精の胃袋に収まっているからだ。
やけに菓子を運ぶのに協力的だと思っていたら、これだ。
マッチポンプという制度をこの妖精が知っているかは疑わしいが、似た概念は理解しているらしい。
「撫でるのはやめておきなさい。今日のエーグルは気が荒い」
普段のエーグルが大人しいかと聞かれると実際そうでもないのだが、今日は荒々しさが前面に押し出されている。
子供は煩わしいが菓子は欲しい。
子供の声は煩いが賛辞は欲しい。
紙一重のところで生命の危機を免れている子供たちは、そうとも知らず無邪気にはしゃいでいる。
「エーグルのなりたい姿って、ああいうのなんだ?」
聞き慣れた声に名前を呼ぼうとルブラットは視線を下げ、そして見慣れた子供の見慣れぬ姿に対する言葉を探した。
「ヨシュア、それは?」
「起きたら、ね。未練たらしくて笑えるだろ」
ヨシュアの背中には白い翼が生えていた。
彼自身が失くした茶色の翼ではなく純白の色。
ファントムナイトの魔法は良くも悪くもかかった人間の深層心理をこじ開ける。
この笑い声溢れる空間でただ一人、陰鬱に笑った少年に対して、ルブラットは気を配った心算はない。
ただ最初に思いついた単語がそうだったというだけだ。
「いや、笑わない。それが君のなりたい姿なのだろう。守護天使かね」
ヨシュアの瞳が満月のように見開かれた。
「……うん」
自分の言葉を相手がどう受け取けとろうと、ルブラットには興味がない。
ただ、大人びた子供が自分の言葉を都合の良いように解釈したのは分かった。
「追加の菓子を買いに行くぞ、ヨシュア。あの調子ではエーグルを動かせん」
「任せて、旦那」
普段の
おまけSS『ハニーポット一壺分の混乱』
ルブラット・メルクラインは混沌世界の外から来た存在である。
故に、混沌世界に古から伝わる
それでも、秋の収穫祭が行われるのだと言われたら理解ができた。
季節の節目に、天の恵みに対して感謝捧げるのは良い事である。
子供の成長を願う祭りである、というのも納得できた。
冬を無事に越せるようにと、収穫と同時に子供たちの健やかな成長を願うのはよく聞く話だ。
魔法にかけられた人々はお菓子を求めて街を練り歩き、合言葉をかけあう。
これも……魔法などと云う胡乱な単語の出現に最初は首を傾げたものだが、これも素晴らしい話だと飲み込んだ。
甘味を愛するルブラットにとって、美味しいお菓子が巷に溢れる状況は歓迎すべきものである。
「ファントム・ナイトとは、自分のなりたい姿になれる日」である。
これだけがまったく分からないでいる。
3日間だけ全ての国に魔法がかけられるのだと説明されても、笑う魔女のお話をされても、ちっとも理解できない。
以前とは違って変化を完全に否定する気は無いが「神から賜った肉体が至高ではないのか?」という持論を崩さないのもルブラット流。
そういう訳でルブラットにとっての「ファントム・ナイト」とは「美味しいお菓子が街に溢れるものの、街を歩けば勝手に仮装をしていると捉えられるちょっと憂鬱な日」なのであった。
「外套が普段と違うわ。ついに魔法にかかったの? だとしたら面白いからYESと言って」
「これは冬用コートに着替えただけで断じてファントムナイトの魔法にかけられたわけではない。断じて」
光源の限られた石造りの牢獄に、豪奢な部屋が突如として出現する。
この空間だけ晩餐会のようだった。
向かい合わせに座るのは案山子のような燕尾服の少女と白烏の仮面をかぶった性別不明の麗人。本日はそこに、黒の木馬が加わっている。
「相変わらずファントムナイト? ってのが苦手なのね」
「あの概念を否定する気は無いが、巻き込まれる気も無い」
「巻き込まれたら見せに来なさい」
「万が一にでも変化を起こした場合は三日間閉じこもらせてもらう」
「つまらないわねえ」
「まったくだ」
それぞれの前にはケーキや果物が乗せられたディッシュスタンドが立っている。
それだけがやけに華々しい明るさを放っており、どこか不穏な空気が漂う空間では場違いな存在であった。
「それにしても外はもう寒いのね」
「ここは季節感が薄いからな。分からないのも仕方が無い」
「そうでも無いわ。ぶちこまれる犯罪者の種類で季節を感じてるもの」
出された濃いルビー色の紅茶を一口含みながら、ルブラットはご愁傷さまだなと告げた。
甘味と同時に幾分かの渋み。仄かな温かさが胃の腑へと落ちて行く。
普段ならそこから軽口の応酬を始めるルブラットの友人だったが、今日は違った。
その視線はルブラットではなく、その背後へと向けられている。
剥製蒐集家が獲物を前に視線を逸らすのは非常に珍しいことだ。
「それにしても面白い、面白いわ。アナタのいる場所は魔法や妖精が残る世界で、ちぐはぐで、縫い合わせの怪物みたいな場所ね」
優雅にティーカップを傾けた剥製蒐集家はルブラットの背後に控えた妖精木馬のエーグルを凝視している。
エーグルが纏っているのはあからさまな殺意だ。
純粋だが歪んでいる殺意は、娯楽と悪意と暴力、それから罪悪感の欠如で愛らしくデコレーションされている。
よーっし、気に入らないから腸くいちぎっちゃうぞーと云わんばかりの瞳は好奇と血と明るさに煌めいていた。
人ならざるもの特有の気配。剥製蒐集家の口は下弦の月を描く。
「いひひっ。自我があるのねぇ、かわいいわぁ、かざりたいわぁ。貴女の美学、保存したいわぁ」
互いに開ききった瞳孔で見つめ合っている。
そういえば譲れない美学というか何というか。同類の気配がするな、この二人……一人と一匹……いや、どのようにカウントすれば良いのだろうか、とルブラットは平和で長閑な気持ちのままクッキーをサクサクと口にしていく。類は友を呼ぶ、なんて諺は丸っと頭から抜け落ちていた。
「今にも木馬の殻を食い破りそうな魂よね。まるで地獄や煉獄に住まう邪悪さを持ちながらも、無骨では無い。荒々しさは感じるが、己の美に絶対の自信を持っている。実に、実に善い。ねえルブラット、このコ、私に三百年ほど預けてみない?」
「断る」
「チッ、言ってみただけよ」
次のクッキーを口にしながら、あっけらかんとルブラットは即答する。
エーグルはと言えば勝ち誇った笑みを浮かべていた。得意げな嘶きの幻聴まで聞こえるようだ。
「ごちそうさま」
「あら、もう行くの。ルブラット・メルクライン」
立ち上がったルブラットに剥製蒐集家は意外そうに片眉を上げるも、止めようとはしなかった。
「うむ。君に普段とは違うエーグルが自慢したかっただけだからね。他の友人にも見せに行かねば」
「あー……、そう」
剥製蒐集家もルブラット・メルクラインと付き合いが長くなってきた者の内の一人だ。
故に彼が超上機嫌で何かを自慢しに来たというのは一目で分かったし、止める気力が自分に残されていないことも理解していた。
「前回もああだったし、気に入ったものを見せたがる習性でもあるのかしら」
後にヒルデガルト行脚と呼ばれる、ルブラットとその友人によるぬいぐるみ自慢からまだ数か月もたっていない。
颯爽と去って行ったルブラットの背中を見送りながら一人ぬるくなった紅茶を飲み干す。
「いひっ、まるで
手を付けられなかったカップケーキたちが、一斉にくしゃりと萎れた。